ふと思い立って、ドニゼッティの名作として名高いオペラ《愛の妙薬》L´elisir d´amoreを聴いてきた。
場所はいつもの新国立劇場である。「愛の妙薬」の話は知っていたし、「人知れぬ涙」Una furtiva lagrimaという曲は
時々聴くことがあったが、すべてを通して観るのは初めて。楽しみにしながらひとり席について幕が下りるのを待つ。
そういえばクラスのみんなで「こうもり」を見に行ったのはもう二年近く前になるんだなあ、と感傷にふけっている間に
あっという間に開演時間がやってきた。
今日が公演初日だったのでこれから見に行かれる方たちにネタばれにならないよう詳細は書かないことにするが、
「面白かった!」という一言に尽きる。歌手では主人公であるネモリーノ役のジョセフ・カレヤが飛びぬけていた。声量も抜群だったし、
「人知れぬ涙」の歌唱も素晴らしかった。ファゴットが悲しげにつぶやき始めたあとに切々と歌い上げられるこのアリア、終わりの
Di più non chiedo, non chiedo. Si può morire! Si può morir d’amor.
(もうそれ以上何も求めない。彼女が僕のものになるなら死んでもいい。)
と歌い上げる部分でのジョセフ・カレヤの表現力に感動した。
演出も随所に工夫が凝らされていて、洗練と俗っぽさを同時に感じさせるように仕組まれた(であろう)舞台セットはさすが。
音楽を邪魔しない範囲で遊びが詰まっていた。それから「愛の妙薬」と偽ってワインを売りつけるドゥルカマーラの胡散臭さは最高。
登場(プロペラ機に乗って出てくる。しかもセクシーな美女を二人侍らせつつ。)から服装・髪型まですべていかがわしくて笑ってしまった。
ちなみに、休憩が終わってライトが落ちて二幕が始まる直前に、後ろのドアからこのセクシー美女が「妙薬」を携えてオーケストラ・ピットの
方へ歩いて来た!そして、ピットの中にいる指揮者に「妙薬」を売りつける(指揮者のパオロ・オルミはお金を出してこれを購入)という
遊び心に溢れた演出があって、これは大いに盛り上がっていた。なお、指揮者のパオロ・オルミはかなり細かくキューを出して丁寧に
振っている印象を受けた。引っ張っていくというよりは歌手にぴったりつけていく伴奏のうまい指揮者だと思う。分かりやすい指揮だった。
《愛の妙薬》は楽しく観ていられるオペラだが、その内容はただ楽しいだけのものではない。
たとえば、自由奔放な恋愛のスタイルを吹いては去ってゆく「そよ風」になぞらえて歌われる第一幕の二重唱「そよ風にきけば」。
これはとても美しいイメージを呼び起こす曲だが、そこで語られていることは恋愛に対する二つの対極的な考え方である。
「恋愛とは何か」みたいな、答えの出ない深刻な問題が横たわっている。変わらぬ愛を歌う主人公のネモリーナに向かって
ヒロインのアディーナはこうやり返す。
「変わらぬ愛なんて狂気の沙汰
あなたは私の流儀に従うべきよ
それは毎日愛する人を変えること
毒をもって毒を制すというように
新たな恋で昔の恋を追い払う
私はそうして自由に恋を楽しんできたのだから」
永遠の愛を信じてまっしぐらに走るのがいいのか、そよ風みたいに自由に恋愛するのがいいのか。それは答えの無い問いであり、
答えがあるとしても人それぞれだろう。だが、この問いに人は昔から悩み続けてきたに違いない。だからこそこの二重唱は、時代を
超えて、聴くものをハッとさせる。「愛の妙薬」というオペラは、それ自体が愛について再考させる薬なのかもしれない.