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プロオケ、リハーサル前夜。

 

ついに明日、5月4日のコンサートのための第1回リハーサルの日を迎えることになる。

本番までに与えられたリハーサル時間は50分を2回、つまり100分のみ。

曲を通すだけで20分かかるのだから、相当考え抜いてテキパキとやらないとすぐに時間が経ってしまう。

 

楽譜はもう完全に頭に入っている。

どの小節をどんなふうに表現したいのかもすべて考えた。だけど、いつも自分のオーケストラでやっているみたいに

一つずつ止めて作って行く時間の余裕は無いし、相手がプロとあってはその必要は無いのかもしれない。

僕は音大の出身でも何でもないし楽器も大して弾けないのだから、奏者の方々のほうが音楽については僕よりもずっと詳しいに決まっている。

東フィルの首席クラリネット奏者の方、日コン一位のフルートの方、ベルリン・フィル首席オーボエ奏者シェレンベルガーの愛弟子の方…

極論を言えば、指揮者なんていなくてもバシッと演奏してしまうぐらい、プロ中のプロの方々ばかりだ。

 

では僕に出来るのは何か。

それはたぶん、曲に「イメージ」を付与し、それをクリティカルな言葉(あるいは指揮)でもって表現することだけだ。

師匠から徹底的に教わった指揮の技術をフル活用して表現を可能な限り伝達したい。

同じイメージを共有して音の方向性を揃え、少しでも弾きやすいと思って頂けるように出来ればいい。

それだけで十分凄い音が鳴りそうな予感がする。学生の間にこんな夢のようなオーケストラを振る機会に恵まれた幸せを

噛み締めながら、オーケストラの邪魔をせず要所だけ抑えて、プロの奏者の方々がのびのびと弾けるような音楽作りをしたい。

 

モーツァルトとプロコフィエフ。

数ヶ月間にわたって楽譜を読み込むにつれ、嫌というほどこの二人の作曲家の天才ぶりが理解されてきた。

二人がちょうど30歳前後に残した音楽を、もうすぐ24歳になる僕はどんな風に指揮することが出来るのだろう。

50人近い名手揃いのオーケストラを目の前に、僕が使える道具は楽譜と指揮棒ひとつのみ。

眠るよりもずっとスコアを眺めていたい。夜が明けて指揮台に立つのが楽しみでならない。

 

 

きみ、ツィオルコフスキーについて知ってる?

 

猫ビル(立花隆事務所)で作業を少しして、帰ろうと思ったところで、

「きみ、ツィオルコフスキーについて知ってる?」と立花さんに呼び止められた。

 

立花隆の話はいつも唐突だ。さっきまでアウシュヴィッツの話をしていてコルベ神父のエピソードを調べていたのに、

今度は突然ロシアっぽい名前が飛んできた。ツィオルコフスキー。

初めて聞く名前で言葉に詰まる僕に、立花さんはバサバサと本を棚から引き抜きながら雄弁に説明する。

「彼が今の宇宙研究の基礎を作ったんだよ。ロケット開発は彼の研究があってこそ。

日本ではなぜかあまり一般に取り上げられることのない人だけれど、この人は相当変な人だったみたいだよ。というのはね…」

 

言葉と知識が溢れ出す。

本当に楽しそうに話す立花さんのその様子に僕も楽しくなりながら、同時に自らの知識の狭さに悔しくなる。

早く帰ろうと思っていたのも忘れて、こっそりネットでツィオルコフスキーのことを調べてウェブで関連書籍を注文する。

次に立花さんがツィオルコフスキーの話を振ってきたときにはスラスラと答えられるように。そうやってこの一年間勉強して行こうと思う。

 

立花さんの好奇心の炎は途切れる事がない。あの人の頭の中では、取材や本や思考を通じて、世界が一瞬一瞬広がっている。

張り巡らせたアンテナの感度、その反応の早さ!気になったらすぐに足で調べる。手に取って読む。専門家に聞く。

自分の生きている世界は狭いものだけれど、それでも、世界は、いつでも広げる事の出来る可能性をその内に秘めているのだと思い知らされる。

 

 

 

何だか分からないもの

 

On peut, apres tout, vivre sans le je-ne-sais-quoi, comme on peut vivre sans philosophie, sans musique, sans joie et sans amour. Mais pas si bien.

結局、この「何だかわからないもの」が無くても生きていくことは出来る。哲学や音楽、喜びや愛が無くても生きていけるように。だけどそれでは、つまらない。

 

 

「分類できない哲学者」(Philosophe inclassable)と呼ばれた、ウラジミール・ジャンケレヴィッチの著作から。

僕はいつまでも、まさにこの「何だかわからないもの」(le je-ne-sais-quoi )こそを追い求めたいと思う。

 

 

休学という選択、夢中になれるもの。

 

東京大学を休学することにしました。

何を突然、と思われるかもしれませんが、実はずっとずっと考えていたことです。

 

立花隆のもとで、一年間助手をして過ごします。

立花さんと一緒に日本を飛び回りながら、昼間は猫ビルに籠り、あそこにある本を読める限り読みつくそうと思います。

村方千之のもとで、一年間指揮を集中的に学びます。

おそらくもう二度と日本に現れる事のない不世出の大指揮者だと僕は信じて疑うことがありません。

「知性」と「感性」の師、そして「死」を意識するこの二人の巨匠と接して以来、

この機会を逃してはならない、と思い続けてきました。

 

はじめて立花事務所、通称「猫ビル」に入らせて頂いた時の感動は忘れられません。

僕が憧れていた本に囲まれた乱雑な空間がそこにありました。図書館とは違う空間。

陳列や収集の空間ではなく、一人の人間の「頭のなか」そのもの。

何万冊もの本が書き込みと付箋だらけでそこかしこに散らばっている。

一つの本を書いたり話したりするためにこれだけの勉強をされていたんだ、と背筋が伸びる思いをしました。

 

そしてまた、村方千之にレッスンを見て頂いた時、また師のコンサートで「ブラジル風バッハ四番前奏曲」を聞いた時の

感動は生涯忘れる事が無いでしょう。「シャコンヌ」の堂々として祈りに満ちた気品、ベートーヴェンの「運命」や

ブラームスの一番の何か太い芯が通ったような強靭さ。息の止まるような感動をなんど味わったことか。

眼を閉じて聞いているだけで感動が抑えきれなくなるような純然たる「音楽」がそこにありました。

 

本と音楽が好きな僕にとって、これ以上の出会いは無いでしょう。

ですが、お二人に接する事の出来る残り時間は限られている。

巡り会えたという喜びと、もう時間はあまり無いのだという焦りとを同時に味わいました。

この機会を逃すと僕は一生後悔する。そしてこれらは片手間に勉強できるものではないし、片手間に勉強することが許されるものではない。

二浪していて僕はすでに23という歳ですが、もう一年を賭けてもいいと思えるぐらいの衝撃を受けたのでした。

 

休学を考えていた頃に巡り会った、コクトーの文章が背中を押してくれました。

コクトーはこう書きます。

 

「孤独を願うのは、どうやら社会的な罪であるらしい。一つ仕事が済むとぼくは逃げ出す。ぼくは新天地を求める。

習慣からくる弛緩を恐れる。ぼくは、自分が技術や経験から自由でありたい ―つまり不器用でありたいと思う。

それは、奇人、叛逆者、曲芸師、空想家であることなのだ。そして賛辞としてはただ一つ、魔術師。」

 

「彼(エリック・サティ)はそこで自分を軽石で磨き、自分に反撃し、自分にやすりをかけ、

自分の繊細な力がもはや本源から流出するしかなくなるような小さな孔をきたえあげたのだった。」

 

浪人中に僕はそんな時間を過ごしました。

いま、そうした時間を自分が再び必要としていることに気付かされます。

ヴァレリーの言葉に「夢を叶えるための一番の方法は、夢から醒めることだ。」というものがありますが、

その通り、夢中になれるものを見つけたなら、自分の身でそこに飛びこまないと夢のままで終わってしまう。

だからこそ、レールから外れて不安定に身を曝しながら、一年間学べる限りのことを学んでいきたいと思います。

 

この選択を快く許してくれた両親には心から感謝していますし、回り道が本当に好きだなと

自分でも改めて呆れてしまいますが、後悔は少しもありません。

どんな一年間になるのか、どんな一年間を作っていけるのか、ワクワクしながら2011年の春を迎えています。

 

 

 

ある後輩の死に捧ぐ

 

夜10時。学校で作業をしている時に、後輩からかかってきた崩れ落ちそうな声の電話で、あなたが亡くなった事を知った。

新入生のあなたと出会ってから一年ばかり。

文学の世界観について情熱を持って語ってくれたあなたとはキャンパスであまり会うことは無かったけれど、

Twitterでいつしかフォローしてくれて、ディスプレイ越しに夜遅くまでその姿を見ることになった。

僕もたいがい遅くまで起きている人間だけれど、同じぐらいの時間まで起きていたあなたは

いつも自身の美的な価値観や恋愛という関係について悩み、苦しんでいるように見えた。

それは僕にはとても好ましく映ったし、共感できる部分も沢山あった。

ときどき言葉をかけるたび、慕ってくれるのが嬉しかった。

 

だが、もう悩みを呟くこともない。返事を返してくれることもない。あなたは黙ったままだ。

アカウントは残酷にも残り続けている。「フォロー中」という緑に光ったパネルが恐ろしい。

存在が消えてもなお、眼差しだけがそこに残っているような錯覚。

最後にあなたが残した呟き「わたしのことばは誰にも届かない。」が、あれ以来頭の中に鳴り続けている。

 

僕にはまだ「死」という事実を受け入れることが出来ないけれども、

憧れていた美の世界からもう二度と戻ってくることはないのだろう。

声も思い出せないぐらい遠い関係だったけれど、いつもあなたの文章を読んでいた。

安らかに。願わくはまたどこかで話せることを。

 

 

 

所属から飛び出すこと -東京大学に合格された皆さんへ-

 

春を手にされた皆様、おめでとうございます。

地震の影響が色濃く残る中、縮小された形式で入学式が行われる事になるなど、例年とは違うことばかりかもしれませんが、

この大学に合格されたという事実は変わりません。胸を張ってここ駒場キャンパスに足を踏み入れて下さい。

一介の学生に過ぎない僕がこうした「合格された皆さんへ」なとどいう文章を書くのもおこがましいのですが、

「このブログを読んで東京大学、しかも文科三類を受験する事を決めました。ついに後輩になれました!」という嬉しいメールを

頂いたこともあり、また学部最後の学年である四年生という時期を迎えた者として、自分の入学時の記憶を振り返りながら

少しだけ書いてみたいと思います。

 

この大学に入ったとき、僕はもうあと数ヶ月で21歳を迎えるところでした。

普通よりも年齢を喰い、浪人という宙ぶらりんの時間を経験した僕がキャンパスに足を踏み入れて感じたのは、

「ああ、どこかに<所属している>というのはこんなに安心感が持てるものなんだな。」ということです。

駒場名物の「諸手続き」。沢山の用紙に記入を求められ、色々なテントで次々とサークルの勧誘を受け、

正午ぐらいから並び始めたのにも関わらず、全てを終えて行列から解放されたのは日が傾き始める頃でした。

今になってみれば「やりすぎだろうあれは。」と思うところが無いわけではありませんが、それらはいずれも

所属を求める儀式なのであって、新入生だったころの自分はやや辟易しながらも、所属できる(あるいは、所属するよう求められる)

ことの幸せを噛み締めていた気がします。

 

所属の重み。足下に確かな地面がある、という感覚。

春から、皆さんはこの大学の学生として、キャンパスを使う自由やキャンパスで授業を受ける権利を保証されることになります。

現役で合格された皆さんには、浪人(特に宅浪)ならではの宙ぶらりんの感覚は無いかもしれませんが、いずれにせよ

大学生という身分を保証され、所属欄に大学の名前を堂々と書く事が出来るというのは、大きな安心感を自他ともにもたらすことになるでしょう。

ですが、その「所属の安心感」は時に停滞をもたらします。

僕自身、入学して一年目は久しぶりに味わう「所属の安心感」にどこか安堵していました。

でも、そうした安定の位置からは穏やかな思考・行動しか生まれ得ない。所属することは重要ですが、所属しているだけでは

平均的なものへと自らが回収されてしまいがちです。

そうではなく、所属から抜け出そうと足掻く事で、切れ味の鋭い生き方をしてみること。

与えられるままにならず、自分から何かを求めようと貪欲になってみること。

昨年のFresh Start(今年は残念ながら中止になってしまいましたが)というイベントで、トム・ガリー先生が

開口一番放った言葉 —みなさん、合格した事を忘れてください。— は、まさにそういう意味を持つものでした。

つまり、東大という組織・所属に安住せず、所属を有効に利用しながら所属を超える道を探るということです。

 

そうした「敢えて自分から足下を崩すような試み」、「これでいいのか?」と自分を疑う勇気を絶やさず持ち続けることが

重要なのではないだろうか、と学部四年を迎える今、心から思います。

東大という所属や肩書きに頼らず、はじめて会った人に対して目をキラキラさせながら語りたくなるもの。

あるいは、話を聞いた相手が「へえー面白いことやってるね!」と身を乗り出して来ずにはいられない「何か」。

学問であれ活動であれ、そうした対象を持っている人は素敵に映ることでしょう。

 

 

改めて、合格おめでとう。

大学生として確かな所属を手に入れた今、自分を疑う勇気を忘れず、所属から飛び出すぐらいのエネルギーで毎日を楽しんでください!