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珈琲とバルザック

 

もう六年ぐらいお世話になっている珈琲屋さんから、また新しい豆とアイスコーヒーが届いた。

さっそくパナマのストレートを集中して淹れる。浅煎りの豆でこんなに美味しいと思えるものには滅多に出会わない。

クッキーのような軽やかな香ばしさ、果実と蜂蜜の合わさったような心地よい酸味と甘さ。膨らんですっと抜けて行きつつも長く残る余韻。

この珈琲に、この珈琲を煎るマスターに(まさに「職人」)巡り会うことが出来ただけで浪人していて良かったと思えるほどに、無くてはならないものの一つ。

 

ぼんやりと考えていて、珈琲といえばバルザックだ、と思い出す。

「精神の緊張」を求めたバルザックは夜中にとんでもない量の珈琲を飲んでいたらしい。

それは三種類の豆のオリジナルブレンドだったという話もあるし、デミタスカップで一日に五十杯ぐらい飲んでいたらしいという話も残されていて、

彼の手による『近代興奮剤考』の中にもこんなことが書いてある。

「(珈琲によって)神経叢が燃え上がり、炎を上げ、その火花を脳まで送り込む。するとすべてが動き出す。戦場におけるナポレオン軍の大隊のように観念が走り回り、戦闘開始だ。記憶が軍旗を振りかざし、突撃歩でやってくる。比喩の軽騎兵がギャロップで展開する。論理の砲兵が輸送隊と弾薬入れを持って駆けつける。機智に富んだ言葉が狙撃兵としてやってくる。登場人物が立ち上がる。紙はインクに覆われる。というのも、戦闘が黒い火薬に始まりそして終わるのと同じく、徹夜仕事も黒い液体の奔流に始まりそして終わるからだ。」

 

それは幾らなんでも言い過ぎではと思わないでもないが、とにかく珈琲に普通ではない興味を持っていたことが伺えるだろう。

『近代興奮剤考』はこの部分しか知らなかったので、この機会に珈琲に関するところを原典で読んでみようと思い立ち

パブリックドメインで公開されているものをダウンロードしてみた。(便利な時代だ!)

そうすると実に強烈なバルザックの「珈琲論」が展開されていて驚く。たとえばロッシーニが

 

« Le café, m’a-t-il dit, est une affaire de quinze ou vingt jours;le temps fort heureusement de faire un opéra.»

(「コーヒーが効くのは二週間から二十日ぐらいで、それは有り難いことに、オペラを一つ仕上げるのにちょうど良い期間だ。」)

 

と言っているのに続けて«Le fait est vrai. Mais, »(「その通りだ。でも…」)と更なる珈琲の活用法や効かせ方があることが力説されていったりする。

おいおい、と突っ込まざるを得なかったのは

Enfin, j’ai découvert une horrible et cruelle méthode, que je ne conseille qu’aux hommes d’une excessive vigueur [...]

Il s’agit de l’emploi du café moulu, foulé, froid et anhydre (mot chimique qui [...]