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生きる時間に

 

「私はたゞ人間を愛す。私を愛す。私の愛するものを愛す。徹頭徹尾、愛す。

そして、私は私自身を発見しなければならないやうに、私の愛するものを発見しなければならないので、

私は堕ちつゞけ、そして、私は書きつゞけるであらう。」(坂口安吾『堕落論』所収「デカダン文学論」より)

 

 

夜通し書き続け、思い続けた雨の朝。

いつの間にか熱を失った風が部屋に流れてくる。

布団に大の字になって転がりながら、霞んだ目で天井を見つめながら、

小学生の時以来ずっと惹かれ続けているこの文章の意味が突然少し分かった気がした。

 

わが青春を愛する心の死に至るまで衰へざらんことを。

手を伸ばせば届く距離に秋がそっと微笑む。

 

 

 

 

 

最近の頭の中

 

卒論を書いています。

技術と芸術の触発関係に興味があったことから、卒論では「光」という技術に着目して、とりわけ「人工光」の発展が

社会にどのような影響を与えたのかを研究しています。時代は1855年から1937年のフランス、パリ。問題意識は以下の二つです。

 

1.光の発展が社会に、そこに生きる人々の感性にどのような影響を及ぼしたか。

2.「光の都 Lumiere Ville」と呼ばれるパリが、人工照明の先進的な都市としてどのように成熟していったか。

そもそもパリが欧米の他国にまして光の中心地として位置づけられて行くのはなぜか。

 

これらの答えを探るべく、ヴォルフガング・シヴェルヴシュの著作をベースとしながら、

技術と芸術の粋を示すものとしてこの時代に度々開催されたパリ万国博覧会にその理由を求めています。

1937年のパリ万博では音と水と光の芸術イベントである「光の祭典」が開かれますが、

それを光を巡るフランスの思考の画期と見て、自然光ではない光が音楽に繋がってくる様子まで描き出せればと思っています。

 

僕の所属している学科は東京大学でも唯一、卒業論文をすべてフランス語で書かなければならないところのため、

不得意な語学に汲々とする日々が続いています。外国語で書く、というのは本当に難しい。

外国語で書くと、書きたいことがぽろぽろ零れ落ちて行きます。

書けない、書けない、書けない。この連鎖に提出までずっと苦しめられ続けるのでしょう。

 

 

そういうわけで、最近の頭の中や考えていること、調べたことなどを日記風の箇条書きにして下に載せておきます。

卒論に関係ない事も沢山あって、そもそも正しいかどうかも不明な雑多な思いつきばかりですが…。

 

 

☆『ゴンクールの日記』読了。

1851年12月21日の記述の最終行が好きだ。

「夢はただ大空に子供達の目が追うために生まれ、輝き、そしてはじける。」

1867年4月15日の記述。

「あらゆる物事が一回きりのものなのだ。人生においては何事も一回しか起こらない。

かくかくの瞬間、かくかくの女性、かくかくの日に食べたうまい料理があたえてくれる肉体的な快楽はもはや二度と出会うことはない。

二度あるものは何もなく、すべて一回こっきりのことだ」

 

☆本が好きな友人と本屋でもやるか。

 

☆「コンサートをしよう、さあ場所はどうする」という発想はもちろん、

「この空間で何かしたい、さて何をやろうか」という発想からコンサートに至るのも好きだ。

 

☆結局、万国博覧会がメルクマールなのだろう。それがフランスを光の都市として印象付けた。

他にも人工照明の発達した国、都市はあったにも関わらず。では光への感性はどこから?

それを芸術に、劇場の文化に求めたい。技術としての光と芸術としての光の二面が交差してゆく。

 

☆花は何と強さを与えてくれるのだろう。トルコキキョウの花言葉は「良い語らい」。

 

☆フランス語で書くと書きたい事の2割ぐらいしか書けない。物凄いフラストレーション。

 

☆いつも謎の名言を残す友人がコーヒーに目を落としながら、

「美人は三日ぐらいじゃ飽きないけど、かまってちゃんは三日以内に飽きる…」と呟いた。何があったのかは問うまい。

 

☆集中力が切れたので駒場へ移動。単行本五冊と楽譜とMBP17を持って歩くのはちょっと辛い。

MBA11を買えば随分楽になるのだろうが、一度17インチ画面の便利さに慣れてしまうと、小さい画面には中々戻れない。

 

☆中間報告提出直前にして、卒論の章立てをガラッと変えることにした。パリ万国博覧会を前に出して光を区分する。

メルクマールを見つけて区分せよ。これは駿台でお世話になった日本史の塚原先生の言葉だったか。今もこの言葉は生きている。

 

☆暗闇のポエジー。街の一部が明るくなったからこそ、闇が際立つ。明暗のコントラストが強烈になった世界で、人は闇に想像力を膨らませる。

 

☆1867年のパリ万博の時にロッシーニが作曲したという、Hymne à Napoléon III et à son vaillant peuple を聞きながら卒論を書く。

 

☆ここでRobert Delaunayについて調べて行く必要が出てくるとは。

ロベール・ドローネーは1912年にLa lumièreという論文を書いていて、それをパウル・クレーがドイツ語に翻訳している。(Über das Lich)

 

☆さっきから左目の視力が悪いなあ、ずっと書いていて疲れたのかなあ、左右の目の視力がかなり違ってきているなら

そろそろ眼鏡作り直さないとなあ…と思って眼鏡を外して気付く。眼鏡のレンズが左目だけ落ちていた。

 

☆1925年のパリ国際博覧会(通称アール・デコ博覧会)の時に、ドビュッシーの夜想曲第二番「祭」が演奏されているのは面白い。

夜想曲第一番「雲」のフルートの旋律は、ドビュッシーが1889年のパリ万国博覧会で聞いたガムラン音楽にインスピレーションを受けている。

そしてドビュッシーはこの夜想曲-Nocturnes-というタイトルについて、「印象と特別な光をめぐってこの言葉(”夜想曲”)が呼び起こす全てが含まれる。」

というような内容を述べている。Il ne s’agit donc pas de la forme habituelle de Nocturne, mais de tout ce que ce mot contient d’impressions et de lumières speciales.

特別な光とは何か。こう考えることは出来ないだろうか。夜想曲は「雲」「祭」「シレーヌ」の三曲から成るが、

「雲」においては雲の切れ目から差し込む光を、「祭」においては賑やかな人工の光や花火を、「シレーヌ」においては静謐で神秘的な月の光を…

ドビュッシーはこの三種類の「特別な光」を描いたのではないか。スコアを買ってこよう。指揮をやっているのだから、音楽をうまく絡めていかないと。

 

☆CHANELの新作のAllure Homme Sport Eau Extrêmeが好きだ。

Edition Blanche 、Bleu共に気に入って愛用していたけど、これも最高。

「ビッグウェイブサーフィンにインスピレーションを得て、スポーツで快挙を成し遂げる時に訪れる、

研ぎ澄まされた状況下での無の境地に着目。集中力がピークに達した瞬間を落とし込み、日常を超越した世界を表現した。」

惹き付けられないわけがない。ジャック・ポルジュは凄い。

 

☆メンデルゾーンのピアノ協奏曲、ハイドンのピアノ協奏曲、尾高のフルート協奏曲、グラズノフ(暫定)のヴァイオリン協奏曲…

近いうちに勉強せねばならない協奏曲が沢山で幸せだ。

 

☆ネオン灯の普及経緯について調べていたが、ネオン灯の開発者ジョルジュ・クロードは名前が格好良すぎてずるい。

ネオン灯がアメリカに広まった時にその鮮明な明るさによってliquid fireと呼ばれたというのも何だか格好よすぎてずるい。

 

☆カラムジン、プーシキン、ドストエフスキー。

 

☆遠藤酒造の渓流ひやおろしを口開け。渓流の季節物を楽しむのが毎年恒例行事。

これに合わせて、イワシの刺身をかぼすと塩で頂く。言葉にならぬほど美味。

 

☆良い波が来ているようだ。乗りたい。将来はすぐに海へ行ける距離に住みたいな。

 

☆1919年からのパリ管のプログラムを見ているけれど、とんでもなく重量級のプログラムが結構あって、聴衆も凄いなあと思わされる。

 

☆Je n’écris pas sans lumière artificielle という言葉をデリダが残していることを知った。(Le fou parle)

 

☆ガルシア・ロルカの作品が好きだ。

ロルカの「すべての国において死は結末を意味し、死が到来すると幕が下ろされる。

しかし、スペインではその時、幕が開く」という言葉の原文を読みたい。

 

☆尾高のフルート協奏曲のスコアを読み直していたら、最初のページに「percussion」という一段が用意されていることに気付く。

パーカスなんて入っていたかな、と慌てて読み直したが、最初から最後までTacetだった。

パーカッション君は降り番にしてあげませんずっとそこに立ってなさい、ということか。

 

 

 

 

 

 

インバル×都響のマーラー第1番「巨人」@みなとみらい

 

インバル×都響でマーラーの交響曲第一番を聞いてきました。

この曲はかつて生で二回聞いていて、CDでもテンシュテット×シカゴの録音などを浪人中から愛聴していました。

どこか惹かれるものがあって、継続的にスコアを読んでいる曲でもあります。

 

 

一楽章のテンポ設定は今まで聞いた中で一番しっくり来るもので、「ゆっくり」でも「じっくり」でもない落ち着いた呼吸でした。

一楽章には Langsam, Schleppend, wie ein Naturlaut -Im Anfang sehr emachlich-

(ゆっくりと、引きずるように—終始極めてのどかに—)という表記があるのですが、まさにそうした表記を反映した作り方だったと思います。

一楽章から二楽章へアタッカで行ったのはびっくり。弦の人々が物凄い勢いで譜めくりしていらっしゃいました。

二楽章では三つ振りと一つ振りを混在させた面白い振りをしていましたが、それによって長い音符は長く、動かす音符は動的に、というふうに

きちんと伸び縮みがつけられていて、Kraftig bewegtという通り「力強い動き」が感じられる作りでした。

三楽章ではコントラバスの素晴らしさもさることながら、三楽章に入ってからの音色の変化がとても鮮やかで

(ステージ上に暗い夢のような雰囲気がモヤモヤと漂っていた!)プロ奏者の凄みを改めて目の当たりにしました。

四楽章はインバルとしてはもう少し激烈に行きたい部分があったのでは、というように見えましたが、

全体を通じて見通し良く丁寧な演奏だったのではないでしょうか。

 

 

勉強させて頂いた所もたくさん。

指揮のテクニックで言うところの「分割」を出来る限り削っていけ、と師匠が折りに触れておっしゃる理由を肌で体感しました。

分割すればアンサンブルは整うかもしれないが、必然の場で上手くやらない限り、それまでに作って来た音楽の流れや音色、

音のテンションや方向性が分割によって切断されてしまう事がありえる。

 

ついついテンポや自分の問題で分割してしまいがちですが、何のために/誰のために分割するのか、ということを良く考えなければいけない。

音楽の向きや奏者が作っている音色を大切にして、流れに預ける所を預けて自由に振れるように勉強せねばなりません。

駆け出しの身にはマーラー1番は遥かに遠い曲ですが、様々な発見と共に、幸せな時間を過ごさせて頂きました。

 

瞬間を生む

 

空間と空間、時間と時間の隙間に生まれる、息を飲む一瞬。

その快楽に魅せられて僕は指揮をやっているし、サーフィンを、ボウリングを、ゴールキーパーをやり続けている。

本来は存在しないはずの「あの瞬間」を作り出すこと、あるいは時間の間に身を滑り込ませること、

そしてそれを壊すことが、好きで好きでたまらない。

 

 

白小路紗季さんのソロ・コンサート

 

約十五年ぶりに会う、小学校一年生の頃のクラスメイトである白小路紗季さんが招待して下さったソロ・コンサートに行ってきた。

つい最近まで、僕は彼女がヴァイオリニストとして活躍していることを知らなかったし、

彼女ももちろん僕が駆け出し指揮者をやっていることなんて知らなかっただろう。

会場について開演を待つ間、十五年振りに姿を見ることに何だかとても緊張した。

静まった中に入って来てスポットライトを浴びた彼女は、一年生の頃の面影や仕草を確かに残しながら、

鮮やかなドレスの似合う、美しく凛とした佇まいの大人の女性になっていた。

 

 

前半の最後に痺れる。

弓の速さ・圧の抜き。ブラームスのヴァイオリン・ソナタ三番のある箇所で、弓が一瞬宙に舞った瞬間、物凄いスピードで空間を切り抜く。

そうして響いた音は鋭いだけの音ではなく、とても中身の詰まった豊かな音だった。

 

後半も楽しみだなあ、と期待しているうちに始まったイザイの無伴奏ソナタ三番。これは本当に凄かった。

前半より集中力がさらに増しており、何かに取り憑かれたような演奏。会場の空気が彼女の振る舞いに凝縮していくのを感じた。

彼女の弓使いはまるで刀のよう。弓を目一杯使ったあと、鋭く跳ね上げて一瞬の間を作り出し、迷い無くザッと断ち切る。

空間と空間、時間と時間の隙間に生まれる、息を飲む一瞬。その一瞬から血が噴き出して鮮やかに散るような錯覚。それは美しく、壮絶だった。

三番のあとにはイザイの無伴奏五番、そのあとにサン・サーンスのワルツ・カプリース、そしてヴィエニャフスキの華麗なるポロネーズ二番が続く。

これも勢いに乗った素晴らしい演奏で、特にワルツ・カプリースの華やかな音色の変化には耳を奪われたが、頭は先程のイザイ三番の衝撃から覚めやらず。

それぐらい凄い演奏だったと思う。余韻の残る中、アンコールはモンティのチャルダーシュを遊びたっぷりに!

 

演奏後、十五年ぶりの再会を果たして色々と話し、近いうちに一緒にヴァイオリン協奏曲をやろうと約束する。

小学校一年生の頃はこんな話をするなんて考えたことも無かったね、と二人で笑いながら。

 

彼女と音楽したいな、と心から圧倒された時間だった。

コンチェルト、必ず実現させよう。また一つ目標が出来た。その日に向けて一生懸命勉強せねばならぬ。