関西から上京すると、たちどころに違和感を感じるところがある。
そう、エスカレーターの立ち位置だ。関西では右側に立ち、左側が歩いて登っていく人のためのゾーンと
なっているが、関東ではその逆。左側に立ち、右側が歩いて登ってゆく人のスペースとなる。
エスカレーターにおいて、関西は「左空け」、関東は「右空け」のルールを持っていると言うことができるだろう。
この地域差がどうして生まれてきたのか?それには信憑性の低いものからもっともなものまで諸説ある。
ところで、海外はどうなっているのだろうか?ちょっと調べてみると、
「左空け」・・・大阪、香港、ソウル、ロンドン、ボストンなどの都市や、ドイツなどヨーロッパの大陸系諸国。
「右空け」・・・東京、シドニーなどの都市。オーストラリアやマレーシア、ニュージーランド、シンガポール。
ということで、世界の大多数は「左空け」が主流らしい。なぜこのような違いが生まれるのか。
まず、世界の左空けと右空けの分布を見たとき、すぐ気付くことがある。
右空け(の都市を持つ)の国に共通するのは、島国および島嶼部である。
では島国なら右空けになるのか?しかし、ロンドンが左空けであることを考えるとそうとも言えない。
(イギリスはヨーロッパとの関わりが大きかったから「島国」としてカテゴライズすべきではないかもしれないが)
ただ、「右空け」に島国の割合が大きいことは確かだ。
エレベーター自体はアメリカのオーチス・エレベーター社が1850年代に開発したもので、アメリカで販売した
あと、国外に向けてはまずカナダ近辺で売り始めたらしい。そのあと、次々にヨーロッパ諸国へ向けて
売り出してゆく。ならばアメリカ、カナダ、ヨーロッパ諸国は、開発国であるアメリカの風習を受けて
「左空け」になったのだろうか。だとすると、なぜアメリカで「左空け」のルールが生まれたのだろうか。
うーむ。よくわからない。
とりあえず日本で考えてみよう。やはり、なぜ地域差が出るのか、ではなく、「そもそも左空け/右空けの
意味は?」と問うところから始めるのが良さそうだ。エスカレーターの無い時代から考えてみよう。
先日読んでいた『読み方で江戸の歴史はこう変わる』(山本博文、東京書籍)には、
「(参勤交代において)左側通行になるのは、お互いの刀の鞘などが触れ合わないようにするためである。」
という一節が見られる。江戸時代の武士は刀を左側に差していていた(右手で抜くため)から、進行方向に
対して左側に寄らねば、自分の体の幅から飛び出ている刀の鞘が前から来た相手とぶつかってしまう。
それを避けるために左側を歩いた、というのだ。
問題はどの地域までこの風習が行われていたのかということだ。
参勤交代で人が集中する場所は、むろん江戸周辺である。参勤交代から自分の藩へ帰る行列、
参勤交代へ向かう行列が交差する場所は、なんといっても江戸周辺であろう。したがって、江戸周辺では
左側通行(右空け)のルールが成立したはずだ。これは、東京のエスカレーターが「右空け」であることと
符合する。
では、江戸周辺以外では大名行列は道のどちらを歩いたのだろうか。岐阜を超えたあたりから右側歩き
(=左空け)に切り替わればエスカレーターの話と符合するのだが、それは良く分からない。
そもそも武士が刀を差している以上、江戸に限らず左側通行・右側空けのルールで過ごした方が
刀の鞘が触れて問題になるケースは減るだろうから、この風習が江戸だけのものだったとは考えづらい。
(このルールが生まれたのは江戸周辺であっただろうが、江戸周辺から地方へも伝播してゆくはずだ。)
たとえば大阪は「商人の町」であったから、武士よりも商人が主体となって活動しており
刀の鞘が触れる云々などは大した問題ではなかったから左側通行が浸透しなかった、などの理由には
ちょっと無理が感じられる。これを発展させ、武士の帯刀ゆえに左側を歩いたこととパラレルに
「商人の経済活動においては、(右利きが大多数であるから)右手に荷物を持っていることが多かった。
だから人に荷物が当たらないように右を歩いた。」などといってみてもちょっと胡散臭い気がする。
(そもそも、江戸時代の立ち位置と現代のエスカレーターの立ち位置に直接の関係があるかどうか怪しいが)
持ち物が歩き方を決めるなら、「西洋では右にピストルを下げて右で取り出していたので、左側を空ける。」
みたいな理由も通ってしまいそうだ。1900年代に西洋人の多くがピストルを腰に下げていたとは考えづらい。
なんとなく思いつくままに色々書いてみたものの、謎は謎のままである。
「ルールが当初どんな意味を持って、どこから生まれ、どのようにして広がっていったか」という問いは
このエスカレーターの立ち位置問題に限らずとても面白いと思うのだが、解明することは難しい。
と、ここまで書いてふと思ったのだが、エスカレーターの登り路線と下り路線が並列してあるところでは、
どちらに登りを置いてどちらに下りを置くのか決まっているのだろうか。
歩行と違って、エスカレーターの問いでは、エスカレーター一本の中だけで立ち位置を考えるのみならず、
逆向きのエスカレーターとの関連を考えなければいけないのかもしれない。つまりエスカレーターにおいては、
1.構造上の立ち位置(対抗エスカレーターの位置)と、2.慣習上の立ち位置(単線上で左右どちらに立つか)の
いわば「二重の縛り」に行動が規定されていると言えそうだ。
そんなどうでもいいことを考えながら、雨の土曜日はコーヒー片手に家で本と音楽に戯れる。
雨の夕方に合うものは、と考えてCHET BAKERの ‘CHET+1′ (Riverside)を棚から引っ張り出してきた。
このアルバムは一曲目にALONE TOGHETHERを持ってきたセレクトが神だと思う。チェットの甘くてどこか
ダルさの漂うトランペットと、ビル・エヴァンスの前に出過ぎないしっとりした音が絶妙。
ALONE TOGHETHER、つまり「たった二人で」の曲名にぴったりな音。ボーカルが無くてもあの歌詞が
浮かんでくる。Alone together, beyond the crowd…こんな音が出せたなら良いのになあ。
HOW HIGH THE MOONのスローテンポも、SEPTEMBER SONGのKENNY BURRELLのギターも最高で、
これを聞きつつ加藤尚武『現代を読み解く倫理学』(丸善ライブラリー,1996)を読了。合間にあるコンクール用
のエッセイを書いていたが、10枚ぐらい書いたところで愛用している満寿屋の原稿用紙が切れたので中断。
立花先生から頂いたChez Tachibana原稿用紙を使おうかと思ったが、勿体ないので置いておくことにした。
雨が止んだら新宿へ原稿用紙を買いに行こう。ついでに知り合いの研究員さんが推していたLamyのStudio
を試筆してみるつもりだ。レーシンググリーンのインクもそろそろ補充しておきたいし、MDノートの横罫と
カバーももう一セット買っておきたい。5ゲームぐらい投げてちょっと体を動かしたい気もする。
二時間ぐらいぼーっと玉突きするのも良いかもしれない。土曜なら知り合いの常連さんたちがいるだろう。
決まった予定が無い日は久しぶり。慌ただしい師走を一日ぐらいゆっくりと、好きなように過ごそうと思う。
やりたいことは沢山あるけれども、行くかどうかは天気次第。そんな自由がたまらなく幸せだ。