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カイエ:音楽と人生をデザインするということ。

 

五月に練馬文化センターで指揮する、プロコフィエフ『古典交響曲』のレッスンを受けていた。

二楽章がとても難しい。ppが基調となったこの楽章、盛り上がるところはわずか一、二小節しかないけれど、それでいてしなやかな音楽だ。

スタッカートとスラーのつき方を見ただけでもそのことが分かる。まるでバレエのように、すらりと伸びた肢体がしずしずと、しかし弾力性を持ちつつピルエットを繰り返す。

師匠は言う。「こういう音楽はとくに、自分で音楽の流れを作っていかないとだめだ。一切ごまかせないよ。あなたが振ったとおりに音が出てしまう。プロコフィエフも残酷な曲を書いたなあと思う。」

僕にはまだ、「流れ」を自然に作っていくことはできない。作ろうとすればあざとくなり、無心で流れに身を委ねると弛緩する。意志をピアノ線のように細く、しかし強靭に隅々まで張り巡らせなければならない。

それは分かっているけれども、静かな音が積み重なっていくこの音楽に僕はまだ耐えられないのだ。静けさを心地よく感じるどころか、静けさを暗闇のように感じてしまう。

こんなに好きな曲なのに、うまく振れない。それが今はひたすらにもどかしい。

 

音楽の流れ。それを自分で作っていくということは、とてもとてもエネルギーのいることだ。

たぶん人生もそうなのだろう。引かれたレールの上を、誰かが踏み固めた雪道の上を歩くのは容易い。だが、たとえ稚拙だと言われようが、ぼくはぼくのやり方で、人生にレールを引きたいと思う。

夢を描いて地をならし、何かを捨てては拾い上げ、汗をぬぐっては涙に濡れる。既にある道を横目に、足元も先行きも見えない暗闇を引き受けて、それでもなお、光を開拓しようと全身ずたぼろになって足掻きたい。

「意志の力」などという不確かなものを信じ、常に自分を追い込みながら、限界の中から前へ前へと進み行くエネルギーを生産し続ける。創造的に生きるとはたぶんそういうことだ。

 

MacBook Pro新型17インチ

 

2/24日に発表されたばかりのMacBook Proをアップルストアにて購入してきました。

仕様はプロセッサが2.3GHzクアッドコアInter Core i7、メモリが8GB、750GBのHDDに17インチのアンチグレア液晶USキーボードです。

17インチのMacBookProを選択される方はどうやらかなり少数派のようですが、僕にとってはこれ一択でした。というのも、通常使っているVaio-SZ95カスタムが13.3インチで持ち歩きには便利ですし、

iPadやVaio-Pも所持していることを考えると、それらとの棲み分けのためにはこの巨大ディスプレイが最適だと考えられたからです。また、デザインの仕事をしながら論文を読んだり書いたり辞書を参照したりと

同時に何動作もするため、17インチの広さがあるとそうした作業が圧倒的にしやすくなるであろうことが予想されました。

 

使ってみてすぐにこの便利さは体感されました。めちゃくちゃ画面が広くて使いやすい!

もちろん持ち歩きには向きません(この大きさを活かして、暴漢に襲われたときの盾として使うと効果的かもしれません)が、いざ開けるとこの安心感は何物にも代え難いものがあります。

いままでのパソコンでは、ディスプレイを「のぞきこむ」という感じだったのですが、17インチになるとまるでディスプレイに「包み込まれている」ような感覚。自然と目の前の作業に集中することが出来ます。

そして、プロセッサをクアッドの2.3GHzにしたことによって、動作が凄まじく速いです。「えっ、こんなスピードでレンダリングが終わるの?!」と驚いてしまいました。

アンチグレアの液晶にしたことによって、オフィスで作業している際も蛍光灯が映り込まず、長時間の作業の際に目の疲れがずいぶんと緩和されましたし、外に(万が一)持ち出しても、太陽光の反射を抑えてくれるので

ディスプレイの視認性が非常に高くなります。「デザイナーはアンチグレア」というのはこの業界で一つの常識のようになっていますが、確かにそうだなあと頷かされました。

 

店員さんから聞いた話では、ベンチマークテストでも17インチのこの組み合わせではとんでもない結果が出ているとのこと。

まあそれはプロセッサを考えればなるほどという感じですが、使っていてストレスを感じる場面がほとんどありません。夏ごろになったらHDDをSSDに換装しようと企んでいます。

そうするともう最強速度で作業が進みそうですね。高い買い物でしたが、これから数年にわたり、それに見合う分の仕事をしてもらおうと思います。

17インチのMacBook Pro、閉じた見かけは巨大なまな板のようですが、凄まじい性能を秘めた「モンスターまな板」であることには疑いがありません。買って良かった!

 

マンダリン・オリエンタルホテルに宿泊してきた。

 

日本橋にあるマンダリン・オリエンタルホテルに宿泊してきました。

いや、正確には、「宿泊させて頂いた」というべきでしょう。デザインのお仕事を下さったクライアントさまが新年会をされるとのことで

幸せなことに僕も声をかけて頂きました。ドレスコードは「スマート・エレガント」ということで、ラファエル・カルーソのスーツと

ステファノ・ビジのタイ、それにチェスターフィールドコートを羽織るという珍しく気合いを入れた恰好をしてホテルへ。

 

まずはホテルの38階にある広東料理「センス」で素晴らしく美味しい中華と美酒を堪能。

東京タワーを遥に望む夜景に圧倒されながら、普段は口にすることのないようなお料理の数々を頂きました。

お酒の美味しさはもちろん、鮑が泣くほど美味しかったです。そして、なんとそのまま宿泊する流れに。

 

宿泊の前に、作ってきたデザインのお披露目を行いました。

クライアントさまやスタッフの方々が沢山いらっしゃる前で、しかもほろ酔いの状態でプレゼン(もちろんアドリブ)をやるのは

なかなかスリリングでしたが、全体的に好評だったようでひと安心。外国からの旅行者向けのデザインですので、文字情報は全部

英語。ターゲットも普段とは異なるし、文字も普段とは異なるので、いつもとは少し違うデザインをする必要があります。

逆にいえば、いつもは出来ないデザインが出来るチャンスでもあるので、フランスで学んできた色遣いを細部に取り入れるなど、実験的な

要素を盛り込んでみました。自然な目流れを作りつつも注目度の高いものが出来たかと思います。

 

そのまま朝まで広々とした部屋で飲み、色々なお仕事をされている社会人の方々とお話させて頂きつつ、朝四時ぐらいにベッドへ。

東京に住んでいるのに東京でホテルに宿泊する、というのは贅沢ですね。一人ならそのへんの漫画喫茶がいいところだなあ、と

考えつつ、夢の中に。ルームフレグランスのレモングラスの香りが印象的でした。

 

朝八時に起床して、ホテルに併設された37階のスパへ。

ガラス張りのパウダールームに入るなり、目の前に広がる東京の街並みと遠くに見える富士山。

これを見ながらサウナや広い湯船につかれるわけです。一人暮らしで、普段は足も伸ばせないような狭い湯船につかっている身

としては感動せざるを得ません。ジャグジーから生まれるお湯の流れに身を委ねながら、冠雪した富士山をのぞむ。

視線を手前にやると、東京大学の入学式で三年前に入った武道館が見えます。なんだか、今日も一日がんばろうという気力が

ふつふつと湧いてきました。ご招待して頂いたクライアントさまに心から感謝しています。ありがとうございました。

 

夢のような時間を過ごして、そのまま神楽坂の「週刊読書人」にウェブデザインのお仕事のため、出社。

ホテルから仕事場にいくというのは初めてでした。ちょうどその日は凄く強い風が吹いていて、スーツの上に羽織っていたコートの裾が

翻るのが不思議と心地よく、近づきつつある春を感じながら日本橋の街を歩きます。もうすぐ24歳になるのだな、と思いながら。

 

ヴェルディ『La Traviata 椿姫』@新国立劇場

 

「夕鶴」に続いて、「椿姫」を見てきました。

椿姫といえば、これまた良く知られたオペラで、原作となっているアレクサンドル・デュマによる小説も今に至るまで読み継がれているもの。

ですが小説とオペラの内容は結構違っています。まず主人公二人の名前が全く違う。さらにオペラの方はヒロイン(ヴィオレッタ)と

男(アルフレード)の二人の純愛の世界を描く要素が強くなっています。

 

このオペラ、僕はカルロス・クライバーの録音を昔から愛聴しており、一幕や三幕の前奏曲は大好きな曲の一つ。

師匠がかつて一幕の「ああそは彼の人か」を演奏したこともあってスコアも入手していましたし、有名な「乾杯の歌」もこの間自分で

指揮したばかり。これはという曲をいくつか選んで、スコアを勉強したうえで実演(公演初日です)に臨みました。

 

チューニングが終わり、電気が落ちて(いつもはチューニングしつつ電気が落ちるのですが、今回はなかなか落ちませんでした。

手違いでしょうか)、あのすすり泣くような一幕の前奏曲が始まります。

ですが…うーん、何と言ったらよいのか、あざとい。自然な流れが無く、僕が感じたものとはフレーズの捉え方が違って

(どちらが正しいとかそういう問題ではなく)ちょっと違和感を抱いてしまいました。

オーケストラの音も一幕の間はずいぶん固く、音の伸びが足りない印象。アルフレード役の方も最初はかなり固かったです。

 

二幕になると音から随分と固さがとれ、とくにヴィオレッタとアルフレード役の方々がのびのびと歌っていらっしゃったように感じます。

それにしてもヴェルディの音楽というのは本当に凄い。とくに三幕の最後、ヴィオレッタが自らの死の予感に直面したときの

感情の描き分けなんて天才だと思います。僕はこの部分を聴きながら、エリザベス・キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間』という書物を

思いだしました。キューブラー・ロスは200人の末期がん患者に聴きとり調査を行い、死に直面した人たちは

「否認と孤立」「怒り」「取り引き」「抑鬱」「受容」というプロセスを経て死に向き合っていくということを本書で述べていますが、

三幕のヴィオレッタはまさにそうした感情の渦に巻き込まれます。そして一幕・三幕の前奏曲のあのすすり泣くような弦の旋律が何度も

リフレインされる。金管を効果的に用いて不安を表現し、再びピアニッシモで静謐さを満ちさせ、劇的に突き進んでゆく。

死を前にした感情の揺れ動きを音楽で見事に描写しているように思われました。

 

そんなことを考えながら終演後ホワイエに出て窓の外を見ると、世界が白く見えるほど雪が降っており、

そればかりかすでに積もり始めていました。新国立劇場の窓ガラスから雪が見えたのはじめてでしたが、何だかとても綺麗で

静かに感動。結局、その日は夜を通じて雪が降り、東京とは思えないほどの積雪を記録することになったようです。

これから先、「椿姫」を見るたびに雪を、雪を見るたびに「椿姫」を思いだしてしまいそうな気がします。

 

断章:鳥のように軽くあること、羽根のようにではなく。

 

一つの考えが形になりつつある。

いまこの機会を逃すと僕は永遠に後悔するだろう。

不安は山のようにある。だが、不安を抑えてあまりある魅力が目の前に湧き出している。結局のところ、僕は崖っぷちに置かれた

ロードランナーの上で走り続けることで自身を磨かざるを得ない。安定した地面の上では無難な思考しか生み得ない。

 

僕には時間が必要だ。そして時間と同時に闇が必要だ。ヴァレリーが書いていた。

「意識というものは闇から生まれ、闇を生き、闇を養分にし、はては闇をより濃く生まれ変わらせる。―自らに問いかけることにより、

また自らの明晰さの力により、その力に比例して。」

闇に住むことなく、光の中で笑っているだけでは、いつしかコントラストも失われてしまう。影、陰り、波打ち際の黒く濡れた砂。

慣れ親しんだあの場所にそろそろまた戻っていかなければならない。孤独は僕に生気を蘇らせてくれる。

 

二度と起こらないことが分かっている出会いに自分の全てを賭けてみるのも悪くない。

力不足なのは分かっている。けれども、息の止まるような感動に人生を捧げたい。どんな形でもいい。音楽でも、文章でも、デザインでも。

学べる限りを学んで再びこの場所へ。コクトーが、ヴァレリーが遥か遠くから背中を押す。そして、たぶん僕の師も。

 

 

ジャン・コクトー『ぼく自身あるいは困難な存在』 ― 賛辞としてはただ一つ、魔術師。

 

久しぶりに、背筋が震えるような本に出会った。

ジャン・コクトーの『ぼく自身あるいは困難な存在』(ちくま学芸文庫)という一冊だ。ジャン・コクトーについては『恐るべき子供たち』を

読んだだけで彼の他の本は知らなかった。この本はいきなりこう始まる。

 

「語るべきことを語りすぎ、語るべきでないことを充分には語らなかったためぼくは今自分を責めている。しかし、よみがえる様々の

ことどもは、周囲の虚無の中にあまりにみごとに吸収されているから、例えば実際それが列車であったのか、またどれが、

沢山の自転車を積んだ貨車を牽いていた列車であったのか、もはやわかりはしない。…….涙はこぼれんばかり。それは家のことでも、

長く待っていたからでもない。語るべきことを語り過ぎたため、語るべきではないことについては充分に語らなかったからだ。

だが結局すべては解決がつく。ひとつ、存在してゆくことの難しさを除いては。これは決して解決がつくものではない。」

 

そして、次にこう始まる。

「ぼくは五十歳を過ぎた。つまり、死がぼくに追い付くのにそれほど長い道のりを必要としなくなったということだ。」

 

「射撃姿勢をとらずに凝っと狙いを定め、何としてでも的の中心を射抜く」という有名な一文もそうだが、挙げればキリが無いぐらい

コクトーの言葉は凝縮されていて、無駄がないのに詩的なものを失わない。ちょうどいま思っていたこと・思いたかったことが

イメージの豊かさを漂わせつつ明晰に言語化されている。それらはどれも、四月からいくつか身の振り方を考えて悩んでいた

僕にとって一つの選択肢を強烈に推してくれるものだった。今までなぜ出会わなかったのかと不思議になる。

その一方で、今このタイミングで出会えたことに運命を感じている。最後にもう二つだけ引用しておこう。

 

エリック・サティについて述べた部分。

「彼はそこで自分を軽石で磨き、自分に反撃し、自分にやすりをかけ、自分の繊細な力がもはや本源から流出するしかなくなるような

小さな孔をきたえあげたのだった。」

 

コクトーが自身の仕事について書いた部分。

「孤独を願うのは、どうやら社会的な罪であるらしい。一つ仕事が済むとぼくは逃げ出す。ぼくは新天地を求める。

習慣からくる弛緩を恐れる。ぼくは、自分が技術や経験から自由でありたい ―つまり不器用でありたいと思う。

それは、奇人、叛逆者、曲芸師、空想家であることなのだ。そして賛辞としてはただ一つ、魔術師。」

 

 

日曜日のすごしかた。

 

久しぶりに予定の無い日曜日だった。

昼前までゆっくりと寝て、ゆるゆると布団から這い出て家事をし、着替え、Pierre Bourdieu – Agent provocateur -という本一冊と

財布と携帯だけを持って、お気に入りの小さなカフェへ。い つものように、マスターのドリップの手つきが良く見えるカウンターの端に座る。

もう何十回と来ていて顔を覚えられているから、頼まなくても一杯目はブレンドを出して頂ける。

丁寧に蒸らして淹れながら「今日は何の本を?」と初老のマスターが顔を上げずに僕に尋ねる。

「今日はこれです」そう言って持ってきた本 を見せると、マスターはふっと顔をあげて、いつも通り「そうか。ゆっくりどうぞ。」と笑顔で

珈琲をくださる。会話はそれっきりで、時々他のお客さんが入ってくると賑やかにもなるけれど、静かに時間が流れてゆく。

店内にはビゼーの「カルメン」の組曲が控えめな音量でかかっていて耳に心地よい。ブルデューもビゼーもフランス人なんだな、と

とりとめもないことをぼんやりと考える。珈琲の香りが、目の前にある緑と金で縁どられたジノリのカップから、あるいは煎りたての豆が

並ぶカウンターの向こうから、ふわりと豊かに漂ってくる。

 

お客さんが増えてきた三時頃、軽く睡魔に包まれながらそっと店を出る。

起きた頃には高かった陽はもう傾きはじめ、西日が世界を斜めに照らす。ああ、もう一日が終わり始めている、と嘆息する。

眠気の残る頭のまま、予約もせずに美容院へと向かう。うとうとした心地のまま誰か他の人に髪を洗ってもらい、切ってもらう。

そんな幸せなことがあるだろうか。身体に触れる手の温度が心地いい。こうやって人の温度をゆっくり感じたのは久しぶりかもしれない。

そうだ、今日は自分のために一日を使おう。まどろむ思考の中で決意した。

 

そうして、二カ月に一度通っている中国整体へ足を運ぶ。

ここで身体のバランスを見てもらうのが僕にとっては一番の体調管理。疲労もゆがみも身体を見れば一発で分かる。

身体は正直なものだ。しばらく無理を重ねていたから背中に相当な負担が来ていたことを感じつつ、南京で覚えた拙い中国語で先生と

話し、「日本語も中国語も難しいね!」と呵々大笑する。施術が終わると、背中から誰かがはがれたみたいに身体が軽くなっていた。

 

身体が軽くなると、すぐに動きたくなる。じっとしていられない。昔からそうだ。

近くのカフェに入ってフランス語をやり始めたもののすぐに我慢が出来なくなって席を立ち、自宅に走って帰って準備をし、

いそいそとボウリングへ出かけた。もう一つの体調管理。ボウリングは僕にとって禅のようなもので、集中力チェックの意味を

果たしてくれる。日々の音楽の勉強で学んだことがボウリングに影響を与えてくれる。指揮もボウリングも、立った瞬間から

勝負がはじまっていて、背中で語らなければならない。一歩目、二歩目は楔を打ち込むようにしっかりと、しかし擦り足で弱拍。

我慢の限界というほどにゆっくりと歩くと、周りの景色が違って見えてくる。背中に静寂が吸いこまれていく感覚がある。

そして四でがっしりとタメを作り、時間と時間の隙間に無重力の一瞬を生みだして、一気に、しかしリリース・ゾーンを長く取って、

全エネルギーをボールに乗せて放つ。その繰り返し。ひたすら自分の精神と身体に向かい合う。

軽くなった身体で、一心不乱に七ゲーム投げ続けた。

帰ってまた本を開き、疲れたところでフランス語を始める。

そうするうちに夜はどんどん更け行き、日があっという間に変わってしまう。焦りとともに、指揮の課題として勉強しているバルトークの

ミクロコスモスNo.140.141を開き、読み込み、この目まぐるしく移る変拍子をイメージする。運動ではなく、音楽として感じられるように。

少しでも音楽が出来るように。

続けて、5月に指揮するプロコフィエフの「古典交響曲」のスコアを開いてCDを流しながらざあっと読んでみる。

わずか15分足らずの曲なのに、編成もハイドン時代の古典的な編成なのに、がっちりとした枠の中に多くの逸脱がある。

大胆な和声、意表を突く和声、楽器のテクニカルな交差。形式の中に刻み込まれた皮肉とユーモア。プロコフィエフの天才。

どうやったらこれを表現出来るのだろう。

新聞屋さんがポストにカタンと音を立てた。

もう五時だ。一日の終わりに、もう10年近く使っている万年筆を手に取り、原稿用紙に向かう。

書かなければならないことは沢山あって、書きたいこともとめどなく湧き出てくるのに、書けることはほんの僅かだ。

ため息をついて椅子の背もたれに寄りかかる。お風呂上がりに淹れたお茶はすっかり冷めてしまっていた。

朝六時。そろそろ寝よう。世界が動き始める。日曜日を終えるのは怖いけれど、月曜日を始めなくてはならない。

ヨーロッパ滞在記 その8 -マドレーヌ教会のレクイエム-

 

ホテルに帰ったころにはすっかり陽が落ちており、昼までの暖かさが嘘みたいに空気が冷えていました。

ベトナムで買った紫のストールを、ポンピドゥーセンター前で買ったボルドーのストール(パシュミナみたいな長さでしたが)に

替えていざ外へ。フランス滞在最後の夜は、たまたま告知を見つけたモーツァルトのレクイエムをマドレーヌ教会で聞いてくることに

しました。マドレーヌ教会は教会の前に広々とした花壇があって、そこには赤の花が綺麗に植わっていたのを昼間に見ていたので、

それに合わせてボルドーのストールに変えてみた、というなんちゃってフランス人な発想があったりします。

 

ボルドーのストールなので、というわけではないのですが、お酒を飲みたくなったので、教会の近くのカフェに入って

ボルドーを二杯頂きました。幸せな気持ちになったところで、いざマドレーヌ教会へ。

僕はかなり最初の方に入ったので、前から二列目に座っていましたが、開演直前になると教会内に並べられた椅子がほとんど

全て埋まっていました。さすが文化の国、フランスですね。

そして始まったレクイエム。うーん。微妙です。教会の壮麗な空間でモーツァルトのレクイエムを聴いているのですから素直に喜んで

おけばいいのですが、指揮を習っている身としてはそういうわけにはいきません。フレーズ感が無いし、強拍・弱拍の差も感じられない。

技術の問題ではなく、音符を音に変換しているだけだなあと思ってしまいました。アンコールのヴェルディも勢いだけで

雑な印象。決して斜めに構えているわけではないのですが、何だかちょっと肩すかしを喰った気分で終演後に席を立つと、

左前に座っていた方がフルスコアに色々と書き込みをしているのが見えました。

珍しいな、と思ってフランス語で「音楽をされているのですか。」と話しかけてみたところ、なんと今回のオーケストラの練習指揮者の方

でした!同じく指揮をやっていることもあり、伝わったのか伝わっていないのか分からない会話でもすぐに意気投合してしまい、なぜか

二人で呑みに行くことに。近くのカフェで呑んでいたのですが、相当さきほどの演奏に不満だったようで、

「俺はあんな風に練習指揮をつけてないのに、今日の指揮者がむちゃくちゃにしたんだ!あれじゃ駄目なんだ!」と

熱弁をふるっていました。僕はそんなに話せないので一生懸命リスニングするのに必死だったのですが、感想は彼と

近いものだったので、何だか気持ちが分かる気がしました。音楽の世界は難しいですね。

 

結局、二軒目にはしごして、朝まで二人で音楽談義をしながら飲み明かしてしまいました。

まさかフランスでオールするとは思いませんでしたが、フランス滞在の最終日を締めるには相応しい時間だったかもしれません。

始発に乗りながら「いつかパリで指揮できるように頑張ります。」と彼とがっちり握手をして、自分のホテルへ戻り、慌てて荷造りを

し始めました。数時間後にはGare du NordからTGVでドイツへ移動せねばなりません。中途半端に寝てしまうとホテルで寝過ごして

しまいそうだったので、スーツケースに荷物をバサバサッと詰めた後、睡眠時間ほとんどゼロで早朝のピガールの街にお別れを告げます。

予約していたTGVまではまだ相当時間があったので、節約の意味も兼ねて(ほとんどお金を持っていかなかったので)、ピガールから

パリ北駅まで、ごろごろとスーツケースを引きずりながら歩いて向かうことにしました。今回のヨーロッパ滞在はデザインの勉強も

兼ねていたので、歩きながら店や至る所にある広告、カフェの内装、置いてあるパンフレットやチケットのつくりなどをじっくりと見たりして、

時に色彩の合わせ方に「なるほどこうやるのか…!」としばらく固まってしまったりしてゆっくり歩いているうち、パリ北駅に無事到着。

名残惜しくも、フランスをあとにします。

ヨーロッパ滞在記 その6 -パリ国立高等音楽院と音楽博物館-

 

フランスでは、パリ国立高等音楽院(いわゆる「コンセルヴァトワール」)にも行ってきました。

コンセルヴァトワールはパリの中央からやや外れた場所、ラ・ヴィレットの方にあります。中に入ると意外にアジア系の人がたくさん。

日本人の姿も見られました。みな留学されていらっしゃる方でしょうか。もしかしたら音楽の知り合いと擦れ違っていたかもしれません。

コンセルヴァトワールで面白かったのは、各練習部屋に作曲家の名前がつけられているところ。「ジョリヴェ」や「バルトーク」など、

ひとつひとつ名前と色がつけられていて、それを見て回るだけでも飽きないぐらいです。

 

ひとしきりコンヴァト内を回った後、近くにある音楽博物館へ行ってきました。

これがまた面白い!音楽をされている方は絶対楽しめます。音声ガイドがついていて(ただし英・仏のみ)、

展示されている楽器の音を聴くことが出来ます。器楽の発展に合わせて配列されているので、じっくりと音を聴きながらここを

回るだけで、かなりの知識をつけることが出来るでしょう。観光客はそれほど訪れないようで、閑散とした広い空間を心行くまで

堪能。途中に「古楽器生演奏コーナー」みたいなスペースがあって、お姉さんが暇そうにしていらっしゃったので

いくつかの曲や楽器を一対一で聞かせて頂くという贅沢な時間を過ごしたりもしました。終わったあと、拙いフランス語で

「日本から来ました。僕も音楽やってるんです。」と話しかけると、目を輝かせて下さり、

「ようこそフランスへ!指揮をやってるの?日本ではどう振るの、ちょっとやってみてよ。」と話が盛り上がって一時間ぐらいそのコーナーで

おしゃべり。(妙に意気投合して、一緒に写真まで撮ってしまいました) 語学と音楽をやっていて良かったなあと心底思わされた、

幸せな時間となりました。

 

帰りには電車を上手く乗り継いで、フラゴナール&カピュシーヌ香水博物館を見学して「調香師の天秤」に感動したり、

カルチェ・ラタンの方角まで足を伸ばしてソルボンヌ大学の近くをぶらぶらとしてきました。びっくりしたのは、人混みの中でなんと

フランス科の院生の先輩(同じくこのセミナーに参加されていたのです)に遭遇したこと。

僕はソルボンヌ大学近辺から降りてきて、先輩は本屋の近くから出てきてばったり。まさかフランスで偶然会うとは!

駒場キャンパスの銀杏並木で擦れ違った時とほとんど同じように「やあ、奇遇だね。」と世間話をして、「またドイツで会おう。」と

あっさりと解散。世界は狭いです。

 

パリの街を歩いていると気になるのは、やはりパサージュ。

ベンヤミンを読んだからにもパサージュ巡りは外せません。脚が限界を叫ぶまでは歩き倒します。

疲れたらカフェへ飛び込むだけ。昼から呑むのもこちらでは普 通ですので、抵抗は全くありません。

チュイルリー公園の静かなベンチで、冷えた白を飲みながらゆっくり本を広げたりもしていました。一人旅ならではの贅沢な時間ですね。

 

すっかり暗くなったころ、ホテルのあるピガールの街へ戻りました。昼とは全然違って、夜のピガールはまさに歓楽街と言う感じ。

ムーラン・ルージュの大きな風車が煽情的な色で回り、あたりのお店でもネオンが怪しく輝きます。

少し裏地に入ると、映画によく出てくる「娼婦のいるバー」というのが至る所にあって驚きました。

物憂げな視線でガラス越しに眺めてきたり、扇情的な服装で煙草を吹かせつつス ツールに座っていたり。

ネオンの中に広がる薄闇と女のこの構図は、確かに映画に使いたくなるほど、独特の魅力を放っているように感じられました。

 

何もかも新鮮で刺激に満ちた一日。

歩き疲れてベッドへ倒れ込み、ぐっすりと寝てまた明日に備えます。

滞在してまだ間もないのに、いつのまにか「しばらく帰りたくないなあ。」という思いが浮かんでいました。

 

 

フランス・ドイツへ行ってきます。

 

長らく更新が滞ってしまいました。ちゃんと生きています。

いきなりですが、本日より三週間ほどフランスとドイツへ行ってきます。フランスでは語学と音楽をちょっとだけ勉強しつつ、パリをぐるぐる。

さきほど(直前までホテルをとらなかったので、現地へ直接電話して空き室確認などする羽目になりました。かなり大変でした。)ホテルが

決まり、ムーラン・ルージュの近くに泊ることにしました。パリを巡ったり、パリにいる友達と演奏したりと充実した時間になりそうです。

 

ドイツでは、ヨーロッパの財団主催の国際セミナーに参加してきます。というのは、運良く、東京大学大学院の修士課程を

主な対象とした “The European Union under the Lisbon Treaty: Past Experiences and Future Challenges” という

2010年度の派遣プログラムに選抜して頂きました。見て頂ければ分かるように、このプログラムは「欧州研究」それも社会科学的な

性格の強いものなので、人文科学を主なフィールドにしている僕にとっては、少し慣れない部分の多い領域になることと思います。

僕以外の参加メンバーの所属を見てみますと公共政策の大学院や国際関係論専攻の院生の方々が多い様子。

自己紹介タイムで「フランス現代思想や生命倫理が主な興味です。」とはちょっと言いづらいかもしれませんね(笑)

 

ともあれ、選抜して頂き、しかもEuropean Fall Academyという財団から約30万円もの支給を頂いたからには、出来る限りのことは

やらなければなりません。プログラムとしては、今年の冬に参加してきた「〈身体論〉南京大学特別講義」と同じように、各国の

学生たちと共に講義を聞き、ディスカッションなどしてくることになるでしょう。EUの機関へのショート・トリップもプログラムに組まれて

いますので、座学だけでなく、自分の足を使って色々と見聞を深める機会になりそうです。

もちろん全て英語なので大変ではありますが、学部三年の時点で、しかも人文・社会の両方の分野で海外へと派遣して頂けるのは

本当に嬉しい限り。精一杯やってきます。

 

三週間ほど音信が途絶えることと思いますが、パリにはWi-Fiが飛び交っているようですしiPadとVaio-Pは持っていきますので

パソコンのメールチェックやTwitterの@チェック、スカイプなどは出来るはず。御用の方は携帯ではなくこちらの方へ連絡を

入れておいてください。よろしくお願いします。

では、行ってきます!