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時は身をかたむけて

 

リルケ『時禱詩集』の中の一篇を読み直す。

ロダンとの親交を想起する言葉の様々な置き換えの中で、作品を「つくる」とはどういう営みであるのかが表明されているように思う。

静かな力強さ。作ることにいつまでも関わっていたいと改めて誓う。

 

27歳だ。僕は27歳になった。

27日生まれの自分にとってそれは特別な年齢で、小さい頃からずっと、日付と年齢が同じになったときに何かが終わることを(そして同時に、始まることを)根拠も無く確信していた。

尊敬する作家である永井荷風がフランスへ渡ったのが27歳であることを知ってから、より一層、この27歳という数字に「出発」のイメージを重ね続けて生きて来た。

 

27歳。僕は出発できるのだろうか。出発に当たってはこの2年を整理しなければならない。

大袈裟な言い方をすれば、この2年はいわば実存の危機で、極めて苦しい時期だった。

作るということはどういう行為であるのか、自分とは一体どういう人間であるのか、自分がどうしてオーケストラをやっているのか。

全てが分からなくなった時期を経験した。27歳になるまでにこの暗闇を乗り越えることが出来なかったら、あらゆるものを辞めようと決意していた。

音楽とは、指揮とは何だろう。技術のことは徐々に理解して行っても、やればやるほどに「精神」が分からなくなったのだ。

指揮台に立つ者として引っ張って行くべきなのか、それとも一緒に作って行くべきなのか。25歳のあの日から、そのバランスに苦しみ続けた日々だった。

おそらくこれほどまでに多くを喪失した二年間は無かっただろう。たくさんのものを身につけたと同時に、たくさんのものを失った。

 

しかし今年の2月にフィリピンで指揮した日々を経てこの苦しみに一つの回答を見出した。そして、それを多少なりとも実現することが出来たと思えた。

言葉にしてしまえば何ということはない思想。それは「信じる」ということだった。

上に掲げたリルケの『時禱詩集』はこうした背景で今の自分に強く響く。絵を描く修道士の語りという体裁で紡がれる詩の数々。

キリスト教の神というよりはむしろ、「作品」の生成行為に対して、リルケは祈りを捧げているように思えるのだ。

 

「信じる」ということを信じて27歳を出発する。

運命的に出会ったもう一篇を置いて、26歳の日々を、苦しんだ二年間を終わりにしよう。

見出したものの全てはここに宿る。他でもない楽神「オルフェウス」への讃歌に!

 

 

Sei allem Abschied voran, als wäre er hinter
dir, wie der Winter, der eben geht.
Denn unter Wintern ist einer so endlos Winter,
daß, überwinternd, dein Herz überhaupt übersteht.

Sei immer tot in Eurydike -, singender steige,
preisender steige zurück in den reinen Bezug.
Hier, unter Schwindenden, sei, im Reiche der Neige,
sei ein klingendes Glas, das sich im Klang schon zerschlug.

Sei [...]