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ネオ・インスタント

 

二十五歳学生独身、特技はインスタントラーメンの限界に挑戦することです。こんばんは。

醤油味のインスタントラーメンを美味しく作る方法を発見したので記録しておきます。

鍋に湯を沸かします→鰹節を大量に投入します→麺を入れて茹でます

→あとは普段通りに、茹で汁でインスタントラーメンのタレを溶いて麺をよそいます

→これでインスタントラーメンにコクが出て、一気にランクアップ!!卵、葱、海苔を入れるとなお良し。

たぶんこの流れで行くと、最初に昆布や煮干しでダシを取ったりしても美味しくなる予感がします。

それはもはや「インスタント」の意味を為していない、という指摘は受け付けません。以上です。

 

 

グリーグと「茶弦」リハーサル

 

一緒に演奏して下さったことのある奏者たちが何人か所属されている、お茶の水管弦楽団の室内楽コンサート「茶弦」の

リハーサルに遊びに行ってきました。学生指揮でグリーグの弦楽アンサンブル曲「ホルベアの時代より」をやるそうで、

その指揮を少し見てほしいという話を頂いた事からお邪魔する事になりました。

僕のような駆け出しの棒振り見習いを温かく迎えて下さり嬉しかったです。

 

グリーグのこの曲は、指揮を習い始めて一年少しした時に振ったことがあるのですが、指揮のアドバイスをするにあたって

そのときのスコアを引っ張りだしてきたものの、スコアの書き込みを見ただけで当時の自分が何にも分かっていなかったことが

痛いぐらい分かりました。棒の技術的な問題が伴わなかったのはもちろん、この曲に宿っている「霊感」としか言い様のない

雰囲気や音色を何にも掴めていなかった。

あるいはサラバンドがどういう踊りであるか、グリーグのアーティキュレーションがどんな意味を持つかということも。

もちろんそれは今も不足したままですが、少なくとも以前より見えるものは増えたし、

自分が何にも分かっていなかったことを分かることは出来るようになっていました。音楽に完成や完璧という次元が無い以上、

こうした無知を知る経験を重ねていくしかないのでしょうし、過去の自分に「ぜんぜんダメだ!」と言えなくなったら、それはある意味で

成長が止まったという事なのかもしれません。そうならないよう、常に至らなさに気付き、至らなさと向かい合って行きたいものです。

 

リハーサルでは、指揮をする上での基本的な(しかし重要な)いくつかのアドバイス

- 不必要な動きを削ること、予備運動で音が決まっているということ、音を受ける間を作ってあげることなど -

と、パート間のバランス、それからアーティキュレーションの意味についてなど、チェロパートの中に一緒に入らせてもらいつつ

要所要所で思う所を伝えさせて頂きました。(ただし、彼らの作ってきた音楽の邪魔をしないよう、彼らの考えるテンポやイメージに出来る限り添うような形で)

それにしてもちょっとした意識の持ちようで音楽に流れが出てくるのだから、音楽は不思議なものですね。

こうして自分が指揮することなくリハーサルに参加しているというのは物凄く得るものが大きくて、弾かずに-振らずに後ろから見ていると、

今、何が問題で何がどうなっているのかということが良く分かります。たぶん今回のリハーサルで一番勉強させて頂いたのは僕でしょう。

僅か一回のリハーサルでどれぐらい力になれたかは分かりませんが、とにかくお声をかけて頂いて有り難かったです。

今日のような、アンサンブルを練り上げていくためにはどういう道のりを辿り・作れば良いかという勉強も今年は沢山重ねていきたいと思います。

 

練習後は団員の方々にお誘い頂いて飲み会にご一緒することに。

行きつけだというそのお店は中々シブい立ち呑み屋さん。あんまりにも楽しくて、皆さんと思わず終電近くまで音楽トークに華を咲かせ、

マーラー九番いいですよね!とホルンの方と固く握手をして電車に乗ったりと、新しい出会いとともに幸せな時間を過ごさせて頂きました。

第二回「茶弦」、1月20日に紀尾井ホールの小ホールだそうです。グリーグの他にも魅力的な曲が満載のコンサート、素敵なステージになりますように!

 

 

蠟燭の焔

ガストン・バシュラールの『蠟燭の焔』の原書を入手し、読み進める。

バシュラールは僕の中で「超人」的存在で、その全方向に走る知性に驚嘆と憧れを抱いてやまない。

それにしても何と美しい文章だろう。焔とclignoterという語の関係(「clignoterという語は、フランス語の中で最も震えている語のひとつである」)

を記した一節の後が突き刺さる。

 

「ああ!こうした夢想は果てしない。それは己の夢想の中に迷い込んでしまった哲学者のペンの下からしか生まれ得ないものだ。」

« Ah! ces rêveries vont trop loin. Elles ne peuvent naître que sous la plume d’un philosophe perdu dans ses songes. »

Gaston Bachelard, La flamme d’une chandelle, Presses Universitaires de France 1961, p.43

 

 

バシュラールは郵便局員として働いたのち、物理と化学を教え、ついには哲学のアグレガシオンまで取得してしまう。

そしていわゆる科学哲学、認識論を研究し続け、或る時から「詩学」の研究へと移っていく。(決して、「転向した」とは思わない)

そのほとんど最後の著作が、この『蠟燭の焔』(La flamme d’une chandelle)である。

出版されたのは1961年、死の前年だ。垂直に立ち上る火のポエジーを孤独に描きながら、バシュラールはどういう気持ちでいたのだろうか。

 

 

「語の夢想家である私にとっては、アンプルなどという語は吹き出したくなるようなものである。電球は所有形容詞をつけて呼ぶに十分なほど親しいものとは決してなりえない。

… 電灯は、油で光を作り出していたあの生きたランプの夢想をわれわれにあたえることはけっしてないだろう。われわれは管理を受けている光の時代に入ったのだ。」

 

« Ceux qui ont vécu dans l’autre siècle disent le mot lampe avec d’autres lèvres que les lèvres [...]

初心の断章

病に倒れている間に僕は初心を思い出した。

色んなしがらみや関係に窮屈になりすぎていた。難しいことは何も無かった。

小さい頃好きだった広場の鬼ごっこやサッカーのように、楽しいから一緒にやろうよと声をかけて自然とはじまる。

それだけで良かったのだ。だから、今年はこの曲を取り上げよう。あのメンバーと演奏したいと思うから。

 
 

年が明けて最初に開いたのは、限りなくシンプルで執拗なこの楽譜だった。

読み返すたびに見えてくるものが違う。前に読んだ時は苦しさを感じたけれど、今は裏に刻まれた優しさを思う。

正解も完成もない。結局は心が通うかどうかの問題で、それには演奏しないとはじまらない。

 
 

読み返すたびに思う事は変わって行き、見えてくるものも増えてくるけれど

完全に固まることなんてあり得ない。だから固まるのを待とうとしたり、神格化して飾るようなことはもうしない。

うまくやってやろう、と思えば思うほど本質から遠ざかる。ある種の挑戦と冒険に立ち戻る。

今年の僕は、熱を十分に冷ましたら外に出す。

 
 

時間は限られている。

新しい年度に入って、自分の年齢のみならず、友人たちの年齢にはじめて意識が向いた。

あと何曲を一緒に演奏出来るだろう、舞台の上でいくつの瞬間を共有することが出来るだろう。

背負わねばならないものは次第にお互い重くなって行くけれど、それを引き受けつつも初心に返る。
 
 
 

やりたいことを、好きな人たちとやる。

欲を捨て、気負いも捨てて、純な楽しさに仕えるように、無心にボールを蹴ろう。

 

 

あけましておめでとうございます。

 

 

あけましておめでとうございます。風邪&ロタ(?)ウイルスに苦しめられた年末でしたが、

なんとか回復し、ベッドの上でひたすら卒論を書き続ける元旦を過ごしています。

昨年は学問や音楽をする楽しさと共に、その裏にある苦しみを味わった一年でした。

 

学問上は19世紀後半から20世紀初頭のフランス文化史を専門にすることを決め、

それまでに読んできたものが一挙に繋がってくることに言葉に尽くしがたい刺激を受けました。

同時に、「フランス語で書く」ということがこんなに難しいことで、自らの語学に対する不真面目さと共に、

普段の自分がレトリックや曖昧な思考に頼って物を書いているかを突きつけられたような思いがして、

書きたい事が書けない苦しみに現在進行形で悩み続けています。

ともあれ卒論提出まであと二週間。大見得を切ってしまったタイトルに負けないよう最後まで詰めて書いて行きたいと思います。

(タイトルは、La naissance d’une nouvelle sensibilité à la lumière artificielle : Le rôle des Expositions universelles de Paris 1855-1900)

 

音楽活動について、レッスンでは一月から十月までひたすらベートーヴェンの交響曲と取り組み、

「千の会」にてブラームス、ドミナント室内管弦楽団とオール・ベートーヴェン・プログラム、

アンサンブル・コモドさんと東北遠征公演でポップス&クラシックステージ、コマバ・メモリアル・チェロオーケストラとヴィラ=ロボス、

クロワゼ・サロン・オーケストラと音楽鑑賞教室…どれも忘れ難い時間で、その度ごとに沢山の出会いや学びがありました。

うまく行ったこともうまく行かなかったことも沢山ありますが、一緒に演奏してくださった方々やコンサートを支えて下さった方々に、

そして貴重なお時間の中でコンサートにお越し下さった方々に心から感謝しています。

一月に卒論と院試を終えたら、三月にはまた本番が二つ。

自らの年齢に自覚的でありながらそれに焦ることなく、矛盾する要素を常に引き受けながら、

一つ一つじっくりと学んで行きたいと思います。今年も素敵な一年になりますように。

 

コマバ・チェロ・オーケストラ2012

アンサンブル・コモドさんと東北遠征公演にて。