February 2011
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ヨーロッパ滞在記 その8 -マドレーヌ教会のレクイエム-

 

ホテルに帰ったころにはすっかり陽が落ちており、昼までの暖かさが嘘みたいに空気が冷えていました。

ベトナムで買った紫のストールを、ポンピドゥーセンター前で買ったボルドーのストール(パシュミナみたいな長さでしたが)に

替えていざ外へ。フランス滞在最後の夜は、たまたま告知を見つけたモーツァルトのレクイエムをマドレーヌ教会で聞いてくることに

しました。マドレーヌ教会は教会の前に広々とした花壇があって、そこには赤の花が綺麗に植わっていたのを昼間に見ていたので、

それに合わせてボルドーのストールに変えてみた、というなんちゃってフランス人な発想があったりします。

 

ボルドーのストールなので、というわけではないのですが、お酒を飲みたくなったので、教会の近くのカフェに入って

ボルドーを二杯頂きました。幸せな気持ちになったところで、いざマドレーヌ教会へ。

僕はかなり最初の方に入ったので、前から二列目に座っていましたが、開演直前になると教会内に並べられた椅子がほとんど

全て埋まっていました。さすが文化の国、フランスですね。

そして始まったレクイエム。うーん。微妙です。教会の壮麗な空間でモーツァルトのレクイエムを聴いているのですから素直に喜んで

おけばいいのですが、指揮を習っている身としてはそういうわけにはいきません。フレーズ感が無いし、強拍・弱拍の差も感じられない。

技術の問題ではなく、音符を音に変換しているだけだなあと思ってしまいました。アンコールのヴェルディも勢いだけで

雑な印象。決して斜めに構えているわけではないのですが、何だかちょっと肩すかしを喰った気分で終演後に席を立つと、

左前に座っていた方がフルスコアに色々と書き込みをしているのが見えました。

珍しいな、と思ってフランス語で「音楽をされているのですか。」と話しかけてみたところ、なんと今回のオーケストラの練習指揮者の方

でした!同じく指揮をやっていることもあり、伝わったのか伝わっていないのか分からない会話でもすぐに意気投合してしまい、なぜか

二人で呑みに行くことに。近くのカフェで呑んでいたのですが、相当さきほどの演奏に不満だったようで、

「俺はあんな風に練習指揮をつけてないのに、今日の指揮者がむちゃくちゃにしたんだ!あれじゃ駄目なんだ!」と

熱弁をふるっていました。僕はそんなに話せないので一生懸命リスニングするのに必死だったのですが、感想は彼と

近いものだったので、何だか気持ちが分かる気がしました。音楽の世界は難しいですね。

 

結局、二軒目にはしごして、朝まで二人で音楽談義をしながら飲み明かしてしまいました。

まさかフランスでオールするとは思いませんでしたが、フランス滞在の最終日を締めるには相応しい時間だったかもしれません。

始発に乗りながら「いつかパリで指揮できるように頑張ります。」と彼とがっちり握手をして、自分のホテルへ戻り、慌てて荷造りを

し始めました。数時間後にはGare du NordからTGVでドイツへ移動せねばなりません。中途半端に寝てしまうとホテルで寝過ごして

しまいそうだったので、スーツケースに荷物をバサバサッと詰めた後、睡眠時間ほとんどゼロで早朝のピガールの街にお別れを告げます。

予約していたTGVまではまだ相当時間があったので、節約の意味も兼ねて(ほとんどお金を持っていかなかったので)、ピガールから

パリ北駅まで、ごろごろとスーツケースを引きずりながら歩いて向かうことにしました。今回のヨーロッパ滞在はデザインの勉強も

兼ねていたので、歩きながら店や至る所にある広告、カフェの内装、置いてあるパンフレットやチケットのつくりなどをじっくりと見たりして、

時に色彩の合わせ方に「なるほどこうやるのか…!」としばらく固まってしまったりしてゆっくり歩いているうち、パリ北駅に無事到着。

名残惜しくも、フランスをあとにします。

ヨーロッパ滞在記 その7 – コレージュ・ド・フランス -

 

フランスを経つ前日には、コレージュ・ド・フランスへ行ってきました。

僕のようにフランスの思想を専門にしている人間にとって、コレージュ・ド・フランスはちょっとした聖地みたいなもの。

訪れるのを楽しみにして、カルチェ・ラタンで下車。コレージュ・ド・フランスへ寄る前に、近くにあるノートルダム寺院を見て来ました。

ノートルダムの辺りには日本人の方も沢山いらして、久しぶりに日本語を聞いた気がします。ノートルダムは「すごいなあ。」という印象

だけで終わってしまったのですが、帰国してからインタビューさせて頂いた照明デザイナーの石井リーサ明里さんが

このノートルダム寺院のライトアップを手掛けられたのだと聞いて、あとから驚きました。

 

さて、コレージュ・ド・フランス。ソルボンヌ大学の向かいにあって、ちょうどその日は「フランスの文化公開週間」みたいなものに当たって

いたようで、中まで入ってみる事が出来ました。かなりの行列が出来ていたのですが、ここを訪れないわけにはいかないので、フランス人

に混ざって(アジア系は僕だけでした)並ぶこと一時間、ようやく敷地内に入ります。ホールではブーレーズの講義動画などが流れて

いて、ああこのホールでレヴィ・ストロースやフーコーが講義をしていたのか、と思うとちょっと感無量。まさにここで、世界最先端の

「知」が語られていたのです。ここで講義を受けられる日が来たらいいのにな、そのためには語学をもっとやらないと聞きとれないな、

などと思いながら、二回もコレージュ・ド・フランス内をぐるぐると回ってしまいました。

 

あとで気付いたのですが、コレージュ・ド・フランスの入り口の近くの花壇のような場所には、それぞれ名前がついていて、

その一つが「ミシェル・フーコー スクウェア」となっていました。自分の名前がついたスペースがコレージュ・ド・フランスの

前にあるなんて素敵すぎますね。

 

そのままソルボンヌ大学の近くのカフェに入り休憩したあと、シテ島とサン・ルイ島まで足をのばしました。

シテ島はざわざわとしていて観光客が沢山いたようですが、サン・ルイ島まで歩くと一気に静けさが訪れます。

歩き過ぎて少し疲れたこともあり、川べりのベンチに座って、本屋で買ったばかりの本を開きながら、ゆっくりと静かな時間を

過ごしていました。と言いつつ、サン・ルイ島の通りは素敵なお店ばかりで、つい散財してしまったことを付け加えておきます(笑)

 

そこから、ルイ・フィリップ橋を渡ってリヴォリ通りを歩きまくります。

オテル・ド・ヴィルからセント・ポールまでの間には可愛いお店がいっぱい。僕の好きな文房具屋さんが沢山あって、思わず

財布の紐が緩くなってしまいました。

 

最後に、そのまま歩きに歩いてポンピドゥーセンターへ。現代アートのような外観で知られるレンゾ・ピアノのこの建築には

もちろん驚かされましたが、いちばん印象的だったのが、ポンピドゥーセンター前の広場の活況。

手品をやっている人がいたり、ヴァイオリンのソロ演奏をしている人がいたり、大道芸をしている人がいたり。

それを傾きつつある陽を浴びながら、みんな地べたに座って思い思いに楽しんでいるのです。いいなあ、と心から思いました。

広場ではカップルが堂々とキスをしていましたが、それがこの街・人では不思議と絵になる。そのままキスをしていてほしいなと

思うぐらい、彼らは都市の中に溶け込んでいました。さりげないけれど細部に配慮された美がこの都市には息づいています。

 

ここまで歩いたところで、充電のためにいちどホテルへ。

もう辺りはずいぶん暗くなっていて、フランス最後の夜がすぐそばにやってきていました。

ヨーロッパ滞在記 その6 -パリ国立高等音楽院と音楽博物館-

 

フランスでは、パリ国立高等音楽院(いわゆる「コンセルヴァトワール」)にも行ってきました。

コンセルヴァトワールはパリの中央からやや外れた場所、ラ・ヴィレットの方にあります。中に入ると意外にアジア系の人がたくさん。

日本人の姿も見られました。みな留学されていらっしゃる方でしょうか。もしかしたら音楽の知り合いと擦れ違っていたかもしれません。

コンセルヴァトワールで面白かったのは、各練習部屋に作曲家の名前がつけられているところ。「ジョリヴェ」や「バルトーク」など、

ひとつひとつ名前と色がつけられていて、それを見て回るだけでも飽きないぐらいです。

 

ひとしきりコンヴァト内を回った後、近くにある音楽博物館へ行ってきました。

これがまた面白い!音楽をされている方は絶対楽しめます。音声ガイドがついていて(ただし英・仏のみ)、

展示されている楽器の音を聴くことが出来ます。器楽の発展に合わせて配列されているので、じっくりと音を聴きながらここを

回るだけで、かなりの知識をつけることが出来るでしょう。観光客はそれほど訪れないようで、閑散とした広い空間を心行くまで

堪能。途中に「古楽器生演奏コーナー」みたいなスペースがあって、お姉さんが暇そうにしていらっしゃったので

いくつかの曲や楽器を一対一で聞かせて頂くという贅沢な時間を過ごしたりもしました。終わったあと、拙いフランス語で

「日本から来ました。僕も音楽やってるんです。」と話しかけると、目を輝かせて下さり、

「ようこそフランスへ!指揮をやってるの?日本ではどう振るの、ちょっとやってみてよ。」と話が盛り上がって一時間ぐらいそのコーナーで

おしゃべり。(妙に意気投合して、一緒に写真まで撮ってしまいました) 語学と音楽をやっていて良かったなあと心底思わされた、

幸せな時間となりました。

 

帰りには電車を上手く乗り継いで、フラゴナール&カピュシーヌ香水博物館を見学して「調香師の天秤」に感動したり、

カルチェ・ラタンの方角まで足を伸ばしてソルボンヌ大学の近くをぶらぶらとしてきました。びっくりしたのは、人混みの中でなんと

フランス科の院生の先輩(同じくこのセミナーに参加されていたのです)に遭遇したこと。

僕はソルボンヌ大学近辺から降りてきて、先輩は本屋の近くから出てきてばったり。まさかフランスで偶然会うとは!

駒場キャンパスの銀杏並木で擦れ違った時とほとんど同じように「やあ、奇遇だね。」と世間話をして、「またドイツで会おう。」と

あっさりと解散。世界は狭いです。

 

パリの街を歩いていると気になるのは、やはりパサージュ。

ベンヤミンを読んだからにもパサージュ巡りは外せません。脚が限界を叫ぶまでは歩き倒します。

疲れたらカフェへ飛び込むだけ。昼から呑むのもこちらでは普 通ですので、抵抗は全くありません。

チュイルリー公園の静かなベンチで、冷えた白を飲みながらゆっくり本を広げたりもしていました。一人旅ならではの贅沢な時間ですね。

 

すっかり暗くなったころ、ホテルのあるピガールの街へ戻りました。昼とは全然違って、夜のピガールはまさに歓楽街と言う感じ。

ムーラン・ルージュの大きな風車が煽情的な色で回り、あたりのお店でもネオンが怪しく輝きます。

少し裏地に入ると、映画によく出てくる「娼婦のいるバー」というのが至る所にあって驚きました。

物憂げな視線でガラス越しに眺めてきたり、扇情的な服装で煙草を吹かせつつス ツールに座っていたり。

ネオンの中に広がる薄闇と女のこの構図は、確かに映画に使いたくなるほど、独特の魅力を放っているように感じられました。

 

何もかも新鮮で刺激に満ちた一日。

歩き疲れてベッドへ倒れ込み、ぐっすりと寝てまた明日に備えます。

滞在してまだ間もないのに、いつのまにか「しばらく帰りたくないなあ。」という思いが浮かんでいました。

 

 

ドビュッシー「月の光」を振る。

 

順調に指揮の勉強が進んでいます。

また改めて詳しく書きますが、ベートーヴェンとモーツァルトのソナタを終え、ブラームスのラプソディやショパンのスケルツォ、

そしてドビュッシーの「子供の領分」や「アラベスク」を振り、ついに「月の光」に入りました。

門下の先輩方から「月の光は難しいよ。」と脅されていたこともあり、入念に入念に準備をして一回目のレッスンへ。

 

楽譜を勉強するにあたって、この月がどういう月で、どういう情景なのかを自分なりに練った上でレッスンに臨みました。

冷え切った夜の空気の中に、月が静かに浮かぶ。

月の光が鋭く、しかし優しく降り注ぐ。

「ああ、綺麗だな。」と月を仰ぎ見て心動かされる。

そんなイメージでした。

 

指揮台に上り、冷たく演奏するぞと心して振り始めましたが、すぐにストップ。

「甘いな。もっと自然に、もっと冷たく。君の棒では月との距離が近過ぎる。月の光はこうだ。」と振り始めた先生の棒から生まれる、

音の冷たさと緊張感!キンと乾いた音のうしろに漆黒の夜が見える。遠い世界に月が静かに浮かぶ。その美しさに、絶句しました。

指揮台から降りてようやく、「月との距離が近過ぎる」という言葉の意味がじわじわと分かってきた気がします。

この曲は「美しいな」と思って月を仰ぎ見る人の「心」を描くのではないのだ、と。

描くのは、冷たく静かな夜。遠くから凛とした光を放つ月の「情景」。ただそれだけ。その光景が音となって届いた時、聞く者が

「ああ、美しいな」と感じる。どこまでもクールに。月への憧憬を心の内に込めつつ、表には出さない。

感情を押し付けず、情景を音で淡々と描く。その結果としてはじめて、感動が聞く人の内に生まれるのでしょう。

衝撃冷めやらず、帰りの電車で再び考えました。つまるところ、見ている世界が違ったのだと思います。

僕は月を眺める人の視点で「月の光」の世界を描こうとしました。だけど先生は違った。

月と月を眺める人をも描きうる、第三者・超越的な視点から世界を描いたように感じています。だから音に冷たさと距離が生まれる。

感情を押し付けたりしない、純然たる「月の光」だけがそこにありました。

それはまるで小説の技法に似て、一人称の小説と三人称の小説の違いに通ずるもののように思われました。

音楽も小説も、世界の描き方の芸術なのかもしれません。

 

前に振ったドビュッシーの「アラベスク」では、音の「湿度」と「色気」、アルペジオの表現を学びました。

今度の「月の光」では、「三人称の視点で曲の世界を描く」ことを学ぶことになりそうです。