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帰省、四年目の夏。

 

東京に来て四年になるのか、と気付いて溜め息をつく。

2011年の夏。予定の合間を縫うようにして実家に帰って来た。

かつては憧れの乗り物だった新幹線も、24歳になった今では、近所に出かけるのと同じ感覚で乗っている。

わずか三時間弱乗っているだけで僕の身体は東京から京都へと運ばれる。京都で降りても感慨は無い。

京都だということすら実感が湧かず、ただ周りから聞こえてくる言葉が耳に懐かしくどこか柔らかい関西弁であることに

気付いてようやく「ここは東京じゃないんだな。」と思う。

 

帰って来たな、と思えたのは、家のドアをあけた時だった。

相変わらず吠える犬。おかえりと声をかけて出てきてくれる両親と弟。帰る時間にぴったりタイミングを合わせて作ってある御飯。

ここは僕の暮らしていた場所だし、ここが僕の家なのだ。そして僕は確かにこの家族で育った。

たとえ交通がもっと発達して一瞬で移動できるようになっても、どれだけ東京に慣れてしまっても、その事実は変わる事がない。

東京に来て四年目の夏、帰る場所がちゃんとこちらにあることを改めて知る。どんな道に進んでも。

 

 

 

 

抽象に戯れること。

 

「美の快楽を鎮めることができないのは、……太古のためである。……芸術は(ファウストがヘレナを連れ戻すように)

時間の深淵から美を連れ戻す。」(ヴァルター・ベンヤミン「ボードレールにおけるいくつかのモチーフ」より)

 

 

音楽、デザイン、哲学、身体。

抽象と具体の間を往復しながら、それでも抽象の領域に生きること。

抽象に戯れることを恐れず、具体化しきれない<なんだかわからないもの>としての残滓に惹かれ続けること。

ベンヤミンは手紙の中で、「バベルの塔を逆向きに建設する」という一文を残していた。

具体という石をひとつひとつ積み上げても精神=天に至る塔にはなりえない。

上からバベルの塔を作る。イデーという抽象を上から積み上げてゆく。それは決して根源=地面に

到達することはないけれども、それでいい。人間は社会や科学という具体に生きているかもしれないけれど、

人間の人間らしさは思考という抽象にあるような気がしている。

論理を超えた感覚は厳密な論理と同じぐらいかそれ以上に価値を持つ。少なくとも、僕にとっては。

 

 

 

吹奏楽指導を終えて。

 

この夏から、吹奏楽指導に関わり始めました。

今回は指揮の師匠と一緒に足立区のある中学校の吹奏楽部へ。師は吹奏楽連盟の初代理事を務めていたこともある、

いわば吹奏楽界を作ってきたような方ですから、その横でこうして勉強させてもらえるのはこの上なく貴重な機会です。

 

指導は全部で三回。

吹奏楽の楽器では、僕はフルートとトランペットぐらいしか触れませんからそれぞれの楽器の細かい指導は出来ないのですが、

とりあえずフルートを片手に、色々なパートの子と一緒に吹いて歌い方や足りないところを指導し、バランスを調整してみました。

フルートは歌の楽器で音域も広いですから、こうした指導をするにはちょうど良くて、フルートを始めていて良かったなあと思います。

 

同時に、指揮の技術の重要さを何度も痛感しました。音楽の先生に変わって師が棒を振ると、さきほどまで吹きづらそうにしていた

トランペットのソロが見違えるほど歌心とフレーズに溢れ、何倍も上手くなってしまいます。まるで魔法みたい!

口で細かい指示を出す事はありません。喋らずとも棒がしっかりしていれば縦は揃うし、アクセントだってしっかり表現出来るし、

フレーズもニュアンスも自然と生まれてくるのです。奏者を、音を、一本の細い棒で結びつけて「釣る」ようでした。

そしてまた、師匠が「エネルギーが足りないよ。遠慮せずに吹いてごらん。」と言って振り上げた瞬間、老齢の師の

身体の内からエネルギーが湧き上がり、棒にぎゅうっと凝縮するのが確かに見えたように思います。

「ただ大きく振るのではない、心から感じて沸き上がってこないと伝わらないよ」とレッスンのたびに僕におっしゃることを

目の前で見せて下さったようで、「ああ、このことなんだ。」と感動しました。

 

三回の指導を終えた時には、中学生たちは信じられないぐらい上手くなっていました。

きっとこの三回の間で相当に練習したのでしょう。トランペットのソロはどんどん上手くなるし

ティンパニの子はただ叩くだけでなくニュアンスを考えて叩くようになったし、クラリネットの子は

周りの音をずいぶん聞けるようになっていました。帰り際に「今の調子なら大丈夫!自信を持って吹いておいで!」と

伝えたら、ぱあっと顔を明るくして「ありがとうございました!!!」と元気な返事が返ってきます。

吹奏楽の指導に携わるのも楽しいものですね。

 

師匠に「君はオーケストラはもちろん、吹奏楽指導もやっていくと良いよ。」と薦めて頂いたので、

これからは一人で色々なところに教えに行く機会も増えそうです。拙いながらも指揮をやっていて本当に良かった。

先程まで一緒に時間を過ごした中学生たちのエネルギー溢れる音を思い出しながら、幸せな気持ちに包まれています。

 

 

手品のように、魔法のように。

 

小学生の頃から手品が好きでした。

塾のテストをさぼって手品ショップに通い詰め、売り場のお兄さんから色々な手品の技法や仕掛けを教わり、

それを友達に見せては驚かせるのが好きでした。

 

 

小学生の頃から魔法に憧れていました。

怪しげな呪文を唱えて棒を一振りした瞬間に見えない力が働いて、

傷を癒しあるいは世界に亀裂を走らせるような魔法が好きでした。

 

 

小学生の頃からみんなと遊ぶ時間が好きでした。

鬼ごっこ、ドッジボール、野球、サッカー。みんなとその遊びに没頭して、同じ楽しみを

共有して笑う時間を何より大切に思っていました。

 

 

指揮は、その全てが合わさった楽しみです。

手品のように、魔法のように。素敵な奏者の方たちに恵まれて、みんなと笑いながら音楽をしています。

 

 

 

朝の断章

 

寝るのが怖い。一日を終えるのが怖い。

目を閉じて布団に横になると、頭の中に自然と一つの問いが浮かんでくる。これぐらいで僕は僕の一日を終えていいのか?

寝る、一日を終えるということは、死へと一日近づくという事だ。いま目を閉じるともう二度と目を覚ます事が出来ないかもしれない。

やりたいことも知りたいことも限りなくあるのに、僕はまだ何ひとつ学べていない。

もっともっと沢山の本を、音楽を勉強したいのに、それにはいくら時間があっても足りないのに。

 

自分に残された時間が限られていることを考える。

眠たくないのに寝ることがバカバカしくなる。眠たくなったら寝ればいい。それまでは起きていよう。

デザインの仕事をしてクライアントさんにメールを返信して語学の勉強をし終えて朝六時。

狭い一人暮らしの部屋に朝日が差し込み、きらきらと金色の光に包まれるなか、

ビゼーの『アルルの女』第二組曲の譜読みを始める。フルートの独奏曲としても良く知られたメヌエットがやはり美しい。

ファランドールの溢れてくるような勢いが頭を覚醒させてくれる。ビゼーの仕掛けた遊びに気付いて、その天才に心震える。

 

ひとしきり楽譜に向かい合ったあと、豆を挽いて珈琲を淹れる。

ブラームスのハイドン・バリエーションを静かに流しながら。

部屋いっぱいに珈琲の香りが広がって、一日が動き出す。

 

 

 

 

 

変奏曲

 

自分の人生を簡単に纏められるのには耐えられない。

説明できない屈折や脱線だらけの人生を送る人の方が、僕にとっては魅力的に映る。

迷う事を怖がらず、いままで一緒に歩いてきた友達に笑顔で手を振って、森の暗い横道に足取り軽く分け入って行け。

 

「私たちは自分をつねに創造しているものだと言わねばなるまい …(中略)…意識を持った存在者にとり、

存在することは変化すること、変化するとは成熟すること、成熟するとは無限に自分自身を創造することなのである。」

— ベルクソン『創造的進化』

 

 

一貫したものを底に持ちながら、次々と姿を変え、軽やかに変奏していく人生。

バッハのシャコンヌやブラームスのハイドン・バリエーションが自分の心に響いてくるのは、

そうしたところに憧れてのことかもしれない。

 

 

第三回「のみなんと」

 

第三回「のみなんと」を無事終えました。

「のみなんと」はドミナントのオーケストラチーム&デザインチーム&僕の知り合いの

合同飲み会みたいなもので、毎回30人〜40人ぐらいで楽しくやっています。

今回は突然モーツァルトのカルテットがはじまり、つづいてアイリッシュヴァイオリン+口笛+ギターのライブが

予告無く開始されたかと思うと、端では乾杯の歌が朗々と歌われるようなフリーダムさ。

最後には木下牧子「鴎」という曲を合唱しました。「ついに自由は我らのものだ」と高らかに謳うこの曲、

今回の「のみなんと」にはぴったりな曲だったと思います。

学年も所属も身分も関係ないこの飲み会。音楽が本来持つ「楽しさ」に力を得て、

ここからまた色々な繋がりや出会いが生まれたならば、これ以上の喜びはありません。

ドミナントを立ち上げてからもうすぐ一年になりますが、わずか一年でこれほどまでに沢山の

素敵な方々と経験に恵まれた幸せを噛み締めながら、朝まで飲み続けました。

 

プロオケを指揮してから  -グリーグに惹かれて-

 

プロのオーケストラを指揮してから、すでに二ヶ月近く経った。

モーツァルトの「フィガロの結婚」序曲とプロコフィエフの「古典交響曲」に頭をいっぱいにした時期はひとまず終わり、

二ヶ月の中で色々な曲に取り組んで来た。ベートヴェン「プロメテウスの創造物」序曲、オッフェンバック「天国と地獄」序曲、

スッペ「詩人と農夫」序曲、シューベルト「未完成」交響曲、ウェーバー「舞踏への勧誘」序曲…。

 

そして今はグリーグの「ペール・ギュント」組曲を振っている。

グリーグの曲を勉強していると、曲に入り込めた時には周りの温度がすうっと下がるような感覚を覚える。

とはいってもただ冷たいのとは違う。透明感のある温かさで、優しい手触りだ。

「グリーグは心に雑念があると振れないよ。濁った気持ちでグリーグは振れない。」と師匠がかつて呟いた言葉の意味を改めて悟る。

そして、なぜ師匠がアンコールにしばしば取り上げたのかも。

 

パフォーマンスのような指揮ではこの曲は演奏できない。

音楽に誠実でなければ決してグリーグは人の心に届かない。

師がアンコールで取り上げるグリーグの言葉にならない美しさに心を揺さぶられ、

指揮を学びはじめたばかりの未熟な身にも関わらず、師の背中を追って背伸びして

僕も演奏会ではことあるごとにグリーグの曲をプログラムに入れて何度も振ってきた。

南京大学の学生たちを東京で迎えたときに演奏させて頂いたグリーグの「はじめての出会い」という小品。

中国からはるばるやってきた学生たちが涙を浮かべながら聞いてくれ、そしてオーケストラのヴィオラ奏者が

涙を流しながら弾いてくれていたのを後から知り、これ以上無いぐらい幸せな気持ちになったことを覚えている。

 

グリーグの曲にどこまで入り込めるか。グリーグの美しさと儚さをどこまで人の心に届けることが出来るか。

これからもずっと、「濁った気持ちでグリーグは振れない。」という師の言葉を思い起こしながら、

何十年もかけて勉強し、少しでも心に届くように指揮していきたいと思う。

ハイデガーの面白さ。

 

ハイデガー、というのは僕にとって近付き難い哲学者の一人でした。

『存在と時間』の邦訳は浪人していたころから持っていたし、色々な文脈でハイデガーの名前が出てくるにつれ

「読まねば」と思い続けていたのですが、それでも「しかし僕にはまだ早い。」という思い込みで遠ざけていました。

 

ですがこの春から休学してから、ドイツ語読解力を落とさぬようにと『存在と時間』の原著Sein und Zeitを一日に一ページずつ、

色々な解説本を参照しながらゆっくりゆっくりと読み始めていました。

論が進むにつれて「どうしてもっと早く読まなかったんだ!」と叫びたくなるぐらいの衝撃に駆られます。

ああ、当時/後世の思想家や哲学者たちに(あるいはナチスに)影響を与えたのも頷けるな、と。

 

最終的に「共存在」が民族や共同体と接続されていくところはやはり納得できませんが、それを抜きにしても

やはりハイデガーは読まなければならない。そして今まで色々な思想家(たとえばナンシーの『無為の共同体』)の

著作を読んできましたが、その中にはハイデガーを理解しないことには理解出来ない(何が本当に問題なのかが分からない)ものも

沢山あったことに気付き、自らの不明を恥じました。僕は何にも分かっていなかった!(そして、きっと今も。)

夏の間にハイデガーのこのSein und Zeitを何とか一通り読み終えて、もう一度ナンシーやリクールを読み直してみるつもりです。

同期の友人たちはみな卒論に追われつつも、就職も次々と決まって社会人へとその歩みを進めつつあり、

その様子を見ていると少し自分の現状が不安になりますが、その一方で、こうして休学という身分を利用して

ゆっくりとハイデガーを一人で読み進めることが出来る時間を得られたのは、かけがえのないことだなと思っています。

 

 

現在、朝の五時。暑いけれども今日はとても天気が良いようです。

アイスコーヒーを淹れて、ハイデガーの邦訳とウェーバー「舞踏への勧誘」のスコアだけ持って

携帯も財布も家に置いたまま、公園に寝転がって、陽射しが眩しくなるまで読んでくることにします。

音楽も思想も文章も同じ。所属しないことを楽しみながら、一年間をゆっくりと、

自分が本当に学びたいもののために捧げたいですね。

 

 

「アイネ・クライネ」の中に「フィガロ」を聴く。

 

楽譜は読めば読むほど発見がある。そして時間が経てば見え方も変わる。

門下の後輩がレッスンでアイネ・クライネの一楽章を振るのを聞いて、

アイネ・クライネの中に「フィガロの結婚」序曲が突然聞こえた。

 

フィガロは五月にやったプロオケとのコンサートのために隅から隅まで勉強した曲。

そしてアイネ・クライネは一年前の駒場のコンサート(そこで初めて僕はオーケストラを指揮した)で振った曲。

電撃に打たれたように、二つの曲がこの一瞬で繋がった。

 

一 年のうちに色々な曲を指揮してきて、ようやくアイネ・クライネのことが少し分かってきた。

モーツァルトならではの遊び、モーツァルトならではの憂愁、そう したものがフィガロだけでなく、

アイネ・クライネにも息づいている。あの良く知られた「小夜曲」(=Eine Kleine Nachtmusik)の中に

モーツァルトのエッセンスが詰まっていた。心から思う。アイネ・クライネはなんて良い曲なんだろう、と。

フィガロを猛烈に勉強し、最高の奏者の方々と一緒に演奏させて頂いた今なら

この曲をどう「表現」すればいいのか、少しは分かる気が する。

 

 

一年前の自分は何にも分かっていなかった。若くて未熟で青かった。

そして一年後の自分も十年後の自分も、過去に向けて再び同じことを言うのだろう。

でも、音楽を勉強するとは、きっとそういうものだ。