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東フィル&大野和士:マーラー「復活」@サントリーホール

 

大野さんの指揮と東フィルの演奏で、マーラーの交響曲二番「復活」を聴いてきた。

警備がいつになく物々しいなと思っていたら、近くに皇太子さまがお座りになって少しびっくり。

「復活」は大編成の管弦楽に加えて、ソリスト(ソプラノ&アルト)二名+男女混声合唱を伴う巨大な曲で、

一度聞くと忘れられないぐらいの迫力に満ちている。弱音、無音、間髪入れず重なる最強奏。

浪人中から辛い時には良くこれを聞いて気持ちを前に駆り立てていた。

マーラーの曲はもちろんのこと、歌詞がいい。一番好きなのは

Was entstanden ist, das muß vergehen. 生まれ出たものは、必ず滅びる。 Was vergangen, auferstehen!       滅びたものは、必ずよみがえる! Hör auf zu beben!                                        震えおののくのをやめよ! Bereite dich zu leben!                                 生きることに備えるがよい!

 

と歌われる部分。そう、生きる事に懸命に備える事以外、我々には何も出来ないのだ。

 

感想を細かく書く事はしない。書きたい事はただ一つ。

音楽はいいな、ということ。人が生み出し人に淘汰され、いまここ・この瞬間に、人が人に向けて奏でる。

音楽ほど人間の心を揺さぶるものを僕はまだ知らない。だから僕は、音楽をやる。

 

 

 

「展覧会の絵」を振る。

 

ついにここまで来ることが出来たか、という思いがしています。

ムソルグスキー作曲/ラヴェル編曲の「展覧会の絵」。指揮のレッスンを受け始めてからもうすぐ二年になりますが、

この「展覧会の絵」に辿り着くことが一つの目標でした。

 

分かってはいたことですが、「展覧会の絵」は一筋縄ではいきません。

指揮のテクニックを総動員させなければいけないのはもちろん、展覧会の絵がいったいどういう曲か、

知り、感じ、引き出さなければなりません。ムソルグスキーにインスピレーションを与えたガルトマンの絵について調べ、

ムソルグスキーの書簡も読んで自分なりに音楽に形とイメージを与えてレッスンに臨みましたが、まず最初のプロムナード、

あの誰もが聞いた事のある「プロムナード」を振り始めた瞬間、師匠から

「全然だめだっ!!!そんな曲じゃないんだ!!」と一喝されました。

 

いま見返せば分かります。僕の棒はプロムナードの変拍子を上手く整理して振っていましたが、

決定的に欠けているものがあった。それは棒に出ていないだけでなく、楽譜から見落としていたものだったのです。

音符の下に引っ張ってある一本の細いバー。「テヌート」と呼ばれる指示記号がそうです。

tenuto=「音符の長さいっぱいに音を保って」、というその一本の細い記号で表されたニュアンス。

驚きました。これを意識して指揮するだけで、「展覧会の絵」から立ち上がる光景ががらりとその姿を変貌させます。

「展覧会の絵」のラヴェル編曲はフランス的でやや明る過ぎる、とアシュケナージが書いているそうですが、

テヌートを意識すれば明るさは消え、ずっしりとした重さ(これをロシア的と言ってしまって良いのか分かりませんが)が

生まれてきます。テンポの問題ではなく、テヌートの効かせ方なのです。テヌート一つで音楽は変わります。

もう何十回と聞いているはずのプロムナードが、あれほど聞きごたえのあるものだとは始めて知りました。

 

 

未熟さを痛感すると同時に、自分の成長を少し感じた場面もありました。

というのは、テヌートなのだと叱咤されたら、すぐさまテヌートのように棒を振る事が出来ます。

言葉ではなく、棒の軌跡や加速度や減速、そうしたものからテヌートを伝えることが出来るようになっていました。

日々の厳しいレッスンのおかげで、右も左も分からなかった二年前から少しは成長できたように思います。

 

ちなみに、少し後にある「古城」という曲ではスラースタッカート&テヌートがファゴットにつけられているのですが、

それも「スラースタッカート&テヌートらしく」棒を振るためにはどうするか、ということが自然と身体に染み込んでいました。

それにしても、古城は凄い曲です。一般にサックスに注目されがちな曲ですが、この曲の神髄はファゴットにある。

ファゴットにつけられたテヌートの絶妙さ!このファゴットがあるからこそ、霧に包まれた湖の側に佇む、

かつては栄えたであろう石造りの堂々とした城が見えるのです。そしてその城はいまや、その風格を保ちながらも、時間に晒され苔むし

人々から忘れ去られてそこに佇んでいるのです。

 

 

展覧会は読み始めると止まらず、スコアを閉じても頭から離れることがありません。

歩いていてもプロムナードが、グノームが、ビドロがティユルリーが聞こえてきます。

目に入ったものが音楽に直結してくるようで、自分の中にある感性のアンテナが、

この曲に触れることで一段階研ぎ澄まされた感覚を覚えています。

 

展覧会の絵、恐るべし。

八月から九月は、ずっとこの曲のことを考えながら毎日を送ることになりそうです。

 

 

役者の方と。

 

先日見に行った「ミームの心臓」第二回公演「ケージ」で役者をされていた方とお茶をしてきました。

こうして「表現」に少なからず携わるもの同士ジャンルを超えて話す時間は凄く貴重で刺激的です。

今回も「居場所」を巡って音楽と演劇で共感し合えるところがあり、珈琲片手に話に華が咲きました。

 

彼はまだ19歳ですが、真摯で素敵な眼差しを持った方なので、これからが凄く楽しみですね。

ブログにその日のことを書いて下さいました。ここに紹介させて頂きます。

<Up-To-Date> http://arthurtorin.blog136.fc2.com/blog-entry-63.html

朝戸くん、ありがとう。また会いましょう!

 

 

 

 

ドミナント・サーフトリップ

 

毎年のようにサーフィンへ行っています。

今年ももちろん、波と遊びに伊豆へ。昨年はクラスの友達を連れて行きましたが、

2011年はオーケストラとデザインチームのメンバーを連れていつもの宿に行きます。

一年ぶりに宿に電話したのに、オーナーさんはすぐに「おおおー早く今年もおいでよー!」と言って下さって嬉しい限りです。

 

朝はサーフィン、昼は昼寝、夕方サーフィン、夜は音楽とお酒。

明日から幸せな三日間になることでしょう。

帰省、四年目の夏。

 

東京に来て四年になるのか、と気付いて溜め息をつく。

2011年の夏。予定の合間を縫うようにして実家に帰って来た。

かつては憧れの乗り物だった新幹線も、24歳になった今では、近所に出かけるのと同じ感覚で乗っている。

わずか三時間弱乗っているだけで僕の身体は東京から京都へと運ばれる。京都で降りても感慨は無い。

京都だということすら実感が湧かず、ただ周りから聞こえてくる言葉が耳に懐かしくどこか柔らかい関西弁であることに

気付いてようやく「ここは東京じゃないんだな。」と思う。

 

帰って来たな、と思えたのは、家のドアをあけた時だった。

相変わらず吠える犬。おかえりと声をかけて出てきてくれる両親と弟。帰る時間にぴったりタイミングを合わせて作ってある御飯。

ここは僕の暮らしていた場所だし、ここが僕の家なのだ。そして僕は確かにこの家族で育った。

たとえ交通がもっと発達して一瞬で移動できるようになっても、どれだけ東京に慣れてしまっても、その事実は変わる事がない。

東京に来て四年目の夏、帰る場所がちゃんとこちらにあることを改めて知る。どんな道に進んでも。

 

 

 

 

抽象に戯れること。

 

「美の快楽を鎮めることができないのは、……太古のためである。……芸術は(ファウストがヘレナを連れ戻すように)

時間の深淵から美を連れ戻す。」(ヴァルター・ベンヤミン「ボードレールにおけるいくつかのモチーフ」より)

 

 

音楽、デザイン、哲学、身体。

抽象と具体の間を往復しながら、それでも抽象の領域に生きること。

抽象に戯れることを恐れず、具体化しきれない<なんだかわからないもの>としての残滓に惹かれ続けること。

ベンヤミンは手紙の中で、「バベルの塔を逆向きに建設する」という一文を残していた。

具体という石をひとつひとつ積み上げても精神=天に至る塔にはなりえない。

上からバベルの塔を作る。イデーという抽象を上から積み上げてゆく。それは決して根源=地面に

到達することはないけれども、それでいい。人間は社会や科学という具体に生きているかもしれないけれど、

人間の人間らしさは思考という抽象にあるような気がしている。

論理を超えた感覚は厳密な論理と同じぐらいかそれ以上に価値を持つ。少なくとも、僕にとっては。

 

 

 

劇団「ミームの心臓」第二回公演「ケージ」を観た。

 

時々、言葉の力に圧倒される瞬間がある。

本の中の一文、街中の広告、何気なく放たれた会話のひとこと。

昨日観た「ケージ」という演劇はまさにそうした言葉の力に溢れた演劇だった。

言葉が「場」を作る。狭いステージに1968年と2011年の時代が並行して展開され、ぐいぐいと観客をその「場」に引き込んでゆく。

1968年という時代が示すように、テーマは学生運動・全共闘を扱ったもの。全共闘自体に関するスタンスや見方は色々あると思うけれど、

この大きな問題を避ける事無く真っ向から勝負した勇気にまず惜しみない賞賛を送りたい。

 

劇団「ミームの心臓」を知ったのは主宰で脚本の酒井一途くんとの出会いから。

彼とはある本への寄稿を通じて知り合い、今回の公演のお知らせを頂いた。

僕は音楽、彼は演劇。ジャンルは違えど「表現」に魂を注ぐ仲として日々刺激を受けていて、

いったい彼がどんな舞台を生み出したのか楽しみにして足を運んだ。

長々と感想を書くことは門外漢の僕の筆では叶わないが、一言でいえば「参った」という感じ。見事な運び。

彼の脚本には加速度があり、抜きがある。嵐のようにシリアスな言葉を畳み掛けては突如として笑いを挟んで「抜く」。

緊張させ、一瞬弛緩させたかと思うと再び緊張に引き込む。その流れがあざとくなくて自然なのだ。

(もちろん、それは役者の方々が見事な「間」で実現しているからこそ!)

音楽は必要最低限に留め、美術も大がかりなことはしない。照明だけを上手く使い、時間軸を操作する。

全体にわたって非常に見通しの良い舞台だった。

 

観ている間は没頭していたから考える余裕は無かったけれども、終演後に思い返してみて、

投げられた言葉の端々に酒井くんの顔が見えるような気がした。

彼が懸命に言葉を削り出し、観客の心に伝えようと苦心する様子が見えた。

人はこれだけ人に伝えることが出来るのだ。言葉は、演劇はすごい。

 

池袋を後にしながら、これが学生の演劇か、と改めて驚嘆する。

少なくとも僕が今まで観て来た学生の演劇の質ではない。

「学生の」演劇、ということをわざわざ言う必要も無いほどに。

けれども。これは学生の彼・彼女たちが取り上げることに大きな意味があるのもまた事実なのだ。

1968年は、学生の問題だったのだから。

 

 

 

 

 

 

…………

酒井くん、役者のみなさま、スタッフのみなさま。

忘れ難い時間をありがとうございました。

僕も音楽でこれぐらい人の心に届けられるようにならねば、と思った次第です。

これからも舞台を楽しみにしています。

 

 

 

吹奏楽指導を終えて。

 

この夏から、吹奏楽指導に関わり始めました。

今回は指揮の師匠と一緒に足立区のある中学校の吹奏楽部へ。師は吹奏楽連盟の初代理事を務めていたこともある、

いわば吹奏楽界を作ってきたような方ですから、その横でこうして勉強させてもらえるのはこの上なく貴重な機会です。

 

指導は全部で三回。

吹奏楽の楽器では、僕はフルートとトランペットぐらいしか触れませんからそれぞれの楽器の細かい指導は出来ないのですが、

とりあえずフルートを片手に、色々なパートの子と一緒に吹いて歌い方や足りないところを指導し、バランスを調整してみました。

フルートは歌の楽器で音域も広いですから、こうした指導をするにはちょうど良くて、フルートを始めていて良かったなあと思います。

 

同時に、指揮の技術の重要さを何度も痛感しました。音楽の先生に変わって師が棒を振ると、さきほどまで吹きづらそうにしていた

トランペットのソロが見違えるほど歌心とフレーズに溢れ、何倍も上手くなってしまいます。まるで魔法みたい!

口で細かい指示を出す事はありません。喋らずとも棒がしっかりしていれば縦は揃うし、アクセントだってしっかり表現出来るし、

フレーズもニュアンスも自然と生まれてくるのです。奏者を、音を、一本の細い棒で結びつけて「釣る」ようでした。

そしてまた、師匠が「エネルギーが足りないよ。遠慮せずに吹いてごらん。」と言って振り上げた瞬間、老齢の師の

身体の内からエネルギーが湧き上がり、棒にぎゅうっと凝縮するのが確かに見えたように思います。

「ただ大きく振るのではない、心から感じて沸き上がってこないと伝わらないよ」とレッスンのたびに僕におっしゃることを

目の前で見せて下さったようで、「ああ、このことなんだ。」と感動しました。

 

三回の指導を終えた時には、中学生たちは信じられないぐらい上手くなっていました。

きっとこの三回の間で相当に練習したのでしょう。トランペットのソロはどんどん上手くなるし

ティンパニの子はただ叩くだけでなくニュアンスを考えて叩くようになったし、クラリネットの子は

周りの音をずいぶん聞けるようになっていました。帰り際に「今の調子なら大丈夫!自信を持って吹いておいで!」と

伝えたら、ぱあっと顔を明るくして「ありがとうございました!!!」と元気な返事が返ってきます。

吹奏楽の指導に携わるのも楽しいものですね。

 

師匠に「君はオーケストラはもちろん、吹奏楽指導もやっていくと良いよ。」と薦めて頂いたので、

これからは一人で色々なところに教えに行く機会も増えそうです。拙いながらも指揮をやっていて本当に良かった。

先程まで一緒に時間を過ごした中学生たちのエネルギー溢れる音を思い出しながら、幸せな気持ちに包まれています。