「色気が無いねえ。」
指揮を始めてから、何度その言葉を師匠に言われたか分からない。
様々な曲を振ってきて形的にはある程度振れるようになってから、なおさらこの言葉を聞く機会が増えた。
色気。それは一体何なのだろうか。「色気が無い」状態は良く分かる。平坦で平板で抑揚が無く、訴えかけてくるものが無い状態。
街中を歩けば群衆の中に埋もれてしまうような存在。「色気がある」とは、群衆の中で擦れ違っても思わず振り返ってしまうような感覚だ。
アーウィン・ショウの『夏服を着た女たち』という小説を思い出す。理屈抜きに心に訴えかけてくる魅力。
「色気はどうやれば出ますか?」という無茶を承知の僕の質問に、師匠はいつも「それはもう説明できないよ。見とけ、としか言えないなあ。」
と笑いながら答えて、自ら振ることで示して下さる。ブラジル風バッハ五番の冒頭、たった一小節なのに全く違う「うねり」が見える。寄せては返す波。
その棒から出てくる音楽は確かに「色気」という言葉でしか説明できない魅力に満ちていて、息をするのも忘れて見入り、聞き入ってしまう。
色気を放つためには、どうしても余裕が必要だ。
音楽が止まるか止まらないかのところまでぐっとテンポを落として、何事も無かったのように再び澄まして歩き始める。
崖際に歩んでいったかと思うと先端で鮮やかにターンして戻ってくる。そのためには曲を手の内にすっぽり入れておかねばならない。
曲が手の中から溢れ出しているようでは色気なんて到底望むべくもない。表現や色気は余裕から生まれる。
焦らずじっくりと、年を重ねながら。くらくらするような色気を放てるような指揮者になりたい。