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心が満ちるまで。

 

一度コンサートを終えると、その準備にかかった時間や諸々の雑事などに疲れて、

あるいは自らの未熟さを痛感し、しばらく間を空けようと思う。

 

だが、それも一ヶ月経つと限界。

僕はもう、うずうずしている。また指揮がしたい。みんなの音が聞きたい。

指揮をするのは壮絶にエネルギーを必要とする。演奏者集めから曲選に始まり、自分の精神状況の準備に至るまで、

どれ一つとして簡単に済ましてしまえるものはない。けれども、自分が尊敬する、大好きな奏者たちがそれぞれの音を一つに集めようと

してくれているのを感じるとき、すべての苦労を超える幸せを噛み締めずにはいられない。

 

本番前の言葉にならぬ高揚、幕間のざわめき、すべてを終えた後の虚脱感と充実感。

後日、演奏を聞いて下さった方が言葉にして感想を綴って下さったものを目にする時の幸せ。

今までの人生の中で、これほどまでに感情を揺さぶってくれるものを僕は音楽以外に知らないし、

おそらくこれからもそうであり続けることだろう。ドミナント室内管弦楽団のみんなと

ストラヴィンスキーの終曲を本番にしか生まれ得ぬ熱気の中で演奏しているとき、

あるいはヴィラ=ロボスを心から溢れるような思いで演奏しているとき、

痺れる頭で、自分は今ここで確かに生きているのだと気付いた。

 

もっと指揮がしたい。もっと本番を振りたい。もっとステージに立ちたい。

休息は終わりだ。日々を淡々とこなしながら、次に向けて動き出さなければならぬ。

 

 

 

音の「密度」

 

レオノーレ三番を終え、いよいよベートーヴェンの交響曲第一番に取り組んでいる。

ベートーヴェンに入ってみて明確に分かったことが一つある。それは音の「密度」の問題だ。

そして音の「密度」こそがテンポやダイナミクスの限界レンジを決定づけているように思う。

 

 

たとえばレオノーレ三番やベートーヴェン一番冒頭のAdagioの部分。

フルトヴェングラーぐらいのじっくりしたテンポで僕が振るとその重さに耐えきれず、流れが消えて鈍重になってしまう。

しかし同じテンポであっても先生が振って下さると、流れが見え、緊張感を放ちつつ悠々として音楽が進み始める。

重さに意味がある、と言えばよいのか。一つ一つの音の中身がぎっしり詰まっていて

(まるで一つの音符・和音の中に無数の小さな音符がぎっしり充填されたような!)音と音の合間に隙間が見えない。

だからあのテンポに耐えきれる。耐えきれるどころか雄弁になる。

そこにはもちろん、86という年齢を迎える師匠の深い深い呼吸も影響しているのだろうが、それだけではなく

引き出されている一つ一つの音の「密度」が全く違うのだ。

師の棒でブラジル風バッハ四番前奏曲を弾いたあるヴィオラ奏者がこう言っていたことを思い出す。

「今まで出したことのないような音が楽器から出た。伸ばしの音を弾いている間に水墨画のような空間が見えた。」

 

棒だけで音の密度を高めうる。

どうしてそんなことが起こるのか、感覚的には分かりつつあるのだが、まだ上手く言葉にすることは出来ない。

ベートーヴェンの偉大な九曲の交響曲をレッスンで見て頂く過程で師から何としても学ばなければ(盗まなければ)

ならないものの一つは、この「密度」の表現だろう。

 

ベートーヴェンの先にはブラームスの四曲が聳え立つ。

5月にはプロでブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」を振ることにもなった。

どれもベートーヴェン以上にこのことが問題になる曲ばかり。

2012年は音の「密度」をテーマに、指揮というこの底知れぬ芸術を学んでゆく。

 

 

 

 

 


ルロワ・グーラン『身ぶりと言葉』(ちくま学芸文庫,2012)

 

 

ルロワ・グーランの『身ぶりと言葉』をようやく手に入れる。

絶版を知って以来数年間必死に探し回った本だったが、ちくま学芸文庫でついに復刊された。

ちなみにこの本、松岡正剛さんが「千夜千冊」というサイトでお薦めされているのでも有名だが、

そこではLe Geste et le ParoleとParoleの冠詞が男性になってしまっていることに気付いた。(正しくはLe Geste et la Parole)

それはともかく、帰宅して早速読み始めているが、凄まじく面白くてわくわくするのを抑えることが出来ない。

明日の「週刊読書人」のウェブ書評欄でも取り上げてみたいし、ここでも後日詳細にまとめを書こうと思う。


La crise actuelle ne deviendrait inquiétante que si, comme pour le social,

le rapport entre la masse passivement consommatrice d’art et l’élite créatrice entraînait une dégradation du tonus de recherche…

東京へ。

 

東京へ戻って来た。

帰省している間、何一つ不自由の無い日々を送らせてくれた家族に心から感謝する。

自分が親になったときに、子供をこうやって迎えてあげることが出来るだろうか、と。

 

さあ、また刺激的な毎日が始まる。

一人寡黙に内省する時間を失わず、しかし立ち止まっている暇はない。

東京は動けば動いた分だけ何かを得る事の出来る街だと思うから。

 

 

旧友たちと。

 

中学校・高校時代の同級生たち四人と遊ぶ。

彼らとはなんと小学生の時に通っていた塾のころから知り合いで、もう十年以上もの付き合いになる。

 

中学一年生のころを思い出す。

テスト前日にも関わらずその友達の家にみんなで押し掛けた。

「テスト勉強をする!」というのはもちろん口実、最初の30分だけ机にみんなで向かったあとはひたすら任天堂64のスマブラをやり続けて

翌日のテストを悲惨な結果にした。別の日にはひたすら007ゴールデンアイで弾を打ち続け、その滑稽さと面白さに涙が出るほど笑った。

マリオカートをやってはショートカットコースを研究するために何度も何度も同じコースを走りまくり、

マリオテニスをやってはコントローラーのスティックが折れそうなぐらい熱中した。そんな中学生時代を僕らは過ごしていた。

 

 

 

12年後、24歳。

あの時と同じ友達の同じ家で、同じゲームに興ずる。

弁護士、弁護士、会計士、医者、指揮者(?)…五人はそれぞれ自分の進む職業やパートナー、あるいは熱中するものを見つけ、

それぞれの人生を生きていた。12年前とは違う風貌、会話、たたずまい、手にはお酒。

けれどもゲームが始まると12年前と何一つ変わらない叫びをあげ、笑い、本気になり、真剣に遊ぶ。

ゲームを触るのは久しぶりだったけれども、身体が自然と操作を思い出し、微妙なタイミングすら勝手に調整出来てしまう。

そして何気ない瞬間に「ああ、こいつはこんな奴だったなあ」とかつての記憶が蘇ってくる。一緒にバカをやった時間がありありと浮かんでくる。

笑うフリをしながら、記憶とともになぜか込みあげてくる涙をこらえていた。

 

 

 

色気のない六年一貫男子校だった。

でも、だからこそこうしてサバサバと、しかしガッシリと縁が続いていくのはとても素敵なことだ。

「真の友人とは連絡をこまめに取り合う人ではなく、久しぶりに再会してもかつてのように接することが出来る人間のこと」

そんな言葉を聞いた事があるけれども、まさにそういう関係なのだと思う。

 

さて、次に会うのはいつだろう。そしてまた12年後にはどうなっているのだろう。

日が変わる頃に解散し、ひとり静かに闇夜を歩く帰り道、

今年はじめての雪が落ちてくるのを手にそっと受けとめた。

 

 

 

 

 

 

2012年、バランタイン30年。

 

あけましておめでとうございます。

現在、一月一日の午前二時。ベートーヴェンの交響曲一番を勉強していたらいつの間にか日が変わっていました。

この曲は冒頭から「ええっ!」と驚くような和音ではじまり、調性が安定しないまま序奏を終え、Allegro con brioで

ようやく走り出します。そして走り出してからはモーツァルトの四十一番「ジュピター」の第一楽章が確かにその中に聞こえるのです。

伝統と革新を同居させ、「これからは俺の時代だ!」と意気込むような、若きベートーヴェンの野心が見える気がします。

新年一発目に勉強するのにこれ以上相応しい曲もないかもしれません。

 

 

勉強にキリがついたところで出して来たお酒がこのバランタイン30年。

色々な巡り会わせがあってこうして飲む機会を得たお酒なのですが、

今の僕には不釣り合いなぐらい上等な一本で、その余韻に思わずうっとりしてしまいました。

 

 

30年、ということは僕の年齢よりも六つも年上のお酒なわけです。

このお酒の年齢と同じになったころ、つまり2018年に僕はどうなっているのだろうか。

結婚してもしかしたら子供の一人でもいるのかもしれないな、などと考えながら、

大切に大切に、時間が深く刻まれたこの琥珀色の芸術を堪能するのでした。

 

ともあれ、乾杯!

2012年も実り多き良い年になりますように。

バランタイン30年とベートーヴェンの1番

バランタイン30年とベートーヴェンの1番。手前はブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」。

 

 

祭りと孤独

 

12月の暮れ、久しぶりに戻ってきた街を歩きながらぼんやりと考える。

大晦日とあって街は人で溢れ、いつもとは違う景色を見せている。けれども思い出は確かにその街の至る所に刻まれていて

ひとりでに足が進み、次々と過去の記憶が蘇る。ひとしきり思い出に身を浸し、電車に乗り込んで現実へと戻ってくると、

この一年がもうすぐ終わることに改めて気付く。

 

振り返れば失ったものも得たものも大きい一年間で、同時に、今までで最も変化に富んだ一年間だった。

一年の中で中心にあったのはやはり音楽、指揮を学ぶことだっただろう。

あの頼りない一本の棒を握って、いくつもの曲とともに僕は2011年を過ごしてきた。

今年実際にステージで振った作曲家だけを挙げてもかなりの数になる。

モーツアルト、プロコフィエフ、チャイコフスキー、シベリウス、ストラヴィンスキー、ブリテン、ヴィラ=ロボス…etc.

そして師からレッスンで教わった曲を数えればこの二倍どころではないだろう。

プロオケを振り、チェロ・オーケストラを立ち上げて指揮し、一年前に原型を作ったドミナント室内管弦楽団はコンサートを開けるまでの

形になった。至らない所は数限りなくあるけれども、とにかく沢山の人と、言葉や音で話した日々だった。

 

 

でも、一番話した相手は他でもない「自分」だったはずだ。

オーケストラの前にいる時間以外は、孤独に自分と向かい合う時間を作ろうとしていた。

浪人時代のようにひとり静かに読み、書き、思考し、出口の無い空間で立ち止まり、

一日を勝手気ままに自分の思うように使った。経済的にではなく、精神的に豊かであろうとした。

何かに運ばれて生きるのではなく、混沌の中で揺れ続け、自分で自分を運びながら生きようとした。

浪人中に書き付けて今もなお飾ったままにしてあるこの言葉のように。

 

Man muss noch Chaos in sich haben, um einen tanzenden Stern gebären zu können.“

(You need chaos in your soul to give birth to a dancing star.) — F.Nietzsche: Also sprach Zarathustra

 

 

2011年が終わる。

いくつもの出会いと別れを経験し、祭りと孤独の中にあった一年だった。

この一年間に出会って下さった方々、支えて下さった方々、そして一緒に演奏して下さった方々に心からの感謝を。

どうぞ良いお年をお迎え下さい。

 

 

祈り(Yusuke Kimoto / Photo by Y.Eida)

祈り(Yusuke Kimoto / Photo by Y.Eida)

 

 

 

実家にて。

 

半年ぶりの帰省。

家族はいつもあたたかく、犬は平和そうに炬燵に潜り込む。

母の何気ない一品に、そこに込められた時間と経験を思う。

 

みんなが寝静まった中、黙々と譜読みに取りかかる。

ついにベートーヴェンの交響曲に取り組む時が来た。2012年はこの偉大な九つのシンフォニーとじっくり向き合う。

この楽譜を贈って下さった方の気持ちに恥じないように。

 

Beethoven&Brahms

Beethoven&Brahms

 

中学校の音楽教室で指揮してきました。

 

中学校の音楽教室として、プロの奏者の方々から成る弦楽アンサンブルを指揮してきました。

お仕事としてプロを指揮させて頂くのはこれがはじめて。奏者の方々は僕が日頃楽器を教わる「先生」のような方ばかりで、

駆け出しの僕にとっては恐れ多いぐらいでしたが、幸せな機会を頂いたことに感謝しています。

 

場所は足立区の某中学校の体育館。

普通に壇上で演奏して生徒達がずらっと並んで聞く、といった形式はあまり面白いと思えなかったので、

オーケストラを床に降ろして、その周りを中学生達に囲んでもらう形式を取りました。プルトの一部になってもらうイメージです。

これは師匠が明日館でのコンサートで実践していたスタイルで、それが素敵だなあとずっと思い続けていたので真似してみました。

やっぱり近くで聞いて/見て/入り込んでこその楽しさがありますよね。

 

プログラムはシベリウスのAndante Festivo、ブリテンのSimple Symphony、モーツァルトのアイネ・クライネ一楽章で

「指揮者体験コーナー」(大盛り上がりでした!)、チャイコフスキーの弦楽セレナーデ一楽章、そしてクリスマス・ソングという普通の音楽教室とは

一風異なったものにしてみました。アイネ・クライネの一楽章は、僕がはじめてオーケストラの前に立って振った曲でもあります。

その一年半後にこんな場でこの曲を指揮するようになるとは想像もしませんでした。緊張した面持ちの生徒五人に「こうだよ」と振り方を教え、振ってもらって、

最後に「お手本」として僕が一楽章を最後まで指揮しましたが、自分がオーケストラの前に立って初めてコンサートを開いた一年半前のことが蘇ってきて、

色々と込み上げてくるものがありました。

 

そして終演後、指揮者体験コーナーにも登場した生徒会の会長さんからの挨拶で、

「木許先生みたいに分かりやすく・かっこよい指揮が出来るようになりたいです」という言葉とともに大きな花束を頂きました。

師匠には「あんなのじゃ全然ダメだよ」と一喝されてしまうでしょうが、それでも嬉しかったです。

と同時に、もっともっと精進しなければと気持ちを新たにしました。

 

これにて2011年度のステージはすべて終わり!

プロのオーケストラを二度、チェロ・オーケストラとドミナント室内管の大きなコンサートとサロンコンサートと…沢山の指揮の機会に恵まれた一年でした。

拙い棒に付き合って弾いてくれる方々がいるからこそ、ということに心から感謝して、また師匠の元で勉強に励みたいと思います。

この一年間で一緒に演奏してくださったみなさん、本当にありがとうございました。来年もどうぞよろしく!

 

 

 

 

ドミナント・クリスマスコンサート前日

 

いよいよ明日、ドミナント室内管弦楽団のクリスマス・コンサート本番を迎える。

ドミナント室内管弦楽団を立ち上げてから一年半。こんなに大きくなるとは思ってもいなかったし、

まさかストラヴィンスキーをやることになるなんて考えもしなかった。

 

指揮しているだけでなく、このオーケストラを一から作ってきた身として凄く感慨深いものがある。

緊張はしない。このメンバーと音楽が出来ることを心から楽しみながら、今の僕に出来る限りの演奏をしようと思う。

 

Dominant Christmas Concert2011(Designed by S.Sekine)

Dominant Christmas Concert2011(Designed by S.Sekine)