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三島の音楽

 

三島由紀夫の『憂国』を読んでいて、音楽が聞こえた。

第五章の麗子の自刃のシーン。それまで閉鎖されていた空間に、戸を<あける>ことによって外部の冬の空気と第三者の眼差しが侵入する。

二章、三章で延々と湧き上がって来た性と死の興奮がリセットされ、Subito pからわずか数小節-半ページでfffまで達する。

中尉の壮絶な死の描写に対して、(小林先生の言葉を用いれば)「遅れて」くる死。

どうしようもなく遅れてくるのだけど、それ以上の遅れは拒否される。「麗子は遅疑しなかった」と。

その決定の鋭さ、その刃の<甘い>味はこの外の冷たさが一瞬侵入する事によって際立つ。そのダイナミクスの興奮といったら!

三島にとっての死の美しさとは、実のところこの短い五章、この半ページにこそ宿されているのではないか。そんなことを考えた。

 
 

マニラとセブで指揮します。

 

昨日はたくさんのメッセージを頂きありがとうございました。

27歳を忘れ難いものに出来るよう、精一杯頑張って過ごしたいと思います。

 

さて、公に告知しておりませんでしたが、今年の八月・九月にマニラとセブで指揮させて頂く事になりました。

今年の二月にご一緒させて頂いたUUUオーケストラの2014年度夏期プロジェクトで、それぞれManila Symphony Orchestra、Cebu Philharmonic Orchestraと共演することになります。

二月にフィリピンに行くまでは、正直なところ「どうなのかなあ…」と思っている部分もありましたし、音楽に一体何が出来るのか、ある種の無力を覚えたこともありました。

けれども、向こうで日々を過ごして帰って来た今、誇張抜きに人生が変わるほど鮮烈な経験を味わえる素敵な取り組みだったと思えます。

もう少しだけ奏者公募もしているようですので、ご興味のある方はぜひ。8月23日から9月1日がマニラのプロジェクト、9月6日から15日がセブのプロジェクトとなっています。

(ちなみに僕は、8月17日が神奈川で本番、18日から20日が宮城県で演奏旅行、23日から9月1日までマニラ、15日までセブ…という、ノンストップで充実したスケジュールになりそうです。)

 

指揮させて頂くにあたって、昨年のゲストソリストである朝岡さん、昨年のコンサートミストレスである会田さんからメッセージを頂きました。

僕のたった一人の師匠の生き方で最も憧れたことが、そして師匠から最も学びたいと思ったことが、共に演奏した方々に言葉無くして伝わっていたとすれば、それは限りない幸せです。

師匠が読んで下さったら「100億年早い!」と一喝されてしまうかもしれないけれど、奏者の皆様から頂いた言葉を裏切らない棒を振れるよう、今回も全力を尽くしたいと思います。

 

http://seven-spirit.or.jp/uuu2014/project/conductor.html

 
 

時は身をかたむけて

 

リルケ『時禱詩集』の中の一篇を読み直す。

ロダンとの親交を想起する言葉の様々な置き換えの中で、作品を「つくる」とはどういう営みであるのかが表明されているように思う。

静かな力強さ。作ることにいつまでも関わっていたいと改めて誓う。

 

27歳だ。僕は27歳になった。

27日生まれの自分にとってそれは特別な年齢で、小さい頃からずっと、日付と年齢が同じになったときに何かが終わることを(そして同時に、始まることを)根拠も無く確信していた。

尊敬する作家である永井荷風がフランスへ渡ったのが27歳であることを知ってから、より一層、この27歳という数字に「出発」のイメージを重ね続けて生きて来た。

 

27歳。僕は出発できるのだろうか。出発に当たってはこの2年を整理しなければならない。

大袈裟な言い方をすれば、この2年はいわば実存の危機で、極めて苦しい時期だった。

作るということはどういう行為であるのか、自分とは一体どういう人間であるのか、自分がどうしてオーケストラをやっているのか。

全てが分からなくなった時期を経験した。27歳になるまでにこの暗闇を乗り越えることが出来なかったら、あらゆるものを辞めようと決意していた。

音楽とは、指揮とは何だろう。技術のことは徐々に理解して行っても、やればやるほどに「精神」が分からなくなったのだ。

指揮台に立つ者として引っ張って行くべきなのか、それとも一緒に作って行くべきなのか。25歳のあの日から、そのバランスに苦しみ続けた日々だった。

おそらくこれほどまでに多くを喪失した二年間は無かっただろう。たくさんのものを身につけたと同時に、たくさんのものを失った。

 

しかし今年の2月にフィリピンで指揮した日々を経てこの苦しみに一つの回答を見出した。そして、それを多少なりとも実現することが出来たと思えた。

言葉にしてしまえば何ということはない思想。それは「信じる」ということだった。

上に掲げたリルケの『時禱詩集』はこうした背景で今の自分に強く響く。絵を描く修道士の語りという体裁で紡がれる詩の数々。

キリスト教の神というよりはむしろ、「作品」の生成行為に対して、リルケは祈りを捧げているように思えるのだ。

 

「信じる」ということを信じて27歳を出発する。

運命的に出会ったもう一篇を置いて、26歳の日々を、苦しんだ二年間を終わりにしよう。

見出したものの全てはここに宿る。他でもない楽神「オルフェウス」への讃歌に!

 

 

Sei allem Abschied voran, als wäre er hinter
dir, wie der Winter, der eben geht.
Denn unter Wintern ist einer so endlos Winter,
daß, überwinternd, dein Herz überhaupt übersteht.

Sei immer tot in Eurydike -, singender steige,
preisender steige zurück in den reinen Bezug.
Hier, unter Schwindenden, sei, im Reiche der Neige,
sei ein klingendes Glas, das sich im Klang schon zerschlug.

Sei – und wisse zugleich des Nicht-Seins Bedingung,
den unendlichen Grund deiner innigen Schwingung,
daß du sie völlig vollziehst dieses einzige Mal.

Zu dem gebrauchten sowohl, wie zum dumpfen und stummen
Vorrat der vollen Natur, den unsäglichen Summen,
zähle dich jubelnd hinzu und vernichte die Zahl.

(Rainer Maria Rilke, Aus: Die Sonette an Orpheus / Zweiter Teil )

 

あらゆる別離に先んじよ、別離がちょうど今
過ぎてゆく冬に似て、君の背後にあるかのように。
いくたの冬、その一つこそ、かぎりない冬であり、
その冬を凌ぐなら、君の心は総じて耐え忍ぶ力を得よう。

つねにオイリュディーケのなかに死してあれ――、さらに歌いつつくだりゆけ。
さらに賛めつつ純粋の聯間のうちにもどりゆけ。
ここ、地上の消えゆく者らの間、傾きの国のなかで、
ひびきとともに身を打ち砕く、鳴りひびくグラスとなれ。

在れ、――そして同時に非在の条件を知れ、
君の心の切々たる振動の限りない根拠を知れ、
この一度しかない存在に、あますなく振動をとげんがため。

充溢した自然の、用いられた貯えにも、鈍く黙した
貯えにも、――それら言いしれぬ総計に
歓呼して君を加算せよ、そして数を絶せよ。

 

 

 

 

 

 

 

断章

 

最後という言葉を使いたくはないが、それはブラームス一番の二楽章になるのかもしれない。

僕が最初に海外のオーケストラに接したのはこの音楽で、はじめて涙したのもこの音楽だった。

春らしい陽気と突然の雷鳴が交差する一日。やるべきことの殆どが手につかず、じっとこの楽譜を見つめ続ける。

振って聞いて書く

五月の週末も音楽で充実。金曜夜にブラームス一番の下合わせと初級の方々のレッスンを日が変わるころまで。

そして土曜朝からシベリウス七番のリハーサルのち、友人の室内楽コンサートで赤坂カーサ・クラシカ。

日曜日は大学院の同期が出演する池袋ジャズフェスティバルを堪能。ブラック・ミュージックを主に取り上げたセットで、レイ・チャールズ・メドレーが格好良い。

カーサ・クラシカは室内楽コンサートをした思い出の場所。あの壮絶なショスタコーヴィッチは忘れられない。

そしてジャズフェスティバルみたいな野外コンサートに接すると、フィリピンでUUUオーケストラと演奏した日々のことを思い出さずにはいられない。

これからもリハーサルが無い週末は出来る限り友人たちのコンサートに足を運びたいなあと思いつつ、昼からビールを飲みながら上機嫌に論文執筆。

ある種の中毒

 
明け方までブラームスの一番とシベリウスの七番を勉強していた。眠りにつこうと思っても猛烈に楽器を練習したい気持ちが襲ってきて目が冴えるばかり。

無理矢理寝てみたものの、夢の中ではブラームスの「七番」が出来上がっていて眠った気がしない。

反動のように、今日起きてからは楽器を弾くことだけで陽が沈んだ。

夜に振りにいくブラームス一番に備えて、(僕のレベルでは無いに等しいとは言え)フルートで吹けるところを吹いてみて、

疲れたらピアノの前に移動して、飽きたら弾けないチェロを弾いて休憩している。それぞれ使う筋肉が違うので、こうして巡っていくのは悪くないなと思う。

頭と身体をすっきりさせてもう一度スコアの前に向かう。そうすると先程とは少し違うものが立ち上がってくるのだ。

Brise urbaine

 

四ッ谷のカフェで三時間ほど、現在の活動についての取材を受けた。

結局のところ、僕は、大学・大学院で学んだものと、指揮という芸術に関わって見出すものを融合させることに最大の楽しみを見出している。

ジャコメッティのデッサンについて考えることで指揮の哲学に新たな道が開ける。

ボードレールの一節に触れて、指揮の師が与えて下さった言葉にならぬ言葉を唐突に理解する。そういうことだ。

 

それが何か絶対的な真理であるなど到底思わないし、融合したものを誰かに押し付けたいなんて微塵も思わない。

けれども両者をポエジーの中に響き合わせる試みこそが(それを学問的でない意味において「比較芸術」と呼んでいたいのだ)自分が生きた証と言うに足る何物かへと繋がっているのだと思う。

 

帰り道の空は満月だった。夜風に身を委ねて行く先知らず。

また夏がやってくる。26歳がもうすぐ終わる。

 

五月の陽気に

 

週末にシベリウス七番のリハーサル、平日はブラームス一番のレッスン、それからバーンスタインとガーシュウィンのリハーサルがほぼ一日おき。

どれも大変な曲ばかりだけれど、勉強になること、教わることばかりで毎日が本当に充実していると思う。

 

五月晴れの今日も朝から夜までリハーサルだった。

さすがに疲れたけれども、頭が働いているうちに近くのカフェに飛び込んで今日のリハーサルで気付いたことを色々と纏めて書き出しておいた。

もっと棒で出来ることがある。音というより「空間」としか言いようのないものを纏めあげるという可能性について。

それから、ボードレールの「酔い」がもたらすイマージュ、時間の重みに屈しないことについて。

 

楽譜を閉じる。曲とは全く無関係だけれども唐突にNuovo Cinema Paradisoの名台詞が耳に蘇って来た。

La vita non è come l’hai vista al cinematografo: la vita è più difficile

(人生はお前が見た映画とは違う。人生はもっと困難なものだ。)

たしかにそうかもしれない、と思う。でも、台詞はこう続いたはずだ。

 

「行け、前途洋々だ」

 

捧ぐ

なぜ人は、手を握ることしか出来ないのか。

一つの決意を伝えて帰ってきた。涙を流さないように必死に我慢しても溢れてくる。永遠にも思える一瞬だった。

確認

 

Un jeune homme ne doit pas acheter de valeurs sûres.