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背中を向けて咲く向日葵に。

 

昨年度にお声掛け頂いて以来、指揮をさせて頂いているアンサンブル・コモドさんと今年もまた東北へ演奏旅行に行ってきました。

昨年の演奏旅行から帰ってきたとき、僕はこんなことを書いています。

 

…2012.8.28

実際に現地を訪れてみると込み上げてくるものは祈りの感情で、津波の被害を受けた海岸沿いの地を静かに歩いているうちに

歩みを進めることが出来ないほど痛切な感情に襲われました。東北を回っている間に書きつけた文章の一部をここに掲載しておきます。

 

空は青く、雲は既に秋の軽やかさを見せていた。

海の音が迫ってくる。眼前には何もない。そう、一年前までそこにあったであろう物が何もない。

見渡す限り、無。ただ海だけがある。振り返っても背後は山まで一望できてしまう。悲痛な景色。

 

山から伸びる雲が海と繋がろうとしている。

大地はひび割れ、家であっただろう場所、線路であったはずの場所に草が生い繁る。

海から吹き付ける風に黄色が揺れる。向日葵が海に背中を向けて咲いていた。

波の音。どこまでも静かな景色、喪失の静けさ。

草地の中に残された泥まみれの上履きが残酷だった。

 

 

 

心から心へ届くように、あらん限りの祈りを。

アンコールとして演奏したyou raise me up、そしてsound of musicメドレーの

deep feelingと記された最終変奏にはとりわけそうした想いを、言葉を込めたつもりです。

全三公演、演奏した先々で涙を流しながら聞いて下さった方々が沢山いらっしゃったということを後から知りました。

音楽に何が出来るのかは今もって分からないけれども、少しでも心に届くものがあったならば…。

お聞き下さった方々、そして一緒に演奏して下さった皆さん、本当にありがとうございました。

 

 

あのときから気持ちは全く変わりません。

復興はいまだ遅々として進まない部分もあり、けれども一年前より少し変わりつつある現地の状況と雰囲気を確かに肌に感じて、

暗い顔をしないようにと前へ歩き出せるような明るい気持ちで臨みました。そして今年もまた、今の僕に出来る限りの心を込めて演奏してきました。

昨年も演奏させて頂いた介護施設で「ふるさと」を演奏したとき、皆さんが自然と合唱してくださった様子が焼き付いています。

僕自身、なぜか涙が溢れてくるのを抑えることが出来ず、そのあとに指揮した曲の気持ちで膨らませた最後の和音を振り抜きながら、

ボードレールの「音楽は天を穿つ」という言葉を思い出さずにはいられませんでした。

つたないながらも音楽に関わっていてよかった。

 

最後のアンコールを振り始める前、一年前の最終日のことを思い出しながら、

このメンバーと演奏できるのはこれが最後になるんだな、と少し寂しい思いになり ました。

充実した三日間だったと思うと同時に、まだまだ演奏したりない、皆さんともっと音楽したかったなという思いも込み上げて来て…。

晴れやかな顔 で高らかに歌い上げ、一つ一つの音を慈しむように吹いて下さっていたあの光景を忘れる事は一生ないと思います。

ご一緒して下さったみなさん、本当にありがとうございました。

 

commodo2013:最終日の夜に、宿泊していた宿のお客様とスタッフの方々をご招待させて頂いて旅館でミニ・コンサートを開催した際の写真です。

 

 

 

 

七月の終わりに。

 

迷いが晴れた。

チャイコフスキーの交響曲第五番の一楽章を振り終わって、「何があったんだ。」と師匠が言葉を下さる。

何かがあったわけではないけれど、ここ三ヶ月で一番気持ちが乗った。

と同時に、揺れ動いていたものがピタリと腰を据えて、「大きな流れ」としか言い様のない全体が見えたのだ。

こういう気分になるときはいつも、スコアの見え方が全く違う。ある程度暗譜しているスコアとはいえ、

一度目を落とした瞬間に全体が飛び込んでくる。それもアーティキュレーションの細かな部分まで。

それはスコアだけではない。なぜか今いる部屋の隅まで詳細にズームイン可能な錯覚すら覚える。

ずっと先まで広々と見通せる気分のまま、もう一人の自分が上から自分を見下ろすような気分のまま、

理性のもとで感情に突き動かされるようにして棒を振る。

ウェーバーの「魔弾の射手」序曲を振って以来遠ざかっていたあの感覚が久しぶりに戻って来た。

 

ただただ、楽しかった。

偶然の産物ではなくて、暗闇を抜けた先に少しだけ到達したのだという確信がある。

一つの暗闇を抜けてしばらくするとまた次の暗闇がやってくるかもしれない。

それでも今の気持ちを忘れないようにしようと思う。

音楽は厳しくも、その本質はこんなに楽しかったのだ。

 

 

 

出発の哲学

 

しばらく音を聴きたくもなく、棒を振りたくもなかった。

少し覚えたはずの歌を失い、心は全く揺れず、呆然として立ちすくんだ。

 

文字通り真っ暗な中にいた。

作品のどこに立てば良いのか分からない。

どれを信じ、誰と音楽をして、何を求めれば良いのか分からない。

難しいことを考えるのは止めて楽譜を読もうとするけれど、楽譜は以前のように立ち上がらず、語りかけてくることもなく、

ただ石化した記号となって静寂に横たわる。

 

三ヶ月ぐらいそういう暗闇の中で踞っていました。

二人きりの時間にそう伝えると、師は柔らかに笑いながら言う。

「君はこれから何十年も棒を振らなければならないのだから、そういう時期があっても良いんだよ。」

 

大きな掌に包むようなこの言葉を僕は一生忘れまい。

さも当たり前のように下さった「何十年も」という言葉を、そして、悩んでいることを大らかに許して下さるその言葉を。

 

ずっと『悪の華』の最後の二行が響き続ける。

Plonger au fond du gouffre, Enfer ou Ciel, qu’importe ?

Au fond de l’Inconnu pour trouver du nouveau !

戻ることも止めることもしない。自分で自分の道を切り開くしかない。

傷つきながらも、いまを潜り抜けた先に何かが見えることを切望して、

これが何十年のうちの大切な一部となることを信じて歩く。

もういちど信じることを思い出そう。それは脱出ではなく、「出発」のために。

 

 

 

 

二十六歳の夏休み

 

小林康夫先生の『こころのアポリア――幸福と死のあいだで』(羽鳥書店)刊行記念トークセッションがYoutubeにアップされていたことを知って観ていた。

(URLはこちら:http://www.youtube.com/watch?v=u30VQGYoauU)

この半年間、小林先生と一緒にボードレール、そしてモデルニテの絵画を勉強させて頂いたわけだけど、

「学者になろうと思ったのではない。書くという行為に携わり続け、書くという行為に生きるために大学に残ることを選んだのだ」という言葉は

いつ聞いても響くものがある。それが良いとか悪いとかではなく、少なくとも僕には、ある種の憧れと共感を持って響く。

 

院生としての最初の半年間の授業は早くも先日で全て終わってしまった。

学部以上に、大学院の授業は授業というよりは「刺激」と呼ぶのが正しい気がしていて、

沢山頂いた「刺激」を自分のうちにどう取り込んで「書く」か、そこに殆どが掛かっているのだと痛感する。

小林先生から頂いたボードレールとマラルメ(ミシェル・ドゥギーの『ピエタ・ボードレール』読解を通して)、モデルニテの絵画を辿るうちに現れたカイユボットとドガの「光」、

そして寺田先生から頂いた文学史の見通しと19世紀のスペクタクルの諸相をいかにして書くか。まずは京都の出版社の友人が下さった連載に対して、僕はいったい何を書きえるのか。

 

 

同時に、読まねばならぬ。

助手として二ヶ月近く立花先生と一緒に関わっていたことが一区切りし、五万部印刷されたものの一部を手元に頂きに久しぶりに猫ビルへ伺った。

小さいものだけれど、こんなに印刷されるものに関わらせて頂けることは滅多にないなと思うと感無量なものがある。

しかしその感動はすぐに消え去った。猫ビルの膨大な書籍に囲まれ、立花先生とお話しさせて頂くと、自らの無知に改めて気付かされ、悔しくなる。

僕は何も知らないし、何も読んじゃいない!

 

相変わらず立花先生はものすごい。指揮はどうなの,研究はどうなの、あの本は読んだ?と質問攻めにして下さる。

しかも、その質問の仕方は自然かつ絶妙で(これがインタビューの達人の業だ)僕の拙い発言を確実に拾いつつ、何倍にも広げて返して下さるのだ。

そしてまた、絵画の話になったとき、膨大な書籍の山から迷わず一冊の場所を僕に指示して引き抜きつつ、

「このアヴィニョンのピエタの写真と論考が素晴らしいんだ」と楽しそうに語られる様子に、凄まじい蓄積と衰えぬ知的好奇心を垣間見た思いがした。

その一冊が『十五世紀プロヴァンス絵画研究 -祭壇画の図像プログラムをめぐる一試論-』で、丸ノ内KITTE内のIMTでお世話になっている西野先生の学位論文であり、

渋沢・クローデル賞を取られた著書であったことには、色々な方向から物事が繋がって行く偶然の幸せを感じずにはいられなかった。

 

とにもかくにも、夏休み。

幸せなことにまた幾つものオーケストラでリハーサルがはじまる。

昨年指揮させて頂いた団体から今年も、と声をかけて頂けるのは嬉しいことだ。

東北でまたコンサートをさせて頂き、フィリピンに行くオーケストラの合宿をし、オール・シベリウス・プログラムのオーケストラの設立記念演奏会に関わらせて頂く。

毎年恒例のチェロ・オーケストラも今年はさらにメンバーを充実させて開催することが出来そうだ。

長らく温めていたけれど、そろそろ自分の団体についても動き出して良い頃だろう。

並行して、駒場と丸ノ内で頂いている室内楽の企画も進めて行かねばならぬ。

 

日々の苦しみと同じぐらい、楽しみなことがたくさんある。

一つ一つ大切に棒を振り、めいっぱい読んで、書く夏休みにしようと思う。

触発する何かが生まれる事を信じて。

 

 

 

 

シベリウスの七番

 

 

ご縁を頂き、来年の夏にオール・シベリウス・プログラムを指揮することになりました。

シベリウスの交響曲、しかも「第七番」という、技術的にも精神的にも非常な深みを要する曲を指揮するのは容易なことではありませんが、

この一年間で目指すべき目標を頂 いたと思って精一杯勉強したいと思います。

 

お話を伺う限り、このオーケストラはシベリウス七番をやってみたい!という情熱から立ち上げられた一発オーケストラのようです。

http://orchestraaffettuoso.wix.com/orchestra-affettuoso

まだ立ち上がったばかりで明確なコンセプトや展望などは見えていない状況で、また僕自身シベリウスを未だほとんど取り上げた事がないために、

お話を頂いてかなり悩みましたが、主催の方のシベリウスに対する情熱を伺って深く心動かされました。

 

国内には、シベリウスを専門にしていらっしゃる素晴らしいオーケストラ「アイノラ交響楽団」さんがいらっしゃいますから、

シベリウスの音楽がいったいどういうものなのか、演奏経験豊富な先達の方々からお話を伺いながら、僕としても一から勉強させて頂く気持ちでいます。

関わらせて頂く事になったからには少しでも素敵な音楽にしたい。

 

 

教えることと教わること

 

四月の終わりから、未熟な身であるにも関わらず、師匠に代わって大学生の学生指揮者のレッスンをさせて頂いている。

レッスンというより伝えることを通して自分も教わっているようなもの。

そうして自分自身学んでいけ、そして基礎に忠実であれ、基礎の大切さを教えるうちに痛感せよ。

そういうメッセージを師匠から頂いたと思って、僕に出来る限りのことをやろうと試みている。

 

昨夜はその学生指揮者の女性が今度振るという吹奏楽曲をレッスンさせて頂いた。

師匠の椅子に座って、その子が振るのを見ながら、言葉だけではなく「そこはそうじゃなくて」と代わりに振ってみせることを何度もした。

レッスンが終わってからその子が、「音の変わりように鳥肌が立ちました…。」と言って下さった。

そこまでガラリと音が変わったのは奏者の方が協力して下さったからこそだが、それでも僕にはその言葉がとても嬉しかったのだ。

 

僕は指揮を習い始めて以来、師匠が自分に代わって振って下さるのを見て・聞いて、数えきれないほど感動した。(今もそうだ)

そしてそのことが、僕を「指揮」という営みにのめりこませていった。

何だか分からない、自分では音を鳴らさない棒の一閃が明らかに音を変える。

それまでニコニコしていた人の身体からエネルギーが湧き上がり、その場に「何か」を生成させる。

息を呑み、言葉を失い、痺れるほかない驚異の瞬間!

 

もちろん、僕には師匠のような次元でその変化を見せることは到底出来ないのだけれど、「指揮してみせる」という同じやり方で

僕が師匠から頂いた感動のほんの僅かでも彼女に伝わったとすれば、それは本当に幸せなことだろう。

だから改めて思ったのだ。この先生のもとで指揮を学んでいて良かった。

行き詰まることも行き違うこともあるけれど、これからも必ず学び続けよう。

自らの棒にすべての原因を求めることは精神的に過酷だが、その厳しさを引き受けよう。

 

気付いてみれば東京の他でも指揮する機会を今年も頂き、2014年には海外で指揮する機会も頂いた。

焦らず学び続けていれば機会はやってくる。

言葉にしがたい驚異の瞬間を何度も何度も味わいたいし、少しでも与えられるようになりたいだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Partout dans l'air court un parfum subtil.

 

昨夜ドビュッシーを振ってみて、もう本当に言葉にならないほど幸せな気持ちになった。

風を操っているような感覚。夢の中でもずっと「小舟にて」のフルートが水面に反射していた。

 

ドビュッシーを勉強するのは楽しい。

学問上専門にしているフランスものだから、ということもあるけれど、ポエジー、としか表現の出来ないものに強烈に惹き付けられる。

「小組曲」の第一曲目「小舟にて」第二曲目「行列」にインスピレーションを与えたとされるヴェルレーヌの詩集を参照すれば、「小舟にて」の詩の美しさに感動する。

Cependant la lune se lève/Et l’esquif en sa course brève/File gaîment sur l’eau qui rêve.

小舟は昼間に走らない。描かれているのは、月明かりの中、金星が映る、空より暗い水面をゆく小舟。

 

第三曲目「メヌエット」はヴェルレーヌではなく、同名のバンヴィルの詩集が踏まえられていて

バンヴィルの詩を用いてドビュッシーがかつて書いた歌曲「艶なる宴」のメロディを転用したもの。

Partout dans l’air court un parfum subtil.(「空にあるものは全て、幽かな香りを漂わせる」)

というドビュッシーの世界を凝縮したようなバンヴィルの一節はこのメロディに当たるのかと納得。

そして「艶なる宴」について考えて行くと、やはりヴァトーの絵にまで行き着く。

音楽から詩へ、詩から絵画へ。比較芸術の研究と指揮の勉強が重なりあう幸せな瞬間…。

 

そういうヴェルレーヌの空間を過ごし、今日は朝から授業でミシェル・ドゥギーのボードレール論を原典購読する授業。

もちろんボードレールを(「悪の華」を)折りに触れて参照しながら読むわけだけど、そこにはヴェルレーヌと全然違う世界がある。

駒場をもうすぐ去られる大先生のインスピレーションに満ちた「読み」が凄すぎて、鳥肌が立った。

pietàとpieuse、「悪の華」のあの「無名」の100番目の詩の21行目から、ミケランジェロのピエタ像とのコントラストを用いて

「逆転したピエタ」と表現してしまう、あの煌めくような読みを、他の誰が出来るだろうか!

 

 

豊かなイマージュの世界に音楽と学問で遊べる幸せ。今年も充実したゴールデンウィークを過ごしている。

 

次の景色へ。

 

三年越しのリベンジを果たした。

一番大切にしていたものを失ったし、捨てざるを得なかったものも沢山あったけれど、

三年前の自分の選択は、この三年間の日々は間違ってはいなかった。

 

三年前と同じく、風の強い春の一日だった。

飛び込んで、飛び越えて、これが一つの区切りになるだろう。

もう同じ地平にいてはいけないし、いることも出来ない。

見晴らしが変わることを恐れず先に進んでいく。

 

 

100人のオーケストラ

 

大学生活最後に、100人規模のオーケストラを指揮しました。

東北でご一緒させて頂いたオーケストラ・コモドが主催するチャリティーコンサート(入場料を被災地に全額寄付。30万円の寄付が集まったそうです)

に再びお声かけ頂いて、ホルストの「木星」やサウンド・オブ・ミュージックメドレーなど、ポップス&クラシックステージを指揮させて頂きました。

明るい曲を中心としたコンサートでしたが、主催者の方にお願いして、アンコールにはプッチーニのCrisantemi「菊の花」と、

東北でも演奏したYou raise me up(フル・オーケストラ編曲版)を演奏させて頂きました。

プッチーニの「菊」は、あるパトロンの死に際して書かれた曲で、ヨーロッパではしばしば追悼曲として演奏されます。

この曲に出会ったのは東北へ行く直前。そのときはこの曲がまだ良く分からなかったのだけれども、

東北の震災の傷跡深く残る光景を目の当たりにして、そして理不尽に訪れる「死」というものを考えるにつれ、

この曲が語ろうとする思いを痛いほどに感じるようになりました。

死は唐突に訪れる。なぜ死ななければならなかったのだ、というやるせなさ。

怒り。死を認めたくないという否定の気持ち。絶望。寂しさ。

そして死を悼む心…わずか数分の中に嵐のような感情が渦巻いていることに気付き、涙が止まらなくなりました。

 

東北から帰ってから半年の間、ずっとこの曲を勉強し続けていました。

そして、この曲を勉強するたびにある景色を思い出さずにはいられませんでした。

それは東北で見た、海に背中を向けて寂しげに咲く向日葵と、ひび割れた大地に置き去りにされた泥だらけの上靴。

あえて言葉にすることはしませんでしたが、3月22日のコンサートでは、被災された方々に、そして上靴の持ち主だった少女に、

半年間抱き続けた追悼の思いを全身全霊に込めてこの「菊」を指揮したつもりです。

第二主題に入る前に長くとったゲネラル・パウゼの静けさの中で客席からすすり泣きが聞こえて、手が震えたのを今でもありありと覚えています。

音楽に何が出来るのかは分からないし、もしかしたら無力なものなのかもしれないけれど、あの日・あの瞬間に

少しでも心から心へ届くものがあったならば、これ以上の幸せはありません。

ご一緒して下さった奏者の皆様、そして遠くまで足をお運び頂いた皆様、本当にありがとうございました。

 

Commodo 2013

 

 

 

リハーサル見学

 

尊敬するヴァイオリニストの方が主催する弦楽合奏団のリハーサルを見学させて頂く機会に恵まれた。

エルガー、レスピーギ、チャイコフスキー。エルガーを除いてどちらも本番で指揮したことのある曲だ。

自分のものとしておきたいので敢えて細かくは書かないが、勉強になったという一言では到底尽くせないほど充実した時間だった。

ヴァイオリンの弓はこんなに豊かに使うことが出来て、楽器はこんなふうに鳴らす事ができるのだ。

音楽の全体的なイメージを共有した上で奏法に変換していく。その手際の良さとバリエーションの豊かさ。

会話をするときの和やかな雰囲気と弾き始めてからの獲物に飛びかからんばかりの緊張感と激しさ。

どこまでもストイックで誰よりも謙虚。プロ中のプロ、とはこういう人のことを言うのだと思う。

一度共演させて頂いただけなのに僕のことを覚えていて下さって、固く握手して下さったのが何よりも嬉しかった。

 

色々なオーケストラで指揮させて頂くようになったからこそ、現場ならではの問題に直面し始めている。

どうやったら上手く伝わるのか。どうやれば音楽を効率よく、具体的に作って行けるのか。

師のレッスンを一回一回大切にしながら、今年は沢山リハーサルを見学して音楽の作り方を「盗む」一年にしたい。