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團伊玖磨/木下順二 『夕鶴』 @新国立劇場

 

新国立劇場でオペラ『夕鶴』を鑑賞してきました。

『夕鶴』は日本の誇るオペラの一つで、全編日本語で上演されます。シナリオは日本人なら誰もが一度は聞いたことのある、

「つるの恩返し」が下敷き。つまり、結末(「つう」が機を織っているところを覗いてしまい、「つう」が鶴になって男の元から飛び去ってしまう)

が最初っから分かっているのです。ですが、これは途轍もなく感動的です。ある意味ではオペラ向きの作品と言ってもよいぐらい、

悲劇の結末へ向けてじりじりと観客を焦らしながら進んでゆく。しかも、そこにあるテーマは現代にも通じるものです。

 

「つう」の夫である「与ひょう」は悪い男二人に騙され、お金と都会へ出る欲望に目をくらませて、「つう」に機を織るよう無理やり

頼みこんでしまいます。「つう」が「あたしだけじゃ駄目なの。お金ってそんなに必要なものなの。都会の華やかさなんていらない。

日々の暮らしに必要なものはあたしが全て備えてあげられるのに、それだけで足りないの。」と悲愴に歌い上げる「つうのアリア」

は、まさにそういう貨幣経済に巻き込まれて日々を過ごす我々に、「本当に大切なものは一体なんなのだろうか。」と考えさせます。

つうに去られたあと、呆然とする与ひょうを囲んで「つうおばさんは今日いないの!遊びたい!」と無邪気に叫ぶ子供たちのシーンは

(一切与ひょうに弁解のチャンスを与えない点も含めて)非常に皮肉かつ残酷なシーンです。作者が単純な貨幣経済への信仰や

都会の生活を頭ごなしに良きものとする風潮に対して強烈なアンチテーゼを突き付けていることが読み取れるでしょう。

喪失の悲しみが舞台を覆う中で与ひょうはただ茫然自失するのみ。貨幣に目がくらんで失敗した男を、誰も助けようとはしないのです。

 

お金があって都会で立身出世する煌びやかな生き方と、慎ましいが十分な幸せに包まれて大切な人と静かに暮らす生き方。

本当に大切なものは一体何なのだろうか。過去を振り返りながら色々考えているうちに、涙が溢れて来て止まらなくなりました。

 

楽曲としてもこれは非常に優れているように感じます。とくに今回はフルートの方がむちゃくちゃ上手な方で、

フルートの音をあえて太い音に取ることで和風の響きを現出したかと思うと、「つう」がよたよたと崩れ落ちる場面では

よれよれと細く今にも壊れそうな音に切り替えて吹いていらっしゃいました。タイミングも相当にシビアな曲ばかりでしたし、凄いなあと

感動の連続。それから機を織る場面でのハープの使い方は作曲の妙技ですね。

 

意外に感じたのは、日本語ならではの魅力があるということ。

というのは、時制の変化が日本語だと効果的に響くのです。ドイツ語などでは通常は動詞が二番目に来てしまいますが、

日本語では動詞、それも「あなたが好きだ。」「あなたが好き〈だった〉」のように、時制変化が語尾に現れます。

つまり、歌のフレーズの最後にこの過去形への変化が歌われることになります。そうすると、悲痛な声で

「あなたが好き」と歌いあげて、最後に「だったの…。」と崩れ落ちる、そのコントラストが絶妙に決まる。これは素敵だなあと思いました。

 

照明や演出もシンプルながら品の良いものでしたし、最初から最後まで楽しむことが出来ました。

一幕が二時間、ニ幕が三十分という珍しい構成でしたが、シナリオの切れ目を考えるとこれで良いのかもしれません。

この「夕鶴」は、日本でもっともっと演奏されても良いのではないかと感じます。僕の指揮の師匠は海外公演の際にこの「夕鶴」から

「つうのアリア」をプログラムに持っていったことがあるそうですが(書き込みだらけのスコアも実際に見せて頂きました)

僕もこうやって日本の曲を自分のプログラムに取り入れていきたいものです。

 

というわけで、「夕鶴」はオペラにあまり馴染みの無い方にもお薦めできる演目ですし、ぜひ一度ご覧になってはいかがでしょうか。

小さい頃に親に語り聞かされたあの「つるの恩返し」が、新しい姿と深みを纏って、感動的に蘇ることと思います。