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政治的パラダイム・シフト

 

 昼からフルートのレッスンに行ったあと、いつものように経堂で8ゲーム投げ込む。

楽器をやると異様に集中できるのでその集中を引きずったまま練習する事ができた。

8ゲームのアベレージが198。8ゲーム中スペアミスがスプリットの時を除いて一つしか無かった。

特に7ピンのカバーが冴えている。僕は7ピンを取る時にはドライ用のボールを使って一投目と同じフォームで肘を入れ、

リリースの瞬間に回転軸を縦(場合によってバックアップ気味にすることもある)に変えて曲がらない球を投げているのだが、

今日はこの時に肘が非常にスムーズに鋭く入っていて、7ピンをミスる気がしなかった。こういう状態がずっと続いて欲しいと思う。

 

 帰ってからは情報メディア伝達論のテストに使うために拾い読みしたものの全体を読んではいなかった

吉田康彦 『「北朝鮮」再考のための60章 日朝対話に向けて』(明石書店)を読了。センシティブな内容なだけに詳細や感想をここに

書くのは避けるが、北朝鮮の実態を知ることが出来るという点では(コラム代わりのTopicsの項も面白い。)良い本であろう。

 

 夕方からはカミュのL’Étrangerを辞書と必死で格闘しつつ読む。和訳なら一時間ちょっとあれば余裕で読めるのに、原書では

二時間かかって五ページがいいとこである。まあでも、このペースでいけば9月中旬には何とか読み終わりそうだ。

夜はA氏に、金森ゼミで集中的に学んだbio-politique及びビオス/ゾーエーの概念や様々な生命倫理の問題を説明した。

ゼミと同じく、一通り説明したあと、最後に「マルタとジョフ」という思考実験を教えてこれについて考えてもらう。

deaf=聾唖者の夫婦であるマルタとジョフは、遺伝子検査の結果、遺伝的な要因による聾でないと分かる。

しかし、マルタとジョフは、子供が自分たちと同じく聴覚障害者であることを望んだ。

この欲望から、着床前診断により、聴覚障害になるような胚を選択して着床させたとしよう。

もちろんマルタとジョフは「子供の幸せ」を思ってそうしたのである。deafの両親の下でははじめからdeafとして生まれ、Deaf culture

に生きたほうが幸せだろうと両親が考えた結果の行動である。

だが、この行為は許されるのか?命を逆方向へEnhancementしているのではないか?

 

 もちろん、はっきりした正解がある問ではないのだが、僕が思う答えはこうだ。

マルタとジョフは夫婦という関係を絶対的な物として信頼を置き過ぎている。自分たちと同じ聴覚障害者の子供を作ったはいいが

夫婦が突然別れてしまって、両親の行方も知れずという状況になった時を考えてみよ。

残されるのは、「わざわざ聴覚障害を持たされた子供」だけである。夫婦の絆が絶対的なもので無い以上、親の意思で子供を

不利なほうへ改造するのは正しい行為ではないはずだ。そしてまた、マルタとジョフの行いは、子供の所属するコミュニティを

生まれる前に限定してしまっている。可能性を敢えて狭める方向へ産み分ける事は、ハンチントン舞踊病を回避するための産み分けと

異なり、非常に不自然なものに映る。

 

 こんな事を議論しているうちに選挙の開票速報が出始めたので、パソコンを立ち上げてニュースをあちこち巡る。

自民党の大敗。大物がバシバシ落選し、壊滅的に議席数を減らしたようだ。その一方で民主党の記録的な躍進。政権交代。

政治というデリケートな問題について確かな思考を持っているわけでもないので、そのことの良し悪しをここで書く立場に僕は無いが、

ただ一つ言えることは、今回のメディアの報道姿勢はあまりにも偏っていたのではないかということだ。とくに読み間違いを巡る報道。

公の場で読みを間違うことはもちろん良いことではないけれど、果たしてあそこまで騒ぎ立てるほどの問題なのだろうか。

子供のように読みの間違いを上げ足取って指摘するぐらいなら政策論争の時間を一分でも多く取った方がよほど有益ではないのか。

(ただ、失言や読み間違いに対する対策が余りにも遅かったことは確かだ。読み間違い自体は大した話ではないが、メディアが

過剰に騒ぎ立てる流れになってしまった以上はもっと対策する必要があった。そして自民党敗北の根本の原因は

首相の能力如何の問題以上に、党内のバラつきや内紛を国民に知らしめてしまったことにあると思う。)

メディアの報道だけでなく、「口が曲がったやつに政治を任せていていいのか」などと発言した某議員なども僕は心から軽蔑する。

口の角度が政治と何の関係があるのか説明してみろと言いたい。いっそ議員をお辞めになって、『口の角度と政治体制の関連』とかいう

トンデモ本でも書いて、Amazonで限りなく☆0に近い評価を貰ってボコボコに叩かれればいいと思う。

 

 まあとにかく、今回の政権交代は一つの政治的パラダイム・シフトと呼ぶに相応しい大事件であろう。

だが肝心なのは政権が交代することではない。民主党のもとで、どのような施策が展開されていくのか、どのような日本が作られて

いくのか、そしてメディアとどのような関係が構築されていくのか注意深く見守りたいと思う。

 

 深夜にはサイバネティクス・システムについて勉強して関連書籍をリストアップする。

パソコンを打ちながら、Amazonで買って届いたばかりのTargusのCooling Podium CoolPadの使いやすさに感動。

万年筆について熱く語れる先輩である機構のHさんが使っているのを見て買ってみたのだが、予想以上に使いやすい。お薦めです。

関連書籍のいくつかをノリで注文してしまったりパーフェクトソルフェージュの課題をいくつかやったりしたあと、朝6時頃に布団にダイブ。

台風が接近しているらしく、窓に打ち付ける雨の音がよく聞こえる。この音を楽譜に起こすと凄い変拍子の譜面になりそうだ。

 

 

韓国料理を楽しむ会 Part2

 

 図書館で勉強しようと思い、自転車で駒場へ行った。

正門を入ってすぐのところで某先生に遭遇。「暇?」と言われ、つい「ええ、まあ」などと答えてしまったため、捕獲されることになった。

これから動こうとしているある企画についてちょっとした話し合いをしたのち、夕方から「韓国料理を楽しむ会 part2」が行われる事を

聞いた。前回は韓国風焼き肉だったが、今回はキムチ鍋だという。星の王子様カレーを美味しいと信じて疑わない僕には

キムチ鍋なんてどう考えても辛そうな食べ物は天敵なのだが、前回も雰囲気が楽しかったし参加することに。いざとなったら

チシャ菜などの葉っぱとご飯だけ食べる(まさに草食系)つもりである。というわけで、準備は熟練の方々に申し訳ないけどお任せして、

御飯が出来るまでハイドンのカデンツァ制作を進めておいた。ある程度の音が取れたので、その辺に散らばっていた紙にザッと書きつけ

音楽室を借りてグランドピアノで音合わせをやってみた。グランドで弾いてみると電子ピアノなんかよりもずっと音が取り易い。

強弱記号もつけやすいし、今まで「なんかおかしいなあ・・・。」と思っていた部分がスッキリ解決した。あとはこれを記譜すれば完成だ。

 

 音楽室を出ると美味しそうな香りが廊下まで漂っていて、思わず小走りで階段を上がった。

キムチ鍋だけかと思っていたら前回の韓国風焼肉(サムギョプサル)もあって一安心。鍋を食べれない分呑もうと思って

用意されていた三種類のビールを堪能。ビールとサムギョプサル、そして米の相性は最高だ。合間にマッコリなんかも呑んだりして

韓国からの留学生の先輩が作る本場の韓国料理を堪能させて頂いた。そうそう、料理だけでなく韓国語の乾杯の音頭も教わった。

乾杯は「おつかれさまでしたー。」という意味で「スゴハショッスムニダ」と言うそうだ。韓国語は「~ジュセヨ」(=please)と

「ハナ・ドゥル・セ」(=one,two,three)、「アンニョンハセヨ」(=Hello)、「モルゲッスムニダ」(=I don’t know)ぐらいしか知らなかった

ので、「スゴハショスムニダ」もレパートリーに加えようと思う。

また、食事の席ではロシア語の数の数え方も教えて頂いた。

one,two,threeが「アジン・ドゥヴェ・トゥリ」(表記がこれで合っているのか分からないが、先生の発音を聞く限りではこんな感じ)

らしい。ロシア語といえばゴルゴ13で学んだ「ダスビダーニャ」(=See you)と「ズドラーストヴィーチェ」(=初回に使う挨拶だったような)

しか知らなかったので、これもまたレパートリーに追加。もちろん、使う機会は限りなく無いと思われる。何かの言葉から広がって

Roe対Wade事件判決についてS先生と話したりもして、そんなこんなで韓国料理を楽しむ会の夕べは更けていった。

先日外食をした関係で今日は家で粗食で済まそうと思っていたのに、思いがけず贅沢な食事をしてしまった。

シェフ及び先生方ごちそうさまです。

 

 なお、帰宅してから先日読み残していた三浦雅士『身体の零度 何が近代を成立させたか』を読了。

Joseph S.Nye Jrの” The Paradox of American Power ” をキリ良さげな部分(【SOFT POWER】の項)まで読んで寝ることにします。

 

 

東京へ戻って来ました。

 

 二週間ちょっとの帰省を終えて東京へ戻って来ました。

新幹線(もちろん自由席)に乗ってハイドンのスコアを広げて勉強していると、隣に二人組の高校生が乗って来ました。

「一番の要約はたぶん半分で、英作それなりにとってリスニングもがんばって長文死んで・・・60あるかないかぐらいだと思う。」

などという会話をしていたので、内容と順番から考えて、東大の英語の問題についてだったと思います。時期的に東大実戦か何かの

話をしていたのでしょう。横で「実戦の長文は難しいもんなー。」などと思いつつ品川で降りようと席を立つと、

「あのひと音大生かなー。音大生は英語とか世界史とかしなくていいから羨ましいよな。」と話す声が聞こえてしまい、思わず振り返って

「要約半分ではマズいぞ。過去問繰り返して慣れるべし。」なんて言おうかと思いましたが、自重しておきました(笑)

 

 東京についてみると、やっぱり人の多さに驚きます。それから街中に微妙な警戒心が漂っているような気がします。

人同士が打ち解けていないというか言葉にはならないギスギスした空気を感じました。まあそれも東京の面白さの一つかもしれません。

 

 朝、そのまま駒場に行ってハイドンのピアノ協奏曲の三楽章をコンマスとソリストと合わせて来ました。

夏休みの間に300回ぐらい読んで和声や構成を分析し、自分でもある程度弾いたこともあって、大体は上手くいったと思うのですが

睡眠時間が足りていなかったせいかニカ所ほどキューを出し忘れてしまい、コンマスが入りづらそうにしていたのが申し訳なかったです。

次回は忘れないようにしっかりマークしておきました。また、このコンサートについては本業のポスターデザインを頼まれていたため

そちらの完成稿も渡すことができました。ポスターについては記事を改めて触れたいと思います。

そういえば途中でオジサン達が写真を撮りに乱入してきて、「撮られたくなかったら顔見えないようにしておいてね。」と

言われたのですが、指揮の都合上そういうわけにもいかず、撮られるがままになっていました。

写真を何の用途に使うのか謎なのが怖いところですね。

 

 「たまには外食もいいか。」ということで、昼には連れと美登里寿司へ行き、大漁セットなるものを注文してみました。

昼から寿司かよ、と思われるかもしれませんが、このセットは何と950円程度。絶品のお寿司8貫に加えて、

茶碗蒸しやサラダ、デザートまでついているので素晴らしくお徳感があります。特に炙りものが美味しかったです。

自宅に帰ってからは再びハイドンの勉強。先日から二楽章のカデンツァを書いていたのでその続きを。

書いていると言ってしまうと少し大げさで、実際にはアルゲリッチが弾いているランドフスカのカデンツァを楽譜に起こしているだけです。

聴音と書きとりは久しぶりだったので、たった二分程度の部分なのになかなか進みません。

書いては弾き、弾いてはSONARに打ち込み、打ち込んでは再生して「なんか音足りない・・・。」と悩みの繰り返しです。

そんなわけで今日は8小節書いただけに留まりました。衰えを痛感したので、『音大受験生のためのパーフェクトソルフェージュ』を

9月は毎日やることにします。

そのあとで三島由紀夫の『午後の曳航』(新潮文庫)を読了。三島の作品群の中ではさほど優れた作品ではないように感じますが、

「父」という存在を巡る少年たちの会話の深みや、最後に置かれた印象的な一節(三島の文体ならではの一節)は結構好きです。

 

「正しい父親なんてものはありえない。なぜって、父親という役割そのものが悪の形だからさ。・・・(中略)・・・父親というのは真実を

隠蔽する機関で、子供に嘘を供給する機関で、それだけならまだしも、一番わるいことは、自分が人知れず真実を代表していると

信じていることだ。」(P.126)

「竜ニはなお、夢想に浸りながら、熱からぬ紅茶を、ぞんざいに一気に飲んだ。飲んでから、ひどく苦かったような気がした。

誰も知るように、栄光の味は苦い。」(P.168) 

 

 読書のあとはアイスコーヒーを淹れてネットサーフィン。

ニコ動で、京大の友達から教えてもらった「新世界エヴァンゲリオン ~関西弁で台無しにしてみた~」という動画を見ました。

エヴァについてはあまり詳しくないのですが、それでも死ぬほど笑わせてもらいました。関西弁の恐ろしさを実感できます。

ところどころに入れてくるネタがまた秀逸。これは相当時間かかってるんじゃないでしょうか。

女の声の部分では、投稿者である男の方の声のピッチを上げて女っぽくしているのですが、そのあたりにも作者の苦労が忍ばれます。

とりあえずエヴァ好きの人は一度は見るべきです。(ただし、原作の印象が完全に破壊されるのを覚悟の上で)

そのあと、youtubeでボウリングの新作ボールの軌道動画を見ました。

といっても、現在のラインナップ(Solaris-Cell Pearl-Black Peal-Widow Bite)に満足しているため、ただ見ているだけで

買うつもりは全くありません。買うとしたら現在のラインナップと同じ、あるいは極めて近いタイプのボールを買うつもりです。

投げ過ぎによってSolarisの動きが大分落ちてきたため、新作のepicenterに変えてみようかとは思っていますが、ホームにしている

センターのコンディションでは動きが大人しくなったSolarisがピッタリハマるので、変える必要はないかもしれません。

youtube上で良さげな動きをしていたのが、StormのREIGN。立ちあがりの加速感が強いため、投げていて楽しそうなボールでした。

 

 夜には、近くの知る人ぞ知るダイニングで和食。一日二度の外食は東京で生活するようになって初めてかもしれません。

里芋と牛挽肉の手作りコロッケが絶品でした。これにつけるタレがレモン醤油というのも最高です。「やまなか」という今まで呑んだ事の

無い泡盛を発見したので呑もうかと思いましたが、出費し過ぎなので我慢。そのかわり家に帰ってから、実家で栽培したライムを絞って

ジン・リッキーを作って美味しく頂きました。自分で作って呑むのがやはり圧倒的に安上がりですね。

これを呑みながら三浦雅士 『身体の零度 何が近代を成立させたか』を読み、第六章と第七章を明日に残して寝る事にします。

充実した一日でした。

 

オープンキャンパスに来てくれた方々へ

 

 オープンキャンパスで東大ガイダンスのイベントへ来て下さった受験生の方々、ありがとうございました。

何人かの方とは直接お話しすることができ、微力ではありますが、経験に基づいたアドバイスを送ることが出来たのではないかと

思っています。とくに、日本史の論述対策で悩んでいるという地方の受験生の方々に「つかはらの日本史工房」の存在を伝える事が

出来て良かったです。皆さんから頂いた質問は受験勉強の方法から一人暮らしに対する不安まで様々でしたが、

以下では受験勉強に関する質問について、覚えている限りでここに簡単に纏めてみようと思います。

(あくまで僕の体験に基づいたアドバイスです。当然、これが東大受験生全員にとって最良の方法だというものではありません。)

 

【受験勉強編】

Q.数学が苦手です。どうすればいいですか。

A.僕も数学が死ぬほど苦手だったので、浪人中必死になってやりました。

結論から言うと、信頼に足る参考書を何度も何度も繰り返すのがベストです。

ではどのような参考書がいいのかと言いますと、合格者が愛用していたものは以下の三つがメジャーだと思います。

・青チャート(数研出版)⇒赤じゃなくて青で十分。何度も何度もやり込んで、解答がすらすら頭の中で再生できるぐらいにする。

・一対一対応(東京出版)⇒青チャートよりややハイレベル。ただし、解答が洗練されているのでこのレベルをやりこめば二完は固い。

・スタンダード演習(東京出版)⇒おすすめ。難易度は幅がかなりあるが、良問ぞろいで解説も詳しい。僕はこれしかやりませんでした。

これを何十回も繰り返しているうちに、「受験数学は所詮このテキストにある問題のバリエーションに過ぎない」と悟りました。

さらに東大で頻出の整数分野・確率分野を鍛えたければ、東京出版から整数分野と確率分野のみを集めた問題集が出ていますので

これをやると整数・確率の問題には絶対の自信がつくでしょう。とくに整数の問題集は鮮やかな解法だらけで感動させられました。

 

 

というわけでⅠAⅡBに関してはスタンダード演習を本当におすすめします。飽きるほどやって下さい。なお、予備校の授業で

「東大対策プログラム」などというセットを取っていても、数学に関してはよっぽど素晴らしい授業で無い限り、自分で解きまくるほうが

遥かに効率が良いはずです。数学に限った事ではありませんが、いらない授業や効率の悪い授業を「切る」勇気を持って下さい。

(親に学費を出してもらっている手前上、授業を「切る」ことは決して良い事ではありませんが、合格しないと何の意味もありません。)

 

Q.国語が苦手です。特に古文・漢文。

A.東大文系を受験しようとするなら、これはマズイです。まずセンターの古文・漢文はコンスタントに満点近く取れるような基礎学力を

つけて下さい。古文に関しては文法と単語を徹底的に叩きこめば必ず読めます。漢文は『早覚え即答法』という名著がありますので、

これを完全に吸収した上で演習を重ねて下さい。あとでも述べますが、東大二次の得点源は明らかに古文・漢文です。

基礎学力が身に付いている(≒センターが確実に取れる)と思ったら、東大二次の過去問(赤本や青本より、鉄緑会が角川書店から

発行している過去問集に極めて優れた解答と解説とがついているので、これをお薦めします。)をどんどん遡って解いていって下さい。

ここでのコツは、「実際の解答欄のサイズに、実際に記述してみる」ことです。意味が分かっていても文章にならなかったり

枠に収まりきらなかったり、書いてみたものの論理構造がおかしかったり、様々な問題が出てくるでしょう。

実際に書いてみることによって自身の欠点を浮かび上がらせ、その部分を鍛えていって下さい。とにかく書くことです。

 

Q.二次の現代文が取れません。

A.まず設問にしっかりと答えることを意識してください。「理由」とあったらきちんと「理由」を答えるように。その上で、主語と述部を

決定し、その主語と述部に論理矛盾しないように解答に必要な要素を入れて下さい。一応このようなアドバイスをしましたが、実は

合格者にしろ不合格者にしろ、「東大受験者のほとんどが現代文で高得点を取ることが出来ていない。」というデーターがあります。

つまり、二次の現代文の得点に過剰な期待を抱いて「合格のための得点プラン」を組むのは極めて危険です。現代文は4割ぐらい

得点出来ればそれで十分と思って、期待しないようにしましょう。それでも漢字は間違えないように。

 

Q.東大英語の点数が伸びません。

A.時間配分は大丈夫ですか?東大英語は時間との勝負です。どこから解いていくかという戦略が必須です。

まず、リスニングまでにどの問題を解くのか。そしてリスニングのあとに何分でどこを解くのか。これは早いうちに決めておきましょう。

その上で、リスニングと英作の部分で点数を掻き集めましょう。リスニングは毎日ラジオ講座か何かを聞いて実戦(問題を解く)を

数多く繰り返す練習をすべきです。その際、直前期にはイヤホンではなく音質の悪いスピーカーでリスニングする練習を積んでおくと

本番の音の悪さにも慌てず対応できます。英作は例文を暗記しまくって、そのバリエーション(単語を変える)をアウトプットしてください。

ただし、東大英語の英作で狙われやすい構文や文法事項が存在するので、そこは文法的に固めておく必要があります。

具体的には過去完了や仮定法、話法、さらには基本動詞の使い分けなどです。このうち、基本動詞の使い分けについては

「基本頻出英単語の使い分け」という本を参考にするのが良いかもしれません。この本は大学に入ってからも使えます。

 

Q.英語の長文を読むのが遅くて困っています。

A.まず単語力が足りていないのならば、単語力を早急に補強してください。単語帳は好きなものを使えばいいですが、僕は

「単語王」を愛用していました。また、単語だけでなくイディオム帳も並行してやるべきです。イディオムを完璧にしておくと

センターの文法問題や東大二次の小説問題などで効いてきます。単語帳以上の語彙力を身につけたい方は、文春新書から出ている

『語源で分かった!英単語記憶術』が、コストパフォーマンス的にも抜群に良い本です。さらに、東大で頻出の前置詞問題を

鍛えたければ、『前置詞が分かれば英語が分かる』(刀祢 雅彦)を読んでみるといいでしょう。意外と侮れないのは

「イメージでわかる単語帳―NHK新感覚☆キーワードで英会話」で、ポップな表紙と裏腹に内容は結構濃い参考書です。

二次試験で必要とされる、[ 基本単語・前置詞のイメージ ] が湧かない方は是非これを手にとってみてください。

 

Q.世界史論述が書けません。

A.まず基礎知識は十分ですか?「基礎知識が十分」とはどのようなレベルかというと、東大二次世界史の第三問がコンスタントに8割

以上正答するレベル、さらに大問Ⅰの大論述にある指定語句のほとんどの意味・文脈を説明する事が出来るというレベルです。

指定語句が初見であったり時期を思い出せないようであればそれは基礎知識不足です。とくに時代ごとの世界の様相

(例えば、「○○世紀の西洋はどのような王朝・どんな宗教に支えられた国があって、こんな動きがあって、国と国との交流はどうで、

あんな侵略や戦争があって、その影響を受けてここの制度が変わって・・・」のように。)

をビジュアルに、地図上に書き込めるような形で記憶しておくことが必須でしょう。

基礎知識が十分だと感じたら、過去問をどんどん解いていって下さい。この際、教科書や参考書を見ながらが書くことが大切だと

世界史の恩師である駿台の川西先生もおっしゃっていました。正しいデーターを参考にしながら、自分で苦労して「構成」して書いた

文章は簡単には忘れません。書いたら信頼できる先生に添削してもらって下さい。ちなみに青本や赤本の答えには、

「東大が求めた解答」だとは到底思えないような解答が多々見られますので、青本や赤本の答えを信頼しないようにしましょう。

 

Q.日本史論述が意味不明です。

A.「つかはらの日本史工房」および塚原先生の『東大日本史二十五か年』 を読み込んでください。よく言われるように東大日本史には

些末な知識は要求されていません。しかしある程度の知識、史料が示している事象を理解することができる知識量は必須です。

人名を覚えようと努力するのではなく、その時代の様子、システムの内容、施策の意味などを中心に覚えていくべきでしょう。

日本史に関しては僕がここに書くより、塚原先生のページと本を隅から隅まで読んでもらうのが一番早いと思いますのでこれぐらいで。

 

Q.地学や倫理など、センターのみで使う科目の勉強に手が回りません。

A.たぶんみんなそうです。地学や倫理などに関しては、中経出版の「おもしろいほど~」シリーズを一冊やりこんでおけば

それなりの点数が取れるはずですが、最も重要なのは過去問をやりまくることです。河合塾の過去問集(黒本)をどんどん解いて、

解説を暗記したり要点を抜粋したりしてみてください。これらの演習は時間的にも精神的にもさほど負担にならないと思うので、

二次試験の勉強の合間に挟んでみたり、一日のはじまりと終わりに入れてみたりすると良いでしょう。

 

 

Q.おすすめのノート法とかありませんか?

A.これはもう人それぞれだと思います。とりあえず、「東大生のノートは必ず美しい」などということはありません。(僕自身がその反例)

僕が愛用していたのは、marumanから出ているB6ルーズリーフです。論述のトピックをまとめたり、英文法の要点をまとめたり、

地学や倫理の過去問から引っ張ってきた要点をまとめるのに使っていました。なぜこれが良いかというと、このB6というサイズが

僕の場合、パッと見ただけで全体を読むことのできるサイズだったからです。これを写真のように目に焼き付けて覚えていました。

なおかつ、小型なので持ち運びやすい、リング式なので順番入れ替えが可能(順番を入れ替える、というのは順番を理解していないと

出来ない作業なので、入れ替えるだけで勉強になります。記憶にも残るしね。)、万年筆のインク乗りが良い、などの理由もありました。

なお、勉強に万年筆を使うのはとても効率の良いことだと思っています。まず、万年筆でノートを取っていると授業中に眠たくなることが

ある程度防げます。というのは、うつらうつらしてペンを落としてしまおうものなら、ペン先が曲がって一貫の終わりだからです。

そして万年筆で書いていると様々なトラブルが発生します。インクが手に付いたり、インクが漏れたり、水で滲んだり・・・

そのようなトラブルが毎日に刺激(?)を与えてくれるでしょう。一番大きいのは、万年筆を使うと「速く・楽しく書ける」ということ。

万年筆は筆圧をほとんど必要としないので、慣れれば流れるように速く書けます。僕はこの性能を利用して、先生の口述を雑談から

すべて書きとっていました。(もちろん口述の内容をまとめながら書いたのであって、そのまま書きうつしたのではありません。)

これをやっていると眠たくなる暇なんてありませんよ。

個人的な趣味が多分に含まれている勉強法ですが、一度やってみてはいかがでしょうか。

(はじめて買うならウォーターマンのエキスパートあたりをおすすめします。鉄ペンにも関わらず、書き心地が素晴らしいです。)

 

 

 こんなところでしょうか。また思い出したら書きたいと思います。

直接話した高校生たちに僕が毎回伝えたことは、「本当に東大を受けたいと思ったなら周りの人の意見に流されるな。」

それから「東大は浪人してでも来る価値があるよ。」ということです。地方在住の方などは一緒にこの大学を目指す友達が少なくて

何かとやりづらい思いをすることもあるでしょうが、それでも諦めないで欲しい。地方出身のクラスの友達は、受験生時代を振り返って

「自分の意思を強く持って、自分に厳しく過ごしていた。今の自分から見てもビックリするぐらい自分に正直で、厳しかった。」

と言っていました。

そしてまた、浪人時代はそう悪いものではありません。浪人時代にしか会えない友達や、経験できない事は沢山あります。

オープンキャンパスに訪れてくれた受験生はほとんど高校生だと思うので、浪人を恐れずに、東大を受けると決めたら

初志貫徹して飛び込んで下さい。駒場キャンパスで待っています!

 

こんなモノを買った Part2

 

東京-神田-渋谷-新宿と回って買い物をしてきました。以下、買ったものリスト。

 

【本】

・Joseph S.Nye Jr  ” THE PARADOX OF AMERICAN POWER “   (Oxford University Press,2002)

⇒神田の古本屋で発見。2002年にエコノミスト紙とワシントンポストの両方で「Best Book」に名が挙げられた本であって、作者の

ナイは国際関係論の講義でもしばしば紹介される『国際紛争 -理論と歴史-』(有斐閣) を書いた人でもある。

 

・熊田為宏 『演奏のための楽曲分析法』 (音楽之友社,1974)

⇒渋谷のYAMAHAで発見。表紙だけ見ると幾何学か何かの教科書みたい。譜例も豊富で、内容は結構充実していると思う。

昔に購入した島岡譲 『和声と楽式のアナリーゼ』をもう一度読み返してから本書を読むつもり。もともとこの本を買うつもりはなくて、

作曲やオーケストレーションをする人の聖典である伊福部昭 『管弦楽法』を買おうと決心してYAMAHA渋谷に入ったのだが、

やはりその値段(24000円!!)に躊躇してしまった。手に取って眺めて、さんざん悩んで溜息とともに本棚に戻す。これで二度目である。

値段の価値はある本だろうし、絶対に読まなければならないのは分かっているのだけれど、流石にこの値段の本は買いづらい。

というわけで、お酒を飲んだ後とか、テンションが高い時に勢いで買ってしまう作戦に出ようと思う。

 

・Albert Camus ” L’Étranger “  (folio)

⇒ 「きょう、ママンが死んだ。もしかすると昨日かもしれないが、私には分からない。」

( Aujourd’hui, maman est morte. Ou peut-être hier,je ne sais pas. ) で始まる一節があまりにも有名なカミュの『異邦人』。

「一昔前、フランス語をある程度学んだ仏文志望の学生はこぞってこの『異邦人』の原書に挑戦した。」という話をある先生から

お聞きしたので、夏休みをかけて同じ事に挑戦してみようと思い立ち、OAZOの丸善で購入。

先生曰く、「この本はフランス語の文法の勉強にもなるよフフフ・・・」とのことだったが、パラパラめくっているうちのその意味を理解した。

冒頭のmaman est morte. からしてêtreの現在形+過去分詞という複合過去形であるように、複合過去が多用されているのだ。

なるほど、これを読み切ったらきっと複合過去は怖くなくなるだろう。毎日ちょっとずつ読んでいきたい。

 

・『フランスの伝統色 The Traditional Colors of France 』 (PIE BOOKS,2008)

⇒昨年からずっと狙っていた本。デザインするときの色遣いに幅が出ればと思って購入。J.HERBIN(万年筆のインクメーカー)

のインクで見られるような、何とも言えない色合いがCMYK、RGB数値つきで載っていてとても参考になる。

青ひとつにしても、Mer du sud (南の海の青)や、Bleu Monet (モネのブルー)、Céleste (天空の青)など、名前も色も様々である。

この本には同じシリーズに『日本の伝統色』があるので、こちらもいずれ購入するつもり。

 

【その他】

・MDノート(横罫) +MDノート用ブックカバー

⇒以前もブログで取り上げたMDノートA4サイズ。横罫を一冊使い切ってしまったので補充した。ついでにこのノート用のブックカバーも

合わせて購入。MDノートは白を基調としたデザインだから、僕のように扱いが荒っぽい人間が使うとすぐに表紙が汚れてしまう。

「それも味の一つ」と自分を納得させて使っていたが、やっぱり元通り白いほうがいいので、このブックカバーをかぶせて使う事にする。

 

・ファーバーカステルの8Bの鉛筆

⇒楽譜への書き込み用。楽譜は自分で購入しているので、次に使う人に配慮する必要はないのだが、消しやすい方が何かと楽なので

筆圧をかけずに濃いマークや書き込みが出来る8Bの鉛筆を使用している。これとファーバー・カステルのエモーションという1.4mmの

芯が出せるメカニカルペンシルで書き込みをするのがお気に入り。ちなみにエモーションの軸色はオフ・ホワイトで、同じく白を基調に

したMDノートと一緒に使うと何だかスタイリッシュな気がしてくる。

 

 

 なお、明日(今日)は東大ガイダンスの相談員として駒場にいます。

このブログを見てくれている高校生の方で明日オープンキャンパスに来る人がいましたら、ぜひ寄って行って下さいね。

 

伊豆サーフ・トリップ

 

 二泊三日で伊豆へサーフィンに行ってきた。

「クラス旅行の下見」という名目であるが、まあ実際にはクラスの友達数人を波乗りに拉致したようなものだ。

前日までの天気予報では三日とも絶望的に雨。天気図を見ても雨雲の動きの図を見ても、雨か曇り以外あり得ないような天気で、

「しまったなあ・・・」と思いつつ旅行の準備をしていた。

当日になってもスッキリしない天気。いくら良い波が来ていても、雨の海辺はちょっと鬱になってしまう。

抜けるような青空と、降り注ぐ太陽、それから澄んだ海。日焼けしようが何だろうが、海はこんなふうに晴れていた方が楽しい。

もはや自分の晴れ男パワーが前線を動かすことを信じるしかない。同行した友達のT氏も晴れ男だそうで、

「二人でフュージョンして前線の位置を動かそう」などと壮大な話をしつつ出発した。

 

 そしていざ海辺についてみると、なんと青空が見えていた!晴れ男パワー×2恐るべし。

友達にカレント(離岸流)の注意をしたあと、ひととおりボディボードを教える。初日の波は厚めで、腰から腹ぐらい。

厚めの波の場合、テイクオフのタイミングを上手く取らないと乗り遅れてしまうこともあり、みんな最初は少し苦労した様子だったが、

一時間ちょっと練習しているうちにガンガン乗れるようになってきていた。水温が冷たく、長く入っていると寒さを感じるぐらいにも

関わらず、みんな一度入ると帰ってこない。波に押されるあの感覚とスピード感にすっかりハマってくれたようで嬉しかった。

休憩時間にもビーチバレーやビーチフラッグで盛り上がる。海は本当に楽しい。

 

 夕方になるとビーチから人がほとんど消えたので、ショートボードを持ち出して浜の端のほうで一人サーフィンをしてきた。

端の方には岩が突き出ている所があって結構危険なのだが、岩の直線上遥か沖からカットバックを繰り返して、僕が波待ちを

していたところまでやってくるサーファーがいた。実にスムーズでスピードに乗った動きで、いかにもローカルの人っぽい

雰囲気を出している。波待ちをしていると近くの人と仲良くなったりすることがあるのだが、このローカルらしき人も

近くに来た時に話しかけてくれたので、この機会を利用して伊豆おすすめのポイントや食事場所、温泉などを教えてもらった。

こういう場所ではローカルの人の話が一番参考になる。感謝感謝。

 

 食後は宿泊先のガーデンヴィラ白浜へチェックイン。ここのオーナーは大学の大先輩で、温厚で親切、そしてダンディな方だ。

荷物を部屋に置いて海の見えるテラスでバーベキューを開催。限界まで体力を使って乾いた喉に、良く冷えたビールが気持ちいい。

帆立、サザエをはじめとする魚介から大量の肉まであって、満足感MAXの夕食であった。夕食を済ましてからはプール横に

併設されたバーでトロピカルカクテルを頂きつつ少し泳いだあと、貸切露天風呂(暗くてホラーだったが、絶景だった。)を満喫。

そして日が変わるころには全員爆睡。

 

 二日目、強烈な日差しを感じて目が覚める。カーテンを開けてみると、昨日よりずっと綺麗な空と、エメラルドグリーンの海が

眼下に広がっていた。水平線と地平線が溶けるようなこの光景に感動しつつ、慌てて海に出る。

波のサイズは胸、時々それ以上。かなり大きい。サイズに加えて掘れた波で、しかもダンパー(一気に崩れる)という初心者には

ハードなコンディション。まずゲティングアウトが大変で、上手くポジションを取らないと波に巻かれて底に叩きつけられる。

これは結構大変だなあ・・・と思ってみんなの方を振り返ると、もうとっくにみんな海の中に入っていた。怖いもの知らずである。

案の定、最初のうちは波に巻かれたり盛大にパーリング(ボードの先を海面に突き刺してしまいひっくり返ること)していたようだが、

しばらくするとこのヤヤコシイ波に乗れていた。すごい。乗るのは大変だしアクションも入れづらいが、パワーがある波ではあるから、

一度乗ってしまえば物凄いスピード感を味わえる。しかも面が切り立っているから、波のトップから一気に落ちて加速する感覚も

楽しむ事が出来る。失敗すると巻かれて苦しい思いをするけれど、成功すれば波を支配したような気分になれる。

まさに波との闘いであった。ダンパーの波を綺麗にショートボードで乗りこなせるような技術は持っていないので、今日は僕も

ボディボードをメインにして、友達と同じ場所に波待ちしてこの波と格闘した。

 

 宿に帰って夕食。今度はバーベキューではなく、通常料理なのだが、この御飯がまた絶品だった。

舟盛りの刺身に始まり、荒汁からハーブ焼きから生クリームグラタン、身があり得ない程巨大な海老フライや締めの杏仁豆腐に至るまで

どれもが美味しくて、様々な国の料理の良いとこ取りをした気分になった。食後に自由に飲めるようになっていた珈琲も、おそらく

コロンビアとブラジルベースの豆を使用したもので、優しく上品な味。部屋に戻って一服したあと、昨日と同じくプール横の

バーで酒を飲みつつ、デッキチェアーで星空と月を見ながら爆睡。虫に刺されまくったが、このような自然の中にいるとそれが

不思議と気にならない。「よお蚊。お前も大変だなあ。ちょっと血でも吸ってけよ。」みたいな、鷹揚な気持ちになれる。

貸切露天風呂では男どもで海を眺めつつ就職の話を真剣にし、部屋に戻ってからは怪談(?)や恋愛話、最後には生命倫理の

話にまで広がって夜が更けていった。

 

 三日目は曇り。昨日までとは打って変わって、波の調子が良くない。強いオンショア(海風)が吹いていて、セットもピークも

あったものではないチョッピーなコンディション。水温も冷たく、あまり波乗りには向いていない。ということで、浜辺で色々写真を

撮った。中でも、かっぱの処刑写真と、「ターミネイター」と題するショートコントのような動画は、確実に人を笑わせるであろう傑作だ。

ここにアップしたいぐらいなのだが、ターミネイターに扮したT氏の人間としての尊厳に配慮して自重することにしよう。

 

 海から早めに上がって、帰り道にある「禅の湯」に向かう。初日にローカルの人から教えてもらった天然温泉だ。

露天風呂の温度がバグっていたり、岩盤浴の熱気が日焼けに刺さって悶絶したりしたが、サーフィン後の温泉は本当に気持ちいい。

温泉の効能かデトックスの効果か分からないけれど、とにかく身体が軽くなる。たっぷり一時間ちょっと入った後、途中にあった

御飯屋さんで鰻や蕎麦を食べたあと帰路につく。天気や宿にも恵まれ、気の置けない友人たちと豪遊した三日間であった。

 

 

テスト終了!

 

 と喜んでみたものの、まだレポートが数本残っている。まあとりあえず、いわゆる「テスト」は終わったので一安心。

しばらく昼も夜も無い生活をしていたが、これで少しはまともな生活が送れそうだ。

 

 テストが終了したということで、昨夜は和館で上クラの人たちとコンパをした。

コンパと言っても、僕はレポートに追われていたので、酒を飲みつつレポート作りつつ喋りつつ、という何ともハードなコンパに。

途中で音楽室へ行ってハイドンのピアノ協奏曲の三楽章をソリストと一緒に組み上げていった。

軽く音を出すだけという話だったのだが、いつのまにかお互い真剣に。まず最初は、ソリストが弾くのを何度もよく聴く。

次に、僕の解釈とソリストの解釈とを擦り合わせながら、テンポやニュアンスをつけていく。三楽章はカデンツァがない代わりに

短調へ転じる部分が最大の聞かせどころとなる。ここを、聞き終わった後に「あそこが忘れられない」と言わせるような演奏にしたい。

だから最初のトリルだらけの転調部は少し重めの音で弾いてもらった。その上で第二音であるミの音を強調してもらう。

214小節目からはカデンツァのような扱いでいいと思う。オケは完全にリズムを刻んでいくだけで、その上でピアノが自由に

駆け巡ればいい。胸を締め付けられるようなニュアンスで、でも振りかえることなくサッと流れて行くような音をお願いしたら

ソリストが完璧にそんな音を出してきて感動した。やっぱり一つの楽器を真剣にやっている人の音は違う。これは完成が楽しみである。

 

 良く知られた話ではあるが、実際に音を出してやっていると、やっぱり指揮をするには言語能力が絶対的に必要だなと感じる。

頭の中で聴いている音と、実際に鳴っている音との違い。それから微妙なニュアンス。これらを何とかして「相手に」伝えなければ

ならない。そのためには自分で歌ったり、身体で動きを示したりして伝える事もあるが、やはり一番大きいのは言語による伝達だ。

映像的な表現を使ってみたり(秋の風がさーっと吹いて落ち葉を巻き上げるイメージで、とか)音楽と全然関係ない比喩を使ってみたり、

持てるボキャブラリーを総動員して何とか相手に「伝える」。これは指揮法の教程をいくら読んでも書いていない。優れた指揮者に

なるには音楽以外の要素が要求される、と言われる所以の一つであろう。マエストロと呼ばれる指揮者のリハーサル映像を

見ていると、この「言語化して伝達する能力」が抜群である事に気づかされる。何とかしてこの能力を磨いて行きたいと思う。

何十回か合わせた後、先輩のHさんにオーボエのパートをフルートで吹いてもらい、弦のパートを僕が歌って合わせつつ振った。

最後は胸のすくようなトゥッティ。音楽に真剣に打ち込めて、非常に充実した時間だった。

明日から波乗りに行くのでしばらく音楽は出来ないが、ポケットスコアを持って行って、寝る前には勉強しようと思う。

海辺でスコアを読むのも悪くない。あ、でもやっぱりやめよう。潮風でふにゃふにゃになりそうだ。

 

 そういえば先日、「討議力」というテーマでインタビューを受けたのだが、その様子を纏めた雑誌がネットで読めるようになっていた。

電通育英会 http://www.dentsu-ikueikai.or.jp/ の中の育英ニュースVol47(2009年7月号)がそれだ。

11ページあたりから掲載されているので、お暇な方はPDFファイルをダウンロードして読んでみてください。

 

「入口」としての授業

 

 歴史Ⅰのテストが終わりました。

昨日の記事にも書いた、アナール学派とマルク・ブロックについての試験だったのですが、会心の出来の解答を書く事が出来て

満足しています。問Ⅰは「アナール学派とは何か」という設問だったので、昨日ここにアップした内容をガシガシと書いていきました。

もう年で記憶力も次第に落ちてくる頃なので、解答用紙のサイズにして45行あまりにも渡る文章をしっかりと覚えられているか

不安だったのですが、いざ書いてみると手が覚えていたり、リズムで記憶から文章を引き出してきたり、書きつけたページそのものを

ビジュアルに思い出したりすることが出来て、昨日アップした内容とほぼ一言一句(ひとつだけ書き忘れましたが)違わない解答を

再現する事ができました。このテストの結果は進学に結構大きく影響してくるものであっただけに、一安心です。答案を書きながら

「もっと字が綺麗だったらなあ・・・。」「〈問Ⅰについてはブログ参照〉で終わらした方が先生もこんな悪筆を読まずに済むし、

僕も書く手間が省けるし、お互いの幸せに貢献するのではないだろうか。」などと考えたりもしましたが、流石にそれは無理ですね(笑)

 

 まあとにかく、アナール学派について学んだ事は大変有意義なものとなりました。これらについて学ぶうちに、

 僕の興味関心の一つであり続けている「音」や「香り」について研究しており、「感性の歴史家」と呼ばれているアラン・コルバン

の著作に出会う事が出来たのが最も大きな収穫だったと思います。コルバンの著作は、昨年僕が書いた「モード」についての小論

に応用できるところが多々あって、昨年のうちに出会っていればあの研究の方向性は少し変わっていたかもしれません。

面白かったのはアナール学派と呼ばれる人々の著作を手当たり次第に読んでいくうちに、ミシェル・パストゥローの名前に

遭遇したこと。アナール学派であるとは知らないまま、彼の『青の歴史』を昨年の小論に参考文献として用いたのですが、

今読み返してみると、パストゥローがとる手法や描き出す歴史像は極めてアナール学派的なアプローチだと気付きます。

『青の歴史』にしても『紋章の歴史』にしても、様々な角度から切り込んで、些末な事象や事件史に留まらぬ包括的な歴史を

描いていて、この人がアナールの第四世代に位置づけられるのも納得がいくところです。

 

 このように、新しく得た知識が他の知識や過去に得ていた知識と結合され、「!」と手を打ちたくなる瞬間を多く経験する事が大学生活

の面白さの一つではないかと思います。東京大学の教養学部の授業にはそういう瞬間を与えてくれる授業が非常に多くて、

一見つまらない授業でも理解していくうちに突如として自分の関心ある分野と繋がったり、別の授業の内容と繋がったりする事が

良くあります。もっとも授業に期待しすぎるのは見当違いというもので(大学で教壇に立つのは研究者です。)授業を諸学の「入口」として

活用し、授業に関連する本を自分でガンガン読み進めていく事が必要になってきます。ある程度本を読んで知識を持ってはじめて、

先生の喋っていたカオスで電波な内容が、とても魅力的で重要な意味を持つ内容だったことに後から気づく、なんてのもしばしばです。

そういう意味で、「大学生ならとにかく本読んどけ。」「大学生のうちに読んだ本が将来のベースになる。」などの嫌というほど

聞き慣れたフレーズは決して的外れなものではないと思います。

 

 話が大きくなってしまいましたが、とにかく今回の歴史Ⅰ「マルク・ブロックを(自分で)読む」という授業は、

そのように知の連結へのきっかけを与えてくれるものでした。テストの最終設問であった三番の

「あなたが過去に問うとしたら、どのような事を問いたいか。そしてそれは何故か。」という設問は、「感想を書け」と同じような類の

漠然とした設問に見えますが、その実、アナール学派の本質である「問いかけの学問」というテーマに立脚したものであって、同時に、

まさに上で書いたような「知の連結を経験したかどうか」を見る問に他なりません。一緒にテストを受けていたクラスメイトのかっぱ君が

テスト終了後、「3番を書いているうちに何か色々見えてきた。」というような内容の事を言っており、その後に自らが3番で書いた

内容に関する本を購入していましたが、そういう効果を与える事の出来る問題は凄いと素直に思いました。

確かにこの問は書いていて楽しかったです。

 

 珍しく真面目に書いてしまいました。今気づきましたが、そもそも今日はなんで丁寧語なんでしょうね(笑)

あ、そういえば7月30日に「食を考える」ワークショップの第4回が行われます。夏休みスペシャルということで、場所は

KIRINの横浜工場で、ビールづくりに関する見学・講演を聴いたあと軽食を頂く(もちろん無料)という形です。

また例によってフライヤーのデザインを担当させてもらいましたので、参加されたい方や詳しく知りたい方は

東京大学教養学部付属 教養教育開発機構のページ http://www.komed.c.u-tokyo.ac.jp/ をご参照下さい。

 

 さて、そんなわけでまた朝の4時になってしまいました。超朝型生活ですね。もうすぐ波乗りに行くのでちょうどいい、ということで。

今からは買ったばかりの三浦篤『自画像の美術史』および佐々木正人『アート/表現する身体 - アフォーダンスの現場 -』を

読みながら、レポートの構想を練りたいと思います。 

Qu'est-ce que l'école des Annales? 

 

 現在、朝の四時半。数時間後に控える歴史の試験のため、アナール学派について纏めてみようと思う。

タイトルをフランス語で書いたのは、タイトルが意味する日本語を検索ワードに打ち込んで直前にシケプリを探す不届きなヤツ

(そんなヤツがいるのかは知らないが)の目に留まらないようにするためである。

さて、それではアナール学派について以下に概説しよう。といっても、物凄い分量になってしまったので、明日の試験時間内に

書き切れるかちょっと不安だが、そこは気合でカバーということで。

 

 アナール学派とは、1929年にマルク・ブロックとリュシアン・フェーヴルによって創刊された雑誌、

「社会経済史年報 Annales d’histoire économique et sociale」にちなんだ歴史学の一派である。アナール学派のはじまり、

すなわち「社会経済史年報」(この雑誌は以後、何度もサブタイトルを変えてゆくが、一貫して【社会 sociale】の文字は含まれていた。)

の創刊には、「地理学年報」「社会学年報」「歴史総合評論」という三つの雑誌が大きく影響を与えている。

 

 まず、ポール・ヴィドル=ド=ラ=ブラーシュによって1891年に創刊された「地理学年報」は、歴史学者の視点と地理学者の視点を

融合させたものであり、ブロックに「地理学者が現在の事を知るために過去に目を向けているのと同じように、歴史家は過去を知るため

に現在に目を向けなければならない」という思いを抱かせるに至った。

 次に、エミール・デュルケームによって1898年に創刊された「社会学年報」は、「人間の営みを何よりも集合的事象と捉え、

人間社会を諸要素の関連から生まれる全体構造と捉える」ことを主張するものであり、これは専門化・個別分野への特化が進んでいた

当時の歴史学に対する「様々な学問を横断的に抱える歴史学」という構想をブロックらに与えたのである。

 そして最後に、1900年にアンリ・ベールによって創刊された「歴史総合評論」における、「歴史の視点を軸としつつ諸学の統合に至る」

というコンセプト、さらにはアンリ・ベールによる「人類の発展」双書の作成や、総合研究国際センターの設立などが、ブロックら

アナール学派の創設に極めて大きな影響を与えることとなった。

 

 以上のような背景から、アナール学派は、人間事象をすべて相互連関のうちに捉えようとし、諸専門分野との対話や相互乗り入れを

試みようとする、という性格を持つ。そして、事件史中心ではなく、人間の生活文化すべてを視野に収めた総合的な歴史学を目指そうと

するものとなった。さらに、(西洋と異なる)「他者」を認める、という「エスノセントリズムからの脱却」を掲げ、現在の視点からのみ過去を

解釈しないこと、すなわち「アナクロニズムからの脱却」をも目指すという性格を持つものでもあった。

 また、人々の「感じ、考える、その仕方」を扱う心性史mentalité や、下から上へ、つまり庶民に立脚して王侯貴族にまで至る包括的

な歴史を描こうとする全体史histoire totale という分野を特徴的に含むものであった。ブロックが『歴史のための弁明』で

「歴史学が捉えようとするのは人間たちなのである。そこに到達できないものはせいぜい考証の職人に過ぎないのであろう」

と述べるように、人間をあらゆる角度から全体として捉えようとするアナール学派は、現在から過去に問い、過去から現在に

問い返すという「問いかけの学問」であって、タコツボ化していた従来の歴史学に対して

「新しい歴史学 Nouvelle histoire」であったと言う事が出来よう。

 

 アナール学派は、今に至るまで、大きく四つの世代に分ける事が出来る。

まず第一世代は、伝統的政治学に反発して、地理学・社会学・文化史への関心を強く打ち出したマルク・ブロックや

リュシアン・フェーヴルらの時代である。

 第二世代は、数量的手法の洗練を受けて数量史が勃興した時代である。数量的手法は、価格史・経済史の研究へと応用され、

第二世代を代表するフェルナン・ブローデルを生むことになる。

 続く第三世代は、第二世代の期に洗練された数量的手法や統計分析の手法が出生率などの統計へ応用された時代であり、

人類学的手法への接近を強めるとともに知的細分化が起こった時代でもある。第三世代の代表として、ジャック・ル=ゴフや

アンドレ=ビュルギュエール、アラン・コルバンらが挙げられる。

 そして、『中世歴史人類学試論』のジャン・クロード=シュミットらが活躍する第四世代、すなわち「いま」に至るまで、

アナール学派は歴史学の自己革新の動きをリードし続けていると言えるだろう。

 

 

 これが大問Ⅰで、あと二問あるのに解答用紙が足りなくなりそうです(笑)そもそもこの内容を暗記するのだけでも一苦労ですね。

なお、この文章を作成するにあたって、いつも読ませて頂いている「のぽねこミステリ館」という西洋中性史を研究されている方の

ブログで挙げられた文章や本を大いに参考にさせて頂きました。このブログで、以前スーツの研究に際して読んだミシェル・パストゥロー

の名前を見つけたときはちょっと驚きました。アナール学派と昨年の自分の関心が、思いもしない所で繋がったな、と。

パストゥローのみならず、今年は服飾に加えて色や音、香りなど五感の歴史に興味を広げていたので、そんな矢先に

アラン・コルバンという歴史家(「感性の歴史家」という、まさに今の自分の関心そのものでした。)の名前を知り、

そしてのぽねこさんのブログに導かれてコルバンの著作に何冊か触れる事が出来たのは本当に幸せな出会いでした。

ありがとうございます。

 

(ちなみに、少し前に流行った映画「パフューム、ある人殺しの物語」には原作があって、パトリック・ジュースキントの”Das Parfum”が

それなのだが、さらに、このジュースキントの小説は下敷きにしている本がある。それこそがアラン・コルバンの

「匂いの歴史 Le miasme et la jonquille, l’odorat et l’imaginaire social 18e~19e siecles」であった。

コルバンが描きだした匂いの歴史を、ジュースキントが小説にし、そしてトム・ティックヴァー監督が映像化した、というわけだ。

映画のオチには首を捻らされたものの、映像の描写が不気味なまでにリアルだった理由が分かった気がする。)

レポート・ラッシュ

 

 民法(法Ⅰ)のテストが終わった。「隣人訴訟判決について10行から15行で、指定語句に下線を引いた上で論述せよ。」

という問題があって、何となく東大入試の世界史第一番を思い出した。入試のとき、下線を引くのを忘れていないか妙に気になったのを

覚えている。しかも本番の解答用紙のマス目はかなり小さいので、僕のように悪筆かつ字が大きい人間には、このマス目が

最大の難関となった。しまった間違えた、と思って一行消すと、上の一行や下の一行まで消えてしまう。これに対処するため

ペン型の細い消しゴム(TOMBO MONO ZERO)を直前期になって購入した。この消しゴムによってかなり助けられた感がある。

国語の解答欄にも有効なので、東大入試を受けなきゃならない人にはお勧めです。

 

 そんなわけで一つテストが終わったので、次のマルク・ブロックとアナール学派についてのテストまでは

山のように溜まっているレポートを書いていくことにする。各レポートのテーマはだいたい決まった。

記号論はバルトの「神話作用」に依拠して、デノテーションとコノテーションの概念から現代のモードを分析するというテーマで

書くつもりだ。基礎演習で書いたテーマを発展させ、見方を少し変えた内容である。

表象文化論はパフォーミング・アートについてであれば何でも良いそうなので、趣味に走った内容にしてみようと思っている。

タイトルだけは先に決めた。「カルロス・クライバー、舞踊的指揮と指揮的舞踊」というタイトルである。中身はまだ全く書いていない(笑)

生権力論は以前書いた「マスクと視線の生政治」というテーマで、TONFUL騒動について生権力・生政治の観点から分析する。

ついでに少し前にここに挙げた(「生命倫理会議」というエントリーで)「臓器移植法A案」をビオス/ゾーエーの観点で捉えてみる、

すなわち「A案が極めてゾーエー的な内容である」という事もこのレポートに入れようと思っていたが、某女帝に

「その内容で書こうと思ってたからやめて」と言われたので大人しくやめておくことにしよう。

美術論は年代の限定がキツイため、下手をすると扱う画家がみんなと被ってしまう。有名どころは大抵被るだろうと読んで、

昨年出会って衝撃を受けたマリー=ガブリエル・カペの自画像で書くつもりだ。この女性はほとんど無名の人だが、「自画像」の魅力は

凄いものがある。輪郭がどうだとか、眼が綺麗だとかを超えて、「美への自信」が感じられる。一度見ると忘れられない。

あと、神道についてのレポートを書かねばならないのだが、こちらのテーマも何とか決まった。

神道を語る上で外せないであろう、「雅楽」について比較文化論的に書く。(ただし時間が無ければ諦めるかもしれない。)

「雅楽」について調べると、面白い事が大量に出てくる。西洋の音楽との比較だけでも十分面白いし、その性質からして

宮廷文化史とも関わっているから、「雅楽」的なものが伝播した地域の宮廷文化史・王朝史を比較するとそれぞれの特質が見えてくる。

 

 話は全然変わるが、先日、AKGのK-702というヘッドフォンを購入した。定価の30パーセントという超破格値でゲット。

姉妹機のK-701(やたら売れているらしい。アニメ「けいおん」で、あるキャラがつけていた事が理由だそうな。)と違ってシックな色合い

かつケーブルが取り外しできるようになっている。購入当初は音がやや曇っていて、値段ほど音場に拡がりが感じられなかったが、

しばらくエイジングしていると音場がどんどん広がって、高音の抜けも素晴らしいものになった。楽器の位置がはっきり分かる。

前に使っていたヘッドフォンATH-A900と違ってオープンタイプであるから音漏れは盛大だが、そもそも自宅でしか使わないし、

オープンタイプの良さが存分に感じられるものなのでこれで十分だ。K-702はフルオーケストラにも合うけれども、小編成の室内楽的

な曲にこそ、その真価を発揮しているように思う。ピアノ・トリオにも最適だし、編成の小さなコンチェルトなんかも素晴らしい。

特に、これで聞くハイドンのピアノ協奏曲は絶品だ。今度これを振る事になるかもしれないので、今日はスコアを眺めつつ演奏者を

取り換え取り換えひたすらリピートして聞いている。おかげでレポートが全然進まないが、アイデアはいつもこのような時間から

生まれるものなので、それでいいのだろう。Und die Ideen? の答えはlange Weile、そしてLangweileなのだから。