クロード・クルトワのレ・カイユ・ド・パラディ ラシーヌ・ブラン2009というワインを飲んだ。
結論から言えば心底感動した。これほど時間とともに表情が変わりゆくワインには初めて巡り会った気がする。
抜栓してすぐには桃の香りが僅かに顔を出し、その後にしっかりとした酸味と苦味がやってくる。
しっかりした酸味を味わいながら二杯目を注ぐうちに、いつしかその酸味は去り、桃の味が前に立ち現れる。
いま飲んでいるのは果たして白ワインだったかと疑うほどに親しみやすく、旨味のある桃の味わいが口に広がる。
その味わいを確かめるかのように三杯目を注ぐと、桃の果実味は遠くに去り、最初に感じた酸味が回帰している。
あれは幻だったのか、と驚きながら最後の四杯目を含む。すると苦味と酸味のバランスの取れたしっかりとした
「白ワイン」のフォルムが全体を支配しており、桃の香りを舌にそっと残しながら優しく消えて行く…。
このお酒に合わせたのは手作りの餃子だった。
かつて読んだエッセイに、「餃子には桃の味わいのするお酒が合う」と書かれていてそれを試してみたかったのだ。
なるほど、確かに肉料理のソースには桃を使ったものがあるから合いそうな気はする。
そうして、タレ無しに口にほおばった後にワインを流し込み、餃子と一緒にワインを噛んで口の中で混ぜ合わせてみると、。
言葉にならぬほどの旨味が途端に炸裂した。料理とお酒を合わせることを「マリアージュ」と表現した人は凄いな。
そんな事をぼんやりと考えながら、お酒を嗜むことが出来る幸せと、作り手が計算したであろう「二つの時間」に思いを馳せる。
「二つの時間」 — 色合いを次々と変えて行くこのワインには、「寝かせた時間」と「口を空けてからの時間」という
二種類の質の違う時間が含まれている。変化を十分に味わうためにはある程度の時間が必要で、そのためには大人数では無く
気の合う人と二人でテーブルを挟み、ゆっくり時間をかけながら飲むことが必要になってくる。
そう考えると、このワインに限らず、良質なワインというのはそうした二つの時間に立脚した芸術なのかもしれないな、と思わずにはいられない。
香水のように、あるいは音楽のように、(香りも音も「時間」を前提とした芸術であることを忘れてはならないだろう)
時間とともに様々なノートが、楽想が行き交う。「今/ここ」で味を作り出しながら飲むようなライブ感を与えてくれる見事な一本だった。