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抽象に戯れること。

 

「美の快楽を鎮めることができないのは、……太古のためである。……芸術は(ファウストがヘレナを連れ戻すように)

時間の深淵から美を連れ戻す。」(ヴァルター・ベンヤミン「ボードレールにおけるいくつかのモチーフ」より)

 

 

音楽、デザイン、哲学、身体。

抽象と具体の間を往復しながら、それでも抽象の領域に生きること。

抽象に戯れることを恐れず、具体化しきれない<なんだかわからないもの>としての残滓に惹かれ続けること。

ベンヤミンは手紙の中で、「バベルの塔を逆向きに建設する」という一文を残していた。

具体という石をひとつひとつ積み上げても精神=天に至る塔にはなりえない。

上からバベルの塔を作る。イデーという抽象を上から積み上げてゆく。それは決して根源=地面に

到達することはないけれども、それでいい。人間は社会や科学という具体に生きているかもしれないけれど、

人間の人間らしさは思考という抽象にあるような気がしている。

論理を超えた感覚は厳密な論理と同じぐらいかそれ以上に価値を持つ。少なくとも、僕にとっては。

 

 

 

劇団「ミームの心臓」第二回公演「ケージ」を観た。

 

時々、言葉の力に圧倒される瞬間がある。

本の中の一文、街中の広告、何気なく放たれた会話のひとこと。

昨日観た「ケージ」という演劇はまさにそうした言葉の力に溢れた演劇だった。

言葉が「場」を作る。狭いステージに1968年と2011年の時代が並行して展開され、ぐいぐいと観客をその「場」に引き込んでゆく。

1968年という時代が示すように、テーマは学生運動・全共闘を扱ったもの。全共闘自体に関するスタンスや見方は色々あると思うけれど、

この大きな問題を避ける事無く真っ向から勝負した勇気にまず惜しみない賞賛を送りたい。

 

劇団「ミームの心臓」を知ったのは主宰で脚本の酒井一途くんとの出会いから。

彼とはある本への寄稿を通じて知り合い、今回の公演のお知らせを頂いた。

僕は音楽、彼は演劇。ジャンルは違えど「表現」に魂を注ぐ仲として日々刺激を受けていて、

いったい彼がどんな舞台を生み出したのか楽しみにして足を運んだ。

長々と感想を書くことは門外漢の僕の筆では叶わないが、一言でいえば「参った」という感じ。見事な運び。

彼の脚本には加速度があり、抜きがある。嵐のようにシリアスな言葉を畳み掛けては突如として笑いを挟んで「抜く」。

緊張させ、一瞬弛緩させたかと思うと再び緊張に引き込む。その流れがあざとくなくて自然なのだ。

(もちろん、それは役者の方々が見事な「間」で実現しているからこそ!)

音楽は必要最低限に留め、美術も大がかりなことはしない。照明だけを上手く使い、時間軸を操作する。

全体にわたって非常に見通しの良い舞台だった。

 

観ている間は没頭していたから考える余裕は無かったけれども、終演後に思い返してみて、

投げられた言葉の端々に酒井くんの顔が見えるような気がした。

彼が懸命に言葉を削り出し、観客の心に伝えようと苦心する様子が見えた。

人はこれだけ人に伝えることが出来るのだ。言葉は、演劇はすごい。

 

池袋を後にしながら、これが学生の演劇か、と改めて驚嘆する。

少なくとも僕が今まで観て来た学生の演劇の質ではない。

「学生の」演劇、ということをわざわざ言う必要も無いほどに。

けれども。これは学生の彼・彼女たちが取り上げることに大きな意味があるのもまた事実なのだ。

1968年は、学生の問題だったのだから。

 

 

 

 

 

 

…………

酒井くん、役者のみなさま、スタッフのみなさま。

忘れ難い時間をありがとうございました。

僕も音楽でこれぐらい人の心に届けられるようにならねば、と思った次第です。

これからも舞台を楽しみにしています。

 

 

 

朝の断章

 

寝るのが怖い。一日を終えるのが怖い。

目を閉じて布団に横になると、頭の中に自然と一つの問いが浮かんでくる。これぐらいで僕は僕の一日を終えていいのか?

寝る、一日を終えるということは、死へと一日近づくという事だ。いま目を閉じるともう二度と目を覚ます事が出来ないかもしれない。

やりたいことも知りたいことも限りなくあるのに、僕はまだ何ひとつ学べていない。

もっともっと沢山の本を、音楽を勉強したいのに、それにはいくら時間があっても足りないのに。

 

自分に残された時間が限られていることを考える。

眠たくないのに寝ることがバカバカしくなる。眠たくなったら寝ればいい。それまでは起きていよう。

デザインの仕事をしてクライアントさんにメールを返信して語学の勉強をし終えて朝六時。

狭い一人暮らしの部屋に朝日が差し込み、きらきらと金色の光に包まれるなか、

ビゼーの『アルルの女』第二組曲の譜読みを始める。フルートの独奏曲としても良く知られたメヌエットがやはり美しい。

ファランドールの溢れてくるような勢いが頭を覚醒させてくれる。ビゼーの仕掛けた遊びに気付いて、その天才に心震える。

 

ひとしきり楽譜に向かい合ったあと、豆を挽いて珈琲を淹れる。

ブラームスのハイドン・バリエーションを静かに流しながら。

部屋いっぱいに珈琲の香りが広がって、一日が動き出す。

 

 

 

 

 

変奏曲

 

自分の人生を簡単に纏められるのには耐えられない。

説明できない屈折や脱線だらけの人生を送る人の方が、僕にとっては魅力的に映る。

迷う事を怖がらず、いままで一緒に歩いてきた友達に笑顔で手を振って、森の暗い横道に足取り軽く分け入って行け。

 

「私たちは自分をつねに創造しているものだと言わねばなるまい …(中略)…意識を持った存在者にとり、

存在することは変化すること、変化するとは成熟すること、成熟するとは無限に自分自身を創造することなのである。」

— ベルクソン『創造的進化』

 

 

一貫したものを底に持ちながら、次々と姿を変え、軽やかに変奏していく人生。

バッハのシャコンヌやブラームスのハイドン・バリエーションが自分の心に響いてくるのは、

そうしたところに憧れてのことかもしれない。

 

 

24歳になりました。

 

早いものでもう24歳になってしまいました。

楽しい事も辛い事もたくさんありましたが、まずは無事に、また一つ歳を重ねられたことに安心しています。

駒場キャンパスは一年生・二年生が主体の場所ですから、僕よりも5歳ぐらい下の学生たちが沢山いるわけですが

歳を理由に自分から壁を作ることなく、いつまでも若さの中に混じって朝まで騒げるようにありたいと思っています。

変に年上ぶることなく、けれども、いざというときには24歳に恥じない大人の立ち振る舞いが出来るようになりたいものですね。

 

幸いにして僕は素敵な年上の方たちに囲まれていますから、先達の方々から色々と盗みながら

両親にも出来るだけ心配をかけないように過ごしつつ、充実した一年にしていく所存です。

 

 

何だか分からないもの

 

On peut, apres tout, vivre sans le je-ne-sais-quoi, comme on peut vivre sans philosophie, sans musique, sans joie et sans amour. Mais pas si bien.

結局、この「何だかわからないもの」が無くても生きていくことは出来る。哲学や音楽、喜びや愛が無くても生きていけるように。だけどそれでは、つまらない。

 

 

「分類できない哲学者」(Philosophe inclassable)と呼ばれた、ウラジミール・ジャンケレヴィッチの著作から。

僕はいつまでも、まさにこの「何だかわからないもの」(le je-ne-sais-quoi )こそを追い求めたいと思う。

 

 

ある後輩の死に捧ぐ

 

夜10時。学校で作業をしている時に、後輩からかかってきた崩れ落ちそうな声の電話で、あなたが亡くなった事を知った。

新入生のあなたと出会ってから一年ばかり。

文学の世界観について情熱を持って語ってくれたあなたとはキャンパスであまり会うことは無かったけれど、

Twitterでいつしかフォローしてくれて、ディスプレイ越しに夜遅くまでその姿を見ることになった。

僕もたいがい遅くまで起きている人間だけれど、同じぐらいの時間まで起きていたあなたは

いつも自身の美的な価値観や恋愛という関係について悩み、苦しんでいるように見えた。

それは僕にはとても好ましく映ったし、共感できる部分も沢山あった。

ときどき言葉をかけるたび、慕ってくれるのが嬉しかった。

 

だが、もう悩みを呟くこともない。返事を返してくれることもない。あなたは黙ったままだ。

アカウントは残酷にも残り続けている。「フォロー中」という緑に光ったパネルが恐ろしい。

存在が消えてもなお、眼差しだけがそこに残っているような錯覚。

最後にあなたが残した呟き「わたしのことばは誰にも届かない。」が、あれ以来頭の中に鳴り続けている。

 

僕にはまだ「死」という事実を受け入れることが出来ないけれども、

憧れていた美の世界からもう二度と戻ってくることはないのだろう。

声も思い出せないぐらい遠い関係だったけれど、いつもあなたの文章を読んでいた。

安らかに。願わくはまたどこかで話せることを。

 

 

 

所属から飛び出すこと -東京大学に合格された皆さんへ-

 

春を手にされた皆様、おめでとうございます。

地震の影響が色濃く残る中、縮小された形式で入学式が行われる事になるなど、例年とは違うことばかりかもしれませんが、

この大学に合格されたという事実は変わりません。胸を張ってここ駒場キャンパスに足を踏み入れて下さい。

一介の学生に過ぎない僕がこうした「合格された皆さんへ」なとどいう文章を書くのもおこがましいのですが、

「このブログを読んで東京大学、しかも文科三類を受験する事を決めました。ついに後輩になれました!」という嬉しいメールを

頂いたこともあり、また学部最後の学年である四年生という時期を迎えた者として、自分の入学時の記憶を振り返りながら

少しだけ書いてみたいと思います。

 

この大学に入ったとき、僕はもうあと数ヶ月で21歳を迎えるところでした。

普通よりも年齢を喰い、浪人という宙ぶらりんの時間を経験した僕がキャンパスに足を踏み入れて感じたのは、

「ああ、どこかに<所属している>というのはこんなに安心感が持てるものなんだな。」ということです。

駒場名物の「諸手続き」。沢山の用紙に記入を求められ、色々なテントで次々とサークルの勧誘を受け、

正午ぐらいから並び始めたのにも関わらず、全てを終えて行列から解放されたのは日が傾き始める頃でした。

今になってみれば「やりすぎだろうあれは。」と思うところが無いわけではありませんが、それらはいずれも

所属を求める儀式なのであって、新入生だったころの自分はやや辟易しながらも、所属できる(あるいは、所属するよう求められる)

ことの幸せを噛み締めていた気がします。

 

所属の重み。足下に確かな地面がある、という感覚。

春から、皆さんはこの大学の学生として、キャンパスを使う自由やキャンパスで授業を受ける権利を保証されることになります。

現役で合格された皆さんには、浪人(特に宅浪)ならではの宙ぶらりんの感覚は無いかもしれませんが、いずれにせよ

大学生という身分を保証され、所属欄に大学の名前を堂々と書く事が出来るというのは、大きな安心感を自他ともにもたらすことになるでしょう。

ですが、その「所属の安心感」は時に停滞をもたらします。

僕自身、入学して一年目は久しぶりに味わう「所属の安心感」にどこか安堵していました。

でも、そうした安定の位置からは穏やかな思考・行動しか生まれ得ない。所属することは重要ですが、所属しているだけでは

平均的なものへと自らが回収されてしまいがちです。

そうではなく、所属から抜け出そうと足掻く事で、切れ味の鋭い生き方をしてみること。

与えられるままにならず、自分から何かを求めようと貪欲になってみること。

昨年のFresh Start(今年は残念ながら中止になってしまいましたが)というイベントで、トム・ガリー先生が

開口一番放った言葉 —みなさん、合格した事を忘れてください。— は、まさにそういう意味を持つものでした。

つまり、東大という組織・所属に安住せず、所属を有効に利用しながら所属を超える道を探るということです。

 

そうした「敢えて自分から足下を崩すような試み」、「これでいいのか?」と自分を疑う勇気を絶やさず持ち続けることが

重要なのではないだろうか、と学部四年を迎える今、心から思います。

東大という所属や肩書きに頼らず、はじめて会った人に対して目をキラキラさせながら語りたくなるもの。

あるいは、話を聞いた相手が「へえー面白いことやってるね!」と身を乗り出して来ずにはいられない「何か」。

学問であれ活動であれ、そうした対象を持っている人は素敵に映ることでしょう。

 

 

改めて、合格おめでとう。

大学生として確かな所属を手に入れた今、自分を疑う勇気を忘れず、所属から飛び出すぐらいのエネルギーで毎日を楽しんでください!

 

 

 

 

はじまりの思い出。

 

ちょうどこれぐらいの時期だった。

母や弟、そして犬に見送られながら、父の運転する車に自転車から本まで積み込んで、夜中に京都から東京へと車を飛ばした。

途中で雨が降ってきてフロントガラスが雨に滲み、高速道路のオレンジの灯が車の中に柔らかく広がる。

拡散して揺れる光を眠気の一向にやってこない目で見つめながら、無理やり積み込んだ自転車が後部座席でカタカタと音を立てるのを聞きながら、

「ああ、僕はこれから大学生として一人で暮らしていくんだな。」とはじめて意識した。

高速道路の標識に表示される「東京まであと何km」の表示がどんどん減っていく。次第に夜が白んでゆく。車は止まらない。時間も止まらない。

今まで生きていた世界とは全く違う世界に自分が向かっているような気分がして、朝が訪れるのが何だか怖かった。

 

「精一杯楽しめよ。じゃあな。」

下宿につき、荷物を運び込み、父はいつも通りの口調で一言残して去っていった。

部屋にぽつんと取り残された僕は何をするでもなく、部屋の隅に座ってぼんやりと窓の外を眺めていた。

真新しい部屋の匂いが、わけもなく憎らしかった。

 

 

スキーに行ってきます。

 

また今年もスキーへ行ってきます。

昨年に二日で全リフトを制覇した志賀高原へ、ドミナントのメンバー9人と一緒です。

どうやら初日は−15度ぐらいになる極寒の様子。ここまで寒いと逆に楽しみになりますね。

今年は一つ野望があって、横手山の山頂で、フォアローゼズのプラチナを呑んでこようと企んでいます。そのためにちゃんとスキットルを購入!

そうです、西部劇でガンマンが夕日に照らされつつ、胸からおもむろに取り出して呑む「アレ」です。ステンレス製とチタン製があるようですが、

手に入りやすいステンレス製にしておきました。父から頂いたこのめちゃくちゃ美味しいお酒を、山頂から世界を眼前に広げて呑むとどんな味がするのか、

楽しみでなりません。

 

夏はサーフィン、冬はスキー。

自然を満喫して人生を過ごしたいものですね。