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「入口」としての授業

 

 歴史Ⅰのテストが終わりました。

昨日の記事にも書いた、アナール学派とマルク・ブロックについての試験だったのですが、会心の出来の解答を書く事が出来て

満足しています。問Ⅰは「アナール学派とは何か」という設問だったので、昨日ここにアップした内容をガシガシと書いていきました。

もう年で記憶力も次第に落ちてくる頃なので、解答用紙のサイズにして45行あまりにも渡る文章をしっかりと覚えられているか

不安だったのですが、いざ書いてみると手が覚えていたり、リズムで記憶から文章を引き出してきたり、書きつけたページそのものを

ビジュアルに思い出したりすることが出来て、昨日アップした内容とほぼ一言一句(ひとつだけ書き忘れましたが)違わない解答を

再現する事ができました。このテストの結果は進学に結構大きく影響してくるものであっただけに、一安心です。答案を書きながら

「もっと字が綺麗だったらなあ・・・。」「〈問Ⅰについてはブログ参照〉で終わらした方が先生もこんな悪筆を読まずに済むし、

僕も書く手間が省けるし、お互いの幸せに貢献するのではないだろうか。」などと考えたりもしましたが、流石にそれは無理ですね(笑)

 

 まあとにかく、アナール学派について学んだ事は大変有意義なものとなりました。これらについて学ぶうちに、

 僕の興味関心の一つであり続けている「音」や「香り」について研究しており、「感性の歴史家」と呼ばれているアラン・コルバン

の著作に出会う事が出来たのが最も大きな収穫だったと思います。コルバンの著作は、昨年僕が書いた「モード」についての小論

に応用できるところが多々あって、昨年のうちに出会っていればあの研究の方向性は少し変わっていたかもしれません。

面白かったのはアナール学派と呼ばれる人々の著作を手当たり次第に読んでいくうちに、ミシェル・パストゥローの名前に

遭遇したこと。アナール学派であるとは知らないまま、彼の『青の歴史』を昨年の小論に参考文献として用いたのですが、

今読み返してみると、パストゥローがとる手法や描き出す歴史像は極めてアナール学派的なアプローチだと気付きます。

『青の歴史』にしても『紋章の歴史』にしても、様々な角度から切り込んで、些末な事象や事件史に留まらぬ包括的な歴史を

描いていて、この人がアナールの第四世代に位置づけられるのも納得がいくところです。

 

 このように、新しく得た知識が他の知識や過去に得ていた知識と結合され、「!」と手を打ちたくなる瞬間を多く経験する事が大学生活

の面白さの一つではないかと思います。東京大学の教養学部の授業にはそういう瞬間を与えてくれる授業が非常に多くて、

一見つまらない授業でも理解していくうちに突如として自分の関心ある分野と繋がったり、別の授業の内容と繋がったりする事が

良くあります。もっとも授業に期待しすぎるのは見当違いというもので(大学で教壇に立つのは研究者です。)授業を諸学の「入口」として

活用し、授業に関連する本を自分でガンガン読み進めていく事が必要になってきます。ある程度本を読んで知識を持ってはじめて、

先生の喋っていたカオスで電波な内容が、とても魅力的で重要な意味を持つ内容だったことに後から気づく、なんてのもしばしばです。

そういう意味で、「大学生ならとにかく本読んどけ。」「大学生のうちに読んだ本が将来のベースになる。」などの嫌というほど

聞き慣れたフレーズは決して的外れなものではないと思います。

 

 話が大きくなってしまいましたが、とにかく今回の歴史Ⅰ「マルク・ブロックを(自分で)読む」という授業は、

そのように知の連結へのきっかけを与えてくれるものでした。テストの最終設問であった三番の

「あなたが過去に問うとしたら、どのような事を問いたいか。そしてそれは何故か。」という設問は、「感想を書け」と同じような類の

漠然とした設問に見えますが、その実、アナール学派の本質である「問いかけの学問」というテーマに立脚したものであって、同時に、

まさに上で書いたような「知の連結を経験したかどうか」を見る問に他なりません。一緒にテストを受けていたクラスメイトのかっぱ君が

テスト終了後、「3番を書いているうちに何か色々見えてきた。」というような内容の事を言っており、その後に自らが3番で書いた

内容に関する本を購入していましたが、そういう効果を与える事の出来る問題は凄いと素直に思いました。

確かにこの問は書いていて楽しかったです。

 

 珍しく真面目に書いてしまいました。今気づきましたが、そもそも今日はなんで丁寧語なんでしょうね(笑)

あ、そういえば7月30日に「食を考える」ワークショップの第4回が行われます。夏休みスペシャルということで、場所は

KIRINの横浜工場で、ビールづくりに関する見学・講演を聴いたあと軽食を頂く(もちろん無料)という形です。

また例によってフライヤーのデザインを担当させてもらいましたので、参加されたい方や詳しく知りたい方は

東京大学教養学部付属 教養教育開発機構のページ http://www.komed.c.u-tokyo.ac.jp/ をご参照下さい。

 

 さて、そんなわけでまた朝の4時になってしまいました。超朝型生活ですね。もうすぐ波乗りに行くのでちょうどいい、ということで。

今からは買ったばかりの三浦篤『自画像の美術史』および佐々木正人『アート/表現する身体 - アフォーダンスの現場 -』を

読みながら、レポートの構想を練りたいと思います。 

4 comments to 「入口」としての授業

  • 水際のカナヅチ

    ついでに鍵和田務「椅子のフォークロア」も探したのですが、大学の図書館に置いてないという悲劇。

    結構評判いいのに…。

  • 木許 裕介

    >水際あるいはかっぱ氏
    『椅子のフォークロア』はAmazonでも古書しかないっぽいですね。
    しかも最低価格が7500円ちょっとからという、学生には厳しい値段・・・。
    これは買うのに躊躇しそう。

  • 男児○

    全然話題についていけなくて焦りますが、駒場図書館のリクエスト審査は多分かなりゆるいので、ダメもとでもリクエストするといいと思います。笑

  • 木許 裕介

    >男児さん
    リクエスト審査が緩いとは知りませんでした。無い本はAmazonでポチっちゃう。(そうして金欠に・・・)
    一度、変な本をリクエストしてみようかと思います。

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