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最近読んだ本リスト

 

 駒場祭の準備に追われて最近読んだ本リストを挙げていなかったので、いっぺんにアップしておきます。

11月の二週目・三週目で読んだ本がほとんどです。立花先生から大量に本を頂いたため、自分では買わないような本が

今回は多いですね。全部の感想を書くのは大変なので今日は書籍名だけを挙げるに留めます。

 

【外交関係】

・『21世紀日本外交の課題 -対中外交、アジア外交、グローバル外交-』(星山隆, 創風社)

・『東アジアの安全保障』(小島朋之・竹田いさみ, 南窓社)

・『東アジアの中の日韓交流』(濱下武志・崔章集, 慶応義塾出版会)

・Responsibility to PROTECT(Alex J.Bellamy) のChapter 4 Prevention の項

 

【歴史関係】

『読み方で江戸の歴史はこう変わる』(山本博文, 東京書籍)

『史料を読み解く 近世の政治と外交』(藤田覚, 山川出版社)・・・史料集と思いきや、結構読んでいて楽しいです。

『風景と人間』(アラン・コルバン, 藤原書店)

 

【ノンフィクション関係】

『エーゲ 永遠回帰の海』(立花隆, 書籍情報社)・・・名著。写真だけでも値打ちがあるぐらいの綺麗さ。

『思索紀行 ぼくはこんな旅をしてきた』(立花隆,書籍情報社)・・・名著。僕が今まで読んだ先生の本の中でもイチオシかもしれない。

『パリの学生街』(戸塚真弓, 中央公論新社)

 

【新書関係】

・『人間の安全保障』(アマルティア・セン, 集英社新書)・・・有名過ぎてちゃんと読んでいなかったため、この機会にきっちり読みました。

・『レヴィ・ストロース入門』(小田亮, ちくま新書)・・・『構造人類学』を読んでいるので、参考にと思って買った。中々わかりやすい。

・『ギャルとギャル男の文化人類学』(荒井悠介, 新潮新書)・・・果たして文化人類学なのか疑問だが、読む分にはまあまあ面白い。

・『愚の力』(大谷光真,文春新書)

駒場祭、終了!

 

 駒場祭が終わった。立花ゼミ「二十歳の君へ」企画もその一楽章を終えたことになる。

「二十歳の君へ」は、そのテーマのもとに何種類もの企画を並行的に走らせたものだった。それぞれ、ここに感想を書いておこうと思う。

 

・壁

最終的には書く場所がないほどに壁は落書きで埋まった。書かれる内容も面白かったし、増えてゆく様子も面白かった。

落書きから「生」を切り取る、というのは、今考えても秀逸なアイデアだったと思う。

 

・プリクラ

一年生の廣安さんのおかげで次々と改良がなされてゆき、三日目にはかなり話題になっていたようだ。

栄田さんの美しい写真をフル活用して、その写真をプリクラ機に取り込んでそれを背景にすることができるようにしていたのだが

これはナイスな企画だった。宣伝についても、初日のデーターに基づいてしっかりとアナリーゼをしたおかげで、

無駄なく、最大限有効な宣伝が出来たのではないだろうか。

 

・学生証の写真を使った、「わりとイケメンコンテスト」

プリクラ機での待ち時間の手持無沙汰感を解消するために、二日目の夜に発案された企画。かなり体(顔?)を張った企画だったが、

暇つぶしには最適だったようだ。ちなみに優勝者は飲み会代が割引されることになっており、ちょうど金欠だったのでこの賞品は

素晴らしくありがたかった。ごちそうさまです。一番面白かったのは小学生の女の子に「この中から選んでね。」と言ったら、

「えー、この中から?・・・かっこいい人いない。全部ない!」と切り捨てられたこと。ちょっと心が傷つきました(笑)

 

・「二十歳の君へ」パンフレット

相当に満足な仕上がり。とはいってもいくつかミスは見つかったし、中でも、朝倉くんのコラムの最後の文章が欠落していたのは

本当に申し訳なかった。このパンフレット、様々なブログで好評のようなので、時間を注いで作って良かったなと思っている。

昨日プロのグラフィック・デザイナーの方からこのパンフレットのデザインに関する講評を頂いてとても嬉しかった。

 

・講演会

雨&気温低という、駒場祭で最も悪い天気・時間帯だったにも関わらず、350人の教室に人が入りきらず立ち見が出るほどの

盛況ぶり。会場のドアの外から信じられないほどの列が伸びていてちょっと感動した。いろいろなポスターやビラを作った甲斐があった。

講演会自体は、大きく二部に分けられる。最初に「世界や時代を認識するために、いまホットな、様々な知を紹介します。」という形で、

ガン・脳・冷戦・宇宙などの分野について話された。ただその分野を紹介するだけではなく、立花ゼミの過去の活動とリンクさせつつ、

また、パンフレットに掲載した「二十歳の君への宿題」ともリンクさせながら話されたのが印象的。

次にそれをベースにして、「人がいま、ここに生きて・空間を共有していることがどれほど奇跡的なことか」

「二十歳の脳がいかに特殊な状況にあるか」、そして「二十歳に何をせねばならないのか」ということを話された。

具体的だった前半とは一変して、後半は極めて抽象的。これをしておけ、あれはしておけ、とは言わない。

「情報をぼーんと与えるから、ここから君たちがエッセンスを掴みだし、あとは好きなように料理して生きて行け。目の前にあることに

必死になって生きることだけは忘れるなよ。挑戦しろ!」というようなメッセージが言外に感じられた。

この展開、実は事前に準備していたものとはかなり違ったので、司会を務めていた僕としては相当に困った。

最後にマイクを受けたとき、どうやって纏めようか・・・と悩んだが、まあなんとかまとまったのではないだろうか。

終演後にパンフレットに先生のサインを求める長蛇の列が出来るのを目の当たりにして驚くとともに、先生と時間を日常的に過ごすこと

ができる今に感謝した。先生からもっと多くを学んでおきたいと思う。

 

講演会および今回の企画について沢山の方からメールやお話を頂き、とても嬉しかった。

(中には「司会が関西弁で、関西から聞きに来た私としては幸せな思いになりました。」というのメールもあった。それはそれで嬉しい。)

体力・精神力ともにすり減ったが、それだけの価値あるものだったという自信がある。

またNHKで放送される運びになったらここに書くので、その時は是非見て頂ければと思う。

それから「二十歳の君へ」パンフレットは、ある出版社から書籍化されることがほぼ決定的になった。

ここからどうやってコンテンツの質・量を上げていくか、それが12月の僕の立花ゼミ活動テーマになるだろう。

 

「二十歳の君へ」 ついに前日!

 

ついにここまで来た。

明日から駒場祭が始まる。そして立花ゼミのグランド・プログラム、「二十歳の君へ」が始まる。

準備は途方もなく大変だった。パンフレット80ページ余りを一人でレイアウトし、時に文章を書いた。

一週間ほとんど授業も休んでパソコンと戦い続けた。二時間ほど寝ようと思って目を閉じても、瞼の裏に原稿用紙のマス目が浮かんだ。

徹夜が続いて限界まで疲れているはずなのに寝れない。瞼の裏に浮かぶマス目、それを眺めているうちにレイアウトの

インスピレーションが突如閃き、布団から飛び起きてパソコンを再びつける。切ったばかりのパソコンはまだ熱かった。

 

クオリティを落とそうと思えば簡単だ。考えなしに次々と機械的にレイアウトを流して行けばよい。けれども、それは許されない。

技術班の人たちはメールフォームの設置から調整、データーベースの構築まで、最高の環境を睡眠時間を削って整えてくれたし、

ゼミ生はそれぞれの知り合いを辿って沢山の「二十歳の君への宿題」を集めてきてくれた。ましてや立花隆は、何万冊もの本や雑誌を

見て来ているこの世界のボスだ。その先生の名前を冠するものに中途半端なものは作れないだろう。

それどころか、立花隆に「これは凄い!」と言わしめるぐらいのものを作ってやりたい。ゼミ生が書いてくれた文章と、全国から集まった

「宿題」で、中身は十分に魅力的だ。だから、あとは見栄えにかかっていた。シンプルだけれども1ページ1ページに思想とストーリーが

詰まっていて、そして同時に全体が一つのテーマで力強く貫かれたものを作りたかった。

その夢は多分、十分すぎるほどに叶った。

 

完成品は駒場祭に来て見て欲しい。11.22(日)の15:30-17:30、駒場キャンパス13号館1階の1313教室で完成品を無料配布する。

写真をふんだんに使ったこのパンフレットは、駒場キャンパスの写真集としても通用する美しさになったと自負している。

感性の合う写真家とのコラボレーションは本当に楽しくて刺激的だ。僕にとってとても大切な一冊が出来上がった。

協力して下さった方に心から感謝したい。

 

最後に、駒場祭立花ゼミの企画について宣伝して、前日の記事を終わりにしよう。

今日から三日間、沢山の人が来てくれますように。僕を発見したら気軽に声をかけてくださいね。

 

【東京大学 立花隆ゼミナール 2009年度駒場祭特別企画 「二十歳の君へ」 】

 

◆立花隆 最終講義 「二十歳の君へ」  11.22(日) 15:30-17-30  於.1313教室

(講演者:立花隆  総合司会:木許裕介  ディレクター:西田祐木  コーディネーター:内藤拓真)

20歳のころの経験で、人生は大きく動き出す。20歳前後に何を見て、何を読み、何をするのか。

文学・哲学・科学・医学…様々な分野の知を自由に越境し、縦横無尽に織り交ぜながら、「知の巨人」立花隆が贈る最終講義。

受験生や二十歳前後の大学生にはもちろん、小学生から大人まで楽しめるスリリングで知的な時間。NHKのカメラも入ります!

 

◆「二十歳の君への宿題」パンフレット

日本全国の大人から、二十歳の君へ200のメッセージ。一人ひとりの経験に基づいた、温かくも厳しい「宿題」が満載。

立花隆の「二十歳の君に贈りたい言葉」やゼミ生の「二十歳のころ」など、ここでしか読めない記事も多数収録。

ゼミ生:栄田康孝による駒場の四季をとらえた美しい写真と木許裕介のコラボレーションによる

フルカラー80ページのこの冊子、講演会に来場された方にはなんと無料で配布致します!

 

◆プリクラ&「壁」(21日から23日まで終日設置)

ついに東京大学にプリクラ機あらわる!ユータス君やゼミ生手作り東大グッズなど、東大ならではの小道具も準備万端。

サークルのライブや演劇のあと衣装のままで、模擬店のあとクラスTシャツのままで…みんなで写真を撮ろう。壁に落書きしよう。

自分の「今」をここに残そう。

生存報告

 

 しばらく更新が途絶えておりましたが、ちゃんと生きています。

駒場祭の準備のため、ゼミの仕事に追われて毎日原稿用紙のマス目と戦っていました。徹夜なんて当たり前で、今のところ

二日と半日まで徹夜したのが記録となっています。デザインの仕事はどこか自分を削ることが必要とされるので、

80ページのパンフレットを作り上げてもうボロボロな感じです。

ちなみに、今は立花事務所で徹夜の作業を行っています。今日は流星群が見れるそうなので、朝方に猫ビルの屋上から

流星群を見に行きたいと思います。更新すべきネタはたくさんあるので、また一息ついたら更新しますね。

 

巨星堕つ。Claude Lévi-Strauss est mort.

 

 レヴィ・ストロースが逝去された。享年100歳。101歳の目前だった。

この死が意味するところはとても重い。フーコー、バルト、デリダ、メルロ=ポンティ、ドゥルーズ、レヴィナス、ラカン、バタイユ…

フランス現代思想を牽引してきた(そして、世界に影響を与えてきた)人々は、みな既に他界していたが、ついにレヴィ・ストロースまで

この世の人ではなくなってしまったのだ。フランス現代思想における、巨匠の時代が終わったと言っても言い過ぎではないだろう。

 

 実は、レヴィ・ストロースについて僕は昨年まで良く知らなかった。彼の思想については概説書を数冊読んだに過ぎず

通り一遍の知識をかろうじて持っているだけだった。しかし、フランス科に進学するにあたり、授業で彼の『構造人類学』を原典で

読み始めて以来、その思想の魅力にどんどんと引き込まれていった。文章では「構造主義を確立した」と一行で書くことができるが、

「構造主義」の深遠さ、そして構造主義が世界に与えた影響はいくら紙面を割いても書ききれるものではないだろう。

 

思想のみならず、彼の人柄も僕にとっては魅力的に思われる。

『みる、きく、よむ』(1993)を読むと、彼が音楽に対しても造詣が深かったことが分かる。

ワーグナーとストラヴィンスキーの音楽を愛し、作曲家になりたかった(作曲家がだめなら指揮者になりたかった)そうだ。

僕が今できることはひたすら著作を読んでレヴィ・ストロースの思想を朧げに掴むことしかないけれども、訃報に接して、

立花ゼミでレヴィ・ストロース追悼企画を立ち上げようと決心した。

 

 高度な専門性に立脚しつつも、広く深い教養を同時に持ち、思想界をひっくり返すような書物を書き続けたレヴィ・ストロース。

いま、残された書を読むことでその筆に直接触れることが出来ることを幸せに思うと共に、巨匠の死に心からご冥福をお祈り致します。

 

 

 

寒波

 

 11月3日。文化の日だ。そして今年の文化の日はとても寒かった。

家のドアを開けた瞬間、「キーン!」と音が聞こえてきそうなほど冷え切った空気が流れ込んでくる。冬の匂いがする。

寒さに少し辟易しながらも、季節の変化が面白くて、どこかワクワクしながら外へ出た。といっても、特に行くアテがあるわけではない。

だが、僕にとって文化の日は特別な日なので、何はともあれ街に出かける。秋冬用のスーツを一着買おうと思っていたことを思い出し

小田急線に乗って新宿へ向かう。車内にはクリスマス特集などという広告がかかっており、もうそんな時期なんだなと驚かされた。

 

 新宿はたくさんの人で賑わっていた。

車道は閉鎖されて歩行者天国になっており、人々が無秩序に行き交う。すれ違うたびに様々な香水の匂いがする。

Diorのファーレンハイト、Nicosのスカルプチャー、ブルガリのソワール…寒さのせいか、少し重めの香りが多い。

名前まで分からなかったがバニラとリンゴの混じったような香りに何度も遭遇した。ニナリッチだろうか。

歩いてゆく人のその少し後ろを、その人の香りが影のようについてゆく。ある人の香りとある人の香りが交差する。

「香りの影」の交わりは新しい香りを一瞬生み出し、それはたちまち風に散らされる。偶然の芸術が雑踏に生まれる。

 

 沢山の人々が至る所に口を開けた店へ吸い込まれてゆく。いつもなら静かなはずの宝石屋は着飾ったカップルで混雑しているし、

マツモトキヨシはいつもの20%増しぐらいの音量とスピードで「タイムセールですよ!時間限定ですよ!!」を連呼している。

道のど真ん中で小さな子供が思いっきり転んで泣くのを見て、ホスト風の兄ちゃん軍団がすれ違いざまに目を細めて笑う。

ちょっと幸せな光景だ。

 

 人の流れを避けるように裏道に入り、スーツを見て回ったり画材屋でキャンバスや油絵具を見たりするうち、すぐ日が暮れる。

日が落ちると寒さが染みる。寒い。これは飲まずにはいられない。ということで落語で有名な末広亭の近くに入って一杯だけ飲む。

そして外へ出ると、明るいネオンに彩られた新宿の街を見下ろすかのように、ネオンよりずっと明るく透き通った光を注ぐ満月が

空にあった。この光の美しさは他のどんな光をしても真似できない。その綺麗さに、雑踏の中で空を見上げて息を飲む。

2009年の文化の日は、満月の光と冬の寒さが染み渡る日になった。

 

 珍しく日記なのは理由がある。

先日、六本木の国立新美術館にハプスブルク展と日展を見に行ったのでその感想をここにあげようと思って20行ぐらい書いていた

のだが、パソコンの機嫌がよろしくなかったようで、眼を離したスキに全消去されてしまっていた。かなり細かく書いていたのに・・・。

まあそういうわけでたまには日記である。また書き直す気になったら展覧会の記録を書きたい。

特に日展で見つけた二枚の凄い絵についてはいつか必ず書き直したいと思う。これは本当に凄かった。

 

 なお、本日は竹田青嗣『現代思想の冒険』(ちくま学芸文庫,1992)を読了。現代思想の展開や概要がコンパクトに纏められており

アウトラインを復習するには読みやすい本だ。現代思想の入門書としても使いやすいだろう。

原典からの引用が多々あるが、それが誰の訳によるものなのかがはっきり書かれていない(はず)点だけがやや残念。

ちなみにこの文庫本、表紙がデニム地みたいで面白いです。

 

音韻論と構造主義 その2「弁別的素性 caractère distinctif 」

 

さて、先日の続きから書きます。

音韻論と音素とは何なのかを概説し、音素を弁別的素性に注目して分類する、ということでしたね。

その弁別的素性にはいくつかの種類があります。『ソシュール一般言語学講義』によれば、音素を還元する図式において、

考慮すべき要素は以下の四つだとされています。

 

1.呼気 expiration 

 ⇒一様で恒常的(義務的)な要素。どんな音素を作り出すときでも、息をしないわけにはいきませんものね。

 

2.声 voix

 ⇒一様で選択的な要素。とりわけ、声門で作られる音としての喉頭原音laryngéを指していると考えてよいでしょう。

  声は音素によってあったりなかったりする要素ですね。たとえばpやfは喉を震わさず出すことができます。

 

3.鼻音性nasalité

 ⇒鼻腔 canal nasalを開くこと。一様で選択的な要素。鼻腔は使っても使わなくても音が出せます。

 

4.口腔の調音articulatin buccale

 ⇒多様で恒常的(義務的)な要素。我々はある音を出すとき、舌など、口の中の器官をしかるべき 位置に移動させて

  その音を出します。音によって口のなかの器官の位置は異なるので多様、しかし口のなかの器官は必ずどこかに位置せねば

  ならないので、恒常的(義務的)な要素だと言えます。

 

さて、この4つの分類の中で最も重要で基本的なものはどれでしょうか。感覚的に4番目が重要な気がしませんか?

そうです、口の中の器官の位置こそが音素を最も大きく左右しているのです。従って、ここで、4の要素をベースにして、

そこに2.3(1は一様で恒常的要素なので除外)の強弱程度を重ねれば音素の分類が出来るという発想に至ります。

そこで、まず4についてさらに細かく見てみます。ソシュールによれば、口腔の調音は結局のところ口腔の閉鎖程度

(要するに、どれぐらい口を開けるか)という尺度に関係づけられます。ということは、まずは口腔の閉鎖程度を分類し、

そこに上乗せされる変化として声と鼻音性の要素の有無を考えていけば良いのです。

表にしやすいように、「声」があることを+声、「鼻音性」があることを+鼻音性と表記しましょう。

 

【調音:開口度0=口の完全閉鎖】

 

               +鼻音性

     p,k,tなど   既知言語になし

+声  b,g,dなど    m,nなど
       ↓         ↓
    有声閉鎖音   鼻音有声閉鎖音

 

テキスト形式では表が書きづらいですね。見づらくてすみません。まあとりあえずこの表を見ながら実験してみましょう。

p(フランス語では「ぺ」)を発音します。口をほとんど閉じた状態でも「ぺ」は言えますね?このとき、喉は震えていないはずです。

そこで、同じ口の状態のまま、b(フランス語では、「ベー」)を発音してみてください。喉が震えたでしょう?

これが口をほとんど閉じた状態で喉を震わせて出す音、つまり有声閉鎖音です。

同じようにして見ていけば鼻音有声閉鎖音なんてのも何のことか簡単に理解できると思います。

このような表の形式を作り、あとはどんどんと口を開けてゆき、口の開き具合に応じて音素を表に振り分けていくだけです。

つまり,

 

【調音:開口度1】

【調音:開口度2】

【調音:開口度3】

【調音:開口度4】

【調音:開口度5】

 

というふうに。(それぞれの表をすべて書こうかと思いましたが、煩雑になるのでやめておきます。)

 

レヴィ・ストロースによれば、『構造人類学』に La naissance de la phonologie a bouleversé cette situation. 

およびLa phonologie ne peut manquer de jouer, vis-à-vis des sciences sociales…とあったように

音素や音韻論が社会科学に革新的な役割を果たしたことが説明されていました。音素や音韻論がどのように社会科学を変えたか、

そしてそれがどのように「構造主義」の確立に繋がっていったのか。構造主義、とりわけレヴィ・ストロースによる「人類学」においては

数学における「群論」の影響も頭に置かなければならないでしょうが、ひとまず、構造主義における「構造」というタームが、

「他の一切が変化するときでも、変化せずにあるもの」と定義出来ることを考えたとき、そこに音素や音韻論との関連を

明確に見ることが出来るでしょう。

 

具体的な関連に関してはAntholopologie Structuraleを読み進めていくうちに、改めて纏めてみたいと思います。

並行してRoman Jakobsonの著作もしっかり読んでみようとamazonでヤーコブソンの『一般言語学』をチェックしましたが、

5670円という値段にひるんでカートに入れるまでには至りませんでした。一冊5000円を超えると簡単には買えませんね。

(どうでもいいことですが、『一般言語学』の装丁の色遣いが今日着ていたTシャツと酷似していて微妙な既視感を覚えました。)

ヤーコブソンの本は神田の古本屋に置いてありそうな気もするので、今週中にでも神田ツアーに出かけたいと思います。

駒場祭では22日の立花ゼミ「二十歳の君へ」企画だけでなく、翌日にある弁論部主催の北岡伸一教授の講演会と討論会に

代表として出ることになりそうなので、「人間の安全保障」に関する書籍も神田で買い込んでおくつもりでいます。

とはいっても具体的には何を買うか決めていないので、「人間の安全保障」に関するおススメの本がありましたらぜひ教えて下さい。

 

今日は夕方まで空がとても綺麗でしたしフルートの調子も良かったので、良い週末を過ごすことが出来ました。

明日から寒くなるそうなので(東北では雪が降る可能性があるらしいです。北海道は予想最低気温がマイナスになっていました。)

皆さんも体調には気をつけてお過ごしください。「二十歳の君への宿題」、まだ投稿されていない方はお早めにどうぞ。

 

音韻論と構造主義 その1「音素」

 

 

今日は自分の勉強を兼ねて少し固い話題で。

Claude Lévi-Straussの『構造人類学』を読んでいると、音韻論 La phonologie について言及される部分に多々ぶつかります。

たとえば、

La naissance de la phonologie a bouleversé cette situation. Elle n’a pas seulement renouvelé les perspectives linguistiques : une transformation de cette ampleur n’est pas limitée à une discipline particulière. La phonologie ne peut manquer de jouer, vis-à-vis des sciences sociales, le même rôle rénovateur que la physique nucléaire, par exemple, a joué pour l’ensemble des sciences exactes. En quoi consiste cette révolution, quand nous essayons de l’envisager dans ses implications les plus générales? C’est l’illustre maître de la phonologie, N. Troubetzkoy, qui nous fournira la réponse à cette question. Dans un article-programme (i), il ramène, en somme, la méthode phonologique à quatre démarches fondamentales : en premier lieu, la phonologie passe des l’étude des phénomènes linguistiques conscients à celle de leur infrastructure inconsciente; elle refuse de traiter les termes comme des entités indépendantes, prenant au contraire comme base de son analyse les relations entre les termes ; elle introduit la notion de système : « La phonologie actuelle ne se borne pas à déclarer que les phonèmes sont toujours membres d’un système, elle montre des systèmes phonologiques concrets et met en évidence leur structure (2) ; » enfin elle vise à la découverte de lois générales soit trouvées par induction, « soit… déduites logiquement, ce qui leur donne un caractère absolu (3). »

(“Antholopologie Structurale ” Chapter2 L’analyse structurale en linguistique et en anthoropologie P.39)

 

音韻論の誕生がこの状況を激変させた。音韻論は言語学の展望を新しくしただけではない。このように大きな変化は、ある特定の学問分野にとどまるものではなかった。音韻論は社会科学に対して革新的な役割を与える。たとえば、精密科学の全体に対して核物理学が与えたのと同じような革新的な役割を。最も一般的な意味において考察しようとするとき、この革命的な変化はどのような点で成り立つのだろうか。音韻論の大家である、ニコライ・トルベツコイはこの問に対する答えを提供している。

ある雑誌論文の中で、彼は音韻論という学問の方法を全体として四つの基本的手続きに帰着させている。まず第一に、音韻論は意識的な言語現象の研究から、無意識的なインフラストラクチュア(下部構造)の研究へと移行する。(第二に)、音韻論は事象を独立した実体として扱うことを拒否する。そして反対に、事象と事象との関係を分析の基礎とする。第三に、それは体系の概念を導入する。(トルベツコイによれば)「現代の音韻論は音素が常にあるシステムの要素だということを明言するだけには留まらない。現代の音韻論は具体的な音素体系を明示してその構造を明らかにする。」のである。

最後に、音韻論は一般的法則の発見を目的とする。これらの法則は、或る時には帰納によって発見されるが、「ある時には論理的に演繹される。そして、そのことが(帰納ではなく、論理的に演繹されることが)それらに絶対的性格を付与する。」

(『構造人類学』第二章「言語学と人類学における構造分析」、拙訳)

 

とあります。しかし一体、音素とは何なのか?とりあえずwikipediaを引いてみると、

 

音素(おんそ)とは、音韻論で、任意の個別言語において意味の区別(弁別)に用いられる最小の音の単位を指す。音声学の最小の音声単位である単音とは異なり、実際的な音ではなく、言語話者の心理的な印象で決められる。音素は/ /で囲んで表記する。音素に使う記号は自由であり、各言語固有の音素文字が使われることもあるし、国際音声字母が使われることがある。なるべく簡便な記号が使われるのが普通である。ロシアの言語学者ボードゥアン・ド・クルトネが初めてその概念を提唱した。

 

という解説が出てきます。次に『ソシュール一般言語学講義 コンスタンタンのノート』を引いてみるとソシュール自身の解説として、

 

「音素は、調音上の動きの一定のまとまりであると同時に、一定の与えられた聴覚への効果からなっています。私たちにとって、音素はどれも連鎖の中の切片です。それらは鎖の輪なのです。(中略)それ以上細かく出来ない鎖の輪tそのものはそれ自身、もはや鎖の輪として、切片として考察されるのではなく、抽象的に、時間の外で考察されます。弁別的な素性 caractère distinctif だけに注目し、時間上の連続に依存するすべてのことを気にかけることなく論ずることができます。それは音符の連なりに似ています。ドレミは決して抽象的には語れませんが、連鎖の中から一様でそれ以上は分割できない切片ドを取りだせば、完全に時間(波動の分析)の外でそれについて語る事ができます。」(P.74)

 

分かったような分からないような微妙なところなので、少し纏めてみましょう。(自学した内容なので正しいかは不明ですが)

要するに、発話の最小単位である音節に対して、音素は「音」の最小単位なのです。

では、「音」の最小単位である音素は、各言語で異なるものなのか?たとえ異なる(恣意的なもの)だとしても言語体系を超えた

「一般的な音素体系」は打ちたてられないのか?この問題を考えるとき、ソシュールの議論を振り返ってみる必要があります。

ソシュール言語学の核の一つは「対象(シニフィエ)と指し示す言語(シニフィアン)の関係は恣意的なもの」であり、あるシニフィエは

「Aでもない。Bでもない。よってこのような特徴を持つものを、Cと呼ぼう。」というように差異化のシステムによって

指示され、認識されるということでした。

 

では、この議論を音素についても適用できないか?

つまりある音素とある音素を「違うもの」とする判断基準、すなわち差異化の軸に注目してみるわけです。

各言語体系を超えて共通している音素の差異化の軸を見つけ、それに従って音素を分類していくことによって「一般的な音素体系」を

確立するという発想です。そして、この「音素の差異化の軸」こそが、上に引いた『ソシュール一般言語学講義』の中に見られた

弁別的素性 caractère distinctif 」に他なりません。

 

音素を弁別的素性に基づいて分類していくこと。では、その弁別的素性はどのようなものに分けられているのでしょうか。

かなり長くなってしまったので、弁別的素性の諸要素については次の記事で書くことにしましょう。

 

伽羅珈琲と『現代言語論 ソシュール・フロイト・ウィトゲンシュタイン』(新曜社)

 

 先日の記事に「虫垂炎で倒れてます。」と書いたところ、沢山の方からメールを頂き、びっくりしました。

クラスの友達やゼミの友達に限らず、結構様々な方が見ていらっしゃるんですね。ご心配をおかけして申し訳ないです。

点滴を受けて抗生剤を飲み続けた甲斐あって、虫垂炎の方はほとんど完治しました。かといっていきなり動き回るのも怖いので、

数日は自重気味に過ごすことにしています。空き時間にはフランス語をやったり本を読んだりしているので今までと変わりませんが、

珈琲を一日一杯までに控えているのは大きな変化かもしれません。(一杯は飲まないと何か落ち着かないので)

 

 今日は五限が休講になったので、家でまったりしつつ立花ゼミの仕事をこなし、昼からはノートPCと本を持って自転車で出かけました。

そして西太子堂の病院に行って経過を見てもらった後、ゼミまで時間があったので三軒茶屋まで足を伸ばしてみました。

三軒茶屋に来たのははじめてだったのですが、お洒落なお店や美味しそうなお店を沢山発見しました。

騒がし過ぎることもないし寂れているわけでもない、個人的には好きなサイズ感の街です。関西で言うなら元町みたいな感じかな。

 

 東京である程度栄えた街にはもはやお決まりの自転車大量放置にはやや辟易としましたが、駅前には無印良品やドトール、スタバが

密集しており、時間を潰すのには苦労しなさそうです。どこかに入って本でも開こうと思い辺りをうろうろしていると、中々渋い店構えの

珈琲屋を見つけたので入ってみました。(後で知ったのですが、ここは地元の人には結構有名な珈琲屋さんだったようです。)

 

 店名は「伽羅珈琲」。パッと見ると漢字四文字の画数の多さ(というか見た目の複雑さ)になんだか圧倒されます。

店内はカウンターがメインで、いくつかあるテーブル席を入れても15人ぐらいで満席になりそう。大人数で来るところではなく、

一人の時間を楽しんだり、二人でゆっくりと話し込むのに使うべき場所だと思います。今回はお客さんがあまりいない時間帯だったのか

適度に空いていたので、誰も座っていないカウンターの真ん中に座らせて頂きました。そして迷わずブレンド(550円)を注文。

 

 カウンターの奥の棚には美しいカップが整然と並べられており、それを見ているだけでも飽きません。

珈琲好きとして僕も淹れ方にはこだわりがあるので(というよりは、プロの淹れ方から色々と盗んでいきたいと思っています。)

棚だけでなくマスターが珈琲を入れる様子も集中して見ていたのですが、蒸らしは短めで一気に湯を注ぎ切るタイプの淹れ方を

していらっしゃいました。美味しい珈琲を出されるお店ではいつも感じることなのですが(伽羅珈琲のマスターもそうでした)

プロが珈琲を淹れるときの顔つきの真剣さはとても素敵ですね。精神を集中して目の前の一杯にかけるその様子は、

まさに「職人」を感じさせます。僕が珈琲の美味しさを本当に教えて頂いた、神戸の『樽珈屋』というお店のマスターは

「一杯の美味しい珈琲に辿り着くには、1.良い生豆を選定する目 2.質の高い焙煎技術 3.淹れ方の技術 が高いレベルで必要。

たった一杯の飲み物かもしれないけど、そこには沢山の技術が詰まっている。それぞれの店のマスターの個性そのものだよ。」

と言うような内容の事をおっしゃっていましたが、様々な珈琲屋に足を運ぶたび、珈琲を淹れる真剣な顔を見ては

この言葉を思い出します。

 

 待つこと数分、繊細なカップ(食器にはあまり詳しくないのですが、たぶんGINORIのカップだったと思います。)で出された珈琲は

非常に香ばしく、深い味。酸味も苦味もそれなりにありますが、のど越しは淡い甘みを感じさせます。とがったところの無い味です。

少し温度が下がって来てから飲むと甘みが最初より強く感じます。どことなく高級なクッキーやビスケットの味を思い出しました。

ほっとする味で、お店の雰囲気と合っていてとても落ち着きますね。

 

 ひとしきり味を楽しんだあとは、持ってきた本を開けてゆっくりと時間を過ごさせて頂きました。

本を開けて気づいたのですが、このカウンター、光量が絶妙です。店の照明自体は全体としてかなり薄暗くしてあるのですが、

カウンターで本を開けてみるとページに柔らかくスポットライトが当たったようになり、周りの暗さと相まって文字がとても読みやすい。

映画のワンシーンのような、というと言い過ぎかもしれませんが、そんな感じで落ち着いて本に集中することが出来ます。

良い喫茶店に巡り合いました。これからも時々行ってみたいと思います。(あとは分煙だったら最高なんですが、そうもいきませんね。)

 

 喫茶店を出てゼミに向かい、あれこれとゼミで時間を過ごしたあとは指揮のレッスンへ。

今日は平均運動を使ってコラールを振らせて頂きました。平均運動メインとはいえどもフェルマータが頻発する曲なので、

呼吸を調節するのが大変です。伸ばし過ぎるとわざとらしくなるし、早めに切り上げるとどこか物足りなくなってしまう。

次の拍に行きたくなるところをあと一呼吸だけ粘るように意識すると少しは上手くいったように思います。

いつもどおり師にお手本を見せて頂いたのですが、びっくりするぐらいこの曲が自然なリズムと息遣いで流れていきました。

余りにも自然なために、師が振るのを見ているとこの曲が簡単そうに見えるのですが、いざ自分が振ってみるとやっぱりどこか違う。

フレージングがぎこちない。フェルマータの伸ばしにも迷いが感じられる。(振っている僕が迷っているわけなので当然ですね・・・。)

自然な息遣いというのは本当に難しいものです。自然を意識した瞬間にそれは自然でなくなる。

「自然にやるぞ。」と思って振り出すと、流れてくる音楽はおよそ自然とは言い難い、力みが感じられるものになってしまいます。

「こうでなければならない」という経験に裏付けられた確信によって、何も考えなくても勝手に体が動くこと。楽譜と格闘するのではなくて

ただ音の中に生きて呼吸すること。バトン・テクニックのみならず、そういった説明不可能なものを師からしっかりと学びとらねば

ならないなと痛感します。来週までにしっかりと考えて練習せねば。

 

 なお、本日は新曜社から出ているワードマップシリーズの『現代言語論 ソシュール・フロイト・ウィトゲンシュタイン』を読了。

レヴィ・ストロースの『構造人類学』を原典で読んでゆく過程で、音韻論などの言語学的な知識を補強することが必要だと感じたので

しばらくは集中的に言語学関連の書籍を読み漁ることにします。新曜社のワードマップシリーズは浪人中に購入した

『現代文学理論 テクスト・読み・世界』や『現代文学理論のプラクティス』でもお世話になりましたが、コンパクトに纏まった概説と

豊富な巻末の参考文献一覧(正確には「ブック・ガイド」と題されている。これだけでも買う価値があると思います。)が相変わらず

素晴らしい。このシリーズには外れが無いので、いずれ全巻揃えることを考えています。

 

(追記:塚原先生のホームページを見たところ、以前このブログで紹介したことがきっかけとなって『理性の限界』(講談社現代新書)を

お読みになられたとのことです。先生がホームページで紹介される本を参考にして「これから読むリスト」に入れている僕としては

ちょっと嬉しいものがありました。先生はお仕事をなさっているにも関わらずあれだけお読みになるのだから、学生の僕はもっともっと

読めるはず。『二十歳の君への宿題』を集めていて身に染みたのですが、学生なんて社会人の方から見れば気楽で暇なものなのです。

重い責任を負っているわけでもないし、信頼に立脚しているわけでもない。

いくら忙しいと言っても、誰か別の人のために忙しいわけではなく、結局は自分がやりたいことをやって忙しくなっているに過ぎません。

20歳はとうに過ぎてしまいましたが、そう考えると僕は学生の身分でいられる間にもっと沢山のことが出来るはずだし

やらなければならない。フランス語の勉強を理由に最近一日一冊ペースが崩れていたので、ここらで立て直したいと思います。)

 

 

Casanier

 

 虫垂炎が悪化し、しばらく自分の力で起き上がる事が出来ない状態が続いていた。もちろん大学もすべて休んだ。

小学校以来、滅多に学校を休むことが無かった(中学・高校と六年間皆勤した。果たしてそれが良いことかは分からないが。)ので、

なんとなく罪悪感が残る。しかし薬が効いてきたのか、ゆっくりと歩く限りでは何とか歩けるようになった。とはいっても、歩くたびに

震動が腹部に響いて痛いし、背筋を伸ばそうものなら激痛が走る。無理は禁物ということで、極力動かないようにしている。

溜まっていたメールの返信をこなしたり積んでいた本を消化したり『シェルブールの雨傘』を観たりする間に時間が過ぎ去ってゆく。

一度も外に出ない間に朝日が夕日に変わり、闇が辺りを包む。

ちょっと空しい。出たいときに外へ出ることが出来る、というのがどれほど幸せなことか実感した。

 

 暇が出来た時にパソコンを開くと、ついやってしまうことがある。

amazonや楽天にアクセスし、買う金もないのに買い物カートに欲しいものを手当たり次第に突っ込む。一万円、二万円・・・十万円。

あとは「完了」ボタンを押せば注文が確定する、その状況まで手順を進めて、ウィンドウの右上の×印を溜息とともにクリックして閉じる。

傍から見るとかなり可哀そうな光景かもしれない。でも、やっている本人はちょっと楽しかったりする(笑)

 

 買い物カートを閉じたあと、いつものように立花ゼミのページにアクセスする。

こうやって布団に臥している間にも、駒場キャンパスの壁 http://kenbunden.net/kabe/ はどんどん落書きで埋まっていくようだ。

URLをクリックして見てもらえれば分かるが、数日前までは落書きがほとんど無い状態だった。

そこでいくつかの落書きを実験的に書いておいた。すると、後は加速度的に落書きが増えていく。

落書きの方向性は様々だ。下ネタ、サークルの宣伝、アート・・・だが、落書きの醍醐味は「コラボレーション」にあると僕は思う。

誰かが書いたメッセージに見ず知らずの誰かがレスをつける。誰かが書いた不気味な顔に、同じく見ず知らずの誰かが体を書き加える。

一方で、アーティスティックな模様の落書きが発生すると「その上には落書きしない」なんて暗黙のルールがいつしか発生するように、

全体としてはカオスなのだが部分的に秩序が自然発生する。あの匿名掲示板の雰囲気に良く似ていて面白い。

 

 「壁」と並行して進められている『二十歳の君への宿題』 http://kenbunden.net/20/todo.html も熱が入ってきた。

このブログで書いたのを見て下さったようで、「つかはらの日本史工房」でも宣伝して下さっていた。塚原先生ありがとうございます。

だが、まだまだ数が足りない。もっともっと「宿題」が欲しい。多様な年代から、多様なメッセージを集めなければならない。

というわけで、マスコミや出版社に乗り込んで宣伝させて貰うことを本気で考えている。上手くいったらまた報告します。