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マンダリン・オリエンタルホテルに宿泊してきた。

 

日本橋にあるマンダリン・オリエンタルホテルに宿泊してきました。

いや、正確には、「宿泊させて頂いた」というべきでしょう。デザインのお仕事を下さったクライアントさまが新年会をされるとのことで

幸せなことに僕も声をかけて頂きました。ドレスコードは「スマート・エレガント」ということで、ラファエル・カルーソのスーツと

ステファノ・ビジのタイ、それにチェスターフィールドコートを羽織るという珍しく気合いを入れた恰好をしてホテルへ。

 

まずはホテルの38階にある広東料理「センス」で素晴らしく美味しい中華と美酒を堪能。

東京タワーを遥に望む夜景に圧倒されながら、普段は口にすることのないようなお料理の数々を頂きました。

お酒の美味しさはもちろん、鮑が泣くほど美味しかったです。そして、なんとそのまま宿泊する流れに。

 

宿泊の前に、作ってきたデザインのお披露目を行いました。

クライアントさまやスタッフの方々が沢山いらっしゃる前で、しかもほろ酔いの状態でプレゼン(もちろんアドリブ)をやるのは

なかなかスリリングでしたが、全体的に好評だったようでひと安心。外国からの旅行者向けのデザインですので、文字情報は全部

英語。ターゲットも普段とは異なるし、文字も普段とは異なるので、いつもとは少し違うデザインをする必要があります。

逆にいえば、いつもは出来ないデザインが出来るチャンスでもあるので、フランスで学んできた色遣いを細部に取り入れるなど、実験的な

要素を盛り込んでみました。自然な目流れを作りつつも注目度の高いものが出来たかと思います。

 

そのまま朝まで広々とした部屋で飲み、色々なお仕事をされている社会人の方々とお話させて頂きつつ、朝四時ぐらいにベッドへ。

東京に住んでいるのに東京でホテルに宿泊する、というのは贅沢ですね。一人ならそのへんの漫画喫茶がいいところだなあ、と

考えつつ、夢の中に。ルームフレグランスのレモングラスの香りが印象的でした。

 

朝八時に起床して、ホテルに併設された37階のスパへ。

ガラス張りのパウダールームに入るなり、目の前に広がる東京の街並みと遠くに見える富士山。

これを見ながらサウナや広い湯船につかれるわけです。一人暮らしで、普段は足も伸ばせないような狭い湯船につかっている身

としては感動せざるを得ません。ジャグジーから生まれるお湯の流れに身を委ねながら、冠雪した富士山をのぞむ。

視線を手前にやると、東京大学の入学式で三年前に入った武道館が見えます。なんだか、今日も一日がんばろうという気力が

ふつふつと湧いてきました。ご招待して頂いたクライアントさまに心から感謝しています。ありがとうございました。

 

夢のような時間を過ごして、そのまま神楽坂の「週刊読書人」にウェブデザインのお仕事のため、出社。

ホテルから仕事場にいくというのは初めてでした。ちょうどその日は凄く強い風が吹いていて、スーツの上に羽織っていたコートの裾が

翻るのが不思議と心地よく、近づきつつある春を感じながら日本橋の街を歩きます。もうすぐ24歳になるのだな、と思いながら。

 

ヴェルディ『La Traviata 椿姫』@新国立劇場

 

「夕鶴」に続いて、「椿姫」を見てきました。

椿姫といえば、これまた良く知られたオペラで、原作となっているアレクサンドル・デュマによる小説も今に至るまで読み継がれているもの。

ですが小説とオペラの内容は結構違っています。まず主人公二人の名前が全く違う。さらにオペラの方はヒロイン(ヴィオレッタ)と

男(アルフレード)の二人の純愛の世界を描く要素が強くなっています。

 

このオペラ、僕はカルロス・クライバーの録音を昔から愛聴しており、一幕や三幕の前奏曲は大好きな曲の一つ。

師匠がかつて一幕の「ああそは彼の人か」を演奏したこともあってスコアも入手していましたし、有名な「乾杯の歌」もこの間自分で

指揮したばかり。これはという曲をいくつか選んで、スコアを勉強したうえで実演(公演初日です)に臨みました。

 

チューニングが終わり、電気が落ちて(いつもはチューニングしつつ電気が落ちるのですが、今回はなかなか落ちませんでした。

手違いでしょうか)、あのすすり泣くような一幕の前奏曲が始まります。

ですが…うーん、何と言ったらよいのか、あざとい。自然な流れが無く、僕が感じたものとはフレーズの捉え方が違って

(どちらが正しいとかそういう問題ではなく)ちょっと違和感を抱いてしまいました。

オーケストラの音も一幕の間はずいぶん固く、音の伸びが足りない印象。アルフレード役の方も最初はかなり固かったです。

 

二幕になると音から随分と固さがとれ、とくにヴィオレッタとアルフレード役の方々がのびのびと歌っていらっしゃったように感じます。

それにしてもヴェルディの音楽というのは本当に凄い。とくに三幕の最後、ヴィオレッタが自らの死の予感に直面したときの

感情の描き分けなんて天才だと思います。僕はこの部分を聴きながら、エリザベス・キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間』という書物を

思いだしました。キューブラー・ロスは200人の末期がん患者に聴きとり調査を行い、死に直面した人たちは

「否認と孤立」「怒り」「取り引き」「抑鬱」「受容」というプロセスを経て死に向き合っていくということを本書で述べていますが、

三幕のヴィオレッタはまさにそうした感情の渦に巻き込まれます。そして一幕・三幕の前奏曲のあのすすり泣くような弦の旋律が何度も

リフレインされる。金管を効果的に用いて不安を表現し、再びピアニッシモで静謐さを満ちさせ、劇的に突き進んでゆく。

死を前にした感情の揺れ動きを音楽で見事に描写しているように思われました。

 

そんなことを考えながら終演後ホワイエに出て窓の外を見ると、世界が白く見えるほど雪が降っており、

そればかりかすでに積もり始めていました。新国立劇場の窓ガラスから雪が見えたのはじめてでしたが、何だかとても綺麗で

静かに感動。結局、その日は夜を通じて雪が降り、東京とは思えないほどの積雪を記録することになったようです。

これから先、「椿姫」を見るたびに雪を、雪を見るたびに「椿姫」を思いだしてしまいそうな気がします。

 

断章:鳥のように軽くあること、羽根のようにではなく。

 

一つの考えが形になりつつある。

いまこの機会を逃すと僕は永遠に後悔するだろう。

不安は山のようにある。だが、不安を抑えてあまりある魅力が目の前に湧き出している。結局のところ、僕は崖っぷちに置かれた

ロードランナーの上で走り続けることで自身を磨かざるを得ない。安定した地面の上では無難な思考しか生み得ない。

 

僕には時間が必要だ。そして時間と同時に闇が必要だ。ヴァレリーが書いていた。

「意識というものは闇から生まれ、闇を生き、闇を養分にし、はては闇をより濃く生まれ変わらせる。―自らに問いかけることにより、

また自らの明晰さの力により、その力に比例して。」

闇に住むことなく、光の中で笑っているだけでは、いつしかコントラストも失われてしまう。影、陰り、波打ち際の黒く濡れた砂。

慣れ親しんだあの場所にそろそろまた戻っていかなければならない。孤独は僕に生気を蘇らせてくれる。

 

二度と起こらないことが分かっている出会いに自分の全てを賭けてみるのも悪くない。

力不足なのは分かっている。けれども、息の止まるような感動に人生を捧げたい。どんな形でもいい。音楽でも、文章でも、デザインでも。

学べる限りを学んで再びこの場所へ。コクトーが、ヴァレリーが遥か遠くから背中を押す。そして、たぶん僕の師も。

 

 

バルトーク「ミクロコスモス」を振る。-変拍子の集中トレーニング-

 

指揮のレッスン、中級課題の最後の曲として置かれたのがこの「ミクロコスモス」。

「ミクロコスモス」はバルトークが書いた、全6巻153曲から成るピアノのための練習曲集で、後半になるにつれ

練習曲の範疇を遥に超えるような内容が盛り込まれています。その中の第4巻、第5巻、第6巻から10曲が指定されており、

それが指揮の課題として与えられています。「ミクロコスモス」=「小宇宙」の名の通り、一つ一つは2分以内がほとんどの

短い曲ばかりなのですが、これを指揮するとなるとめちゃくちゃ難しい!というのは4巻以降は特に変拍子の嵐だからです。

 

変拍子と言っても何かが変なのではなく、要は複合拍子のこと。そしてしばしば、曲中で拍子が変化していきます。

たとえば100番では、8分の5からはじまって、8分の3との間をころころと移動します。しかも8分の5の中にも2+3の5と3+2の5があって

これを正確に振り分けねばなりません。103番では8分の9(2-2-2-3)からはじまり、8分の8(しかも2-3-3と3-2-3のパターンが連続)に

なり、次に8分の3×2に変化したあと、8分の5(2+3)にチェンジ、そして8分の7、さらに8分の5(3+2)と変化し、それだけではなく

途中から猛烈にaccelerandoがかかって加速するなど、テンポまで変化していきます。

 

140番になるともう大変で、なんと一小節ごとに8分の3→4分の2→8分の3→8分の5→4分の2→8分の3→8分の6→8分の5

→8分の9→8分の7→8分の6→8分の3…というように、変化してきます。なおかつテンポもどんどんと変化していき、そのうちに

ゆるやかなテンポで3-3-2の8分の8と3-3-3の8分の9が入れ替わる部分がやってきたりするうえ、強弱記号やアクセントも

複雑につけられているので、これを単なる「運動」ではなく「音楽」にするためには相当な技術が要求されます。

 

レッスンを受けた時、この140番の前までは予習してあって無事通過したのですが、「じゃあ140、141もいまやってみなさい。」と

師匠に無茶ぶりをされ、まさかの初見でこれを振ることになってしまいました。「え…ちょっと読む時間を…。」と呟いてみたものの

師匠が悪魔のような笑顔で「ほら。はやく。」とせかしてきます。結局読む時間は全くなく、とりあえず振り始めました。

まるで真っ暗な高速道路を猛スピードで飛ばしているようなギリギリの感覚で、飛んでくる障害物や突然目の前に現れるガケを

必死によけながら、反射神経をフルに高めて指揮しましたが、途中まで耐えたものの、やっぱり途中で崖から落ちてしまいました(笑)

転落するのを見て「はっはっは、駄目だねえ。」と笑う師匠。「そんなに難しくないじゃない。変拍子だなんて思わず、音楽の流れを

感じてその都度対応すればいいんだよ。見てろよ。」とおもむろに振りだしたかと思うと、あっさりと最後まで振ってしまわれました。

 

何度も書きますが、師匠は85歳。僕のほうが反射神経も運動神経も絶対にいいはず。なのにあっさりとこの複雑な音楽を指揮してしまう。

しかも何が凄いって、師匠が振ると変拍子が「変」に聞こえず、自然な流れで聞こえてくるのです。何だかとても簡単そうに見えます。

僕のぎくしゃくした指揮と違って、これなら演奏者の立場に立ってみても演奏しやすいのは明らかです。指揮に合わせて弾けば

自然とバルトークの書いた世界=ミクロコスモスの中に入ることが出来ます。「参りました!」と兜を何枚脱いでも足りないぐらいです。

 

 

10曲を終えるのに4回のレッスンを費やし、ようやく今日になって終了。

門下の先輩方が「ミクロコスモスをやると、現代曲が怖くなくなるよ。」とおっしゃっていましたが、確かにその通りで、連日徹夜続きで

勉強する中で、変拍子というものの「楽しさ」が何だか少し分かった気がします。

変拍子を振っている時の頭の回転具合というか集中力は自分でも異常だと思えるぐらいで(東大入試本番なんて目じゃないです。)

頭と身体のトレーニングにも最適な気もしました。頭と身体の両方で反応できなければ絶対に上手くやることは出来ませんね。

これからも変拍子は事あるごとに練習して、苦労なく振れるようにしておきたいと思います。

 

次からはモーツァルトの「フィガロの結婚」序曲に。 また改めて書きますが、5月4日にプロのオーケストラを指揮することに

なっていて、その時に自分が振る曲の一つです。(もう一曲はプロコフィエフの「古典交響曲」)

有名すぎるほど有名なこの曲、スコアを見ると仰天するぐらい緻密に作られた、モーツァルトの天才が良く分かる曲でもあります。

天才バルトークから、天才モーツァルトへ。本番で満足のいく演奏が出来るよう、しばらくはフィガロを集中的に勉強するつもりです。

 

 

日曜日のすごしかた。

 

久しぶりに予定の無い日曜日だった。

昼前までゆっくりと寝て、ゆるゆると布団から這い出て家事をし、着替え、Pierre Bourdieu – Agent provocateur -という本一冊と

財布と携帯だけを持って、お気に入りの小さなカフェへ。い つものように、マスターのドリップの手つきが良く見えるカウンターの端に座る。

もう何十回と来ていて顔を覚えられているから、頼まなくても一杯目はブレンドを出して頂ける。

丁寧に蒸らして淹れながら「今日は何の本を?」と初老のマスターが顔を上げずに僕に尋ねる。

「今日はこれです」そう言って持ってきた本 を見せると、マスターはふっと顔をあげて、いつも通り「そうか。ゆっくりどうぞ。」と笑顔で

珈琲をくださる。会話はそれっきりで、時々他のお客さんが入ってくると賑やかにもなるけれど、静かに時間が流れてゆく。

店内にはビゼーの「カルメン」の組曲が控えめな音量でかかっていて耳に心地よい。ブルデューもビゼーもフランス人なんだな、と

とりとめもないことをぼんやりと考える。珈琲の香りが、目の前にある緑と金で縁どられたジノリのカップから、あるいは煎りたての豆が

並ぶカウンターの向こうから、ふわりと豊かに漂ってくる。

 

お客さんが増えてきた三時頃、軽く睡魔に包まれながらそっと店を出る。

起きた頃には高かった陽はもう傾きはじめ、西日が世界を斜めに照らす。ああ、もう一日が終わり始めている、と嘆息する。

眠気の残る頭のまま、予約もせずに美容院へと向かう。うとうとした心地のまま誰か他の人に髪を洗ってもらい、切ってもらう。

そんな幸せなことがあるだろうか。身体に触れる手の温度が心地いい。こうやって人の温度をゆっくり感じたのは久しぶりかもしれない。

そうだ、今日は自分のために一日を使おう。まどろむ思考の中で決意した。

 

そうして、二カ月に一度通っている中国整体へ足を運ぶ。

ここで身体のバランスを見てもらうのが僕にとっては一番の体調管理。疲労もゆがみも身体を見れば一発で分かる。

身体は正直なものだ。しばらく無理を重ねていたから背中に相当な負担が来ていたことを感じつつ、南京で覚えた拙い中国語で先生と

話し、「日本語も中国語も難しいね!」と呵々大笑する。施術が終わると、背中から誰かがはがれたみたいに身体が軽くなっていた。

 

身体が軽くなると、すぐに動きたくなる。じっとしていられない。昔からそうだ。

近くのカフェに入ってフランス語をやり始めたもののすぐに我慢が出来なくなって席を立ち、自宅に走って帰って準備をし、

いそいそとボウリングへ出かけた。もう一つの体調管理。ボウリングは僕にとって禅のようなもので、集中力チェックの意味を

果たしてくれる。日々の音楽の勉強で学んだことがボウリングに影響を与えてくれる。指揮もボウリングも、立った瞬間から

勝負がはじまっていて、背中で語らなければならない。一歩目、二歩目は楔を打ち込むようにしっかりと、しかし擦り足で弱拍。

我慢の限界というほどにゆっくりと歩くと、周りの景色が違って見えてくる。背中に静寂が吸いこまれていく感覚がある。

そして四でがっしりとタメを作り、時間と時間の隙間に無重力の一瞬を生みだして、一気に、しかしリリース・ゾーンを長く取って、

全エネルギーをボールに乗せて放つ。その繰り返し。ひたすら自分の精神と身体に向かい合う。

軽くなった身体で、一心不乱に七ゲーム投げ続けた。

帰ってまた本を開き、疲れたところでフランス語を始める。

そうするうちに夜はどんどん更け行き、日があっという間に変わってしまう。焦りとともに、指揮の課題として勉強しているバルトークの

ミクロコスモスNo.140.141を開き、読み込み、この目まぐるしく移る変拍子をイメージする。運動ではなく、音楽として感じられるように。

少しでも音楽が出来るように。

続けて、5月に指揮するプロコフィエフの「古典交響曲」のスコアを開いてCDを流しながらざあっと読んでみる。

わずか15分足らずの曲なのに、編成もハイドン時代の古典的な編成なのに、がっちりとした枠の中に多くの逸脱がある。

大胆な和声、意表を突く和声、楽器のテクニカルな交差。形式の中に刻み込まれた皮肉とユーモア。プロコフィエフの天才。

どうやったらこれを表現出来るのだろう。

新聞屋さんがポストにカタンと音を立てた。

もう五時だ。一日の終わりに、もう10年近く使っている万年筆を手に取り、原稿用紙に向かう。

書かなければならないことは沢山あって、書きたいこともとめどなく湧き出てくるのに、書けることはほんの僅かだ。

ため息をついて椅子の背もたれに寄りかかる。お風呂上がりに淹れたお茶はすっかり冷めてしまっていた。

朝六時。そろそろ寝よう。世界が動き始める。日曜日を終えるのは怖いけれど、月曜日を始めなくてはならない。

團伊玖磨/木下順二 『夕鶴』 @新国立劇場

 

新国立劇場でオペラ『夕鶴』を鑑賞してきました。

『夕鶴』は日本の誇るオペラの一つで、全編日本語で上演されます。シナリオは日本人なら誰もが一度は聞いたことのある、

「つるの恩返し」が下敷き。つまり、結末(「つう」が機を織っているところを覗いてしまい、「つう」が鶴になって男の元から飛び去ってしまう)

が最初っから分かっているのです。ですが、これは途轍もなく感動的です。ある意味ではオペラ向きの作品と言ってもよいぐらい、

悲劇の結末へ向けてじりじりと観客を焦らしながら進んでゆく。しかも、そこにあるテーマは現代にも通じるものです。

 

「つう」の夫である「与ひょう」は悪い男二人に騙され、お金と都会へ出る欲望に目をくらませて、「つう」に機を織るよう無理やり

頼みこんでしまいます。「つう」が「あたしだけじゃ駄目なの。お金ってそんなに必要なものなの。都会の華やかさなんていらない。

日々の暮らしに必要なものはあたしが全て備えてあげられるのに、それだけで足りないの。」と悲愴に歌い上げる「つうのアリア」

は、まさにそういう貨幣経済に巻き込まれて日々を過ごす我々に、「本当に大切なものは一体なんなのだろうか。」と考えさせます。

つうに去られたあと、呆然とする与ひょうを囲んで「つうおばさんは今日いないの!遊びたい!」と無邪気に叫ぶ子供たちのシーンは

(一切与ひょうに弁解のチャンスを与えない点も含めて)非常に皮肉かつ残酷なシーンです。作者が単純な貨幣経済への信仰や

都会の生活を頭ごなしに良きものとする風潮に対して強烈なアンチテーゼを突き付けていることが読み取れるでしょう。

喪失の悲しみが舞台を覆う中で与ひょうはただ茫然自失するのみ。貨幣に目がくらんで失敗した男を、誰も助けようとはしないのです。

 

お金があって都会で立身出世する煌びやかな生き方と、慎ましいが十分な幸せに包まれて大切な人と静かに暮らす生き方。

本当に大切なものは一体何なのだろうか。過去を振り返りながら色々考えているうちに、涙が溢れて来て止まらなくなりました。

 

楽曲としてもこれは非常に優れているように感じます。とくに今回はフルートの方がむちゃくちゃ上手な方で、

フルートの音をあえて太い音に取ることで和風の響きを現出したかと思うと、「つう」がよたよたと崩れ落ちる場面では

よれよれと細く今にも壊れそうな音に切り替えて吹いていらっしゃいました。タイミングも相当にシビアな曲ばかりでしたし、凄いなあと

感動の連続。それから機を織る場面でのハープの使い方は作曲の妙技ですね。

 

意外に感じたのは、日本語ならではの魅力があるということ。

というのは、時制の変化が日本語だと効果的に響くのです。ドイツ語などでは通常は動詞が二番目に来てしまいますが、

日本語では動詞、それも「あなたが好きだ。」「あなたが好き〈だった〉」のように、時制変化が語尾に現れます。

つまり、歌のフレーズの最後にこの過去形への変化が歌われることになります。そうすると、悲痛な声で

「あなたが好き」と歌いあげて、最後に「だったの…。」と崩れ落ちる、そのコントラストが絶妙に決まる。これは素敵だなあと思いました。

 

照明や演出もシンプルながら品の良いものでしたし、最初から最後まで楽しむことが出来ました。

一幕が二時間、ニ幕が三十分という珍しい構成でしたが、シナリオの切れ目を考えるとこれで良いのかもしれません。

この「夕鶴」は、日本でもっともっと演奏されても良いのではないかと感じます。僕の指揮の師匠は海外公演の際にこの「夕鶴」から

「つうのアリア」をプログラムに持っていったことがあるそうですが(書き込みだらけのスコアも実際に見せて頂きました)

僕もこうやって日本の曲を自分のプログラムに取り入れていきたいものです。

 

というわけで、「夕鶴」はオペラにあまり馴染みの無い方にもお薦めできる演目ですし、ぜひ一度ご覧になってはいかがでしょうか。

小さい頃に親に語り聞かされたあの「つるの恩返し」が、新しい姿と深みを纏って、感動的に蘇ることと思います。

 

 

 

ヨーロッパ滞在記 その8 -マドレーヌ教会のレクイエム-

 

ホテルに帰ったころにはすっかり陽が落ちており、昼までの暖かさが嘘みたいに空気が冷えていました。

ベトナムで買った紫のストールを、ポンピドゥーセンター前で買ったボルドーのストール(パシュミナみたいな長さでしたが)に

替えていざ外へ。フランス滞在最後の夜は、たまたま告知を見つけたモーツァルトのレクイエムをマドレーヌ教会で聞いてくることに

しました。マドレーヌ教会は教会の前に広々とした花壇があって、そこには赤の花が綺麗に植わっていたのを昼間に見ていたので、

それに合わせてボルドーのストールに変えてみた、というなんちゃってフランス人な発想があったりします。

 

ボルドーのストールなので、というわけではないのですが、お酒を飲みたくなったので、教会の近くのカフェに入って

ボルドーを二杯頂きました。幸せな気持ちになったところで、いざマドレーヌ教会へ。

僕はかなり最初の方に入ったので、前から二列目に座っていましたが、開演直前になると教会内に並べられた椅子がほとんど

全て埋まっていました。さすが文化の国、フランスですね。

そして始まったレクイエム。うーん。微妙です。教会の壮麗な空間でモーツァルトのレクイエムを聴いているのですから素直に喜んで

おけばいいのですが、指揮を習っている身としてはそういうわけにはいきません。フレーズ感が無いし、強拍・弱拍の差も感じられない。

技術の問題ではなく、音符を音に変換しているだけだなあと思ってしまいました。アンコールのヴェルディも勢いだけで

雑な印象。決して斜めに構えているわけではないのですが、何だかちょっと肩すかしを喰った気分で終演後に席を立つと、

左前に座っていた方がフルスコアに色々と書き込みをしているのが見えました。

珍しいな、と思ってフランス語で「音楽をされているのですか。」と話しかけてみたところ、なんと今回のオーケストラの練習指揮者の方

でした!同じく指揮をやっていることもあり、伝わったのか伝わっていないのか分からない会話でもすぐに意気投合してしまい、なぜか

二人で呑みに行くことに。近くのカフェで呑んでいたのですが、相当さきほどの演奏に不満だったようで、

「俺はあんな風に練習指揮をつけてないのに、今日の指揮者がむちゃくちゃにしたんだ!あれじゃ駄目なんだ!」と

熱弁をふるっていました。僕はそんなに話せないので一生懸命リスニングするのに必死だったのですが、感想は彼と

近いものだったので、何だか気持ちが分かる気がしました。音楽の世界は難しいですね。

 

結局、二軒目にはしごして、朝まで二人で音楽談義をしながら飲み明かしてしまいました。

まさかフランスでオールするとは思いませんでしたが、フランス滞在の最終日を締めるには相応しい時間だったかもしれません。

始発に乗りながら「いつかパリで指揮できるように頑張ります。」と彼とがっちり握手をして、自分のホテルへ戻り、慌てて荷造りを

し始めました。数時間後にはGare du NordからTGVでドイツへ移動せねばなりません。中途半端に寝てしまうとホテルで寝過ごして

しまいそうだったので、スーツケースに荷物をバサバサッと詰めた後、睡眠時間ほとんどゼロで早朝のピガールの街にお別れを告げます。

予約していたTGVまではまだ相当時間があったので、節約の意味も兼ねて(ほとんどお金を持っていかなかったので)、ピガールから

パリ北駅まで、ごろごろとスーツケースを引きずりながら歩いて向かうことにしました。今回のヨーロッパ滞在はデザインの勉強も

兼ねていたので、歩きながら店や至る所にある広告、カフェの内装、置いてあるパンフレットやチケットのつくりなどをじっくりと見たりして、

時に色彩の合わせ方に「なるほどこうやるのか…!」としばらく固まってしまったりしてゆっくり歩いているうち、パリ北駅に無事到着。

名残惜しくも、フランスをあとにします。

ヨーロッパ滞在記 その7 – コレージュ・ド・フランス -

 

フランスを経つ前日には、コレージュ・ド・フランスへ行ってきました。

僕のようにフランスの思想を専門にしている人間にとって、コレージュ・ド・フランスはちょっとした聖地みたいなもの。

訪れるのを楽しみにして、カルチェ・ラタンで下車。コレージュ・ド・フランスへ寄る前に、近くにあるノートルダム寺院を見て来ました。

ノートルダムの辺りには日本人の方も沢山いらして、久しぶりに日本語を聞いた気がします。ノートルダムは「すごいなあ。」という印象

だけで終わってしまったのですが、帰国してからインタビューさせて頂いた照明デザイナーの石井リーサ明里さんが

このノートルダム寺院のライトアップを手掛けられたのだと聞いて、あとから驚きました。

 

さて、コレージュ・ド・フランス。ソルボンヌ大学の向かいにあって、ちょうどその日は「フランスの文化公開週間」みたいなものに当たって

いたようで、中まで入ってみる事が出来ました。かなりの行列が出来ていたのですが、ここを訪れないわけにはいかないので、フランス人

に混ざって(アジア系は僕だけでした)並ぶこと一時間、ようやく敷地内に入ります。ホールではブーレーズの講義動画などが流れて

いて、ああこのホールでレヴィ・ストロースやフーコーが講義をしていたのか、と思うとちょっと感無量。まさにここで、世界最先端の

「知」が語られていたのです。ここで講義を受けられる日が来たらいいのにな、そのためには語学をもっとやらないと聞きとれないな、

などと思いながら、二回もコレージュ・ド・フランス内をぐるぐると回ってしまいました。

 

あとで気付いたのですが、コレージュ・ド・フランスの入り口の近くの花壇のような場所には、それぞれ名前がついていて、

その一つが「ミシェル・フーコー スクウェア」となっていました。自分の名前がついたスペースがコレージュ・ド・フランスの

前にあるなんて素敵すぎますね。

 

そのままソルボンヌ大学の近くのカフェに入り休憩したあと、シテ島とサン・ルイ島まで足をのばしました。

シテ島はざわざわとしていて観光客が沢山いたようですが、サン・ルイ島まで歩くと一気に静けさが訪れます。

歩き過ぎて少し疲れたこともあり、川べりのベンチに座って、本屋で買ったばかりの本を開きながら、ゆっくりと静かな時間を

過ごしていました。と言いつつ、サン・ルイ島の通りは素敵なお店ばかりで、つい散財してしまったことを付け加えておきます(笑)

 

そこから、ルイ・フィリップ橋を渡ってリヴォリ通りを歩きまくります。

オテル・ド・ヴィルからセント・ポールまでの間には可愛いお店がいっぱい。僕の好きな文房具屋さんが沢山あって、思わず

財布の紐が緩くなってしまいました。

 

最後に、そのまま歩きに歩いてポンピドゥーセンターへ。現代アートのような外観で知られるレンゾ・ピアノのこの建築には

もちろん驚かされましたが、いちばん印象的だったのが、ポンピドゥーセンター前の広場の活況。

手品をやっている人がいたり、ヴァイオリンのソロ演奏をしている人がいたり、大道芸をしている人がいたり。

それを傾きつつある陽を浴びながら、みんな地べたに座って思い思いに楽しんでいるのです。いいなあ、と心から思いました。

広場ではカップルが堂々とキスをしていましたが、それがこの街・人では不思議と絵になる。そのままキスをしていてほしいなと

思うぐらい、彼らは都市の中に溶け込んでいました。さりげないけれど細部に配慮された美がこの都市には息づいています。

 

ここまで歩いたところで、充電のためにいちどホテルへ。

もう辺りはずいぶん暗くなっていて、フランス最後の夜がすぐそばにやってきていました。

ヨーロッパ滞在記 その6 -パリ国立高等音楽院と音楽博物館-

 

フランスでは、パリ国立高等音楽院(いわゆる「コンセルヴァトワール」)にも行ってきました。

コンセルヴァトワールはパリの中央からやや外れた場所、ラ・ヴィレットの方にあります。中に入ると意外にアジア系の人がたくさん。

日本人の姿も見られました。みな留学されていらっしゃる方でしょうか。もしかしたら音楽の知り合いと擦れ違っていたかもしれません。

コンセルヴァトワールで面白かったのは、各練習部屋に作曲家の名前がつけられているところ。「ジョリヴェ」や「バルトーク」など、

ひとつひとつ名前と色がつけられていて、それを見て回るだけでも飽きないぐらいです。

 

ひとしきりコンヴァト内を回った後、近くにある音楽博物館へ行ってきました。

これがまた面白い!音楽をされている方は絶対楽しめます。音声ガイドがついていて(ただし英・仏のみ)、

展示されている楽器の音を聴くことが出来ます。器楽の発展に合わせて配列されているので、じっくりと音を聴きながらここを

回るだけで、かなりの知識をつけることが出来るでしょう。観光客はそれほど訪れないようで、閑散とした広い空間を心行くまで

堪能。途中に「古楽器生演奏コーナー」みたいなスペースがあって、お姉さんが暇そうにしていらっしゃったので

いくつかの曲や楽器を一対一で聞かせて頂くという贅沢な時間を過ごしたりもしました。終わったあと、拙いフランス語で

「日本から来ました。僕も音楽やってるんです。」と話しかけると、目を輝かせて下さり、

「ようこそフランスへ!指揮をやってるの?日本ではどう振るの、ちょっとやってみてよ。」と話が盛り上がって一時間ぐらいそのコーナーで

おしゃべり。(妙に意気投合して、一緒に写真まで撮ってしまいました) 語学と音楽をやっていて良かったなあと心底思わされた、

幸せな時間となりました。

 

帰りには電車を上手く乗り継いで、フラゴナール&カピュシーヌ香水博物館を見学して「調香師の天秤」に感動したり、

カルチェ・ラタンの方角まで足を伸ばしてソルボンヌ大学の近くをぶらぶらとしてきました。びっくりしたのは、人混みの中でなんと

フランス科の院生の先輩(同じくこのセミナーに参加されていたのです)に遭遇したこと。

僕はソルボンヌ大学近辺から降りてきて、先輩は本屋の近くから出てきてばったり。まさかフランスで偶然会うとは!

駒場キャンパスの銀杏並木で擦れ違った時とほとんど同じように「やあ、奇遇だね。」と世間話をして、「またドイツで会おう。」と

あっさりと解散。世界は狭いです。

 

パリの街を歩いていると気になるのは、やはりパサージュ。

ベンヤミンを読んだからにもパサージュ巡りは外せません。脚が限界を叫ぶまでは歩き倒します。

疲れたらカフェへ飛び込むだけ。昼から呑むのもこちらでは普 通ですので、抵抗は全くありません。

チュイルリー公園の静かなベンチで、冷えた白を飲みながらゆっくり本を広げたりもしていました。一人旅ならではの贅沢な時間ですね。

 

すっかり暗くなったころ、ホテルのあるピガールの街へ戻りました。昼とは全然違って、夜のピガールはまさに歓楽街と言う感じ。

ムーラン・ルージュの大きな風車が煽情的な色で回り、あたりのお店でもネオンが怪しく輝きます。

少し裏地に入ると、映画によく出てくる「娼婦のいるバー」というのが至る所にあって驚きました。

物憂げな視線でガラス越しに眺めてきたり、扇情的な服装で煙草を吹かせつつス ツールに座っていたり。

ネオンの中に広がる薄闇と女のこの構図は、確かに映画に使いたくなるほど、独特の魅力を放っているように感じられました。

 

何もかも新鮮で刺激に満ちた一日。

歩き疲れてベッドへ倒れ込み、ぐっすりと寝てまた明日に備えます。

滞在してまだ間もないのに、いつのまにか「しばらく帰りたくないなあ。」という思いが浮かんでいました。

 

 

ドビュッシー「月の光」を振る。

 

順調に指揮の勉強が進んでいます。

また改めて詳しく書きますが、ベートーヴェンとモーツァルトのソナタを終え、ブラームスのラプソディやショパンのスケルツォ、

そしてドビュッシーの「子供の領分」や「アラベスク」を振り、ついに「月の光」に入りました。

門下の先輩方から「月の光は難しいよ。」と脅されていたこともあり、入念に入念に準備をして一回目のレッスンへ。

 

楽譜を勉強するにあたって、この月がどういう月で、どういう情景なのかを自分なりに練った上でレッスンに臨みました。

冷え切った夜の空気の中に、月が静かに浮かぶ。

月の光が鋭く、しかし優しく降り注ぐ。

「ああ、綺麗だな。」と月を仰ぎ見て心動かされる。

そんなイメージでした。

 

指揮台に上り、冷たく演奏するぞと心して振り始めましたが、すぐにストップ。

「甘いな。もっと自然に、もっと冷たく。君の棒では月との距離が近過ぎる。月の光はこうだ。」と振り始めた先生の棒から生まれる、

音の冷たさと緊張感!キンと乾いた音のうしろに漆黒の夜が見える。遠い世界に月が静かに浮かぶ。その美しさに、絶句しました。

指揮台から降りてようやく、「月との距離が近過ぎる」という言葉の意味がじわじわと分かってきた気がします。

この曲は「美しいな」と思って月を仰ぎ見る人の「心」を描くのではないのだ、と。

描くのは、冷たく静かな夜。遠くから凛とした光を放つ月の「情景」。ただそれだけ。その光景が音となって届いた時、聞く者が

「ああ、美しいな」と感じる。どこまでもクールに。月への憧憬を心の内に込めつつ、表には出さない。

感情を押し付けず、情景を音で淡々と描く。その結果としてはじめて、感動が聞く人の内に生まれるのでしょう。

衝撃冷めやらず、帰りの電車で再び考えました。つまるところ、見ている世界が違ったのだと思います。

僕は月を眺める人の視点で「月の光」の世界を描こうとしました。だけど先生は違った。

月と月を眺める人をも描きうる、第三者・超越的な視点から世界を描いたように感じています。だから音に冷たさと距離が生まれる。

感情を押し付けたりしない、純然たる「月の光」だけがそこにありました。

それはまるで小説の技法に似て、一人称の小説と三人称の小説の違いに通ずるもののように思われました。

音楽も小説も、世界の描き方の芸術なのかもしれません。

 

前に振ったドビュッシーの「アラベスク」では、音の「湿度」と「色気」、アルペジオの表現を学びました。

今度の「月の光」では、「三人称の視点で曲の世界を描く」ことを学ぶことになりそうです。