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小組曲の空間

 

「空間」について考える。

昨日にハイデガー&ヘルダーリンを想起した事に加えて、今日の大学院のゼミで空間論を扱ったせいだ。

「夜は、我々の視覚から一望する眼差しを奪う空間である」

ジャンケレヴィッチとの連関を考えていてふと思いつく。

ドビュッシーの「小組曲」をドビュッシーにおける空間論の結実として読めないか。

すべての芸術は空間論に大なり小なり接近するものなのだから、こんな思いつきは意味が無いのかもしれないけれど、そんなことを考えた。

ラロ、ボードレール、ヘルダーリン

 

もう長い付き合いになるチェロの友人が卒業試験で弾くラロのコンチェルト。

試験前に一度聞いてほしいということで合わせに一緒させて頂いたのだけれど、最後の通しで僕は圧倒された。

はじめてオーケストラで会ったころに自信無さげにソロパートを弾いていた彼女はもういない。

自分の世界を一生懸命に創り出してそこに入り込もうとする、ある種の迫力を備えたチェリストがいた。

しかし同時に、音楽に対して真っ直ぐに向き合おうとする姿勢は昔と変わっていなかった。

おそらく彼女は、音楽を専門とする同世代の知り合いの中で、僕が知る限り最も純粋な人の一人だと思う。

技術の如何以上にそうした人間のあり方から音色が生まれてくる。ましてやコンチェルトとなれば尚更に。

 

 

一楽章の練習番号B。何か遠い景色に思いを馳せるようなメランコリックな旋律。

遠さ。それは過去かもしれないし、まだ訪れない未来かもしれない。

ピアノというダイナミクスの中で音色に投影するのが極めて難しいこの第二主題に入る直前で、

通しになってはじめて、彼女の身体からふっと力が抜けた瞬間が見えたのだ。

あ、いい音がするだろう。

そういう予感を与える一瞬のあとに出て来た音色は、やはりとても良かった。心を震わせ、自然と目を潤ませるものだった。

 

若々しい演奏。そんな言葉をかけることが出来るほど僕は成熟してもいないけれど、

若々しい演奏、という言葉でしか表せない好演というのは確かにあるのだと思った。

音楽に対して純粋で、音楽の難しさに正面から格闘し、しかし同時に、そこで音楽をすることに喜びを思う。

荒削りでも未熟でも、その果敢で真摯な姿勢こそが、華が開いて行く過程が予兆として刻印された演奏こそが、

その身を賭けて作品の根源へ接近する勇気こそが、若々しいと呼ばれるべきものなのだ。

 

聞きながら色々なことを考えた。

Que pourrais-je répondre à cette âme pieuse? この敬虔なる魂に何を応じ得るか?

ボードレールの『悪の華』第百番目の最終行がずっと頭の中で響く。

僕は今、同じように「若々しい」という言葉をかけて頂ける演奏が出来るだろうか。何か大切なことを忘れつつあったのではないだろうか。

人間関係とか、将来とか、仕事とか、そういうことに配慮する演奏ほどつまらないものはない。

考えれば考えるほど音楽は汚れて行く。日常に生きながらも、ひとたびステージに立ったならば相手にするものは音楽ただ一つのみ。

アドバイスを求められて行ったはずが、僕が沢山のことを教わった。

 

 

折しも11月3日は文化の日で、帰り道はとても月の明るい夜。人気のない交差点に立っているとき、唐突にヘルダーリンの一篇を思い出した。

「帰郷 Heimkunft」という長大な詩だ。第一連を引用しておこう。

 

アルプスの山中はまだ明るい夜。雲は
楽しみと思いめぐらし 顎をひらいた谷を包む。
そこへどよめきなだれこむ 軽躁の山風。
樅の木立をけわしく切り裂き 輝き消える奔流。
ゆるやかに急ぎ戦い 喜びおののく混沌の霊
姿こそ若けれ身は強健 愛ゆえの諍いを
岩の下に祝い 永劫の眼界のうちに湧き返り揺れ動く。
その山中に朝は駆け登る 酒神のように奔放に。
そこでは限りなく成長する 年と神聖な時刻と日が
思い切りよく整理され 混成されている。
それでも嵐の鳥 鷲は時を感知して
山の間の上空にとどまって日を呼ぶ。
今谷底に村はめざめ 怖れを知らず
高みになじみを寄せ 山頂を仰いでいる。
雷のように 古い泉の水は落ち 成長を予感して
大地は落下する滝のもとに濛々と煙り
水音はあたりにこだまし 法外なこの工房は
昼夜をおかず腕を振るい 財を送り出す。

 

 

この詩をめぐるハイデガーの鋭い分析(『ヘルダーリンの詩作の解明』)によれば、「帰郷」とは、単に故郷へ戻ることではなく、根源に対して近くにいることを表す。

ヘルダーリンがアルプスの山中への帰郷を通して歌おうとすることは「作品を生成する」ということに必然的に関係すべき、根源や本質への接近という行為であろう。

そこには奔放さや大胆さ、混沌や戦いを必要とする。そういう挑戦無しに根源へ接触することなど出来はしない。詩作のみならず音楽も同じだ。

Denn es wächst unendlicher dort das Jahr und die heilgen

Stunden, die Tage, sie sind kühner geordnet, gemischt.

「そこでは限りなく成長する 年と神聖な時刻と日が 思い切りよく整理され 混成されている。」

さきほどまでのラロが頭に響いている僕にとって、ヘルダーリンの「帰郷」こそは、「若々しさ」と呼ばれるべき何物かの凝縮のように思われた。

 

 

 

 

月がたくさん浮かんでる!

 

月がたくさん浮かんでる!

電気照明が都市に展開しはじめた120年前のパリでも、人々はそんなふうに思ったのだろうか。

深夜二時。修士論文の執筆で加熱した頭を冷やしに外へ出て、人気のない街に点された街灯を見上げながら、そんなことを考える。

大通りの奥へ向かってずっと伸びて行く街灯。球形をした光源がぽつりぽつり並んでいて、その先には本物の月が浮かぶ。

 

 軽やかな空気のなか、星からガス灯にいたるまで、すべてが明るかった。空にも街にも明かりがいっぱいだったので、闇までが輝いているようだった。光きらめく夜は、太陽がいっぱいの昼間よりもずっと楽しい。

ブールヴァールでは、カフェが熱気でいっぱいだった。人々は笑ったり、そこらをうろうろしたり、飲んだりしていた。おれは劇場に入った。ちょっとの間だったが、どこの劇場だっただろう?わからない。中があまりに明るかったので、いやになって外に出た。二階桟敷席にかかるけばけばしい光や、巨大なクリスタルのシャンデリアの人工的な輝き、ランプの明かりの行列などのショックで、少し気が沈んだ。シャンゼリゼに着くと、カフェ・コンセールが木の間ごしに火と燃える劇場のように見えた。黄色い光を浴びたマロニエの木々は絵に描かれたようで、光を発する樹のようだった。あまたの電球は蒼く輝く月がたくさんあるようでもあり、空から降ってきた月の卵のようでもあり、生きた、不思議な真珠のようでもあり、その聖なる明かり、神秘的で堂々たる明かりの下で、汚らしくて卑しいガスと色ガラスの花飾りを圧倒していた。

― ギ・ド・モーパッサン「夜」(『モーパッサン短編集』所収、山田登世子訳、ちくま文庫)p.287,288

原文はGuy de Maupassant, Contes et nouvelles,tomes II, «Les Nuits» Paris, Gallimard, 1979. P. 945 ―

 

「光きらめく夜は、太陽がいっぱいの昼間よりもずっと楽しい」(Les nuits luisantes sont plus joyeuses que les grands jours de soleil.)

1887年に書かれたこの一節を呟きながら、月の冴えと空気の鋭さに冬を思う。夜明けまであと少し。

 

同じレゾンで。

 

修士論文をひたすら書き進めて、やや朦朧とした頭で大学院のゼミに出る。

あと数ヶ月で退官される大先生は十五分遅れて教室にいらっしゃる。

前触れなく唐突に読み上げられたPhilippe JaccottetのTruinas : le 21 avril 2001に、直ちに頭が覚醒してゆく。

「雪」と「言葉」をめぐる一節に涙しそうになる。ジャコテの言葉の強さ。引用されるヘルダーリン。そして、それを読み上げるこの先生の言葉の力。

言葉の力を信じ、言葉の力を引き出し、言葉の力を体現することが出来る。そういう人がどれだけいるだろうか。

 

夏との別れ

 

L’automne, déjà !

ランボーのAdieuの冒頭を読み上げてから講義に入る駒場の大先生。

おそらくは、その人にとって自らの世界に入る呪文のような役割をしているランボーの一節。

聞き慣れた声。しかし僕は聞いた。そこに、いつもとは違った震えが宿っていたことを。

ただの秋の訪れではない。その全人生における秋の到来であり、長かった夏との別れを宣言するものだった。

 

Oui l’heure nouvelle est au moins très-sévère.

それは大先生の最終講義の初回だった。

46年間の駒場の生活は教えたというより学び続けたという思いがしている。前期課程向けに最後の講義をして駒場を去りたい。

いつものように即興で印象的な言葉を紡いで行く先生に、広い教室を埋めた学生たちが静まり返る。

僕にとっても前期課程向けの講義に潜るのは久しぶりで、周りの若い熱気に気圧されそうにもなる。

 

向けられる問いは我々に対してではなく、先生自身に向けられたものだ。問いを自分自身に向けて、先生は我々の瞳の前で戦い、考える。

問いの中に、一緒に読ませて頂いたボードレールやミシェル・ドゥギーが顔を出す。

ランボー、ドゥルーズ、ナンシー。そして驚くべきことにコルトレーン。今日の変奏の行き着いた先はAfter the rainだった。

Ballade(バラード)であってBalade(逍遥)、これは授業ではなくある種の降霊術であり、儀式だと思うのだ。

師の語りに何が宿るのか。出来事が生成される瞬間を目撃し、共有させて頂けることを幸せに思う。

 

 

 

 

 

 

 

灘校で講義をさせて頂きます。

 

母校である灘校にて、指揮に関する講義を持つことになりました。20代で土曜講座(10月4日)に呼んで頂けることになるとは思わなかったので、大変に嬉しい限りです。

 

とはいっても駆け出し中の駆け出しの僕などが「指揮とは~」なんて偉そうに語れるわけはなく(語って良いわけもなく)、ピアノを用いた実演とともに、師匠から受けた教えを僕なりに紹介して行く形になりますが、母校ということで大胆に、自分にしか話せないことも喋ってみたいと思います。それは「指揮の比較芸術」というテーマで、音楽に留まらず古今の様々な芸術論や身体論と比較しながら指揮を考えることで、ある意味で捉えどころの無いこの芸術を言葉によって「変奏」する試みです。

 

それは僕にとって、東京大学大学院で人文科学を勉強することと、村方先生のもとで指揮を学ぶということとが、乖離したものではなく、互いに強く 影響を与え合っているものであることを示す営為でもあります。人文科学系の学問というのは、端的には「言葉にならないものに言葉で肉薄する(言葉という「肉」を与える)」ことに尽きると思うのですが、そうした日々のトレーニングを指揮という芸術に適用してみたい。もちろん、言葉にしようとしても逃げ去っていく何だか分からないもの(le-je-ne-sais-quoi)にこそ核心が宿るであろうことを理解した上で、です。そして同時に、学問上の師の一人である小林康夫先生が 折りに触れて語る、「僕は自分が知らないことについて書き、話すのだ。」という名言を継承して、即興的に話してみたいと思います。

 

なお、翌日14時からは大阪クレオホールでUUUオーケストラの国内演奏会を指揮します。こちらは記事を改めて紹介させて頂きますが、全席自由無料で楽しいコンサートになりそうです。指揮者体験コーナーなどもありますので、良かったらぜひ。

 

 

灘校土曜講座

夏は来るのだ。

 

 

Da gibt es kein Messen mit der Zeit, da gilt kein Jahr, und zehn Jahre sind nichts, Künstler sein heißt: nicht rechnen und zählen; reifen wie der Baum, der seine Säfte nicht drängt und getrost in den Stürmen des Frühlings steht ohne die Angst, daß dahinter kein Sommer kommen könnte. Er kommt doch. Aber er [...]

夜の領域

 

ハイデガーを読むはずが、準備不足なので自分のいま考えていることを話す、とはじまった今日のゼミは伝説的な時間になった。

コジェーヴからはじまり、tourniquetを底に見ながらラカン、ガタリと弁証法的「3」の構図からフレンチ・セオリー的な「4」の図式へと発展する様子を追う。

とりわけラカンの四つのディスクールから、(ハルトマンの四元数を経由して)先生なりに展開された「4」の図式が僕にとっては衝撃的だった。

それは、駒場をもうすぐ去ろうとする先生が辿り着いた思想史の大きな枠組があくまでも即興的に展開されて行くことで生まれる迫力に対してであって、同時に

学問で、指揮で、極めて漠然と抱いていた思いをはじめて言語化して頂いた、という感動に対してだった。

第三象限に位置づけられた夜の領域、人間を溢れ出るもの(L’Human débordé)への問いこそが、自分にとって本質的であった、と気付かされた。

 

つまるところ、夜だ。夜が問題なのだ。

法でも科学でも実存でもない夜の空間、すなわち「魔術」的領域。

自分が興味を抱いてきたものは全て、この夜の領域を覗き込むような行為であって、魔術的な「ひと」だった。

 

 

三島の音楽

 

三島由紀夫の『憂国』を読んでいて、音楽が聞こえた。

第五章の麗子の自刃のシーン。それまで閉鎖されていた空間に、戸を<あける>ことによって外部の冬の空気と第三者の眼差しが侵入する。

二章、三章で延々と湧き上がって来た性と死の興奮がリセットされ、Subito pからわずか数小節-半ページでfffまで達する。

中尉の壮絶な死の描写に対して、(小林先生の言葉を用いれば)「遅れて」くる死。

どうしようもなく遅れてくるのだけど、それ以上の遅れは拒否される。「麗子は遅疑しなかった」と。

その決定の鋭さ、その刃の<甘い>味はこの外の冷たさが一瞬侵入する事によって際立つ。そのダイナミクスの興奮といったら!

三島にとっての死の美しさとは、実のところこの短い五章、この半ページにこそ宿されているのではないか。そんなことを考えた。

 
 

Brise urbaine

 

四ッ谷のカフェで三時間ほど、現在の活動についての取材を受けた。

結局のところ、僕は、大学・大学院で学んだものと、指揮という芸術に関わって見出すものを融合させることに最大の楽しみを見出している。

ジャコメッティのデッサンについて考えることで指揮の哲学に新たな道が開ける。

ボードレールの一節に触れて、指揮の師が与えて下さった言葉にならぬ言葉を唐突に理解する。そういうことだ。

 

それが何か絶対的な真理であるなど到底思わないし、融合したものを誰かに押し付けたいなんて微塵も思わない。

けれども両者をポエジーの中に響き合わせる試みこそが(それを学問的でない意味において「比較芸術」と呼んでいたいのだ)自分が生きた証と言うに足る何物かへと繋がっているのだと思う。

 

帰り道の空は満月だった。夜風に身を委ねて行く先知らず。

また夏がやってくる。26歳がもうすぐ終わる。