週刊「読書人」の書評でも取り上げさせて頂いたが、黒井千次『時代の果実』は本当に素敵な一冊だ。
全編、筆者の回想(それは戦後の風景であったり、作家との交流であったり)から成り、淡々とした筆致の中に溢れんばかりの感情が生きている。
特に第二章の「回想の作家たち」が心に響く。たとえば「鵠沼西海岸」で知られる阿部昭に寄せた文章を引用しよう。
いかなる意味においても自己を拡散させまいとする強い意志と人生への省察とが、一点に凝縮してどこかへ突き抜けてしまう趣があった。
そしてそのことを可能にしたのは、なによりも彼の言葉の力、あの気難しげなほどに目の詰まった、それでいて弾力に冨む文体であったといえる。
(同書 P.82)
あるいは『あの夕陽』の日野啓三に寄せた文章を見よ。
そして発病後、日野啓三の小説に変化が現れたように思われる。透徹した分析的で知的な姿勢に変わりはないのだが、そこには従来とは違う別のトーンが加わった。
言葉の肌触りがどこか優しくなり、しなやかになった分だけ声がより遠くまで届く感じを受けた。死の近くまで押しやられた切実な体験による変化なのだろう、とまでは
単純に推測出来ても、その実態を窺うことは叶わなかった。
最後の短編集となった『落葉 神の小さな庭で』を読んだ時、ほんの少し何かがわかったような気がした。外界に対して向けられた視線の中に自己が参入して来た、とでもいえようか。
自己の方から世界に近づいたのでも、世界が近寄って来たのでもない。自己と世界とがお互いに歩み寄り、自然に出会いでもしたかのような雰囲気が湛えられている。…
(同書P.113)
一冊の本を開くと一気に最後まで読み通してしまうのが僕の常だが、この本にはそうさせない重みがある。
一つずつゆっくりと、心にしんしんと回想を積もらせてゆく。大切な一冊に巡り会った。