ストラヴィンスキーは土の匂いがする。気品のある野粗。冷静な狂い。
「春の祭典」を軸に、シャネルとストラヴィンスキーの出会いや交流を描いた本作は、そうした気品と野粗の相克に惹かれた
芸術家ふたりの物語だったと言い換えても良いだろう。ストラヴィンスキーは言う。「指先で音楽を感じないと作曲できない。」
シャネルもそこに重ねて答える。「同じね。私も指先で生地を感じないと。」
「頭の中に浮かんだ音楽を掴んで、鍵盤に投げつける」という言葉そのもののようなセックスシーン。
服を着たまま床で求め合い、重なり合う。そして次のシーンで流れてくる「春の祭典」冒頭の旋律に漂う官能!
惜しむらくはシャネルのNo.5についてのシーンが作品全体と遊離しており、単なるエピソード扱いになってしまっていること。
「香りの官能」という側面を入れようとしたのは分かるが、いっそ描かないか、それとももっとストラヴィンスキーと香りとを関わらせるか
すれば良かったのではないか。Numéro Cinq.という言葉を放つシーンが格好よいだけに勿体ないなと思った。
そういえば僕は大学一年の時にシャネルの服飾について集中的に研究していた時期があった。
四年になった今、年末に控えたコンサートのため、ストラヴィンスキーの「プルチネルラ」という曲を必死に勉強している。
二人ともが惹かれ合っていたのだから、シャネルとストラヴィンスキーの両方に惹かれるのはある意味で自然なことなのかもしれない。