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花火の夜に。

 

Twitterでまとめて呟いたところ、異常に評判が良かったのでブログにも掲載します。Twitterに載せたままの文体は「とぅぎゃったー」

というものでゼミ生の後輩(伏見くん)が http://togetter.com/li/37528 に纏めてくれたので、ここにはブログ用にやや手を加えて

掲載しておくことにします。ある花火大会の夜、指揮法のレッスンの帰りに起こった出来事でした。

・・・・・・・・・・

 

混雑した車内、僕の前に浴衣の若い女性が立った。なぜか目の周りのメイクが崩れている。

泣いた後なのだろうか、疲れ切っているように見えた。大変だな、と思って席を譲るつもりで立ち上がる。女性は一瞬驚いた表情を向け、

「ありがとうございます。」と小さくお辞儀してくれた。少しは楽になるだろうか、と安堵したその瞬間、横からおっさんが割り込んで

席にどっかりとお座りになる。これには真剣に殺意が湧いた。ちょうどレッスン帰りでタクトを持っていたので、

「このおっさん指揮棒で刺したろか・・・。」と思ったぐらいである。(なんとか辛抱して目線で鋭く刺すに留めておいた。)

 

とはいえ、困るのはこの状況だ。立ちあがった僕には居場所がない。そして、座ろうとした浴衣の女性も所在ない。

困ったなあ、と女性と眼を合わせて苦笑する。真横かつ至近距離で黙っているのもお互い何となく居心地が悪くて、若干慌てつつ

「花火ですか。」と話しかけてみることにした。冷静に考えてみればアホな質問だ。浴衣で花火でなくて何だと言うのか。

これで「ええ、ちょっとルミネへ買い物に。」とか、「試着室で試着したまま帰ってきました。」だったら、びっくりである。

 

もちろんそんな予想外の展開ではなく、やはり花火大会帰りとのことである。

どうやら新宿まで一緒の様子だったので、車内で、それから乗り換えに歩きつつ、その人としばらく話すことになった。

彼女はずいぶん大人っぽく見えたが大学一年生だった。聞けば、好きな人と一緒に花火へ行って告白したけど駄目だったらしい。

 

「好きじゃないなら花火なんて誘わなきゃいいのに。そう思いませんか?」と彼女が僕を見上げて、言う。

その真剣な眼差しと、否定を許さない厳しさを持った口調に対して何も言えなくて、「うん・・・まあ。」と曖昧な言葉を返した。

生返事をしながら、見上げる顔を横目で見て、「結構泣いたんだな・・・。」と思う。多分、ほんとにその男の子のことが好きだったんだろう。

新宿駅の雑踏。華やかな浴衣姿と笑顔ばかり目に入ってくるが、悲しい気持ちで浴衣を着て、こうして帰路に着く人もいるのだ。

 

華やかな浴衣を着て、光の当たらない場所でひとり泣くのはどんな気持ちなのだろう。

もしかしたら花火大会の途中で帰ってきたのかもしれない。闇に描かれるカラフルな明滅に背を向けて、ドン・ドンと低く身体の中にまで

響き渡る音を後ろに聞きながら、花火のことを考えないで済む場所まで走って逃げる。

だが、走ることは、自分が花火大会に来ていたことを逆に思い起こさせてしまう。

履き慣れない下駄、着慣れない浴衣。走ろうとすればするほど、浴衣が、花火が邪魔をする・・・。

そんなことを想像するだけでとても寂しい気持ちになる。だが、こういう時にはどんな言葉をかけてあげたらいいか僕には分からなくて、

初対面なのにとめどなく話す彼女に、ただ相槌を打ち続けた。

 

あっという間に改札が近づいてくる。ここでお別れだ。僕は左に、彼女は右へ。

「気をつけてね。」と声をかけると、一生懸命に作ったような笑顔で、「喋ってばっかりでごめんなさい。でも、ありがとうございました。」と

丁寧にお辞儀をする。お辞儀の拍子に彼女の小さな頭の向こう側がふと見える。ころころと揺れるガラス玉のついた髪止めが

外れそうになっていることに僕は気付く。だが、今の僕にはそれを直してあげることはできないし、する必要もたぶんないだろう。

 

「じゃあ、さようなら。」

そう告げて別れようとした瞬間、彼女はすっと顔を上げ、泣いた跡の残る明るい笑顔でこう言った。

「あの・・・あたし、今日やっぱり五反田の友達んち泊まります!愚痴り足りないから!」

唖然とする僕に踵を返し、そうして彼女は再び山手線のホームへと向かう。

 

夏の雑踏に浴衣姿が溶けて ゆく。

女は、強い。

 

 

 

悲愴・テンペスト・ヴァルトシュタイン その1 -Grave-

 

しばらく、指揮のレッスンではこの三曲を振っていました。

どれもベートーヴェンのよく知られたソナタ。そして、かつて自分でも弾いたことのある曲ばかり。しかし、これを指揮するとなると、

「こんなもんどうやって振るんや!」と突っ込んでしまいたくなるほどの難易度と密度を持った曲たちです。

ただ拍子を刻んでいるだけでは全く音楽にならないし、イメージに頼っているだけでは全く形にならないもので、

(ベートーヴェンの曲はどれもそうであるように)全てが有機的に結びついているため、どの一音も蔑ろにすることが許されない

厳格な曲ばかりです。

 

「じゃあ次までに勉強しておいで」師匠に言われて、帰ってさっそく悲愴の第一楽章を開けてみた時は正直絶望しました。

Grave、すなわち「荘重に、重々しく」という指示とともに書かれた和音。弾くというなら、それなりに音は出せます。(あくまでも「それなり」)

しかし、この重々しい和音のニュアンスを棒一本で果たして引き出せるのか?基本の動きは「叩き」です。しかし、Graveでしばらく持続

するこの和音を、どうやって出すのか。答えの出ないまま次回のレッスンに赴き、裂帛の気合を込めて振りおろした僕の棒が引き出した

音は、ただ音量が大きなだけで、重みもなく、残響にも乏しいものでした。

 

「違う違う。力任せではGraveの音は出せない。これは難しいから、よく見ておくように。」

笑顔でそう語ったあと、真剣な顔へと一転。そして80歳を優に超える師匠の、ゆっくりと上げられた腕から引き出された音は、

とんでもなく重く、分厚く、そして豊かな響きを持った音。空間にその音が響き渡り、場の温度や色が明らかに変わりました。

その一音だけで、感動から涙が溢れるのを止めることができず、身体の深いところにズザーン!とあの和音が浸透してきてじわじわと

広がってくるのを感じました。家に帰ってからもその音が頭を離れず、僕にしては珍しく、布団に入ってもしばらく眠りにつくことが

できないほどでした。

 

そうして四回のレッスンを終えて三楽章まで無事に進み、悲愴ソナタを何とか振り切ることが出来ましたが、師匠のあの鉛のような

和音には程遠かったと感じています。力も俊敏さも僕のほうが遥かに持っているはずなのに、四倍も歳の離れた師匠の出す

Graveのffには全く及ばない。指揮の不思議さと奥深さを改めて痛感することになったという点で、悲愴、そしてあの和音は

僕にとって忘れられないものになりました。

 

 

『子供の情景』を振る。

 

シューマンの曲集に『子供の情景』というものがあります。

ピアノをある程度習っていた方なら一度は弾いたことがあるはず。子供の情景、と言われてピンとこない方でもこの曲集の中に

収められている「トロイメライ」を聞けば「ああ、聞いたことある!」と思われることでしょう。どれも夢見るような、風景や情景が浮かぶような

曲ばかりで、シューマンいわく「子供心を描いた、大人のための作品」とのこと。技巧的にはさほど難しくはありませんし音もそんなに

多くはないのですが、これを「音楽」として表現しようとするとかなり深い読みが必要とされてきます。

このように「子供の情景」には演奏者が表現する余地がたっぷりと残されているので、コルトーやアルゲリッチ、エッシェンバッハと

新旧を問わず様々な大ピアニストたちが独自の表現を展開して録音を残してきました。

 

僕もかつてこれを一通り弾いた(というか今振り返ってみると、「音を鳴らした」だけでした。)経験があるのですが、今度は

弾くのではなく、振っています。というのは、僕が所属している門下では、斉藤秀雄の指揮法教程の練習題が終了するとこの

「子供の情景」を振る練習をするのです。弾くのも難しいのですから、振る(=自分で音を鳴らさず、引き出す。)のはその何倍も

難しい。そして音が少ないからごまかしは効きません。テンポの微妙な揺れ、音楽の膨らみ、そして情景。そういったものを細かく細かく

棒の動きの中に込めて演奏者に伝達していかねば、「子供の情景」は真の意味で《音楽》にならないのです。

 

師匠に「ほら振ってごらん。」と言われるままに、一曲目のVon fremden Ländern und Menschen「見知らぬ国々と人々」を

振ってみて愕然としました。流れてくる音楽の何と平坦で面白くないこと!聞くに堪えないただの音の羅列!

それに対して、師匠が笑いながら「それじゃ駄目だね。こうだよ。」といって振ってくださったときに流れてくる音楽のとんでもない美しさ!

指揮台の上で文字通り言葉を失いました。夢見るようで、どこか違う世界に入ってしまったようで、繊細で詩的。振り方を見なければ

いけないはずなのに、思わず目を閉じて音楽を聞いていたくなる。こんなに素敵な曲だったのだ、と我を忘れてしまう。

振りを見ていても、ただの一瞬も同じ振り方をする小節はありません。たっぷりと余裕を持ちながら曲の中に入り込み、

しっかりと間を取りながら細かく自然にテンポや音量を動かしていくその様子は、指揮棒と生まれてくる音が見えない糸で

繋げられているように感じられるほどです。そしてこうした境地には、頭や手先の技術を用いて調整したとしても達しえないでしょう。

こうした表現の核には「自然さ」が必然的に要求されるからであり、師匠が述べるとおり、「究極的には、音楽をどう感じるかだ。」という

《感じ方》の問題なのです。

 

目を閉じれば情景が浮かぶ。そんな生ぬるいものではありません。そこで展開される音楽は、強制的に人をその情景の世界に

連れてゆく。二曲目のKuriose Geschichte「珍しい話」の冒頭のリズムが聞こえ、Träumerei「トロイメライ」の和音が空間を満たし、

Fürchtenmachen「こわがらせ」の四小節が耳に届いた瞬間、聞くものは別の世界に投げ込まれる。それほどまでに吸引力のある

音楽が、たった棒一本から生まれ出るのです。その様子は衝撃的なものであり、師匠のお手本を目の当たりにするたびに

感動のあまり何故か笑いが込み上げてきます。誇張抜きに、フレーズが変わるたびに教室の空気の温度が変わるように感じられます。

 

そんなレベルに僕はまだ達することが出来ませんが、とにかくも『子供の情景』がこれほどまでに深い曲であることを、振っているうちに

痛感しました。とはいえ、悪戦苦闘しながら朝から夜までこの曲のことで頭が一杯になる三週間を過ごしたおかげで、いくらか表現力が

身に着いたのは確かでしょう。「表現力」―そう、指揮者は表現力と伝達力をフルに発揮することが重要なのであり、そのためには型から

脱しなければなりません。つまり、型はとても重要だけれども、型にはまっている限りは音楽は音楽にならないということです。

「《型に則りながら型を脱する》なんてまるで禅問答みたい。」と思われるかもしれませんが、指揮というのはそうした抽象的な技術と

思考の積み重ね、そしてその不断の実践によって成り立つ芸術なのだと思います。こうした「分からなさ」が、ある意味では指揮の

魅力の一つであり、この「分からなさ」が生みだす面白さに、僕はどうやらすっかり取り憑かれてしまっているようです。

 

 

リンク追加と文章を「書く」こと

 

右の「ブログロール」にリンクを二件追加しました。

立花ゼミ新入生の細川さんのブログ(Die Sonette an・・・?)と、 同じくゼミ新入生の青木さんのブログ(イディオット)です。

二人とも個性的でとても好奇心の強い方々ですので、東大での生活やゼミでの活動、趣味から論考まで、これから色々と

書いていってくれることと思います。楽しみにしています。(なお、リンクは常時募集していますので、興味がある方はぜひご連絡下さい。)

 

しばらく忙しくてこのブログの更新をサボっていましたが、新入生の方を見習って僕もまたどんどんと更新していくつもりです。

「日常的なことはTwitter、考察的なものはブログに書く」という形にしようかなと考えた時期もありましたが、人文系の学問分野に足を

突っ込んでいると、テーマによらず纏まった文章を書くことの重要性を痛感することが多いので、Twitterではなくやはりブログを自分の

発信ツールの基礎に置きたいと思います。Twitterはメモには最適だし人から刺激を受けるツールとしても素晴らしいのですが、

いかんせん文体を変えてしまう。それは140文字というTwitterならではの制限が、句読点の打ち方や語尾の表現などにある程度

鈍感であることを許してくれるからです。でも論文にしろ企画書にしろ、本当に人に何かを伝えようとすると纏まった文章を書く必要が

どうしても生じてくる(コピーだってそうです。コピー自体は短くても、その背景にある思考や狙いは決して短いものではないはず。)

のであって、そうした纏まった文章を一つ書こうとしてみると、表現から改行まで色々と敏感にならざるを得ません。

 

「この表現はさっき使ったから避けよう。」「ここは改行したほうが読みやすいかな。」「この言葉ってこんな使い方で合ってたかな?」

そんなふうに次々と疑問が湧いてきます。こうした所作には、Twitterの「つぶやく」ではなく、手紙や文章を「綴る」という言葉が

良く似合います。「つづる」、この言葉を聞いて、机に向かってスラスラと筆を動かし、時に頭を抱えて悩む人間の様子が

浮かぶのは僕だけではないはずです。それは言いかえれば、思考や感情を形ある「文字」「文章」に変換しながら変換した文字に悩み、

また文字に変換しきれなかった思考や感情との差異に苦しみ、文と文の繋がりが生みだす摩擦に心を砕く様子だと思うのです。

そういったことに敏感になり、生じた摩擦や疑問を一つ一つ消化していくことによって、なんとか文章が書けるようになっていくのでしょう。

 

昔から言い古された「文章は《書くこと》と《読むこと》によってしか磨かれない。」というフレーズは、今もって至言だと感じています。

五月も今日で終わり。拙い文章ではありますが、これからも日々書きまくり、そして沢山の本を読んでゆきたいと思う次第です。

 

 

五月祭をゆっくりと。

 

五月祭に行ってきました。

三年生、しかも所属学部が駒場キャンパスにある身なので、今年は何もやる仕事がありません。

何も仕事がない五月祭というのははじめて。二年前と昨年は必死でデザインの仕事をやり、合間には鬼のようにたこ焼きや焼鳥を

焼きました。そして安田講堂の講演会では、席を埋め尽くした聴衆の方々がみな自分のデザインしたパンフレットを机の上に

置いているのを二階席から見て感動したり、渾身の出来と(当時は)自負していたポスターの前で沢山の方が記念撮影をされている

様子を見てじーんとしたりと、慌ただしく過ごしていました。ですが今回は完全フリー。よくよく考えてみれば、今までの二年間は時間に

余裕が全く無くて模擬店すら満足に回ることができていなかったので、今回は沢山のお店を回って、ゆっくりと食べ歩くことにしました。

 

たません、タピオカジュース、チュロス、似顔絵…と手を出しつつ本郷キャンパスを歩いていると、様々な人に出会います。

やたらツインテール+メイド服が似合う一年生の知り合い。ショッキングピンクのジャンパーをまとって四つ打ちのビートに体を揺らす

ゼミの後輩。女性と比べても引けを取らないほど美脚の、セーラー服で女装した高校の後輩。イケメンなのをいいことに相変わらずナンパ

にいそしむ浪人時代の同期。みな思い思いに五月祭を過ごしていて、「ああ、平和だなあ。」と思わずにはいられません。

そんなふうに、今回は一人の来場者として、このお祭りを堪能させて頂きました。関係者の方々、本当にお疲れさま!

 

23歳になりました。

 

23歳になりました。

にじゅうさん!信じられない響きです。自分がこんな年齢になるなんて思ってもみなかった。

20歳を過ぎてしまえば誕生日の感慨なんか無くなって、あとはもう「おっと、また誕生日か。」という感じで大したことないだろう、と

考えていました。まだ20と21ならいざしらず、22歳と23歳では何も変わらないだろうと思っていました。

ですが、23になってみると全然違う。たった一つ数字の下一ケタが増えただけなのに、襲いかかってくる重圧が凄い。

 

それもそのはず、22はまだ20に近かったけれど、23はもう25に近い数字なのです。想像もできない遠さにあった25という数字が

急に現実味を持って迫ってきます。様々な大人の方々から「言語は25歳まで。」「楽器は25歳まで。」「人生の選択も25歳までで決まる。」

と言われているので、僕にとって25歳というのはとても怖い年齢に映ります。先達の方々がおっしゃるように、25にもなると体力的にも

衰えてくるだろうし、記憶力や習得力も落ちてくるはず。そして人生の進路(就職か、大学院か、それとも「それ以外」か)も

ある程度決まってくるでしょう。そういった逃れようのない未来に、僕は確かに近づいてしまった。

 

などと書くと、「若者がそんなに悲観的でどうする!」と一喝されてしまいそうですが、悲観的になっているというわけではありません。

ただ、そろそろ着地点を決めなければならない。好奇心の赴くままに飛び回るのではなく、どこに降り立つか、狙いを

定めていかねばなりません。その作業はとても辛いものだと思うのです。

ですがそれが辛いものであれ、23にもなってまだ学部生をやらせてもらっていることに感謝していますし、これらからも僕には

毎日を精一杯過ごすことしか出来ません。違う世界にどんどん飛びこんでゆく度胸と、飲み会や遊びに誘われたら軽やかについていく

若いノリを忘れず、それでいて少しは大人の魅力(?)を醸し出しつつ、23歳の一年間を思いっきり過ごしたいと思います。

 

「夜景」とは何か -体験不可能な景色-

 

Twitter上で「夜景がデートにもたらす効用」についてゼミ生が議論していたので、それをきっかけに「夜景」とは何か考えてみた。

夜景のキーポイントは、ただ光が暗闇に飛び散っているだけでなく、それが「人の暮らし」を意味するものであるという点だ。

車のライト、高速道路のネオン、マンションの明かり…どれも人が生活しているという実感を伴う。つまり夜景を見ているとき我々は、

「人の暮らし」を外部 から見る立場に自己を置くことになる。闇を彩る色とりどりの光を通じて、この世界に沢山の他者が暮らしている事や

世界が人間の営みで加工されている事を目撃する。静止した夜景は存在しない。車が動いていたり家の電気が消えたりするように、

夜景はいつも動いている。それを見るたび、人間の暮らしの匂いを夜景に感じるはずだ。たとえば超超高層ビルから夜景を見て、

動いている光を見つけた時、「あれは何だろう?車かな?だとするとあのあたり高速道路かな?」と思考するだろう。

つまり、人が見えなくても結果的に人や人の生活を想像してしまう効果を持つ光景が、夜景なのである。

 

問題は、夜景が「人の暮らし」で成立しているものでありながら、夜景の担い手である「暮らしている人」と絶対的な距離を持っている

ことだと思う。眼前に広がる光に満ちた世界は、「人の暮らし」という身近なものの反映でありながら、圧倒的に「遠い」のだ。

あくまでも景色。交わることの ない他者の生活。しかしそんなふうにどこまでも遠い夜景を見るとき、自分のすぐそばに、同じ光景に目を

やる「誰か」がいたらどうだろう。必 然的に、側にいる人との「距離の近さ」を感じることになる。夜景はどこまでも遠い、しかし側にいる人

とはコミュニケーション可能な距離にいる。それを実感するはずだ。つまり夜景は、「交わることのない他者/側にいてコミュニケーションの

とれる距離にいる選ばれた他者」という対比を成立させる。かくして、夜景を媒介にすることで、側にいる他者との近さが、その距離以上に

接近する。こうした意味で夜景はデートに一定の効用を持つのではないか。

「そんな難しい事は考えていないし意識していない。夜景はただ綺麗なだけだ。」と言う反論が予想されるが、確かにその通りで、

夜景は最終的には「あー綺麗」という一言に帰着可能な光景だという特質を持っている。

「綺麗な夜景だね」→「車が走ってるよ」→「あのへん新宿かな、まだ沢山電気ついてる。」→「まあとにかく、綺麗だね。うふふ。」と

最終的には「夜景」という抽象的総体に帰着される、つまり鈍感を許す光景でもあり、まさにそれこそが、デートスポットとして不動の

地位を占める理由であるだろう。

 

そしてまた、夜景の特異は、自然との対比によって明らかになる。夕日や星といった「自然の光」と、夜景、すなわち「人工の光」とは

何が違うのか。それはこうだ。没入できる自然と異なり、夜景は窓枠やガラスなどを通して「外部」から見る事を必要とする。満点の星空

の下に身を置くのと、光に満ちた東京の夜景を六本木ヒルズの上から見るのとでは、根本的に主体の占める位置が異なる。

つまり言うなれば、夜景は鑑賞するものであるけれども、「体験できないもの」なのである。

(おわり)

深夜の本郷キャンパス

 

情報学環のコモンズというスペースを使って徹夜で勉強してみた。

普段駒場で毎日過ごしている身としては、本郷というだけで珍しい。深夜の本郷となればなおさらだ。

夜中二時ぐらいに休憩しようと思って部屋を出て、赤門から外に出ようとしてビックリした。門が閉まっている。出る事ができない。

なんと本郷キャンパスは夜になると竜岡門という門を除いてすべて閉鎖されるらしい。いつでも空きっぱなしの駒場キャンパスに

慣れていたので、「夜に門が閉まる」というのに激しく違和感を覚えた。

 

一旦部屋に戻ってネットで検索したところ、本郷キャンパス内にあるローソン(安田講堂のすぐ近く)は24時間開いているとのこと。

門を締めている以上、外部の人がわざわざこのローソンに買いにくることはまずないだろう。つまりこのローソンは、夜中に勉強したり

研究したりする学生専用に24時間オープンしていることになる。「がんばって勉強・研究しなさいよ。」という東大の声が聞こえてくるようだ。

しかも「夜中に勉強・研究する学生用」だからだろうか、夜9時以降はお酒を販売してくれないらしい。ビールでも飲みながら勉強の続きを

やろうと思っていたので、ちょっとアテが外れて残念。

 

気を取り直して「野菜生活」のペットボトルを購入した。KAGOMEの100%のやつである。

闇夜にそびえる安田講堂を見上げながら、これを一気飲みする。健康なんだか不健康なんだかよく分からない。

なんとなくやってみたかっただけだ。安田講堂に背を向け、飲み終えたペットボトルをぶらさげて講堂から続くまっすぐな道を

歩きながら、東大での生活にいつの間にか自分がすっかり馴染んでいることを実感した。もう三年生になってしまった。

時間が経つのは本当に早い。

 

わざと遠回りして深夜の本郷キャンパスを散策する。

午前三時。人の気配はほとんどない。駒場キャンパスと違って、暗いところは容赦なく暗い。

総合図書館の近くなど、足元がまったく見えない。「誰もいないように見えるけど、実は横の暗がりに沢山の人間が息を潜めていたら・・・」

などと考えてちょっと怖くなる。「闇は想像力を掻き立てる」というセリフをどこかで聞いた気がして、何だったかなと考えながらしばらく

闇の中を歩いた。文学部棟をくぐり、医学部棟の前でぼんやりと佇んでいるうち、唐突に思い出した。『オペラ座の怪人』だ。

この映画の中で歌われるThe Music of the Nightという曲の冒頭に

Night-time sharpens, heightens each sensation.  (夜はあらゆる感性を高め、研ぎ澄ませる。)

Darkeness stirs and wakes imagination.  (闇は想像力を掻き立て、目覚めさせる。)

という一節があるのだった。部屋に帰ったら作曲者のアンドリュー・ロイド・ウェーバーのCDを聞きながら勉強することにしよう。

 

ひとしきり歩くと一時間ぐらい経っていた。

目はだいぶん暗闇に慣れ、夜風が肌に気持ちいい。春の夜は不思議な力に満ちている。冬とは明らかに違う何かがある。

目にとびこんでくる電燈の光は、キラキラと鋭く輝いていた冬と違ってどこか鈍い。昼間の陽光はすっかり姿を潜め仄寒いが、冷たさという

よりは「涼しさ」といったほうがしっくり来る。朧げな空気、だがその中に、明日の暖かさへと繋がる「何か」が息づいているのを感じる。

 

冬は終わった。春は確かにそこにある。

また一つ季節が変わったことを知り、深いブルーブラックの空を見上げながら大きく伸びをして、元いた場所へゆっくりと歩きだす。

僕の22歳は、もうすぐ終わる。

 

 

Evernote・VAIO P・Orobianco

 

四月に入ってから、Evernoteというソフト(あるいはサービス)を使い始めました。

Evernoteがどんなソフトなのかはグーグル先生に問い合わせて頂ければすぐ分かると思いますが、要はオンライン・オフライン両用

できるストレージです。とくにノート形式でメモや本の抜き書きを保存するのに適していて、画像なども貼りこんで保存することが可能です。

かつ、webページの保存機能が優秀で、clipperと呼ばれるアプリケーションを用いることで、ウェブページのすべて・あるいは特定の

部位だけを選択してテキストとして保存することが出来ます。(そのページのアドレスなどもきちんと保存されます。)

 

これをどう使うか。色々な使用方法があると思うのですが、いまの僕の使い方はこんな感じです。

 

1.文献の抜き書きの保存場所として。

ワードでは一覧性が悪いので、オフラインで動作するEvernote上に「ノート」として抜き書きを打ち込んで保存しています。

具体的には、年度ごとに「2010抜き書き」「2009抜き書き」という名前のノート(フォルダみたいなものです)を作って、その中に

該当年に読んだ本のタイトルごとにファイルを作りました。大学に入ってから読んだ本のデーターはほとんど今使っているパソコン

(VAIO SZ95カスタム)に残していたので、それらをすべてEvernote上に移行させた結果、1000冊近くのファイルが出来ました。

なかなか壮観です。そしてこのデーターをオンライン上で動作するEvernoteと同期させることで、パソコンを持ち歩いていない場合でも

ネットさえ繋がれば抜き書きを参照することが出来ます。かつ、タブをそれぞれにつければ

(たとえば、ジュディス・バトラーの『ジェンダー・トラブル』に「身体」「権力」「フェミニズム」「性」「ラカン」「クリステヴァ」などとつけておく。)

タブによって検索が可能になります。これは本当に便利で、「身体」とタブで検索すると僕の読んだ本の中で身体論に関連するものが

ザーッとリストアップされるというわけです。一人暮らしをしていると家に置ける本の量に限りがあり、すべてを家の本棚に並べておくわけ

にはいかないので、このような機能は本当に助かります。

 

2.メールの保存場所として

携帯・パソコンともに、重要なメールを保存する場所として使っています。携帯のメールの保存方法は簡単で、割り当てられたアドレスに

メールを転送するだけ。スケジュールに関係するものや「あ、これ重要だな」と思ったものなどは携帯で受信したら即Evernoteに転送

しています。フランス語やドイツ語の文例集のメルマガを購読しているので、その貯蔵庫としても活用しています。

 

3.デザインのアーカイブとして

デザインのお仕事を頂く際、「過去の作品を見せて」と言われることがしばしばありますが、そう毎日パソコンを持ち歩いているわけでは

ありませんので、中々簡単にお見せすることが出来なかったします。過去の制作物をEvernote上にあげておけばEvernoteに

アクセスするだけでお見せすることが出来るので、とても便利です。フラッシュメモリに保存する代わり、という感じですね。

 

4.スケジュール管理として

予定をEvernote上に入力しておき、yahooのカレンダー機能と組み合わせて、指定の時刻にメールが届くようにしてあります。

スケジュール自体は手帳に書き込んであるのですが、つい手帳を確認し忘れる事があるので、この機能はリマインダーとして非常に

有効です。

 

5.欲しい物リストとして

この使い方は、Twitter上で友達から教えてもらったのですが、欲しいものの載っているwebページを見つけたらどんどんclipperで

ページごと保存して「欲しいものリスト」と名付けたノートに投げ込んでいきます。外出先で、

「あの商品なんだっけ。パソコンに保存してあるのに。」とか、商品の実物を前にして「あの商品ネットで買った方が安かったかなー。」と

悩むことは結構あると思うのですが、Everclipperを使えば外出先からでも「欲しいものリスト」にアクセスすれば簡単に確認することが

出来ます。

 

 

ですが、これらの機能を最大限に使うためには持ち運び可能なミニノートがあったほうが好ましいのは明らか。

そこでVAIOのPを購入しました。まだ現物は届いていないのですが、これとEvernoteを組み合わせることで、授業中でも電車の中でも、

思いついた時に「抜き書き」フォルダや「講義ノート」フォルダにアクセスすることが出来るでしょう。とくに抜き書きフォルダは自分の

バックグラウンドそのものといっても過言でないぐらい重要なものなので、これにいつでもアクセス出来るというのはとても便利ですね。

また、複数の言語を学んでいる身としては、言語ごとに電子辞書を持ちかえたりカードを差し替えたりする手間を非常に厄介に

感じていたのですが、VAIO Pの中に複数言語の辞書ファイルを突っ込み、なおかつオンラインでの辞書サイトをフル活用することで、

最強の電子辞書としての使い方が出来ると期待しています。

 

色などの構成は、オニキスブラック×モザイク×ダークブラウン英字キーボードのカスタムを選択しました。本当はガーネットレッドの

天板(ヌードラーズという万年筆のインクメーカーが出しているOttoman’s Roseと、エルバンのPoussière de luneというインクの中間の

ような、絶妙な色。とても手の込んだ表面加工が為されており、SONYならではのコダワリを感じます。)

を選びたかったのですが「入荷未定」ということで泣く泣く諦め、フォーマルな場所でも使いやすそうなこの組み合わせに決定。

ちょっと買う時期が遅かったかもしれません(笑)

 

ちなみにVAIO Pは、ちょっと出かけるときなどに愛用しているオロビアンコのLINAPISTA(シルバーグレー)というモデルのショルダー

バッグにぴったり入る気がするので、ぜひやってみたいと思っています。この組み合わせで使っている人は中々いないでしょうし、他の

パソコンでは恐らく出来ないんじゃないでしょうか。オロビアンコさんもこれにパソコンを入れられることになるとは考えていなかったはず。

VAIO Pの横長フォルムが為せるワザですね。また手元に届き次第感想などを書くつもりですので、どうぞお楽しみに。

 

 

南京滞在記 二日目

 

ということで滞在二日目です。

今日は南京大学のもう一つのキャンパスまでバスで移動して、朝九時から三時間ほとんどぶっ続けの形で講義を受けました。

内容は福島先生による障害学の概説。とくに今日は、先生ご自身の経験や指点字についてのお話をされ、その延長線上で

「障害とは何か」「バリアフリーとは何か」などのテーマを軸にした講義を展開されていらっしゃいました。

 

講義が終わってからは院生との討論会を行いました。先程の福島先生の講義に関連して、「障害」についての日中間の取り組みや

スタンスの差異をお互いに発表しあいながら、いつしか話は「人文系の学問を研究するとはどういうことか」というテーマにも

広がってゆき、研究者の道を考えている僕としてはとても身になるものでした。

また、討論会の後でこのプログラムに参加されている東大の博士課程の先輩と、福島先生の述べる「障害」の定義について

少し話をしたのですが、そちらも大変面白いものでした。福島先生は「障害」を、「産業革命後に現れたもので、産業革命の際の

一人ひとりに対して期待される労働力(これは画一化されたものです)から外れるものを【障害】と定義していったものである。」

と説明されていたのですが、これはもちろん、フーコーの「狂気」に関する分析を彷彿とさせる考え方です。

 

「障害」という具体的なものが存在するのではなく、恣意的に想定される「正常」から外れたものを「狂気」として社会が定義したように、

「障害」も社会的に定義されるものなのです。そして「障害者」を一か所に集中させるやり方は、狂気の者たちを精神病院に収容し社会

から排除するかつてのやり方(このような状況に置いて働く見えない力学が「生権力」だと言えます)と極めて近いところがある。

だとするならば、「障害者」問題の根本的解決のためには、一か所に集めて特殊な訓練を施すのではなく、

「障害者」も健常者と同じ環境の中にその身を置いて社会参加することが重要になってくるわけであって、そのために政府がどのように

社会参加しやすい状況を作るかが重要な問題になってくるでしょう。福島先生はこのような試みの事を、本日の講義において

「バリアフリーを取り巻くバリアを外す試み」とおっしゃっていました。

 

討論が終わってからは自由時間でした。

僕が音楽に関わっている関係で、「もし可能ならば伝統音楽に触れる機会があれば嬉しいです」と伝えておいたところ、

南京大学の学生さんたちが昆劇のようなものに我々を連れて行ってくれました。昆劇とは中国伝統の歌謡と舞踊と音楽の融合した

劇のようなもので、簡単に言ってしまえば小規模なオペラです。歌詞や台詞はすべて中国語でしたのでイマイチ細かいところは理解

できませんでしたが、オペラと同じく電光掲示板の字幕に中国語の字幕が出ていたので、漢文で培った知識を総動員すれば

ある程度の内容は把握することができます。音楽は基本的に四拍子の曲がメインであり、伝統楽器の独特の音色が魅力的。

演奏者の人数は小編成の室内楽団ぐらいで、指揮者はおらず、打楽器を担当している男性が全体のリズムを引っ張っていたように

感じます。また、演奏の合間には南京大学の先生が突然壇上に上がってカラオケをやりだしたり、聴衆を舞台にあげたりと

割とカジュアル&何でもありな感じの演奏会でとても面白かったです。

わざわざリクエストを聞いてくれた南京大学の学生さんたちに心から感謝しています。貴重なものを見る事が出来ました。

 

そして一日の締めには、南京大学の学生さんたちと一緒に四川料理を食べつつ、杯を交わしました。

噂には聞いていましたが四川料理は本当に辛い!食べた瞬間はそうでもないのですが、じわじわと辛さが口の中に広がります。

そして、中国の方にとっては無くてはならないお酒である「白酒」を向こうの学生さんが持ってきて下さったので、それも中国のしきたりに

従って頂きました。度数は45度程度と中々の強さ。それをストレートでグラス(「公杯」と呼ばれるもの)に注いでみんなに回します。

全員に行き渡ったら、回転テーブルにみんなでグラスを打ちつけて乾杯し、まず一口グイッと呑みます。喉がカーッと熱くなります。

それから隣の人とグラスを当てて乾杯し、またグイッといきます。さらにまた別の隣の人と同じことをやり、少し離れた人とも同じことをやり、

これを繰り返していくわけです。つまり一人で飲むことはめったにしません。呑むときには大抵誰かと一緒に、同時に呑みます。

そして一度白酒を頼んだら、その飲み会はずーっとみんな白酒だけで通すそうです。日本のようにビール→日本酒→焼酎…みたいな

頼み方はしません。呑み方一つとっても日本と違う点が沢山あり、一つ一つが驚きでした。

あ、ちなみに「呑み放題」というシステムも無いそうですよ!

 

そんなこんなで、45度の酒をストレートでこうやって呑んでいたら酒が苦手な人にとっては当然死亡フラグなわけで、

ちょっと辛そうにしている学生さんもいましたが、とりあえず美味しく最後まで頂いてボトルを一本空にして店を出て、キャンパス内の

ホテルへの帰路に着きます。南京大学は全寮制で寮とキャンパスが一体化しているので、キャンパス内にはまだ沢山の学生が

行き来していました。同じアジア人だからでしょうか、言語がほとんど分からないのにも関わらず、彼らが行き交う中に身を置いても

居心地の悪さは全く感じません。むしろ親しみすら覚えます。生活感と連帯感、そしてエネルギーが溢れるこのキャンパスの雰囲気

はとても素敵ですね。あと一週間ほどある滞在期間を、目一杯勉強して交流して楽しもうと思います。