November 2024
M T W T F S S
« May    
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930  

今年を送る。

 

 12月31日です。

一年があと数時間で終わります。「せっかくなので何かやらねば!」と思い立ち、(意味もなく)手元にある万年筆のインクをすべて

入れ替えたりしてみました。それで、ブルーブラックを入れたWATERMANのエキスパートという万年筆で今年にやったことを

思いつく限り書き出してみたのですが、いざ書いてみると結構思い出せるもので、B5のルーズリーフ二枚分ぐらいになりました。

 

 進振りの決定に代表される大学二年の出来事だけでなく、立花ゼミ、ボウリング、ビリヤード、サーフィン、指揮、フルート、デザインの

仕事をやり、本を読み(数えてみたらこの一年で270冊ぐらい購入していました。まだ10冊ぐらいは未読のものがありますが)

映画を楽しみ、友達としばしば呑み、そしてこのブログを始めたりと、息をつく暇のない生活を楽しみつつ色々なものに飛び込んでいった

一年だったなあと感じます。やりたかったことはもっともっとありますが、きっとどれだけやってもその思いは変わらないと思うので、

自分が過ごした一年間に今はひとまず満足しています。

 

 2010年には大学三年生になります。就職活動をするか大学院へ進学するかで、再び人生の大きな岐路に立つことに

なるかもしれません。未来がどうなるかはわかりませんが、とにかく、立花先生に倣って「好奇心」と「反射神経」を常に研ぎ澄まし、

時間をフルに活用して体力の限界まで日々活動していきたいと思っています。大学生という身分は適当に毎日を送ろうと思えば

いくらでも可能な立場であるだけに、Live as if you are to die tomorrow. Learn as if you are to live forever. というガンディーの

言葉をしっかりと心に刻まねばなりません。

 

 こんなふうに雑多なことしか書いていない当ブログですが、Google先生によれば一日に200件ほどのアクセスがあるとのこと。

拙い文章を我慢して読んで下さってありがとうございます。アドレスを公開していることもあって時々受験生の皆様や社会人の方々から

メールを頂きますが、これからも答えられる限りは返信いたしますので、受験相談から仕事依頼までどうぞお気軽にお送りくださいね。

 

 それでは、一年間ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いします。良いお年を!

 

 

帰省と動画

 

 帰省しました。

秋以来なので三カ月ぶりの大阪。大阪駅の改装が前よりもかなり進んでいます。阪急百貨店も新しく建て替わっていて

中途半端にレトロな外装に首をひねりました。内装は綺麗(とくにエスカレーターの壁。白だけであんなに立体感をつけて陰影を

出したのは凄いなあと思います。)なのですが、外装は正直あまり好きではありません。なんというか合体ロボっぽい。

「胴体は大正、頭は平成。その名は阪急百貨店!」みたいな感じ。どこかの少年名探偵っぽいフレーズですね。

 

 こちらには一週間程度しかいませんので、いつものように大阪・京都・神戸をぶらぶらしながら、溜っている仕事や本を合間にガンガン

こなそうと思います。恒例となりつつある、中国整体による身体改造&ボウリングの師匠との勝負も果たしてきます。

 

 そういえば昨日にボウリングに関する記事を上げたら、僕と同じく左利きのある方から「動画が見たい」との要望を受けましたので、

(画質はめちゃくちゃ悪いですが)投げ納めの際の最後の一投をアップしておきます。15ゲーム目の最後ということで

ラストステップで左足の踏ん張りと右足への送りがイマイチ効いていませんね。遅くなったレーンに対処するためにボールを

走らせようとして跳ね上げている面もあるとは思うのですが、出来る限り最初と同じ投げ方で最後まで投げたいものです。

使用ボールは既に500ゲームぐらい投げたBlack Pearl Reactive。65度ぐらいで曲がりをやや抑えてドリルしてあります。

まあ暇つぶしにでも見てみてください。

 

※サーバーエラーでなぜかアップできていなかったようです。ここに直接あげなくてもyoutubeか何かにアップするほうが早そうなので

後日やってみようと思います。メールを下さった方、もうしばらくお待ちください。

笑い飯礼賛

 

 M-1グランプリ2009を観た。目当ては笑い飯。いつも決勝近辺まで行くのになぜか勝てないこの二人が今年は

どんな伝説を作るか楽しみにしていた。結果は決勝までダントツで進んで、最終的には2位。ある意味伝説の展開だ。

ここまで来ると、「こいつら実は優勝する気ないんちゃうか」と思ってしまう。それがまた面白いといえば面白い。

 

 M-1で笑い飯と言えば多くの人が真っ先に思いつくの2003年の「奈良県立民俗博物館」というネタだろう。

あれはまさしく神だった。テンポ感もネタの構成も最高。掛け合いはどんどん加速していき、笑いもどんどんクレッシェンドしていった。

この奈良県立民俗博物館ネタには及ばないものの、今年の一回目のネタ「鳥人」は2003年に次ぐ名作だったと思う。

ボケとボケの掛け合いが生む勢いだけで笑わすのではなく、絶妙なテンポ感に加えて、言葉遊び的な笑いの要素が上手くミックス

されていた。さらに、笑い飯の真骨頂とでも言うべき「イメージ」の伝達がとても巧みだった。

 

 奈良県立民俗博物館と鳥人(に限らず、笑い飯の漫才のネタの多くがそうだと思う。「コロンブス」とか。)の共通点は、どちらも

「存在しないもの」「大多数の人は観たことがないもの」でありながら、「言われてみれば想像できる」ものであること。

ということは同時に、観客に自分たちのイメージしているものが伝わらないことには始まらないネタだと言える。

つまり、笑い飯が思い描くイメージが完璧に観客へと伝わり、イメージを共有できた時に、彼らのネタは笑いに変わる。

奈良県立民俗博物館と鳥人で提供したイメージは「博物館によく置いてある縄文時代の人々の像」と「頭だけ鳥で体が人」であった。

なんとなくリアリティを感じさせるこれらのイメージを観客と共有しつつ、あとはそのイメージから引き出されるシナリオを展開しながら

言葉遊びと主題のズレ(たとえば奈良県立民俗~における「ええ土!」、鳥人における「チキン南蛮」など)によって話を広げてゆく。

そこに漫才の「技術」である節回しや表情、テンポが加わることで彼らの漫才は構成されていると思う。

想像力と言語力に強烈に働きかけてくる笑い飯、まだまだ彼らから目が離せない。

 

 それにしても、笑い飯の漫才に漂うシュールさは吉田戦車の漫画に良く似ている。帰省したらまた吉田戦車の『殴るぞ』と

『感染るんです(うつるんです)』を読もうと思う。というわけでそろそろ帰省の準備をしなければならないのだが、軽くリストアップしてみた

だけで凄まじい量の荷物になってしまった。服、パソコン、本10冊、ドイツ語とフランス語の辞書、フランス語関連の演習本、単語帳、

ボウリングのボール×3、指揮棒、楽譜、フルート、バイオリン、筆記用具、万年筆のインク・・・これではいくら鞄があっても足りない(笑)

年末・年始で料金が高いことが予想されるのでボールは持って帰らなくても良いのだが、帰省するからには師匠と一回ぐらい投げたいな

と思うと、やはりボールは外せないという結論に至る。こうして荷物は全く減らないのであった。

 

 なお、本日は大畑大介『不屈の「心体」なぜ闘い続けるのか』(2009,文春新書)と加賀乙彦『不幸な国の幸福論』(集英社新書)を

読了。それからあるコンクール用に書いていたエッセイを提出した。『記憶を纏う』と『ガラス越しの香り』という題名の二編である。

結果発表はまだまだ先なので、あんまり期待せずに待つことにしよう。

 

寒波

 

 11月3日。文化の日だ。そして今年の文化の日はとても寒かった。

家のドアを開けた瞬間、「キーン!」と音が聞こえてきそうなほど冷え切った空気が流れ込んでくる。冬の匂いがする。

寒さに少し辟易しながらも、季節の変化が面白くて、どこかワクワクしながら外へ出た。といっても、特に行くアテがあるわけではない。

だが、僕にとって文化の日は特別な日なので、何はともあれ街に出かける。秋冬用のスーツを一着買おうと思っていたことを思い出し

小田急線に乗って新宿へ向かう。車内にはクリスマス特集などという広告がかかっており、もうそんな時期なんだなと驚かされた。

 

 新宿はたくさんの人で賑わっていた。

車道は閉鎖されて歩行者天国になっており、人々が無秩序に行き交う。すれ違うたびに様々な香水の匂いがする。

Diorのファーレンハイト、Nicosのスカルプチャー、ブルガリのソワール…寒さのせいか、少し重めの香りが多い。

名前まで分からなかったがバニラとリンゴの混じったような香りに何度も遭遇した。ニナリッチだろうか。

歩いてゆく人のその少し後ろを、その人の香りが影のようについてゆく。ある人の香りとある人の香りが交差する。

「香りの影」の交わりは新しい香りを一瞬生み出し、それはたちまち風に散らされる。偶然の芸術が雑踏に生まれる。

 

 沢山の人々が至る所に口を開けた店へ吸い込まれてゆく。いつもなら静かなはずの宝石屋は着飾ったカップルで混雑しているし、

マツモトキヨシはいつもの20%増しぐらいの音量とスピードで「タイムセールですよ!時間限定ですよ!!」を連呼している。

道のど真ん中で小さな子供が思いっきり転んで泣くのを見て、ホスト風の兄ちゃん軍団がすれ違いざまに目を細めて笑う。

ちょっと幸せな光景だ。

 

 人の流れを避けるように裏道に入り、スーツを見て回ったり画材屋でキャンバスや油絵具を見たりするうち、すぐ日が暮れる。

日が落ちると寒さが染みる。寒い。これは飲まずにはいられない。ということで落語で有名な末広亭の近くに入って一杯だけ飲む。

そして外へ出ると、明るいネオンに彩られた新宿の街を見下ろすかのように、ネオンよりずっと明るく透き通った光を注ぐ満月が

空にあった。この光の美しさは他のどんな光をしても真似できない。その綺麗さに、雑踏の中で空を見上げて息を飲む。

2009年の文化の日は、満月の光と冬の寒さが染み渡る日になった。

 

 珍しく日記なのは理由がある。

先日、六本木の国立新美術館にハプスブルク展と日展を見に行ったのでその感想をここにあげようと思って20行ぐらい書いていた

のだが、パソコンの機嫌がよろしくなかったようで、眼を離したスキに全消去されてしまっていた。かなり細かく書いていたのに・・・。

まあそういうわけでたまには日記である。また書き直す気になったら展覧会の記録を書きたい。

特に日展で見つけた二枚の凄い絵についてはいつか必ず書き直したいと思う。これは本当に凄かった。

 

 なお、本日は竹田青嗣『現代思想の冒険』(ちくま学芸文庫,1992)を読了。現代思想の展開や概要がコンパクトに纏められており

アウトラインを復習するには読みやすい本だ。現代思想の入門書としても使いやすいだろう。

原典からの引用が多々あるが、それが誰の訳によるものなのかがはっきり書かれていない(はず)点だけがやや残念。

ちなみにこの文庫本、表紙がデニム地みたいで面白いです。

 

音韻論と構造主義 その2「弁別的素性 caractère distinctif 」

 

さて、先日の続きから書きます。

音韻論と音素とは何なのかを概説し、音素を弁別的素性に注目して分類する、ということでしたね。

その弁別的素性にはいくつかの種類があります。『ソシュール一般言語学講義』によれば、音素を還元する図式において、

考慮すべき要素は以下の四つだとされています。

 

1.呼気 expiration 

 ⇒一様で恒常的(義務的)な要素。どんな音素を作り出すときでも、息をしないわけにはいきませんものね。

 

2.声 voix

 ⇒一様で選択的な要素。とりわけ、声門で作られる音としての喉頭原音laryngéを指していると考えてよいでしょう。

  声は音素によってあったりなかったりする要素ですね。たとえばpやfは喉を震わさず出すことができます。

 

3.鼻音性nasalité

 ⇒鼻腔 canal nasalを開くこと。一様で選択的な要素。鼻腔は使っても使わなくても音が出せます。

 

4.口腔の調音articulatin buccale

 ⇒多様で恒常的(義務的)な要素。我々はある音を出すとき、舌など、口の中の器官をしかるべき 位置に移動させて

  その音を出します。音によって口のなかの器官の位置は異なるので多様、しかし口のなかの器官は必ずどこかに位置せねば

  ならないので、恒常的(義務的)な要素だと言えます。

 

さて、この4つの分類の中で最も重要で基本的なものはどれでしょうか。感覚的に4番目が重要な気がしませんか?

そうです、口の中の器官の位置こそが音素を最も大きく左右しているのです。従って、ここで、4の要素をベースにして、

そこに2.3(1は一様で恒常的要素なので除外)の強弱程度を重ねれば音素の分類が出来るという発想に至ります。

そこで、まず4についてさらに細かく見てみます。ソシュールによれば、口腔の調音は結局のところ口腔の閉鎖程度

(要するに、どれぐらい口を開けるか)という尺度に関係づけられます。ということは、まずは口腔の閉鎖程度を分類し、

そこに上乗せされる変化として声と鼻音性の要素の有無を考えていけば良いのです。

表にしやすいように、「声」があることを+声、「鼻音性」があることを+鼻音性と表記しましょう。

 

【調音:開口度0=口の完全閉鎖】

 

               +鼻音性

     p,k,tなど   既知言語になし

+声  b,g,dなど    m,nなど       ↓         ↓    有声閉鎖音   鼻音有声閉鎖音

 

テキスト形式では表が書きづらいですね。見づらくてすみません。まあとりあえずこの表を見ながら実験してみましょう。

p(フランス語では「ぺ」)を発音します。口をほとんど閉じた状態でも「ぺ」は言えますね?このとき、喉は震えていないはずです。

そこで、同じ口の状態のまま、b(フランス語では、「ベー」)を発音してみてください。喉が震えたでしょう?

これが口をほとんど閉じた状態で喉を震わせて出す音、つまり有声閉鎖音です。

同じようにして見ていけば鼻音有声閉鎖音なんてのも何のことか簡単に理解できると思います。

このような表の形式を作り、あとはどんどんと口を開けてゆき、口の開き具合に応じて音素を表に振り分けていくだけです。

つまり,

 

【調音:開口度1】

【調音:開口度2】

【調音:開口度3】

【調音:開口度4】

【調音:開口度5】

 

というふうに。(それぞれの表をすべて書こうかと思いましたが、煩雑になるのでやめておきます。)

 

レヴィ・ストロースによれば、『構造人類学』に La naissance de la phonologie a bouleversé cette situation. 

およびLa phonologie ne peut manquer de jouer, vis-à-vis des sciences sociales…とあったように

音素や音韻論が社会科学に革新的な役割を果たしたことが説明されていました。音素や音韻論がどのように社会科学を変えたか、

そしてそれがどのように「構造主義」の確立に繋がっていったのか。構造主義、とりわけレヴィ・ストロースによる「人類学」においては

数学における「群論」の影響も頭に置かなければならないでしょうが、ひとまず、構造主義における「構造」というタームが、

「他の一切が変化するときでも、変化せずにあるもの」と定義出来ることを考えたとき、そこに音素や音韻論との関連を

明確に見ることが出来るでしょう。

 

具体的な関連に関してはAntholopologie Structuraleを読み進めていくうちに、改めて纏めてみたいと思います。

並行してRoman Jakobsonの著作もしっかり読んでみようとamazonでヤーコブソンの『一般言語学』をチェックしましたが、

5670円という値段にひるんでカートに入れるまでには至りませんでした。一冊5000円を超えると簡単には買えませんね。

(どうでもいいことですが、『一般言語学』の装丁の色遣いが今日着ていたTシャツと酷似していて微妙な既視感を覚えました。)

ヤーコブソンの本は神田の古本屋に置いてありそうな気もするので、今週中にでも神田ツアーに出かけたいと思います。

駒場祭では22日の立花ゼミ「二十歳の君へ」企画だけでなく、翌日にある弁論部主催の北岡伸一教授の講演会と討論会に

代表として出ることになりそうなので、「人間の安全保障」に関する書籍も神田で買い込んでおくつもりでいます。

とはいっても具体的には何を買うか決めていないので、「人間の安全保障」に関するおススメの本がありましたらぜひ教えて下さい。

 

今日は夕方まで空がとても綺麗でしたしフルートの調子も良かったので、良い週末を過ごすことが出来ました。

明日から寒くなるそうなので(東北では雪が降る可能性があるらしいです。北海道は予想最低気温がマイナスになっていました。)

皆さんも体調には気をつけてお過ごしください。「二十歳の君への宿題」、まだ投稿されていない方はお早めにどうぞ。

 

Casanier

 

 虫垂炎が悪化し、しばらく自分の力で起き上がる事が出来ない状態が続いていた。もちろん大学もすべて休んだ。

小学校以来、滅多に学校を休むことが無かった(中学・高校と六年間皆勤した。果たしてそれが良いことかは分からないが。)ので、

なんとなく罪悪感が残る。しかし薬が効いてきたのか、ゆっくりと歩く限りでは何とか歩けるようになった。とはいっても、歩くたびに

震動が腹部に響いて痛いし、背筋を伸ばそうものなら激痛が走る。無理は禁物ということで、極力動かないようにしている。

溜まっていたメールの返信をこなしたり積んでいた本を消化したり『シェルブールの雨傘』を観たりする間に時間が過ぎ去ってゆく。

一度も外に出ない間に朝日が夕日に変わり、闇が辺りを包む。

ちょっと空しい。出たいときに外へ出ることが出来る、というのがどれほど幸せなことか実感した。

 

 暇が出来た時にパソコンを開くと、ついやってしまうことがある。

amazonや楽天にアクセスし、買う金もないのに買い物カートに欲しいものを手当たり次第に突っ込む。一万円、二万円・・・十万円。

あとは「完了」ボタンを押せば注文が確定する、その状況まで手順を進めて、ウィンドウの右上の×印を溜息とともにクリックして閉じる。

傍から見るとかなり可哀そうな光景かもしれない。でも、やっている本人はちょっと楽しかったりする(笑)

 

 買い物カートを閉じたあと、いつものように立花ゼミのページにアクセスする。

こうやって布団に臥している間にも、駒場キャンパスの壁 http://kenbunden.net/kabe/ はどんどん落書きで埋まっていくようだ。

URLをクリックして見てもらえれば分かるが、数日前までは落書きがほとんど無い状態だった。

そこでいくつかの落書きを実験的に書いておいた。すると、後は加速度的に落書きが増えていく。

落書きの方向性は様々だ。下ネタ、サークルの宣伝、アート・・・だが、落書きの醍醐味は「コラボレーション」にあると僕は思う。

誰かが書いたメッセージに見ず知らずの誰かがレスをつける。誰かが書いた不気味な顔に、同じく見ず知らずの誰かが体を書き加える。

一方で、アーティスティックな模様の落書きが発生すると「その上には落書きしない」なんて暗黙のルールがいつしか発生するように、

全体としてはカオスなのだが部分的に秩序が自然発生する。あの匿名掲示板の雰囲気に良く似ていて面白い。

 

 「壁」と並行して進められている『二十歳の君への宿題』 http://kenbunden.net/20/todo.html も熱が入ってきた。

このブログで書いたのを見て下さったようで、「つかはらの日本史工房」でも宣伝して下さっていた。塚原先生ありがとうございます。

だが、まだまだ数が足りない。もっともっと「宿題」が欲しい。多様な年代から、多様なメッセージを集めなければならない。

というわけで、マスコミや出版社に乗り込んで宣伝させて貰うことを本気で考えている。上手くいったらまた報告します。

 

パーティ&『二十歳の君への宿題』

 

お誘いを頂いたので、パーティーというか集まりに参加してきた。

主催の方から少しスピーチをするよう言われていたので、委縮せぬよう深いボルドー色のソリッドタイを締めて東京駅へ向かう。

会場に着いて参加者の名簿を渡されて仰天した。なんじゃこりゃ。第一線で活躍されている方々から長老的な方々までいらっしゃって、

僕なんかがこの場にいていいんですかという感じ。とはいえ、かつてブループラネット賞の受賞会見ディナーパーティーに参加した時

ほどではない(あの会では、参加者はみなジャーナリスト或いは各国大使の方々だった。もちろん会話は基本的に英語だった。)ので、

日本語が通じるというだけでかなり動揺が鎮まる。パーティー自体は立食形式で、スピーチ前にテンションを上げるためにワインを

何杯か呑んで前に出た。舞台こそないものの指揮台みたいな台が置いてあり、通常なら躊躇するところだが、普段から指揮のレッスン

で週二回はこんな台に上っているために、逆にこの台に上る事が安心感を与えてくれる。

いつも師の鋭い視線の前で指揮棒を持ってこの台に上がると、構えたその瞬間に自分が丸裸にされてしまうような錯覚を感じるが、

マイクを持ってこの台に上がってみるとむしろ、「マイク=言葉で表現して良い」という許可を貰ったみたいに思えて、リラックスできた。

 

そんなこんなで良い条件が重なり、渾身のネタ(電車の中で思いついた)では相当笑いを取れたし、立花ゼミ『二十歳の君への宿題』

企画の宣伝なんかまでやってしまう余裕が生まれ、自分でも結構良いスピーチが出来たと思う。かなり満足である。

スピーチ後、実際に『二十歳の君への宿題』を幾つか頂いた。これはとても嬉しい。

前で喋るのは何かと大変だが、「指揮に比べてずっと簡単なことだ」と思えた時、恐怖や動揺を全く感じなくなった。

これからも機会があれば積極的に挑戦していきたい。きっと、余裕を持てれば勝ちだ。

 

さて、最近かかりっきりの立花ゼミ『二十歳の君への宿題』企画の概要が固まったので、ここで大きく宣伝してしまおう。

 

【 駒場祭立花ゼミ企画 『二十歳の君への宿題』 】

 

 

立花ゼミに参加しよう!!ご自身の経験を、立花ゼミを通じて若い世代に伝えてみませんか?

メッセージを頂いた方の中から、なんと抽選で10名様に立花隆のサイン入り『二十歳のころ』(新潮文庫)が当たります!!

 

◆概要

立花ゼミでは駒場祭の企画として、みなさまから「二十歳の君への宿題」と題して、「二十歳のころにこれをしておけ!」という

アドバイスを募集しております。「旅行に行っておけ!」などというものでも構いませんが、出来ればもっと具体的なもの、たとえば

「ヨーロッパ、それもパリに行っておけ!」というようにより具体的なアドバイスを頂ければ幸いです。書き方としては、

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『二十歳の君への宿題』・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

宿題:「好きな人に振られておけ!」(30 文字程度)

理由:「人間は振られて強くなります。振られたあとにどう立ち直るかでこれからの人生が変わります。二十歳という若く多感な時代に、

色々な人と付き合って、振られて、そしてまた付き合って下さい。」(150 字程度)
年齢・ご職業・ペンネームor 実名

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

このようなスタイルで頂くことを考えております。字数などはあくまでも目安ですので、思うところを自由に綴って頂けたらと思います。

応募資格は企画の性格上、少なくとも21歳以上の方とさせて頂きます。また、ここで頂きました『二十歳の君への宿題』は駒場祭での

立花ゼミ公式パンフレットに掲載される(都合により掲載できない事もございます)ほか、沢山のご応募を頂けました場合には

本企画の書籍化を考えておりますので、その旨ご了解ください。まもなく正式な応募ページ(メールフォーム)が立ち上がりますので、

どうぞ奮ってご参加下さい。応募ページが出来上がり次第、改めてこのブログおよび立花ゼミ公式ホームページで告知いたします。

 

嵐の前に。

 

 学校が始まるとなかなか更新する時間がとれませんね。更新をサボっていた分、今回で一気に書いてしまいます。

 

・授業

キツイです。いやほんとに。予想以上の激しさでした。

フランス語中級会話に至っては授業中に日本語はもちろん、英語すらほとんど話される事が無く、全てがフランス語で展開されており、

正直かなり慌てました。頑張らねば。「文化の社会科学」という授業はこれから面白くなりそう。この授業中に「ブルーノ・タウトを

知っている人?」と先生が我々学生に問われたので、隈健吾の「反オブジェクト」を読んだばかりだったこともあり、

「桂離宮が~オブジェクト消去型建築が~崖の下に作った家が~」などと語りたくなりました。当てられませんでしたが(笑)

授業後、新しく仲良くなった友達から「地域文化フランス科ってどんな感じ?」と聞かれたので、ちょっと悩みながら

「うーん。ボンジュールでトレビアンな感じかな。」と適当に答えたところ、彼の笑いのツボに入ったらしいです。

適当に言ってみたもののこのフレーズは語感も良いので個人的にも気に入ってしまいました。これからフランス科を紹介する時は

この言い回しを定番ネタとして活用していきたいと思います。

 

・ボウリング

なんと練習投球の際にセミ・パーフェクトを達成しました。十一個ストライクを続けて来て、最後の一投で力んでしまいノーヘッドの6ピン。

296です。練習投球でスコアを気にすることなく楽に投げられたのが大きかったのでしょう。やっぱり意識するとだめですね。

そのあとに新オイルパターンのテスターを頼まれてやったのですが、こちらは最強に難しいレーンでした。投げる場所がない。

かなり奥までしっかりとオイルが入っており、結構回転数の多い僕でもフッキングに苦労するレーン。ただし、唯一レーンの左右二枚目

だけはオイルが薄いようで、ここを転がすといい感じに曲がります。ボウリングをやっている人なら容易に想像できると思いますが、

二枚目を投げるというのは相当怖いです。まっすぐ二枚目を投げればセーフ。少しでも外に向けると即ガター。

0.5枚(幅にして1cmぐらいでしょうか)外に投げたり外に向けると溝掃除というライン、これは恐怖です。

そもそも投げた瞬間からボールがガターにはみ出ているように見えます。こんな練習は中々出来ないと思い、ひたすら二枚目を投げる

練習をさせてもらいましたが、さきほどまで210あったアベレージが一気に150まで落ち込みました。

あんなにガターに落としたのは久しぶりです。神経を摩耗させました。

 

・立花ゼミ

立花ゼミの初回授業がありました。予想したよりはるかに多い人数が教室に詰めかけて下さり、椅子が足りなくて立ち見が出ている

状態。ただ、6時から始まり9時まで続くこのゼミのハードさに相当数が諦めたようで、9時まで残っている新規メンバーは10人足らず

でした。まさに自然淘汰、ナチュラル・セレクションです。これからどんどん面白い企画が出てくると思いますので、ガンガン動きましょう!

 

・おしごと

KIRIN-東京大学パートナーシッププログラムのフライヤーと、討議力養成プログラムのシンポジウムのフライヤーを依頼されたので

作成しました。KIRINの方は優しくて暖かな感じ、対照的に討議力養成プログラムの方は頭が冴えるような鋭くスタイリッシュな

デザインを「気になる色遣い」である「薄紫」でまとめてみました。これらはいずれwebで公開されるので、公開され次第お知らせします。

 

・かいもの

EDIFICEで革ブルゾンを購入。フード付きなのでハードすぎずいい感じです。薄さ以上に暖かいのでこれから重宝しそう。

それから新宿の世界堂でgiulisの白レザーバインダーを購入。これを小脇に抱えているとmacみたいです。そのあとにadam et lopeで

紫のオロビアンコショルダーを発見し、その発色の美しさについ買いそうになりましたが、ギリギリで耐えました。あれは危なすぎる。

あと、福沢諭吉の『文明論之概略』(岩波文庫)をS氏が二冊持っているとの事だったので一冊譲ってもらいました。ありがとう。

 

・台風

さきほどから風と雨が凄いです。ベランダに落ちる水滴の音が「ぽたぽた」から「ぼとぼと」、そして「じゃばじゃば」へと変わりました。

早稲田と筑波は午前中休校だそうですが、東大は「台風はともだち!」姿勢を貫いており、どうやら完全スルーする模様です。

 

 

まさかの大澤真幸

 

 社会学者の大澤真幸教授が京大を辞職されたことを知った。

原因はどうやらセクハラのようだ。それを聞いて本棚に並んだ大澤の『恋愛の不可能性』を眺めると何とも言えない気分になった。

この書で大澤は欲求と恋愛の不可分性を述べていたが、今回の事件、ある意味で恋愛の不可能性に陥ってしまったようにも見える。

 

 高校時代から僕は大澤真幸の著作に大きく影響を受けてきた。

そして大澤真幸の著作はほとんど購入してきた。あの分厚い『ナショナリズムの由来』ですら浪人時代に買った。(初版だった)

内容というよりはむしろ、テーマへの切り込み方や文の運び方を尊敬していた。

大澤の師匠である見田宗介もそうであったが、とにかく「読ませる」文章を書かれる人だ。

書き手の思考の切れ味や知性がバシバシ伝わってくるような文章で、こんな文章が書けたらいいなあと少し憧れていた。

問題への切り込み方も本当に鮮やかだった。『美はなぜ乱調にあるか』で彼は最後に「イチローの三振する技術」という論考を

掲載している。たとえこれが「トンデモ」だと言われようと、この論考がとても魅力的である事は変わらない。

(最後につけられた脚注を読んで欲しい。大澤はここで、野球において打者は中世の「騎士」であり、投手と捕手という「夫婦」の

関係を攪乱する第三者であるという読む者の目を驚きに開かせる注をつけている。)

大澤の文章の巧みさについては、松岡正剛先生が「千夜千冊」というサイト(http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/)の

2005年12月14日の記事、『帝国的ナショナリズム』の評で「能」の用語を用いて説明されているので、それを引用させて頂こう。

・・・

能はカマエとハコビでできている。(最近の大澤の文章は)そのハコビに緩急が出てきた。そうすると読者も「移り舞」に酔える。また、能の面の動きはテル・クモル・シオル・キルに絞られているのだが、十分にゆっくりとした照りと曇りが見せられれば、突如の切り(面を左右に動かす)が格段の速度に見える。そうすると観客の心は激しく揺すられる。学問といえども、その70パーセントくらいは読者や観客に何を感じさせたかなのである。カマエもハコビも大事だし、テル・クモル・シオル・キルも習熟したほうがいい。ついでながら学問の残りの20パーセントは学派をどのようにつくって、それがどのように社会に応用されたかどうかということ、残りの10パーセントが独創性や前人未踏性や孤独感にかかわっている。学問はそんなものなのだから、どこで才能を発揮してもいい。

もともと大澤真幸はかなり早口で喋っていても、その語りをもう一人の自分でトレースできる才能をもっている。いま自分がどんな言葉をどの文脈で使おうとしているか、その言葉によって話がどういう文脈になりつつあるのか。それを聞いている者にはひょっとするとこんな印象をもったかもしれないが、それをいま訂正しながら進めるけれど、それにはいまから導入するこの用語や概念を説明なしに使うが、それはもうすこし話が進んだら説明するから待ってほしい、それで話を戻すけど‥‥というふうに、自分で言説していることをほぼ完璧にカバーできる能力に富んでいた。アタマのなかの”注意のカーソル”の動きが見えている。 ぼくはどうもうっとりできないんですよ、「考える自分」と「感じる自分」とが同時に動いていて、その両方を観察してしまうんですよ、と大澤自身がどこかで言っていた。まさにそうなのだろう。それがいいところなのだ。

・・・

大澤真幸の文章に親しんでいる人なら、「そうそう、まさにそんな感じ!」と頷いてしまう、的確な評だと思う。

アカデミズムの構造を利用したセクハラは許されるべきではないが、一読者として大澤真幸の著作は楽しみにしているので、

これからも魅力的な書を書き続けて頂ければなあ、と思う次第である。

 

 そんなこんなで今日は一日家でゆっくり。

少し前にプールへ行ってバカみたいに2キロ泳いだ(1キロを平・クロール・背泳ぎで。残り1キロをビート板を使ってパドリングだけで。)

ので、身体が筋肉痛でやられていて動く気にならない。いつもなら8ゲームほど投げに行くところだが今日は自粛。

その代わりにネットサーフィンをして良さげな新作ボールの動きを見る。

Stormのレイン、900Globalのブレイクポイント・パールの動きは見ていて欲しくなる。自分の回転数とセンターのオイルの関係上、

どうしてもパール系の球ばかりが欲しくなってしまう。ブラックパールとソラリスの予備も買っておきたいし、Kineticのエピセンターも

投げてみたい。でもそんなに買ったら間違いなく破産するし、まず家に足の踏み場がなくなってしまうだろう。というわけで我慢。

もし走る球を購入しようと考えている方がいらっしゃれば、新作ではこの辺りのボールがお薦めだと思います。

 

 夜、冷蔵庫のあり合わせを使って三つ葉と豆腐のお吸い物と出し巻き卵を作り、白旋風の水割りと合わせて頂く。

卵焼き用ではないフライパンだが、それでも十分に綺麗な卵焼きが作れるようになって嬉しい限り。外はふんわり、中はややトロである。

我ながら美味しい。一杯のお酒とそれなりの御飯があればとても贅沢な気持になれるものです。

なお、『カルロス・クライバー ある天才指揮者の伝記(上巻)』と『日本の近世 14.文化の大衆化』を読了したので、

また日を改めてレビューを書きます。

 

東大ガイダンスのブログに寄稿しました。

 

 おはようございます。

東大ガイダンスさんより頼まれた記事を書いていたら、いつの間にかスーツ姿のサラリーマンが町を埋め尽くす時間になっていました。

こちらのブログにも書きたい事はあったのですが、そろそろ寝ないとレッスンで寝てしまうことになりそうなので、今日の記事は

東大ガイダンスのブログに寄せた文章ということにしておきます。こちらのブログに書いている事のまとめのような記事なので、

このブログをいつも読んで下さっている方にはやや退屈かもしれませんが、結構気合いを入れて書いたので是非読んでみてください。

それではおやすみなさい。

 

 と思ったところで炊飯器が電子音を鳴らしました。セットしていた時間どおり、律儀に米を炊いてくれたようです。

寝ようと思ったのに・・・でも炊きたての御飯を放置して寝るのは米と炊飯器に申し訳ないなあ・・・。どうしたものやら(笑)