コンサートを目前にして、古典交響曲のテンポ設定で悩んでいる。
とくに一楽章だ。作曲者の指示はAllegro,二分音符で100。相当に早い。
これを忠実に守ろうとすると、トスカニーニ&NBCの演奏ぐらいの早さになる。これでは細部は表現できないし、
ともすれば前のめりになってしまう。前のめりにならずこのテンポで弾き通すには相当の練習(指揮者の僕自身も)が必要だと思う。
ただでさえ弾くのが難しい曲なのにそのスピードでやってしまうともう早弾き大会みたいになるだろうし、そんなテンポを
プロの奏者の方々に要求するなんてことは駆け出しの僕には恐れ多くて出来ない。
だが、ある程度のテンポでやらないと「ダレて」しまうのもまた事実。
迫ってくるようなフレーズ、鮮やかに受け渡されるフレーズ、そういったものはスピード感あっての
ものだと思う。とはいえ、市販されているCDのほとんどを聞いたはずだが、「これだ!」というテンポがどの録音を聞いても見つからない。
ある場所ではピッタリでもある場所では遅過ぎる。ここでふと気付いたのだが、冷静にスコアに立ち戻ってみれば
古典交響曲(=古典時代を真似た「擬」古典的な様式)の二分の二拍子で二分音符100という設定自体がすでにねじれているのではないだろうか。
プロコフィエフがにやりと笑う顔が見えた気がする。プロコフィエフの生きた時代はすでに古典的な曲が様々な解釈で演奏された時代だった。
「ほら、俺の古典交響曲もハイドンやモーツァルトとか古典時代の曲をやるみたいに解釈してみろよ。
このテンポでやれるものならやってみろよ。無理?ならどうする?遅くする?遅くするとダレるよ。一筋縄ではいかないように作ってあるから。」
そんな声が聞こえてくる。僕はどうやってプロコフィエフのいたずらに答えを返そうか。本番を目前にして悩み始めた。