今日はとても充実した一日になった。
一限、基礎演習のTAもどき。ランダムに発表をしてもらっているのだが、ランダムなはずなのに三週連続で同じ人が当たったり。
その子にとっては大変だろうが、見ている僕らには大変興味深くうつる。週を追うごとに徐々に内容や視点が深まっていくのが
良く分かるからだ。そして同時に、前に立ってプレゼンをすることにも慣れていっているのが分かる。どうせこれから前でプレゼンを
する機会は多々あるのだし、基礎演習という機会で何回も発表してプレゼンの練習にも出来るのは「おいしい」と思う。
彼女が取り組んでいる、映画の予告編についての研究がこれからどのように進んでいくのか楽しみに見ていきたい。
昼、アフター基礎演習を途中で抜け出してテリー・イーグルトンの『反逆の群像』を購入したあと、渋谷から銀座線で外苑前へ。
DIALOG IN THE DARKというイベントに行ってきた。
このイベントの詳細については、ここに書くより http://www.dialoginthedark.com/ を参照してもらえれば早いと思う。
簡単に纏めておくと、視覚障害者の方をアテンドに真っ暗闇の中に6人ぐらいのグループで入り、視覚を遮断した状態で
その暗闇の中にあるものに触れたり、感じたりしつつ、グループで協力して90分間暗闇を散策する、という感じのイベントである。
僕はA氏(僕が最も尊敬する人の一人である)にこのイベントに誘ってもらった。面白そうだとは思うものの、自分ではわざわざ
足を運ばないような、どこか胡散臭い感じがしていたのというのが事実である。値段も平日学生2800円とそう安くはない。
終わってみると、ただひたすらに「行ってよかった!!」という感じ。このイベントの良さをすぐにでも誰かに伝えたいと思った。
これは本当に貴重な体験が出来るイベントだ。期間限定ではなく常設にしてほしいと心から思うほど。
というわけで以下に詳しいルポ・感想を書くので、ネタばれが嫌な人は注意してください。
外苑前から熊野通り、キラー通りと15分弱ぐらい歩いたところにあるコンクリート打ちっぱなしのビル、その地下一階のドアを
開けると、狭すぎず広すぎもしない落ち着いた空間が広がっている。座り心地の良さそうなソファーに様々な年齢層の人が腰を下ろし
みな思い思いの時間を過ごしている。ここがDIALOG IN THE DARKの待合室だ。
DIALOGU IM DUNKELN とドイツ語で書かれたポスターを目の端で捉えつつ受付へ。受付で簡単な説明を受ける。
荷物はかばん・携帯から腕時計まで全部ロッカーに入れるそうだ。大人しくロッカーに収納して身軽になり、ふかふかのソファーで
待つこと10分、いよいよ集合の声がかかった。集まったのは6人。視覚障害者の方が使うものと同じ白い杖を各々持ち、
杖の使い方の説明を受けた後に、六人で軽く挨拶をしあって中に入る。といってもいきなり真っ暗闇に入るのではなく、
徐々に暗い空間へと移動していく。真っ暗になったところでアテンドの方が登場。もうここでは何も見えない。
声を頼りに存在を確認するしかない。視覚を完全に遮断した状態で再度自己紹介をする。
大学生の男が二人、主婦の方が一人、気さくな外人の男性一人、大学生A氏、そして僕という内訳だった。
暗闇なので互いの顔は全く見えないが、お互いの声や雰囲気はなんとなくつかめる。
「暗闇の中では音が頼りになるから、お互いに名前を読んで声をかけあってください」という説明を受けていよいよ中へ。
みんな緊張しているのが分かる。
中は完全に闇。見る事を完全に諦め、他の感覚を全力で使って世界を把握するしかない。一歩をそっと踏み出してみる。
足の裏に意識を向ける。葉っぱを踏む感触。ついで前の人の靴らしきものに当たる感触。
耳を研ぎ澄ませる。水が流れている音がどこからか聞こえる。A氏のおどろいたような声。
肌の感覚に集中する。近くに誰かがいる確かな温度を感じる。そっと当たる誰かの手。
香りに注意を向ける。木の香り、乾いているようでどこか湿っぽい。
たった一歩に過ぎないのに、この世界はこれだけの情報量を持っている!!そのことだけで十分驚きだった。
そのあと暗闇を歩き回り、水に触れてその冷たさに驚いたり、野菜の香りに感動したり、様々な経験をした。
ここを詳しく書いてしまうと楽しみが半減してしまうだろうからこれぐらいで割愛する。印象的だった事を一つだけ書くと、
ゆらゆら揺れる吊り橋があるのだが、これを暗闇で渡るのは非常に怖い。だが、「ゆれている」ということが
「確かにそこに何かがある」というリアリティを感じさせてくれる。不安定な感じから、逆説的に安心感を得ることになった。
視覚に頼っていては味わえない経験だ。
最後にBARに入った。もちろん真っ暗闇の中の、である。テーブルの形も分からないままにそれぞれ座席に着き、おしぼりを開けて
その温かさに驚く。メニューを口頭で説明して頂き、ジュースやワイン、ビールが選べたので迷わずワインを選ぶ。
というのは、視覚を諦めた状態で何かを飲むとき、ワインが一番刺激的だろうと考えたからだ。まず色すら分からないのだから。
暗闇の中で、横に座っている人を声で判断し、そこからテーブルの形を想像しながらグラスを近づけて乾杯する。
声と温度を頼りにグラスを近づけると思ったより簡単に乾杯が出来るのだ。そして暗闇の中でワインを口に持って行くと
こんなに香りがするものだったか?というほど濃密な香りを感じる。普段いかに視覚優位で生きているかが分かる瞬間だった。
そして飲んでみると液体が体の中を通り抜けている様子が感じられる。というよりむしろ、体が無くなってしまったみたいだ。
ちょっとしたお菓子を手渡され、暗闇の中でその触感を味わって食べる。谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』を思い出した。
ここまで来ると暗闇の中で動き回る事が苦しくなくなっていた。すぐに慣れて、思ったより普通に動ける。今自分がどこにいて、
周囲がどのようになっているかの俯瞰的な見取り図が想像出来てくる。この見取り図は、記憶の中にある視覚情報を
暗闇の中で掴んだ視覚以外の情報と連結させて作っているのだろう。(まさにベルクソンの知覚論だ。)
美味しく頂いてBARを後にする。椅子から立ち上がり、アテンドさんのところに集合する時、人が一か所に集まってきている音と
温度をありありと感じた。気配というのは音と温度から成り立っているのではないだろうか、なんてことを考える。
そして次第に明るいところへ。そう、もう一時間以上が経ってしまったのだ。きっと歩数にすれば家から駅まで行くよりも
遥かに少ないのに、本当にあっという間。だが、その中で沢山の情報に触れ、そしていつの間にかグループの人たちの声や
名前を自然と覚えていた。薄闇(最初は暗いと思ったのに、今となっては明るすぎる!)の中に移動して互いの顔が見える状況で
少しディスカッションをする。暗闇の中にいたときは年齢や立場や性別関係なしに触れあっていたが、顔が見える明るさでは
暗闇にいた時よりも互いに話すのが気恥ずかしくなる。視覚を得ることで、我々が「他人」であったことを思い出した。
暗闇は人を孤立させるのではなく、人と人との間に横たわる距離を縮めてくれるものにもなりえる、ということを僕は初めて知った。
あっという間の90分を終えて受付に戻ってくる。
入ってきたときは落ち着いた照明だと思ったのに、今となっては明るすぎるぐらい。
一緒のグループだった人たちに「またどこかで」と挨拶をして、建物の外に出る。
陽射しが鋭く、世界の白が白すぎる。走り去る車の音、行きかう人の声、溢れる色彩、複雑な香り、湿気た空気。
この世界には情報が溢れている。
だが、そう思うのも一瞬。今までの人生で視覚に慣れ親しんだ我々は、すぐに視覚に頼って歩き出す。
何のためらいもなく階段を昇り、時計に目をやって時間を確認する。まぶしいと感じた光、うるさいと感じた車の音は
いつのまにか意識されなくなる。いつも通り、別に変った事は無い、ただの街中。
色や音、視覚の刺激に溢れたこの街で、僕は何も感じていない。
そのことに気づいて、今までいた場所を振り返る。
夢みたいな時間。暗闇の中にいたはずなのに暗闇には様々な感覚が溢れていた。
そしてその暗闇の中で僕は確かに、人と、場所と、音や香りや触覚と対話=Dialog した。
視覚を捨て、暗闇の中で世界を認識しようとして様々な感覚を鋭くすること、それは僕にとって忘れる事の出来ない体験になった。
これを読んで興味を持たれた方は是非一度足を運んでほしいと思う。絶対に後悔はしない。
長くなってしまったが、誘ってくれたA氏に感謝を記し、終わりにすることにしよう。
今年一番の充実した一日になりました、本当にありがとう。