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珈琲礼賛

 

 

「コーヒー。ブラックで。」

 

 

 この台詞を違和感なく言えるようになったのはいつだっただろうか。

 

 中学の頃には、ブラックコーヒーなんて苦いタールみたいだと思っていた。

中学の頃の僕は紅茶派でしかも甘党だったから、多い目のミルクと砂糖、それに濃い目に淹れた紅茶の組み合わせで紅茶を飲むのが好きだった。

時々コーヒーを飲むことがあっても、ミルクと砂糖の大量投入は欠かせなかった。

とはいえ「ブラックで飲む」という行為は僕にとって大人な行為に映っていたし、正直言えばブラックで飲むことに多少の憧れを抱いていた。

女の子と喫茶店に行った時にはやはりシブい顔をして「コーヒー。ブラックで。」と頼むのがクールに違いない、とか真剣に考えていた。

残念ながら男子校の僕にそんな機会は訪れなかったが、たまに気取ってブラックを頼んでみるうちに、いつしか苦さへの抵抗は薄れていった。

 

 高二になって生徒会誌作成の激務に追われるようになってからはただ目覚ましの為だけにブラックコーヒーが必須になった。

カフェイン含有量はミルクを入れようが変わらない。しかし、ブラック特有のあの香りと、口に残る鋭さが頭を覚醒させてくれるように感じた。

 

 本当にブラックコーヒーを美味いと思えた瞬間と場所を、僕ははっきりと覚えている。

 

 それは、通い詰めていた出版社の近くにあった一軒の喫茶店だ。

薄暗くとても古風な佇まいで、表の看板には「コーヒー、褐色の魔女。」と書いてあった。一人だけで店を切り盛りするマスターが、

今ではあまり目にしないサイフォン式のドリップでコーヒーを出してくれる。(ケーキセットにすれば絶品の自家製フルーツタルトもついてきた。)

初めてこの店を訪れたとき、僕は史上最強に悩んでいた。いくら考えても表紙のデザインが思いつかない。

ぼんやりとは浮かぶのだけど、あっという間に拡散してしまう。そんなことを愚痴って時間を潰していた。

迷惑な客だったに違いないが、マスターは話を親身に聞いてくれたし、何時間でも居座らせてくれた。

途切れた会話の合間に飲む珈琲は美味しかった。

 

 そんな日が何日か続いた。

 

 転機は、ある平日の午後にやってきた。

その日は台風が過ぎた翌日で空が本当に綺麗だった。あんまり綺麗だから、いつものカウンターとは違う小窓の近くに席を取って、

いつも通りのコーヒーを頼んで表紙のデザインを考えていた。返却されたばかりの物理のテストにラフスケッチを書きまくる。

相変わらず僕は晩年のピカソが左足で書いたような絵しか書けない。絵心の無さに泣けてくる。

アイデアにも煮詰まってコーヒーに手をやったその時、褐色の珈琲の表面に青い空が映っているのが見えた。幻影だったかもしれない。

ともかく僕は慌ててコーヒーを流し込んだ。

この空を飲み干せば何かが閃きそうな気がしたからだ。

 

 

 青い空を浮かべたコーヒーは最高に美味しかった。

                                

                                        (つづく・・・?)