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嵐の前に。

 

 学校が始まるとなかなか更新する時間がとれませんね。更新をサボっていた分、今回で一気に書いてしまいます。

 

・授業

キツイです。いやほんとに。予想以上の激しさでした。

フランス語中級会話に至っては授業中に日本語はもちろん、英語すらほとんど話される事が無く、全てがフランス語で展開されており、

正直かなり慌てました。頑張らねば。「文化の社会科学」という授業はこれから面白くなりそう。この授業中に「ブルーノ・タウトを

知っている人?」と先生が我々学生に問われたので、隈健吾の「反オブジェクト」を読んだばかりだったこともあり、

「桂離宮が~オブジェクト消去型建築が~崖の下に作った家が~」などと語りたくなりました。当てられませんでしたが(笑)

授業後、新しく仲良くなった友達から「地域文化フランス科ってどんな感じ?」と聞かれたので、ちょっと悩みながら

「うーん。ボンジュールでトレビアンな感じかな。」と適当に答えたところ、彼の笑いのツボに入ったらしいです。

適当に言ってみたもののこのフレーズは語感も良いので個人的にも気に入ってしまいました。これからフランス科を紹介する時は

この言い回しを定番ネタとして活用していきたいと思います。

 

・ボウリング

なんと練習投球の際にセミ・パーフェクトを達成しました。十一個ストライクを続けて来て、最後の一投で力んでしまいノーヘッドの6ピン。

296です。練習投球でスコアを気にすることなく楽に投げられたのが大きかったのでしょう。やっぱり意識するとだめですね。

そのあとに新オイルパターンのテスターを頼まれてやったのですが、こちらは最強に難しいレーンでした。投げる場所がない。

かなり奥までしっかりとオイルが入っており、結構回転数の多い僕でもフッキングに苦労するレーン。ただし、唯一レーンの左右二枚目

だけはオイルが薄いようで、ここを転がすといい感じに曲がります。ボウリングをやっている人なら容易に想像できると思いますが、

二枚目を投げるというのは相当怖いです。まっすぐ二枚目を投げればセーフ。少しでも外に向けると即ガター。

0.5枚(幅にして1cmぐらいでしょうか)外に投げたり外に向けると溝掃除というライン、これは恐怖です。

そもそも投げた瞬間からボールがガターにはみ出ているように見えます。こんな練習は中々出来ないと思い、ひたすら二枚目を投げる

練習をさせてもらいましたが、さきほどまで210あったアベレージが一気に150まで落ち込みました。

あんなにガターに落としたのは久しぶりです。神経を摩耗させました。

 

・立花ゼミ

立花ゼミの初回授業がありました。予想したよりはるかに多い人数が教室に詰めかけて下さり、椅子が足りなくて立ち見が出ている

状態。ただ、6時から始まり9時まで続くこのゼミのハードさに相当数が諦めたようで、9時まで残っている新規メンバーは10人足らず

でした。まさに自然淘汰、ナチュラル・セレクションです。これからどんどん面白い企画が出てくると思いますので、ガンガン動きましょう!

 

・おしごと

KIRIN-東京大学パートナーシッププログラムのフライヤーと、討議力養成プログラムのシンポジウムのフライヤーを依頼されたので

作成しました。KIRINの方は優しくて暖かな感じ、対照的に討議力養成プログラムの方は頭が冴えるような鋭くスタイリッシュな

デザインを「気になる色遣い」である「薄紫」でまとめてみました。これらはいずれwebで公開されるので、公開され次第お知らせします。

 

・かいもの

EDIFICEで革ブルゾンを購入。フード付きなのでハードすぎずいい感じです。薄さ以上に暖かいのでこれから重宝しそう。

それから新宿の世界堂でgiulisの白レザーバインダーを購入。これを小脇に抱えているとmacみたいです。そのあとにadam et lopeで

紫のオロビアンコショルダーを発見し、その発色の美しさについ買いそうになりましたが、ギリギリで耐えました。あれは危なすぎる。

あと、福沢諭吉の『文明論之概略』(岩波文庫)をS氏が二冊持っているとの事だったので一冊譲ってもらいました。ありがとう。

 

・台風

さきほどから風と雨が凄いです。ベランダに落ちる水滴の音が「ぽたぽた」から「ぼとぼと」、そして「じゃばじゃば」へと変わりました。

早稲田と筑波は午前中休校だそうですが、東大は「台風はともだち!」姿勢を貫いており、どうやら完全スルーする模様です。

 

 

まとめて更新&進学先について

 

 色々あって纏まった文章を書く時間が無かったのですが、ようやく時間が取れたので一気に色々書きます。

 

 ・胃下垂

胃下垂にかかってしまいました。人生初。胃がかなり下にさがっているのがリアルに分かります。

食べてもまったく胃が消化する気配が無く、ラーメン一杯を完食するのに四苦八苦します。お酒も思うように呑めない。これはつらい・・・。

 

・本

アラン・コルバン『風景と人間』、山本博文『天下人の一級史料』、大森荘蔵『時間と自我』、ライアル・ワトソン『匂いの記憶』を読了。

あとの二冊は図書館で借りたものですが、そろそろ返却期限が切れているような気がして怯えています。

それから柴田寿子『リベラル・デモクラシーと神権政治 スピノザからレオ・シュトラウスまで』を購入。柴田先生は僕の尊敬する先生の

一人でしたが、今年になってご逝去されました。早すぎる死が惜しまれてなりません。本書の前書きや後書きの行間からは

難病に侵された先生の強い意志と無念さが伝わってきて、読みながら瞼が熱くなりました。

先生の社会思想史の授業を口述筆記して作ったシケプリは前期教養学部時代の宝物の一つです。

 

・髪

ちょっとだけ茶色に染めました。単なる出来心です。黒髪愛好家であることは変わりません。サーフィンに行ってきて海水と太陽の

影響を受けたのか、思ったより茶色っぽくなっている気もしますが、自分の中ではそんなに違和感なし。これもアリかな、という感じです。

 

・フランス語とか

Newton Pressから出ている『トレーニングペーパーフランス語』シリーズを文法の復習と単語増強を目的にガシガシ進めています。

もうすぐPart1が終わるはず。近所のマクドナルドでこれをやっていた際、隣に来た女性の方が持っていた袋にPour la frimeと書いて

あって、いつもなら「この店の名前良く見るなあ」と思って終わるのですが、フランス語をやっていたため無意識に和訳してしまい、

「Pour la frimeって〈うわべだけ〉という意味だよなあ・・・」などと考えてしまいました。「うわべだけ」という意味の袋を街で持ち歩くのは

ちょっと恥ずかしいかもしれません。すぐにボロボロになりそうです(笑)

まあ良く考えてみると町中に意味の分からないメッセージの書かれたものは結構転がっているもので、先日も大学へ行く途中の道で

追い越したマダムのTシャツの背中に「前 代 未 聞」とフォント60ぐらいで印刷してあるのを見ました。

前代未聞と書かれているTシャツを見た事はなかったので、確かに前代未聞です。

 

・音楽

指揮法のレッスンに備えて叩きのトレーニングを一日100回やっています。前よりも鋭く叩けるようになってきました。

フルートのレッスンにも行っていますが、そろそろまともな楽器が欲しくなってきました。天邪鬼なために「使い手を選ぶ」と言われる

サンキョウのフルートが気になっています。特に40周年記念モデルのリングキー。買うお金はありませんが・・・。

 

・ボウリング

セカンド・ディメンションの指調整が完璧になり、この球のポテンシャルをかなり引き出せるようになりました。

横回転を強めに入れて外に出した時の戻り具合が半端無いです。スーーッ、グワッ!!という感じで、蹴散らすように強く重い当たり。

スタッフの方の粋な計らいで投げる前に特別にオイルを引いてもらい、それからこのボールを投げたのですが、フッキングポイントに

入ってからの加速感にビビりました。隣のレーンの左端ぐらいに立ちほとんど右ガターを超える形でリリースして5枚目あたりまで

出すとジャストポケット。なんじゃこりゃ。こいつのおかげでセミパーフェクト達成です。今ならシナモンアップル臭も許せます。

 

・進学振り分け

無事に第一希望の教養学部地域文化研究科に内定しました。地域文化研究科の中のフランス分科に所属する予定です。

興味の幅を広く取っていたため、進学振り分けに際しては相当悩み、教養学部の科学哲学や表象文化論、比較文化にはじまり、

文学部哲学科や倫理学、社会学、果ては工学部建築学科や都市デザインまで考えましたが、以下の理由から最終的に

地域文化研究科に絞りました。

 

1.何よりも駒場に残りたかった。

→「本郷に行きたい!」と思う方が大多数でしょうが、僕の場合は逆に駒場に残りたいと思っていました。

というのは、本郷の各学科のようにタコツボ化したディシプリンに閉じ込められず、学問を広く横方向に繋げて捉えたかったからです。

これが簡単な事で無いのは承知しています。しかしそれでも、学問にしろ遊びにしろ、常に越境者の志を持っていたいと思います。

また、教養学部でこれから始まる大きなプログラムを非力ながら引っ張っていく立場になるようなので、このプログラムに大学生活の

後半を賭けるため一番動きやすい場所を取っておきたかったというのもあります。

なお、引っ越しするのがめんどくさかったから、というのも一つの理由です。

 

2.大学における残り僅か二年の勉強で何かが身につくのか?

→院まで行けば別でしょうが、あと二年間で自らの専攻分野を卒業後に活かせるまで身につけられるのか僕には疑問でした。

そして文系のかなりの分野は本を読めばそれなりの知識をつけられるはずです。授業を受けるよりも自分でどんどんと読み進めて行く

方が身になるでしょうし、今までもそうしてきました。では、今までで身につかなかったものは何か?

僕の場合、それは言語です。ずっと外国語から逃げてきた。だから今度は言語から逃げられない環境に自分を置いて、スパルタで

言語を鍛えようと思います。言語は卒業してからも必ず活かせますしね。ちなみに地域文化研究科は卒論を各専攻地域の言語で

書かなければなりません。僕の場合はフランス語です。卒論発表や口頭試問もフランス語で行うらしいです。地獄です。

 

3.フランス現代思想に興味アリ。

→本棚を眺めて気付きました。フーコー、ドゥルーズ、ラカン、バルト、ベルクソン、メルロ=ポンティ、ヴァレリー、ランボー、コルバン・・・

僕が好きな思想家や作家、詩人、歴史家、それは多くがフランス系でした。スラヴォイ・ジジェクや大澤真幸の影響を受けて社会学にも

かなりの興味を持っていましたが、社会学への興味の底にはフランス現代思想がありました。(そもそもスラヴォイ・ジジェクの著作は

ラカンの理論が全てのベースになっていますしね)だから単に社会学をやるのではなく、しっかりと原書を読める言語力をつけて、

それぞれの思想への理解を固めたうえで、必要とあらば社会学的なアプローチをとりたい。最近はミシェル・フーコーの生権力論の射程

と現代の生命倫理の交差点に一番の関心を持っているので、これを一つの軸にしようと企んでいるところでした。

これを考えたとき、地域文化研究科フランス分科はこの分野の先生方に非常に恵まれています。

 

4.副専攻制度

地域文化研究科の特権に、東大の中でもレアな「副専攻制度」が認められているというものがあります。僕の場合は国際関係論か

相関社会科学、あるいは表象文化論を副専攻にしたいと考えていますが、このように自分の専攻分野と別の分野の授業を取ることが

出来るシステムです。これは一つに興味を絞れない人には嬉しいシステムで、地域文化研究科に惹かれる大きな理由になりました。

 

 こんなところです。

最後に、そもそも地域文化研究科のフランス科って何をやるのかという点だけ書いておきたいと思います。

昨年のシラバスを見れば、アナール派などのフランス史学やフランス思想、レヴィ=ストロースの人類学的構造主義、

マラルメやフローベール、ゾラなどの作品のテクスト分析、ヨーロッパ政治構造論、ヨーロッパ経済システム論、表象芸術論、

メディア環境論、世俗性と政教分離やライシテ、クイア・スタディーズ、ブランショ、デリダ、ボードレールetc…

このように政治・経済・宗教・文化・社会などの多角的なテーマを横断的に学ぶ学部であることが分かります。この多角性を活かすも

殺すも自分次第。第二外国語としてドイツ語を選択していたこともあり、二年間相当にフランス語に苦しめられることになるでしょうが、

最後まで必死に食いついて行きます。ここをお読みの方でフランス語に堪能な方がいらっしゃいましたら色々とご教示下さい。

地域文化研究科に進学される方がいらっしゃいましたら、これから二年間どうぞよろしくお願いします。

 

" La fille sur le pont " 邦題 『橋の上の娘』(Patrice Leconte)

 

 最近、映画評ばかりが続いています。

というのは近所のレンタルショップがたまにレンタル一週間190円セールをやってくれるので、その日に大量に借りこんできたためです。

フランス映画が中心なのはフランス語のリスニングにいいかなと思ったから。字幕あり/なしで二回見るとかなり勉強になりますね。

 

 さて、この『橋の上の娘』、1999年公開の映画にもかかわらず全編にわたってモノクロです。

最初はちょっと戸惑いましたが、観終わった後に「この作品はモノクロでないと!」と言わしめる内容を持っています。

ナイフ投げの男Gaborと、橋の上から飛び込んで自殺しようとしているところをGaborに救われナイフ投げの「的」にスカウトされた

Adeleの二人が織りなすストーリー。でも、ストーリー自体は非常に単純。後半の展開はほとんどの人が読めてしまうもので、

「もしかしてこれで終わるの・・・?」と思っていると下からエンドロールが上がってくるという、もうひと展開ぐらい期待したい

ストーリーではあります。この映画の素晴らしさはショットのスピード感ではないでしょうか。緩急を自在に操るカメラワークで、たとえば

Adele役のヴァネッサ・パラディが髪を切っていくところのスピード感溢れるショットや、試着室でドレスを次々に着替えていくところの

躍動感(音楽と動きを合わせてあるため、ダンスみたいに見えます)は見ていて「うまいなあー!」と思わされました。

モノクロであることがこのあたりのスピード感の表現に繋がっているのかもしれません。(モノクロで思い出しましたが、この映画には

虹を見て「虹ってイタリア語でなんていうの?」と問いかけるシーンがあります。モノクロの虹を見たのは初めてで、とても新鮮でした。)

 

 モノクロでなければならなかった最大の理由、それはこの映画の本質である「官能」を表現するためではないでしょうか。

Adeleはその眼差しを使って出会ったばかりの男たちとすぐ寝てしまいますが、ベッドシーン自体は殆ど描かれません。

むしろそれは大したものではないように描かれ、そこに官能性は皆無といって良いでしょう。しかし、Gaborのナイフ投げを「的」として

受けるときのAdele(そしてGabor)は違う。ナイフ投げのショーを無事に終えた後、

「恐怖と快感を同時に感じた事はある?」とAdeleが問い、「ある。さっきだ。」とGaborが答えるシーンがあるように、

この映画においてAdeleにナイフ投げを行うシーンはベッドシーンの表象だと言っても過言ではないはずです。

中盤、線路を渡った後のシーンで行われる「観客のいない二人だけのナイフ投げ」では、AdeleとGaborが

(ちょっとわざとらしすぎるほど)ベッドシーンを彷彿とさせる表情でナイフ投げを行っています。

暗闇に男の荒い息と鋭い眼つきが浮かび上がり、モノクロの肌のすぐ近くに輝く刃が突き立つ。

ここは監督のパトリス・ルコントが最も力を入れたであろうシーンではないでしょうか。官能と恐怖の近似をリアルに伝える映画でした。

あと、映画の内容にはあまり関係ありませんが、台詞で「コアントロー」と言っているところを字幕で「甘口のリキュール」と

訳しているのはちょっと興味深かったです。

 

 

  映画を見たのは例によって深夜で、夕方にはこれまた恒例のプロとの試合に行ってきました。

今日はいつもと違ってオイルがかなりあるレーンだったので、レフティの王道ラインである五枚目や場合によっては二枚目まっすぐ

というガターギリギリのラインで、横回転を主体にして手前を十分に走らせ、奥で一気に切れ込ませるラインをとりました。

このラインをとったのは本当に久しぶり(ホームのセンターはオイルが薄いので、いつもディープインサイドに立つ羽目になっています。)

だったのですが、このラインで投げるのは、大きく出し戻しするいつものラインに比べてめちゃくちゃ簡単に感じました。

気合いを入れて外を転がしておけばポケットに勝手に集まるし、入った時のタップも少ない。残っても7ピン一本だけがほとんど。

おかげで9ゲームでセミ・セミパーフェクトを含む224アベレージを叩く事ができ、プロに勝つことができました。

 

 個人的なものなので他の人の参考になるかは分かりませんが、特に肘を入れて投げる方は、ボールの下に手が来た時に手のひらを

のばす(当然フィンガーも伸びる。手のひらが全体的に張るような感じ。)ようにするとカップをブロークンにする際に親指を抜きやすく

なることに気がつきました。この動きは本当に一瞬のものですが、調子のいいときにはしっかりとこの動作を意識する事が出来るし、

出来たときには球に乗ってくる回転数が段違い!これが出来てはじめて、小指に意識を向けることによる回転角度のアレンジが

可能になってくるはずです。ここまでくれば「手のひらがボールを追い越す感じ」も味わえます。出来るとかなり気持ちいいですよ。

リフト&ターンの動きを考えてみたとき、肘を入れずに投げる方でもリリースの瞬間に掌をのばしてみる(全力で「パー」をする)と、

親指が綺麗に抜けてフィンガーに乗ってくる効果が得られるかもしれません。

 

 新聞配達のバイクが去っていく音がしました。

そろそろ朝ですね。七月・八月ごろと違ってまだ空は明るくなりそうな気配がありません。

空つながりというわけではないですが、今からアラン・コルバン『空と海』(藤原書店)を読んで寝ることにします。

東大ガイダンスのブログの記事と母校から小論の寄稿を頼まれているのでこちらも早く完成させなければ。

指揮法のレッスンやフルートのレッスン、デザインの仕事など、夏休みの終わりになって段々と予定が増えてきた感があります。

この調子のまま学校が始まったら毎日どうなるんでしょう(笑)

 

セカンド・ディメンションと『白旋風』

 

 プロと手加減なしの4ゲームマッチをしてきました。

ちょうどStormのセカンド・ディメンションをドリルしたばかりだったので、このボールをメインにして最後まで投げました。

このボール、予想していたとおり僕の球質にとても合うようです。とくに横回転を多めにして外側へ振って投げると、かなり奥まで走って

「ガタ‐落ちる!もう駄目です!あ、あ、さような・・・なんちゃって」という感じで、凄い加速感とともに内側へ切れ込んできます。

かなり回転を入れてもスムーズに走ってくれるため、無理やり手前を走らせる必要がありません。ピンアクションは壮絶の一言。

タップは普通にしますが、キックバックがとても激しい。誇張抜きに、跳ね散ったピンが左右に一往復しているように見えます。

難点はStormのボールに特有の「微妙なフレグランス」です。Stormのボールには大抵香りが人工的につけられていて、

今回のSecond dimensionにもリンゴっぽい匂いがつけられています。高校生の頃に使っていたStormのX-Factor Reloaded

にはシナモンアップルの香りがつけられていたのですが、ボールバッグにこのボールと一緒に入れていたシューズやら小物やらが

みなシナモンアップルの香りになってしまっており、さらには同じロッカーに入れていたユニフォームまでシナモンアップル臭に

犯されしまっていた経験があるので、今回はちょっと警戒しています。投げ友達の中に、Stormボールの香りに辟易して

ボールにファブリーズをぶっかけたツワモノがいるのですが、彼曰く「ファブリーズでは勝てんかった・・・」とのこと。

消臭作戦では歯が立たないようなので、今回は生政治的に隔離作戦を推し進めていこうと考えています。

 

 ボールのフレグランスに話が流れてしまいました。

ともかくこのボールを使って、久し振りに思いっきり出して思いっきり戻すラインを投げ続けました。

220-179-201-230でアベレージ207.5。対するプロはなんとアベレージ233。4ゲームまではプロにくっついていけたのですが、

最終ゲームで268を出されては230を出しても全く勝ち目がありません。プロの本気と精密なライン取りを目の当たりにしました。

また来週にリベンジマッチをやる予定なので、次こそは追いつきたいと思います。

 

 帰宅してからは、買ったばかりの焼酎用グラスに『白旋風』(宮崎県櫻の郷醸造)をロックで開けます。

この焼酎、ネットで検索してもあんまりヒットしないマイナーな焼酎なのですが、かなり美味しいです。

ジョイホワイト芋という特殊な芋を使っているために、どことなく柑橘系のニュアンスを感じるものになっており、とても爽やかな口当たり

のおかげで疲れている時でもスイスイ飲めます。一方で焼酎らしい重さがないために水で割ってしまうと味がちょっとボケてしまうので、

冷蔵庫で良く冷やしてロックにするのが一番美味しい飲み方じゃないかと思います。

異文化交流と称してこの焼酎を飲みながらフランス語の復習をやってL’Étrangerをゆっくりと読み進め、

最後にパーフェクト・ソルフェージュを少しとピストン・デヴォート『和声法』の「非転調型ゼクエンツ」の項を勉強して一日終了。

いつの間にか外が明るくなっていました。8月に比べて朝方はだいぶん涼しくなりましたね。

 

 

ボウリング・インテンシブと『渓流 雪たより』(遠藤酒造)

 

  投げまくった一日だった。まず、朝から大会で4ゲーム。

センターで一番上手い人と総支配人と同じボックスでちょっと緊張しつつ、無難に190ぐらいでスタート。

右のレーンは4ゲーム通じてほぼパーフェクトだったのだが、左のレーンがなかなか読めない。アングルを次々に変えていっても

7ピンが残ってしまう。ポケットには簡単に入っていくのに、あと一本が倒れない。かといって大胆なラインチェンジをしてしまうと

スプリットの危険性があったので、3ゲーム目まで左のレーンはスペアで耐える展開になった。4ゲーム目になってようやく左のレーンが

読めてくる。右でストライク、左でストライク、右でストライク、左でスト・・・ジャストに入ったのに8番が立ち尽くす(泣)

気を取り直してスペア。また右でストライク、左で今度こそスト・・・強烈にジャスト入って9番残り(泣) ひえー。

同じボックスの一番上手い人も左レーンでジャスト8番を連発しており、二人で「これはピンのオフセットだ。そうに違いない。」

ということにして自分を納得させておいた。たまにはこういう日もある。アベレージ180ぐらいで終了。

 

 夜、高校の後輩(今は大学のボウリング部に入っている)とセンターのスタッフの方から一緒に投げようとのお誘いを頂いたので、

再びボウリング場へ。もうすぐ日が変わろうかというような時間だったので、一般客はほとんどおらず、ほぼ貸切状態。

というわけでみんなでテンションを上げて思いっきり騒ぎながら投げる。

ストライクを続けてはジョジョっぽい叫び声を上げるスタッフの方や摩訶不思議なガッツポーズを繰り出す後輩に爆笑しつつ、

僕もストライクが続き始めると四レーン分ぐらいアプローチをスライディングしてみたり。(やりすぎて膝が摩擦熱で熱かった。)

もはやアプローチ上のショーである。勤務中のスタッフの方も客がいないのをいいことに僕らが投げている所へ集まって来ていて、

大変盛り上がる展開になった。テンションの高さゆえかどうか分からないが、三人ともバカ打ちしていて、200を切ると最下位決定

というかなりレベルの高い戦いに。割ってしまうとやばそうだったので、15枚ちょい出しラインでSolarisを使って狭く強く投げる。

205-169-215-170-220-235-223-211-212-180で10ゲームに及ぶ激しい試合は終了した。アベレージは204。

200を三回切ってしまったのは心残り(しかもカバーミスだった)だが、10ゲーム中にノーミスを三回含んでいたので少し満足。

200アベレージを超えるためには、1. 打ち上げること 2. 大きなマイナスゲームを出さないこと の二つが要求されるのだが

今日はバカ打ちこそしなかったものの、大体は210前後を打ち続けることが出来たので2の条件は満たせたように思う。

ここに250ぐらいのバカ打ちゲームが加わればきっと220アベレージぐらいになるのだろう。先は長い。

 

 日が変わるのもお構いなしに、最初から最後まで腹筋が崩壊するぐらいみんなで笑いながら投げた。

スランプ気味だった後輩もちょっとしたアドバイスで立ち直ってくれたし、ここ数か月で一番楽しいボウリングだったかもしれない。

やっぱりスポーツは楽しんでやるのが一番です。

 

 なお、帰宅後に遠藤酒造の『渓流 雪たより』を口開け。

東京へ引っ越して最初に友人と飲んだ酒がこれと同じ遠藤酒造の『渓流 春限定吟醸』だったため、渓流シリーズにはひときわ

思い入れがある。(ちなみに、この春限定吟醸は最高に美味しい。口の中でふわーっと華やかに味が開けてゆく。ボトルも綺麗で、

僕にとっては春の風物詩の一本だ。) 今回の『渓流 雪だより』は濁り酒で、おちょこに注いでも底が見えないぐらい濁っている。

口に含むとトロリとした舌触りと軽い酸味。そしてほんのり甘い後味。なんとなく小さい頃お祭りの日に頂いた甘酒を思い出す。

体に優しく染み込んできてとても美味しい。

これとポン酢をかけたオクラの相性が抜群で、一杯だけと決めていたのについつい何杯か呑んでしまった。

ボウリングも楽しかったしお酒も美味しかったしで幸せな一日だった。明日からも頑張って勉強しよう。

 

『大聖堂 果てしなき世界 上巻』(ケン・フォレット,ソフトバンク文庫 2009)

 

 帰省していた時に世界史の川西先生にお勧めして頂いたこの大著、ようやく上巻を読み終えた。

この作品は、上・中・下それぞれを一気に読み通すべき本だと思う。

というのは、まず登場人物が相当に多く、しかも名前が似ていてややこしい。ドストエフスキーも真っ青なレベルである。

加えて、途中で時間が一気に飛ぶ箇所がある。これによって読者は「え、こいつ誰だっけ・・・?」という困惑に容赦なく叩き落とされる。

もちろん僕もその困惑の渦に嵌った一人で、前を参照しながら人物関係を追うのに必死になった。

 

 だが、これらの「試練」とも言うべき個所を抜けると、登場人物のキャラが一気に立ってくる。

先ほどまで誰が誰だか迷っていたのが嘘のように、パッと視界が開けてこの作品の世界に入り込む事が出来るだろう。

そこからは本当に面白い小説だ。小説としても面白いし、世界史をやった人にはこの作品の背景に中世の社会構造が大きく横たわって

いることが見て取れるはずだ。(例えば、聖職者の特権的地位、職人の身分、女の地位、ギルドの閉鎖的構造、保守と改革など。)

上巻を読み終えた今、世界史の先生がお薦めされた理由がよく分かった。各巻が650ページぐらいある大著で読むにはかなり

骨が折れる(ついでに、読んでいると重さで手が段々ダルくなってくる。ストレッチ必須。)が、カリスとグウェンダ、そしてマーティンと

ゴドウィンといった魅力的なキャラクターたちが時にハラハラ、時にイライラさせてこの世界に惹き込んでくれるので、中・下巻も

それぞれ一気に読み通せそうだ。夜中、ソファーに寝転んでキンキンに冷やした白ワインを飲みながらこれを読んでいると

一人暮らしの狭い1Rにも関わらず異常に幸せな気分に浸れるので、今週の夜はこれを読んで過ごすことにするつもりである。

 

 なお、本日も経堂で8ゲーム投げ込んだ。

師匠に教わったラインを練習すべく、家に寝かせていたMomentum Swingを持ち出してきた。

このボール、寿命に難があるものの、「スーッ」と滑らかに曲がっていくしピンアクションも良いしで使いやすい事は確かだ。

これを25枚目から15枚目まで出して投げる。横回転を多めに入れ、オイルを長く使って「狭く・強く」投げる練習である。

今の回転ならガターギリギリまで出しても戻してこれるが、それではボールの勢いが削がれてしまい、ジャスト‐タップが起きてしまう。

師匠に指摘された通り、次に僕が目指すべきは、回転数が多くてスピードの乗った強い球を狭いライン(=オイルを長く使う)でしっかりと

投げれるかだ。ポケットに入るラインを見つけるのではなく、ストライクが続くライン(=タップしないライン)を選ばなければならない。

トップトーナメントでは210アベ以上が要求されるので、このラインを早急に自分のモノにして引出しを増やしたいと思う。

これを使えるようになれば、5枚刻みに5つの基本ラインを取れることになる。これ以上内側に立たねばならないもあるが、

インサイドに立つのは嫌というほど練習したから苦手意識は無いし、そもそもそんな時にはボールを変えれば何とでも対処できる。

後は状況に応じて1枚2枚ずらしたり、回転軸を少し調整してアジャストすればよい。

 

・5枚をまっすぐorちょい出し。・・・レフティの王道ライン。オイルの切れ目を感じて、先まで走らすのが最大のポイント。

・10枚から外にちょい出し。・・・万能。朝の試合で最初に選択するライン。オイルの壁に沿わす感じ。

・15枚から5枚まで出す。・・・非常に使いやすいライン。ここを使ってちょっと薄めに入れるのが好き。

・20枚から10枚まで出す。・・・オイルを長く使う。ピン前が切れているときはこれ。ここを使って厚めに入れるとパーフェクトストライク。

・25枚から15枚まで出す。・・・オイルを長く使って、エネルギーロスを極力避ける。横中心回転。狭いラインで強烈にフリップする球。

(・18枚目直球…ネタ。アプローチ上での助走のエネルギーと体重移動と身体の捻り戻しを使って45キロでぶち込む。カタルシス。)

 

 投げ始めてすぐに小学生が二人寄って来て、「上手くなる方法教えて」と言われたので、スパットを見ること、アプローチをゆっくり

歩くこと、左手でバランスを取ること、毎回立ち位置を確認すること、などを簡単に説明した。小学生たちが嬉しそうに戻っていって

投げ終わったあと、「どうや!」と言わんばかりに(関東の小学生が「どうや!」なんて言うわけはないが)こちらを見るのが可愛かった。

お母さんも最初のうちは「邪魔してすみませんほんと。○○、邪魔しちゃだめよ!」と言っていたのに、

最後の方は「左手でバランスを取れって教わったでしょ!えーと、これで合ってますよね?」と尋ねてくるようになっていらっしゃって、

やっぱり子供の上達が気になるんだなあと思うと微笑ましいものがあった。子供たちもすっかりハマっていたようで

小学生:  「もう一ゲーム!」

お母さん: 「もう一ゲームだけよ!」

  ~ 一ゲーム終了 ~

小学生:  「もう一ゲーム!!」

お母さん: 「もう一ゲームだけって言ったでしょ!・・・これが最後だからね!!」

などという光景が展開されていて、スタッフの人と目を合わせて笑ってしまった。なんとも平和である。

子どもたちは最後に、「お兄ちゃん、ありがとうございました!」と元気よく挨拶をして帰っていった。

「バイバイ、またおいでなー。」と手を振りつつ、「おじさんって呼ばれなくて良かった・・・。」とホッとしていたのは内緒である。

 

 

 

政治的パラダイム・シフト

 

 昼からフルートのレッスンに行ったあと、いつものように経堂で8ゲーム投げ込む。

楽器をやると異様に集中できるのでその集中を引きずったまま練習する事ができた。

8ゲームのアベレージが198。8ゲーム中スペアミスがスプリットの時を除いて一つしか無かった。

特に7ピンのカバーが冴えている。僕は7ピンを取る時にはドライ用のボールを使って一投目と同じフォームで肘を入れ、

リリースの瞬間に回転軸を縦(場合によってバックアップ気味にすることもある)に変えて曲がらない球を投げているのだが、

今日はこの時に肘が非常にスムーズに鋭く入っていて、7ピンをミスる気がしなかった。こういう状態がずっと続いて欲しいと思う。

 

 帰ってからは情報メディア伝達論のテストに使うために拾い読みしたものの全体を読んではいなかった

吉田康彦 『「北朝鮮」再考のための60章 日朝対話に向けて』(明石書店)を読了。センシティブな内容なだけに詳細や感想をここに

書くのは避けるが、北朝鮮の実態を知ることが出来るという点では(コラム代わりのTopicsの項も面白い。)良い本であろう。

 

 夕方からはカミュのL’Étrangerを辞書と必死で格闘しつつ読む。和訳なら一時間ちょっとあれば余裕で読めるのに、原書では

二時間かかって五ページがいいとこである。まあでも、このペースでいけば9月中旬には何とか読み終わりそうだ。

夜はA氏に、金森ゼミで集中的に学んだbio-politique及びビオス/ゾーエーの概念や様々な生命倫理の問題を説明した。

ゼミと同じく、一通り説明したあと、最後に「マルタとジョフ」という思考実験を教えてこれについて考えてもらう。

deaf=聾唖者の夫婦であるマルタとジョフは、遺伝子検査の結果、遺伝的な要因による聾でないと分かる。

しかし、マルタとジョフは、子供が自分たちと同じく聴覚障害者であることを望んだ。

この欲望から、着床前診断により、聴覚障害になるような胚を選択して着床させたとしよう。

もちろんマルタとジョフは「子供の幸せ」を思ってそうしたのである。deafの両親の下でははじめからdeafとして生まれ、Deaf culture

に生きたほうが幸せだろうと両親が考えた結果の行動である。

だが、この行為は許されるのか?命を逆方向へEnhancementしているのではないか?

 

 もちろん、はっきりした正解がある問ではないのだが、僕が思う答えはこうだ。

マルタとジョフは夫婦という関係を絶対的な物として信頼を置き過ぎている。自分たちと同じ聴覚障害者の子供を作ったはいいが

夫婦が突然別れてしまって、両親の行方も知れずという状況になった時を考えてみよ。

残されるのは、「わざわざ聴覚障害を持たされた子供」だけである。夫婦の絆が絶対的なもので無い以上、親の意思で子供を

不利なほうへ改造するのは正しい行為ではないはずだ。そしてまた、マルタとジョフの行いは、子供の所属するコミュニティを

生まれる前に限定してしまっている。可能性を敢えて狭める方向へ産み分ける事は、ハンチントン舞踊病を回避するための産み分けと

異なり、非常に不自然なものに映る。

 

 こんな事を議論しているうちに選挙の開票速報が出始めたので、パソコンを立ち上げてニュースをあちこち巡る。

自民党の大敗。大物がバシバシ落選し、壊滅的に議席数を減らしたようだ。その一方で民主党の記録的な躍進。政権交代。

政治というデリケートな問題について確かな思考を持っているわけでもないので、そのことの良し悪しをここで書く立場に僕は無いが、

ただ一つ言えることは、今回のメディアの報道姿勢はあまりにも偏っていたのではないかということだ。とくに読み間違いを巡る報道。

公の場で読みを間違うことはもちろん良いことではないけれど、果たしてあそこまで騒ぎ立てるほどの問題なのだろうか。

子供のように読みの間違いを上げ足取って指摘するぐらいなら政策論争の時間を一分でも多く取った方がよほど有益ではないのか。

(ただ、失言や読み間違いに対する対策が余りにも遅かったことは確かだ。読み間違い自体は大した話ではないが、メディアが

過剰に騒ぎ立てる流れになってしまった以上はもっと対策する必要があった。そして自民党敗北の根本の原因は

首相の能力如何の問題以上に、党内のバラつきや内紛を国民に知らしめてしまったことにあると思う。)

メディアの報道だけでなく、「口が曲がったやつに政治を任せていていいのか」などと発言した某議員なども僕は心から軽蔑する。

口の角度が政治と何の関係があるのか説明してみろと言いたい。いっそ議員をお辞めになって、『口の角度と政治体制の関連』とかいう

トンデモ本でも書いて、Amazonで限りなく☆0に近い評価を貰ってボコボコに叩かれればいいと思う。

 

 まあとにかく、今回の政権交代は一つの政治的パラダイム・シフトと呼ぶに相応しい大事件であろう。

だが肝心なのは政権が交代することではない。民主党のもとで、どのような施策が展開されていくのか、どのような日本が作られて

いくのか、そしてメディアとどのような関係が構築されていくのか注意深く見守りたいと思う。

 

 深夜にはサイバネティクス・システムについて勉強して関連書籍をリストアップする。

パソコンを打ちながら、Amazonで買って届いたばかりのTargusのCooling Podium CoolPadの使いやすさに感動。

万年筆について熱く語れる先輩である機構のHさんが使っているのを見て買ってみたのだが、予想以上に使いやすい。お薦めです。

関連書籍のいくつかをノリで注文してしまったりパーフェクトソルフェージュの課題をいくつかやったりしたあと、朝6時頃に布団にダイブ。

台風が接近しているらしく、窓に打ち付ける雨の音がよく聞こえる。この音を楽譜に起こすと凄い変拍子の譜面になりそうだ。

 

 

東京へ戻って来ました。

 

 二週間ちょっとの帰省を終えて東京へ戻って来ました。

新幹線(もちろん自由席)に乗ってハイドンのスコアを広げて勉強していると、隣に二人組の高校生が乗って来ました。

「一番の要約はたぶん半分で、英作それなりにとってリスニングもがんばって長文死んで・・・60あるかないかぐらいだと思う。」

などという会話をしていたので、内容と順番から考えて、東大の英語の問題についてだったと思います。時期的に東大実戦か何かの

話をしていたのでしょう。横で「実戦の長文は難しいもんなー。」などと思いつつ品川で降りようと席を立つと、

「あのひと音大生かなー。音大生は英語とか世界史とかしなくていいから羨ましいよな。」と話す声が聞こえてしまい、思わず振り返って

「要約半分ではマズいぞ。過去問繰り返して慣れるべし。」なんて言おうかと思いましたが、自重しておきました(笑)

 

 東京についてみると、やっぱり人の多さに驚きます。それから街中に微妙な警戒心が漂っているような気がします。

人同士が打ち解けていないというか言葉にはならないギスギスした空気を感じました。まあそれも東京の面白さの一つかもしれません。

 

 朝、そのまま駒場に行ってハイドンのピアノ協奏曲の三楽章をコンマスとソリストと合わせて来ました。

夏休みの間に300回ぐらい読んで和声や構成を分析し、自分でもある程度弾いたこともあって、大体は上手くいったと思うのですが

睡眠時間が足りていなかったせいかニカ所ほどキューを出し忘れてしまい、コンマスが入りづらそうにしていたのが申し訳なかったです。

次回は忘れないようにしっかりマークしておきました。また、このコンサートについては本業のポスターデザインを頼まれていたため

そちらの完成稿も渡すことができました。ポスターについては記事を改めて触れたいと思います。

そういえば途中でオジサン達が写真を撮りに乱入してきて、「撮られたくなかったら顔見えないようにしておいてね。」と

言われたのですが、指揮の都合上そういうわけにもいかず、撮られるがままになっていました。

写真を何の用途に使うのか謎なのが怖いところですね。

 

 「たまには外食もいいか。」ということで、昼には連れと美登里寿司へ行き、大漁セットなるものを注文してみました。

昼から寿司かよ、と思われるかもしれませんが、このセットは何と950円程度。絶品のお寿司8貫に加えて、

茶碗蒸しやサラダ、デザートまでついているので素晴らしくお徳感があります。特に炙りものが美味しかったです。

自宅に帰ってからは再びハイドンの勉強。先日から二楽章のカデンツァを書いていたのでその続きを。

書いていると言ってしまうと少し大げさで、実際にはアルゲリッチが弾いているランドフスカのカデンツァを楽譜に起こしているだけです。

聴音と書きとりは久しぶりだったので、たった二分程度の部分なのになかなか進みません。

書いては弾き、弾いてはSONARに打ち込み、打ち込んでは再生して「なんか音足りない・・・。」と悩みの繰り返しです。

そんなわけで今日は8小節書いただけに留まりました。衰えを痛感したので、『音大受験生のためのパーフェクトソルフェージュ』を

9月は毎日やることにします。

そのあとで三島由紀夫の『午後の曳航』(新潮文庫)を読了。三島の作品群の中ではさほど優れた作品ではないように感じますが、

「父」という存在を巡る少年たちの会話の深みや、最後に置かれた印象的な一節(三島の文体ならではの一節)は結構好きです。

 

「正しい父親なんてものはありえない。なぜって、父親という役割そのものが悪の形だからさ。・・・(中略)・・・父親というのは真実を

隠蔽する機関で、子供に嘘を供給する機関で、それだけならまだしも、一番わるいことは、自分が人知れず真実を代表していると

信じていることだ。」(P.126)

「竜ニはなお、夢想に浸りながら、熱からぬ紅茶を、ぞんざいに一気に飲んだ。飲んでから、ひどく苦かったような気がした。

誰も知るように、栄光の味は苦い。」(P.168) 

 

 読書のあとはアイスコーヒーを淹れてネットサーフィン。

ニコ動で、京大の友達から教えてもらった「新世界エヴァンゲリオン ~関西弁で台無しにしてみた~」という動画を見ました。

エヴァについてはあまり詳しくないのですが、それでも死ぬほど笑わせてもらいました。関西弁の恐ろしさを実感できます。

ところどころに入れてくるネタがまた秀逸。これは相当時間かかってるんじゃないでしょうか。

女の声の部分では、投稿者である男の方の声のピッチを上げて女っぽくしているのですが、そのあたりにも作者の苦労が忍ばれます。

とりあえずエヴァ好きの人は一度は見るべきです。(ただし、原作の印象が完全に破壊されるのを覚悟の上で)

そのあと、youtubeでボウリングの新作ボールの軌道動画を見ました。

といっても、現在のラインナップ(Solaris-Cell Pearl-Black Peal-Widow Bite)に満足しているため、ただ見ているだけで

買うつもりは全くありません。買うとしたら現在のラインナップと同じ、あるいは極めて近いタイプのボールを買うつもりです。

投げ過ぎによってSolarisの動きが大分落ちてきたため、新作のepicenterに変えてみようかとは思っていますが、ホームにしている

センターのコンディションでは動きが大人しくなったSolarisがピッタリハマるので、変える必要はないかもしれません。

youtube上で良さげな動きをしていたのが、StormのREIGN。立ちあがりの加速感が強いため、投げていて楽しそうなボールでした。

 

 夜には、近くの知る人ぞ知るダイニングで和食。一日二度の外食は東京で生活するようになって初めてかもしれません。

里芋と牛挽肉の手作りコロッケが絶品でした。これにつけるタレがレモン醤油というのも最高です。「やまなか」という今まで呑んだ事の

無い泡盛を発見したので呑もうかと思いましたが、出費し過ぎなので我慢。そのかわり家に帰ってから、実家で栽培したライムを絞って

ジン・リッキーを作って美味しく頂きました。自分で作って呑むのがやはり圧倒的に安上がりですね。

これを呑みながら三浦雅士 『身体の零度 何が近代を成立させたか』を読み、第六章と第七章を明日に残して寝る事にします。

充実した一日でした。

 

五年ぶりの再会

 

 ついに師と再会を果たすことが出来た。

キャスケット帽を被ったシルエットが向こうから歩いてくる。かつて何度も何度も見た姿。間違えようがない、絶対にあの人だ。

師の名前を呼び、走り寄る。驚いた表情。それから笑顔。途絶えた時間を埋めるように、東京で大学生活を送っていること、

そして帰省の度に師をずっと探し続けていた事を伝える。こんな嬉しそうな顔は初めて見た。

固く握手を交わす。五年ぶりなのにちゃんと覚えてくれていた。挨拶もそこそこに、師は五年前僕が初めてボウリングを教わった時と

同じく、師がいつも一緒に投げている常連の方々に僕を紹介してくれ、師と常連の方々と一緒に僕も6ゲーム投げる事になった。

 

 師がアプローチに立ち、構える。

75歳とは思えないほど迫力と安定感のある構え。五年前と何も変わらない投げ方。

神がかったコントロールでレーンに緩やかな曲線を描き、ストライクを出しては誰よりも楽しそうな顔で帰ってくる。

「楽しみにしてるで!」とポンと肩を叩かれる。自分の一投目、久し振りにめちゃくちゃ緊張した。五年ぶりに見てもらう投げ方。

あれから一人で何年も試行錯誤を繰り返してきた。ようやく完成したばかりで、師匠に見てもらうのは初めてだった。

出せる限りの回転数とスピードでレーンへ放つ。ジャストポケット、7番が残るかと見えたがキックバックで倒れる。

ほっとした表情で戻ってくる僕を見て、師は「凄い球になったな。」とそっと一言呟いたあと、「でも・・・まだまだ負けへんでー!」と

笑顔を向けて下さった。他の誰に褒めてもらうより嬉しくて、五年間の努力が実った思いになった。

負けないよ、との言葉通り、師は相変わらず本当に上手かった。

白内障の手術をして間もないらしく、目がよく見えないとおっしゃりながらも完璧なコントロール。

球速は五年前よりやや落ちたかもしれないが、針の間を縫うようなコントロールとレーンを読む早さには更に磨きがかかっている。

アプローチへの上がり方、スペアの取り方、回転軸の変え方、レーンの把握とアジャスト。僕はこれら全てのをこの人に教わった。

それだけではない。師に教わったもののうち、最も大きいのは、ボウリングの楽しみ方そのものに他ならない。

師は本当にこの競技を楽しんでいる。たとえ横にマナーの悪いハウスボーラーや、やんちゃな学生が入っても

決して眉を顰めることはない。むしろその状況を楽しんでいる。投球順を抜かされても笑顔で譲り、隣がストライクを出せば拍手する。

そうして自分自身、次々とストライクを重ねてゆく。ダブル、ターキー、フォース・・・八連続!

それを見て、最初はマナーを無視して騒いでいた学生たちが誰に言われたわけでもないのに自然にマナーを守りだす。

いつの間にか、横で遊んでいただけのグループが師の投球を見つめるギャラリーへと変わる。続くストライクに自然と拍手をしてしまう。

それを見て「ありがとうなー。」と楽しそうに横の学生たちとハイタッチをしてゆく師匠。(全くの初対面なのに!)

そして、最後に隣の学生たちは決まってこう言う。

「ボウリング教えてください。」

 

 こんな調子だから、師の周りには年齢性別を問わず沢山の人が自然と集まってくる。

当時高校二年生だった僕は師のそういうスタイルに心から憧れた。求道的でありながら社交的。どんな時でも笑う余裕を忘れない。

一投一投を楽しんで、周りの人を巻き込んでゆく。

僕が今それをどこまで実行出来ているかは分からないが、これこそが師から学んだボウリングの真髄である。

 

 6ゲームはあっという間に終わってしまった。

5ゲーム目まで195前後をうろうろしていてなかなかスコアが伸びなかったのだが、6ゲーム目の最後に思い切って

立ち位置を変えてから6つストライクが続き、220と打ち上げる事が出来た。これで師匠に12ピン差をつけることになった。

ようやく師匠に勝つことが出来たという思いで、最後の一投は少し視界が歪んだ。

そして、また冬休み帰省した際に一緒に投げる事を約束し、がっちりと握手して師と別れる。

 

本当に会えて良かった。何年も探し続け、地元のセンター全てを回った甲斐があった。

既に秋を感じさせる夕暮れの帰り道を歩きながら、そう思った。

 

(付記)

ゲーム終了後、凄いことに気がついてしまった。

師が使っているボールはなんとラウンドワンの初代キャンペーンボールだった!(五年前にはちゃんとしたボールを使っていたのに)

ハウスボールと殆ど変らないようなボールにも関わらず、あれだけ曲げ、アベレージ190前後を確実に維持してくる。

ひとえにコントロールとラインを読むスピードの為せる業だろう。「球の性能に頼ってばかりではいけない」と諭された気分だった。

やはり、まだまだ師匠には勝てそうにない。

 

 

193.6

 

 ここ数週間をかけて、師匠を探すために地元から車で30分圏内の全てのボウリング場を巡ってきた。

ボウリング場に着いては投げ、そして帰り際にスタッフに師であるIさんを知らないか聞きこむ。とても地道な作業だった。

これを何度も何度も繰り返し、ついに師匠が投げているセンターを発見した。直に会ったわけではなく、アベレージ表に名前を見つけた

だけにすぎないのだが、それでも身体が震えた。スタッフの人から話を聞くと、僕の師はもう75歳になるにも関わらず、週3のペースで

毎日6ゲーム、つまり週に18ゲームを投球しているとのこと。さすがの一言である。

来週の月曜日に師匠が来る時間を狙って待ち伏せてみるつもりだ。三年前は一度も勝てなかったが、今なら勝てる気がしている。

 

 師匠に会った後、僕はまもなく東京へ戻る。こちらで良い練習が沢山出来た。一レーンごとにレーンを移り、センターも途中で変わって

60ゲームを投げなければいけないプロテストへの練習として、一週間の間に6連投して一日10ゲーム近くをそれぞれ別のセンターで

投げてきた。荒れたレーンから激早のレーンまで幅広く投げてきたつもりだ。その結果、60ゲームの通算アベレージは193.6だった。

プロテストの合格アベレージは200。今の僕のスコアでは、あと7ピン足りない。だが、この7ピンを埋めるためにはどうすればいいかが

今回の練習で見えてきた。気が抜けたとき不意にやってしまう7ピンカバーミスを無くすことと、レーンを少しでも早く読むこと。

レーンを読む速さは何といっても経験がものを言う。月曜日に師匠に会ったとき、一度詳しく相談に乗ってもらおうと思っている。