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『僕のピアノコンチェルト』(原題:Vitus フレディ・M・ムーラー監督 2006)を観た。

 

 『僕のピアノコンチェルト』を観た。予想していたようなシナリオとはまったく違う、良い意味で予想を裏切られた作品。

天才であるがゆえの苦悩、そして音楽を無理やり押し付けようとする親が前半では描かれる。

後半は捻りの効いた展開。恋愛というテーマも絡んでくる。

「女性は年上が理想だ」と説明する時のヴィトスのなんとロジカルなことか。天才の中に子供っぽさが見えるショットで印象的だった。

 

「決心がつかないときは大事なものを手放してみろ」という祖父の言葉、

「少し時間が必要ではないですか。Zeit,zeit,zeit,zeit…」という先生の言葉が最後で効いてくる。

その描き方(とりわけ、ラスト直前の着地シーン)には、不思議な爽快さがある。

ラストのシーンについて少し。

一瞬指揮者がティレーマンに見えた。まさかと思って調べてみると、これはテオ・ゲオルギューのピアノ、ハワード・グリフィス

という指揮者で、チューリッヒ室内管の実演だったそうだ。二つ目の和音がずれていたり、妙にリアルに感じる演奏なわけだ。

リアル、に関して言えば、イザベラがあのタイミングで入ってくるのは酷い。実際のコンサートであんなことしたら袋叩きにされる(笑)

音楽は沢山のクラシックが使われているが、テーマになっているシューマンのピアノ協奏曲というセレクトは素晴らしい。

ロマンチシズムに溢れたこの曲は、大空に思いを馳せるこのシナリオと合っている。まるであのおじいちゃんの遺志のようだ。

 

 ついでに。シューマンのPコンはリパッティ-カラヤンの演奏と、ミケランジェリ‐チェリビダッケの演奏を愛聴している。

前者は有名な演奏だが、後者は意外と知られていない。ミケランジェリとチェリビダッケという、個性最強レベルの演奏家二人の

タッグは、どの演奏も印象に残る強烈な美しさがあり、忘れる事が出来ない名演が繰り広げられている。

このタッグ、ラヴェルのコンチェルトなんかもお薦めです。ラヴェルはyoutubeで動画が見れます。

 

 

「Nuovo Cinema Paradiso」を観た。

 

 久し振りに晴れた一日、五月祭の話や本の話やら書きたい事は沢山あるのだが、この映画について書かないわけにはいかない。

名作の誉れ高き、ジュゼッペ・トルナトーレ監督による「Nuovo Cinema Paradiso (New Cinema Paradise)」をついに観た。

なんだこれは。疑いようもなく、今まで見てきた映画で最高の映画だ。最後のシーン(完全版に入っている「あの」シーン)だけでなく

至るところで泣かされた。涙だけでなく、体が何度も震えた。主人公が彼女の家の下で待っている時のシーンなど、一切台詞無しに

そのショットだけで金縛りにあったような感動を与えてくれた。暗い青、壁の苔、落ちる影、そして遠くにあがる花火。

奇跡のように美しいショットだ。あげていけばキリがないぐらい素晴らしいショットやシーンがこの映画にはある。

冒頭の波の音とともに暗闇に風が吹き込んでくるようなショットに始まり、雷の鳴る中で回り続ける映写機をバックにして

彼女と会うショット、錨を前にして海で話すショット、「夏はいつ終わる?映画なら簡単だ。フェイドアウトして嵐が来れば終わる。」

と語ったあと豪雨の中で眼前に彼女が突然入ってくるショット、五時を確認しようとする時の時計の出し方、

映画とリアルの素早い交錯、電車が離れていく時にアルフレードだけ視線を外している様、どれも上手すぎる!

再会するシーンで編みかけのマフラーがほどけていく構図、明滅する光を互いの顔に落としつつ話すショット、最初の葬儀のシーンと

最後の葬儀のシーンとでのトトの成長を映しつつ周囲の人や環境の変化をさり気なく見せる対比の鮮やかさ、そして最後のあの

フィルムを見るときの少年に戻ったような様子などは天才的としか言いようがない!!青ざめた光と暗闇の使い方が神がかっている。

 

 ショットだけでなく、胸に刺さるようなセリフも沢山ある。

「人生はお前が見た映画とは違う。人生はもっと困難なものだ。行け。前途洋洋だ。」

「もう私は年寄りだ。もうお前と話をしない。お前の噂を聞きたい。」

「炎はいつか灰になる。大恋愛もいくつかするかもしれない。だが、彼の将来は一つだ。」というアルフレードの台詞、

「あたしたちに将来は無いわ。あるのは過去だけよ。あれ以上のフィナーレは無い。」というエレナの台詞、どれも忘れる事が出来ない。

それとともに音楽の何と上手いことか。使われている音楽はさほど多くないが、メインテーマを場面に応じて微妙に変奏し、旋律楽器を

変え、リズムを崩し、何度も何度も繰り返す。繰り返しが多いだけに、途中で突然入ってくるピアノのjazzyな和音連打を用いた

音楽が頭に残る。そして、この特徴的な音楽を、最後のシーンでなんとメインテーマに重ねてくる!凄いセンス!!

 

 熱中して観て、呆然とし、そしてこれを書いていたらもう朝の5時だ。そろそろ寝なければならない。本当に時間の経つのは早い。

最後になるが、この映画に流れるテーマも「時間」に他ならないと思う。人の成長、恋愛、生死、周囲や環境の変化、技術の進歩、

そして時間を操る芸術としての映画!どれも時間を背負うことで成り立つものだ。本映画は「時間」を軸にして沢山のものを描いている。

 

 この映画に出会えたことを、心から幸せに思う。

 

 

「ROUNDERS」を観た。

 

 こういうギャンブル映画はやっぱり夜に見るのが王道だろう、と思って深夜二時から「ROUNDERS」という映画を観た。

監督はジョン・ダール。出演はマット・デイモン、 エドワード・ノートン、 ジョン・タトゥーロ、 ジョン・マルコヴィッチなど。

見終わった後に思ったのは、「うーむ・・・。」という言葉にしがたい微妙さだ。

じめじめしているわけでもないし、爽快なわけでもない。メッセージ性があったか、と言われても、

「ギャンブルにおいては、相手をいかにして自分の敷地(精神的にも肉体的にも)に引きずり込むかが勝敗を分ける。」という程度に

留まってしまう気がする。このメッセージは大きい意味を持っているものの、そこに至る流れが先読み出来てしまうストーリなのが残念。

カジノに着くまでの一連のショットはマーティン・スコセッシの「カジノ」に比べると生彩を欠いてどこかB級っぽいし、

ラストシーンのグレッチェン・モル(かなり綺麗です。)が扉のガラス越しに映るシーンなどにおいても、どことなく安易な感が漂う。

 

 主人公に感情移入して観る、というよりは、「やめとけって・・・。」と主人公を冷ややかな目線で見てしまったからか、

最後の山場のシーンでもさほどドキドキさせられなかった。他の登場人物では、相棒(というよりは単なる厄病神)のワームは

見ていて本当に腹が立った。あのニヤニヤした笑い、人に押し付けて平然としている様、どこを取っても超一級品の憎まれ役だ。

エドワード・ノートンの演技力が光っている。演技力とは関係ないが、教授役のマーティン・ランドーが使っているペンがペリカンだった。

一番印象に残った台詞は、「どうしてそんなに未熟な自分が、ゲームに勝てるなどと思うのか。」という主人公の独白。

この台詞が本映画を説明し尽くしている。

 

「OCEAN TRIBE」を観た。

 

 ウィル・ガイガー監督による「OCEAN TRIBE」を観た。

いやー、いいですよこれ。本当にいい。どんなラストシーンが用意されてるか分かってるのに、やっぱりラストで泣ける。

五月祭前日だというのに朝三時まで食い入るようにして観てしまいました。

「ブラームスの弾けるサーファーは彼一人だ」なんて五人を紹介していく冒頭のシーンもいいし、

病院から誘拐してくるシーンもスリリングでたまらない。高校生のころみたいにはちゃめちゃな悪ふざけ。

馬鹿みたいに明るい五人だけれども、それぞれにそれぞれの悩みを抱えているし、死を目の前にした人間とそうでない人間の

間にはどうやっても埋まらない距離があるのを感じさせてくれる。

「病院での六年より、海での一分の方がいい」と叫ぶボブを誰が止めれるだろうか。

 

 サーフィンのシーンも実に効果的に使われている。

 「水に浮かんでいると体が無限に広がっていく気がした。明けの明星を見ていると、空より高いところに登っていくようだった。

まるで空と海に抱かれているようだ。」という言葉は、波乗りをやったことがある人ならきっと理解できる言葉だろう。

サーフボードの上に寝て夕暮れの波間に浮かんでいると、空と海に挟まれて自分がいったいどこにいるのか分からなくなる。

自然や世界と肌で繋がる感覚、海を媒介に遥か彼方まで触れているような感覚、その一方で波に浮かぶ自分の小ささを感じる。

この映画からは、そういった自然への畏怖、海の大きさ、命のちっぽけさ、そんなものが良く伝わってくる。

訳には時々首を傾げる所がある(「ウィリアム・ブレイクの詩だ」と話しているところを「有名な詩だ」と訳していたり)ものの

セリフ回しも楽しいし、所作明け方のサーフ・シーンでイルカと遭遇するところの音楽をはじめ音楽も高水準。

揺れるようなカメラワークも波間に漂うような雰囲気に満ちていて良い。

 

 映画を観ていて、高二の時に友達と一緒に波乗りに行った時のことを思い出した。

青春十八切符で乗り継ぎ、海の最寄駅に着いたのが夜の12時前。駅から海までは山を二つ越えてバスで30分程度。

そんな距離を、真っ暗な中、ボードを背負って10人ぐらいで歩いた。夜中、ライトもあまり無い山道だったから、途中で

何度も車に轢かれそうになって、何とか山道を越えた時には冷たい汗でびっしょりになっていたのを覚えている。

浜辺に着いたのが朝3時。辺りはまだ真っ暗で、波が打ち寄せる音しか聞こえない。10人ぐらいで浜辺にシートをひいて、

他愛無い話をしながら、波の音に耳を澄ませて目を閉じた。波の音が近寄ってくるような気がして、慌てて起き上がって歩数で

波打ち際までの距離をみんなで交代して測り、その結果潮が満ちてきていることが判明して焦ったりしているうちに、

水平線の向こうがゆっくりと黒からブルー・ブラックに染まってくる。黒からブルーブラックへ、そして次第に明るい空色へ。

何重にも層のかかった青色と、どこまでも広がる海の黒。あのグラデーションと空にかかった月の綺麗さは一生忘れないだろう。

(ちなみに、航空幕僚長講演会のパンフレットに使った写真はこのとき撮ったものである。)

 

映画のレビューのつもりが違う話になってしまったが、とにかく、この映画は自然と生死について考えさせてくれる名作である。

自然との共生を説いた100の本を読むより、本映画を見たり波乗りをしたりする方が自然への畏怖を持つことに繋がるに違いない。