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24歳になりました。

 

早いものでもう24歳になってしまいました。

楽しい事も辛い事もたくさんありましたが、まずは無事に、また一つ歳を重ねられたことに安心しています。

駒場キャンパスは一年生・二年生が主体の場所ですから、僕よりも5歳ぐらい下の学生たちが沢山いるわけですが

歳を理由に自分から壁を作ることなく、いつまでも若さの中に混じって朝まで騒げるようにありたいと思っています。

変に年上ぶることなく、けれども、いざというときには24歳に恥じない大人の立ち振る舞いが出来るようになりたいものですね。

 

幸いにして僕は素敵な年上の方たちに囲まれていますから、先達の方々から色々と盗みながら

両親にも出来るだけ心配をかけないように過ごしつつ、充実した一年にしていく所存です。

 

 

「ロマンティックな理系の話をしよう。」

 

毎年(色々な意味で)話題を呼ぶ、立花ゼミの五月祭企画。

今年は後輩たちが「ロマンチック理数」なる講演会を企画しました。

以下に後輩たちが書いた宣伝文を添付します。

第一線を走る研究者の方々が講演者に並ぶ相当に魅力的な企画ですので、

僕も当日は後輩たちを手伝いに行きつつ、ロマンチックな理数の話を

存分に楽しもうと思っています。みなさま、どうぞお越し下さいませ。

 

……………..

「ロマンチックな理系の話をしよう。」

そんなところから始まったこの企画。

昨今、世の中の発展を陰で支え、力強く進展を進めている理数系。

それに対し、世の中に溢れかえっている華やかなロマンチックたち。

例えば、聖夜に舞う雪、東京タワーから眺める夜景、時の栖のイルミネーション…etc

見た目にも鮮やかでロマンチックなそうしたものに対して、

理系の話はどこか取っ付きづらく、難解なものが多かったりします。

話を聞いてもちんぷんかんぷん。それがロマンチックに?ありえない…そう思うはずです。

けれど‘ロマンチック理数’では、

そんなカタブツに見える‘理系’という分野を、華やかに飾ってみせます。

世界に誇る東大の教授陣に至るまで、彼らの手によって ‘よく分からない理系の話’を

‘ロマンチックな理系の話’へと変貌させます。

講演者の先生方は、なんと

池上高志 先生

・・・複雑系などの研究で著名。複雑系科学を芸術に応用したり、生命をシミュレーションする人工生命の研究をしたりされています。

池谷裕二 先生

・・・『進化しすぎた脳』などの著作で知られる脳科学者。脳活動によって脳に起こる変化と、それがある程度の時間とどまること(=可塑性)について研究されています。

藤田誠 先生・・・化学者。蝶番や板のような形をした分子を設計して、混ぜるだけで(!)ミクロのジャングルジムやボールのような形をつくる研究をされています。

松田良一 先生・・・筋肉の発生生物学の研究者。マウスの血管に色素を注入することで、筋ジストロフィーを発症した筋肉とそうでない筋肉を見分けられることを発見された先生です。

 

という超豪華ラインナップです。

29日9時~10時半、安田講堂にて!

小学生から大人まで、ロマン溢れるサイエンスの雰囲気に魅了されたい方々は

ぜひお越しください。

(ポスターのデザインに際しては、冨田伊織さま http://www.shinsekai-th.com/

の、「透明標本」という作品を使わせて頂きました。本当にありがとうございます。)

…………………..

 

2011年度五月祭立花ゼミ「ロマンチック理数」企画ポスター(Designed by Megumi Torii)

 

 

 

 

 

助川敏弥先生から教わったこと。

 

先日のコンサートの打ち上げに「子守唄」の作曲者である助川敏弥先生がいらっしゃっていて、

ワインを傾けながら色々とお話を聞かせて頂いた。

助川先生は僕の指揮の師である村方千之先生と藝大時代の同級生でいらっしゃったそう。

先生の懐かしいお話からはじまり、コンサートの感想、そして音楽論へと話は弾む。

 

僕が指揮したプロコフィエフ「古典交響曲」は、一楽章と四楽章(特に四楽章)で相当に早いテンポをとったのだが、助川先生は

「あれでもまだまだ。もっと早く。冗談みたいに。プロコフィエフのあの音楽はある種の冗談なんだよ。冗談音楽。」とおっしゃった。

「えっ、あれ以上早くですか?!」と驚く僕に、横から村方先生が

「でも、ただ早くというだけではない。フレーズ感を引き出すように指揮すれば早さを窮屈に感じないし、

音楽的になるんだ。木許はそれがまだ出来ていない。一本調子で、若い。」と付け加える。助川先生は笑いながら、

「でも、立ち姿が非常に良かった。オーケストラに放つものがあった。楽しみにしていますよ。」と言って下さった。

 

その後も助川先生とお話させて頂いたが、とりわけ印象に残ったのは、

「作曲者の目から見れば、テンポがあるのではない。リズムがある。リズムからテンポが生まれるんだ。」という言葉だった。

そういえば自分はテンポのことばかり考えていた。テンポは作るものではない。リズムから必然的に生まれるものなのだ。

そうしたところまで考えの及ばなかった自分の未熟さを痛感する。

 

音を鳴らすだけなら簡単だ。だけど音楽的に音楽をすること。

それがどれほど難しく底の知れない面白さを持った営為であるか。

コンサートを終えて、より一層、頭が音楽のことでいっぱいになった。

助川先生、沢山のアドバイスを下さりありがとうございました。これからも精進致します。

 

 

コンサートを終えて。

 

2011年5月4日、無事に一つのコンサートを終える事が出来ました。

人生初、プロのオーケストラとのコンサート。人生初、燕尾服(!)。お客様からお金を頂いて演奏するのもはじめて。何もかも初めてのことばかりで、コンサート当日に漕ぎ着けるまではかなり大変なこともありましたが、当日はただひたすらに楽しかった!フィガロの結婚と古典交響曲。合わせてわずか20分でしたが、この20分のために、僕はここ数ヶ月頭を一杯にしてきました。

 

至らないところも沢山ありましたが、、素晴らしいオーケストラの方々に支えて頂き、リハーサルよりもゲネプロよりも本番が一番うまくいったように思います。自分の友達や知り合いだけで100人近くの方々が来て下さったことに心から嬉しくなりながら、そして誰よりも尊敬する師、村方千之と同じ指揮台に立たせて頂けたこの幸せに胸がいっぱいになりながら、モーツァルトとプロコフィエフという二人の天才の残した作品にのめり込むことが出来ました。不思議なもので、リハーサルまではずっとスコアに縛られスコアを再現していく感覚が抜けきらなかったのですが、本番では「いま、ここで」作品を生み出して行っているような感覚になりました。沢山の聴衆の方々を背中に舞台に立ち、再現芸術のはずのクラシック音楽を即興的に、その場で、奏者の方々と一緒に作って行く感覚。風のように吹き抜けて行く早いテンポのプロコフィエフを指揮しながら、奏者の方と「次のフルート、お願いしますね!」と目を合わせてにっこり無言で会話する一瞬。それは言葉にならないほど刺激的でゾクゾクする体験でした。

 

終演後、音楽繋がりの方や門下の大先輩方から、「君が振るとオーケストラからいい音が鳴っていたよ。華やかで切れば水が滴るような瑞々しさ、青葉のような若い音を持ってる。」と言って頂けたり「今度うちに振りに来てよ。」と言って頂けた事はこの上なく幸せなことでしたし、僕の事を良く知っている大学の友達が「目を閉じても分かる。ああ木許が振っているんだなって。お酒の席で笑いながら色んな人と喋っている木許そのものだった。」というコメントをくれたことは一生忘れらません。それはオーケストラの方々が「この若造、まったく仕方ないヤツだなあ。」と思って温かくサポートして下さったおかげなのですが、色々な感想を頂けた事は恐縮しつつも思わず泣いてしまうほどに嬉しいことでした。

(コメントをくださった方々のブログを以下にご紹介させて頂きます。

江倉さまのブログ:http://ameblo.jp/eclateclateclat/entry-10882370898.html

なべしょーくんのブログ:http://show0425.blogspot.com/2011/05/blog-post.html)

 

僕には師匠のような呼吸の深い演奏はもちろんまだ出来ませんから、今は、師匠に教わった「音楽」を精一杯自分の中に取り込んで、その上で、23歳・大学生という今しか出来ない音楽をすることが出来ればと思っていました。そして師匠は僕のそうした「若さ」、あるいは「未熟さ」を当然見抜いていらっしゃったからこそ、「フィガロの結婚」序曲と「古典交響曲」という、モーツァルトとプロコフィエフの二人がいずれもかなり若いころに書いた、エネルギーに溢れたこの二曲を薦めてくださったのだと気付きます。自分の出番が終わり、他の誰にも真似出来ない「運命」を振る師匠を舞台の袖から見ながら、「師匠はやっぱり凄いなあ。」と感動と感謝を噛み締めました。

 

そうしてコンサートを終えて、朝まで続く打ち上げのあと、家に帰って静かな部屋でひとり本棚にフィガロと古典のスコアを並べようとしたとき、頭の中に流れていた音がそっと消えていったような錯覚に襲われました。考えてみれば、しばらくの間僕はどこに行くにもこの二冊のスコアと一緒で、電車でも喫茶店でも空き時間があればスコアを開き、読み、考え、そうやって数ヶ月を過ごしていたのですから。「音符は音楽なんかじゃなくて、それを表現する人がいないと音楽にならないんだよ。」と師匠がかつて教えて下さったことがありましたが、本棚にスコアを並べようとしたときにふと覚えたのは、昨夜舞台上で鳴り響いていたあのモーツァルトとプロコフィエフの「音楽」が、静かに「音符」へと還って行ったようなそんな感覚でした。次に指揮するときはもっと上手く振るからね、と心の中で呟きながら、書き込みだらけでボロボロになったこの二冊を静かに立てかけ、久しぶりにゆっくりと眠りにつきます。カーテン越しに入ってくる朝の光が目に眩しく、けれども最高に幸せな気持ちで。

 

指揮を習い始めてもうすぐ一年半。オーケストラを作って、初めてのコンサートを大学で行ったのがちょうど一年前。それから一年後に、まさか国内最高クラスのプロ奏者の方々を前に指揮台に立つことになるなんて思いもしませんでした。(もしかしたら東京大学在学中にプロオケを振ったのは僕だけかもしれません。)ここに至るまで教えてくださった師匠、門下の先輩方には心から感謝しています。そして、自分のつたない棒で一緒に音楽をしてくれるドミナント室内管弦楽団のメンバーにも。演奏者の方々に本当に多くを教えられた日々でした。

 

僕は音楽の入り口にようやく片足をかけたばかり。

これからも身をスポンジのようにして、師匠から、一緒に音楽をして下さる方たちから、学べる限りのことを学んで行きたいと思います。

 

木許裕介 Photo by Yasutaka Eida

 

 

 

ハイドシェックと会ってから -コンサート前夜-

 

東京大学に入学して、わずか二カ月がたったばかりの2008年6月16日、僕はエドモント・ホテルのロビーにいた。

フランスの誇る名ピアニスト、エリック・ハイドシェック氏にインタビューするためである。

僕は相当に緊張していた。なにしろ立花ゼミに入って最初のインタビューが日本語の全く通じない相手で、しかも憧れのピアニストだからだ。

僕の英語は伝わるのだろうか。伝わらなかったらどうしようか。とりあえず自己紹介はこうやってやろう。色々考えて下書きもしていたのに、

向こうから笑顔で歩いてくるハイドシェック氏を目にした瞬間、考えていた挨拶や自己紹介の文章はすっかり飛んでしまった。

声が震えるのを感じながら、Enchanté, je suis vraiment ravie de vous rencontrer. Je me présente, je m’appelle Yusuke Kimoto.

と、覚えたばかりのフランス語でたどたどしく挨拶すると、ハイドシェックは手を差し出しながら、

「会うのを楽しみにしていたよ。今日は時間がある。沢山音楽の話をしよう!」と優しい言葉を返してくれ、ホッとしたのだった。

 

あのころは(今もだけれど)たいしてフランス語が話せなかったから、インタビューは僕の拙い英語で、二時間半にわたって相手をしてもらった。

人生のターニング・ポイントは?あなたにとって音楽とは?他の芸術からインスピレーションを受ける事があるか?ピアノを弾いている時には何を考えているのか?

質問を一つ投げかけるたびに、ハイドシェックは窓の外に目をやり、そして堰を切ったように話しだす。

 

「ターニング・ポイントというような明確なものはないけど、私は確かに徐々に変化している。何歳になっても新しいレパートリーに挑戦していきたい。」

「音楽とは精神の食事です。無ければ生きていけません。」

「あらゆるものが私の音楽に影響します。絵画も、美しい自然も。そしてジダンのドリブルさえも。

実際、Beethovenの最後のソナタの一楽章のリズムは、ジダンのドリブルを見ていて閃いたものです。

アーティストは、あらゆるものに向かって感覚が開かれていなければなりません。ふつうの人にとってはNoiseと思われるようなものでも、

アーティストはそれを人生の糧とすることが出来ます。五感をフルに磨いて日々過ごしなさい。」

「演奏している時は何も考えていません。禅のようですが、考えていない時ほど良い演奏が出来るように思います。」

「どのような情勢の国で演奏することになっても、弾いている時は政治のことなど絶対に考えません。我々はただ音楽に仕えるものなのですから。」

 

長くなってしまうから、ここに全てを紹介することは出来ない。

だがそれは僕にとって、刺激的という言葉をいくら重ねても足りないぐらい刺激的な体験になっ た。

話の合間にハイドシェックが「ショパンに向いている手だね。」と僕の手を触るのを見ながら、

「ああ、僕はいま、本当に貴重な体験をしているのだな。」と立花ゼミに心から感謝した。

 

無事にインタビューが終了し、残る時間でちょっとだけぺダリングの極意を教わったりタッチの秘密を教わったりする中で、

自分がいま指揮法を学びたいと思っていることを伝えたら、ハイドシェックはいたずらっぽい笑みを浮かべながら、

「君がうまく指揮出来るようになったら日本に呼んでくれ。コンチェルトを やろう。」と言ってくれた。本当に嬉しかった。

もちろんこの場限りの冗談なのは分かっている。「学びたい」と思っているだけで実際にはまだ何も学んでいなかったのだから

指揮棒をろくに持つことすら出来やしない。ヴァレリーの言葉に「夢を実現させる最上の方法は、夢から醒めることだ。」というのがあるけれど、

あの頃の僕は、夢見るばかりで夢から醒めようとしていなかった。そんな甘さの残る20歳だった僕に、ハイドシェックのその言葉は、

冗談半分、挑発半分のような響きを持って届いた。明日になったらきっとハイドシェックはその言葉を忘れていることだろう。

だけど、それでも嬉しかった。

 

いつまでも見送ってくれるハイドシェックに手を振りながら、僕は飯田橋のホテルを後にする。

こんなにハイドシェックと近づける日はもう無いのだろうな、と思いつつ、さきほどの言葉を頭の中で何度も何度もリフレインさせつつ…。

 

インタビューから一ヶ月後、フランスから手紙が届いた。

目を疑う。なんとハイドシェックからだった。手紙の中には、フォーレの舟歌が収められたCDと共に、一枚の手紙が入っていた。

そこにはあの時と同じように、「がんばって指揮を学びなさい。一緒に演奏する日を楽しみにしている。」という内容が、

美しいブルーのインクで綴られていた。

 

 

あれからもうすぐ三年。

明日、僕はプロのオーケストラと共に指揮台に立つ。

 

 

 

古典交響曲のテンポ設定について

 

コンサートを目前にして、古典交響曲のテンポ設定で悩んでいる。

とくに一楽章だ。作曲者の指示はAllegro,二分音符で100。相当に早い。

これを忠実に守ろうとすると、トスカニーニ&NBCの演奏ぐらいの早さになる。これでは細部は表現できないし、

ともすれば前のめりになってしまう。前のめりにならずこのテンポで弾き通すには相当の練習(指揮者の僕自身も)が必要だと思う。

ただでさえ弾くのが難しい曲なのにそのスピードでやってしまうともう早弾き大会みたいになるだろうし、そんなテンポを

プロの奏者の方々に要求するなんてことは駆け出しの僕には恐れ多くて出来ない。

 

だが、ある程度のテンポでやらないと「ダレて」しまうのもまた事実。

迫ってくるようなフレーズ、鮮やかに受け渡されるフレーズ、そういったものはスピード感あっての

ものだと思う。とはいえ、市販されているCDのほとんどを聞いたはずだが、「これだ!」というテンポがどの録音を聞いても見つからない。

ある場所ではピッタリでもある場所では遅過ぎる。ここでふと気付いたのだが、冷静にスコアに立ち戻ってみれば

古典交響曲(=古典時代を真似た「擬」古典的な様式)の二分の二拍子で二分音符100という設定自体がすでにねじれているのではないだろうか。

 

プロコフィエフがにやりと笑う顔が見えた気がする。プロコフィエフの生きた時代はすでに古典的な曲が様々な解釈で演奏された時代だった。

「ほら、俺の古典交響曲もハイドンやモーツァルトとか古典時代の曲をやるみたいに解釈してみろよ。

このテンポでやれるものならやってみろよ。無理?ならどうする?遅くする?遅くするとダレるよ。一筋縄ではいかないように作ってあるから。」

そんな声が聞こえてくる。僕はどうやってプロコフィエフのいたずらに答えを返そうか。本番を目前にして悩み始めた。

 

 

初日リハーサルを終えて。

 

無事に一回目のリハーサルが終わりました。

あっという間の50分でしたが、予め考えておいた通りの時間配分で行うことが出来たので一安心です。

やってみると上手く行く部分も上手く行かない部分もありましたし、プロの奏者の方々からビシバシと指摘を頂いたりもして、

自分にとって非常に濃密な時間になったように思います。50分で多くを勉強させて頂きました。

コンマスの方は僕の拙い指揮から意図を丁寧に汲み取ってくださいましたし、チェロのトップの方からの

「僕ここめちゃくちゃ気合い入れて弾くからさ、もっと僕に気合いを飛ばしてほしい。プロコフィエフだからね!」という

指摘には背筋が正される思いがしました。

 

しかも1stVnの一番後ろのプルトのあたりにはなんと指揮の師匠が座っていらっしゃって、

スコアを見ながら僕の指揮をじーっと見つめていらっしゃいます。

いつも自分が振っているドミナントのメンバーが見守る中、プロの奏者と師匠に挟まれて指揮するこの緊張感!

指揮台に立つ前は笑顔になる余裕なんて無いのではないかと思いましたが、振りはじめてみると楽しくて楽しくて仕方ありませんでした。

とんでもなく綺麗な音が出てくるし、自分の指揮に敏感に反応してくださる。そして何より、モーツァルトの「フィガロの結婚」序曲が

楽しすぎる。後ろで見学していたドミナントのヴァイオリニストから「いつもと変わらない感じで楽しそうに振ってましたよ!」

とメールをもらって、どれどれとリハーサルの動画を見てみたら、満面の笑顔で棒を振っている自分がいました。

「こいつ全く仕方ないヤツだな」と思われたのか何だか分かりませんが、横でじーっと見守って下さった師匠の厳しい顔にも

時折笑顔が浮かんでいるのを発見してしまいました。(古典交響曲では「テンポもっと上げてやらなきゃ!」と喝を頂きましたが…)

 

指揮者というのは難しいもので、指揮台に持ち込めるものはたった一本の棒と楽譜だけ。

棒は所詮木の棒にすぎませんし、振り出すと楽譜は丁寧に追っている暇なんてありません。アテになるのは声と頭と心のみ。

つまり、自分という人間ひとつで勝負せねばならないわけです。50人のプロの視線を身ひとつに浴びながら、

視線から逃げることなく(むしろ視線を集中させることを楽しんで)振る舞わなければならない。

それは言葉に出来ないほどの大変さが伴います。その意味で、昨夜は音楽の厳しさと楽しさを身をもって味わう時間となりました。

 

残されたリハーサルはあと一回。

人間で勝負する芸術である以上、背伸びが無意味なのは承知です。今の自分に出来る限りの指揮をしようと思います。