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雪から陽射しへ

 

燕尾服を納めて、スーツケースの鍵を閉じた。まさか自分が指揮者として飛行機に乗る事になるなんて思わなかった。

明日からフィリピンのセブ島で、UUUオーケストラとセブ・フィルハーモニックオーケストラと共演させて頂き、10日間のコンサート・ツアーを指揮させて頂く。

日本とフィリピンの国歌から始まり、吹奏楽で「オリエント急行」と「三つのジャポニスム」、そして現地のフォークソングメドレー、

プロコフィエフのピアノ協奏曲第三番、ベートーヴェンの交響曲第五番、そして世界初演の曲まで、盛りだくさんのプログラム。

10日間で8公演もするということなので、体調を崩さないようコンディションを整えて望みたい。

英語でリハーサルをするのははじめてだ。少しだけ勉強したタガログ語とセブアノ語と共に

うまく言葉を使いながら、指揮で、音楽そのもので沢山の会話をしたい。

 

プログラムの一つであるビゼー「アルルの女」のスコアを読み直す。大好きなアダージェットに再び心奪われる。

この組曲を教わったのは2011年の7月。「もっと色彩を、どの拍も一つたりとて同じではない。」

当時、師から教わった言葉がスコアに書き込まれている。あの時はその意味するところが分からなかった。きっと今だって存分に分かっていないと思う。

それでも僕は棒を振りたいと思うし、指揮をすることに、今は単純な楽しさや幸せだけではなく、

ある種の苦しさも含めて「生き甲斐」としか言いようのないものを感じている。

 

とはいえ指揮者は、やっぱり一人では何にも出来ないのだ。

僕の未熟な棒で時間を一緒に過ごしてくれる人たちがいなければ十分な勉強すら出来なかった。

日々命を燃やして教えて下さる師匠、そしてピアニストの方々に、今まで一緒に演奏してくださったオーケストラの皆さんに心から感謝している。

楽しいことばかりでは勿論無かったけれども、一つ一つの経験が掛け替えない血肉となり、レッスンで、あるいは奏者から貰った言葉が確実に響いて今に繋がっている。

指揮を学び始めた、と言ったときに怪訝な顔をしつつ、それでも応援してくれた両親と友人たちは、少しは納得してくれるだろうか。

 

雪の降り積もった道に足跡をつけながら空港へ向かう。休学を決めたあの日も確か雪だった。

それがいつだったか調べてみて驚く。2011年の2月13日と14日、ちょうど3年前のこの日に、僕はこう書いていた。

 

「一つの考えが形になりつつある。いまこの機会を逃すと僕は永遠に後悔するだろう。

二度と起こらないことが分かっている出会いに自分の全てを賭けてみるのも悪くない。

力不足なのは分かっている。けれども、息の止まるような感動に人生を捧げたい。学べる限りを学んで再びこの場所へ。

コクトーが、ヴァレリーが遥か遠くから背中を押す。そして、たぶん僕の師も。」

 

想像の世界がいつの間にか現実になっていた。

一本の棒に限りない可能性を信じて、今日、海を渡ろう。

 

 

雪の駒場

 

この一週間はタガログ語を勉強していました。

フィリピンで指揮する曲に現地のフォークソング・メドレーが含まれているので、作りを考えるにあたって、

原曲を辿ってタガログ語の歌詞と曲想を把握しておく必要があったからです。

ただでさえ不得意な語学、しかも全くの付け焼き刃に過ぎませんが、ang/ng/saフォームとリンカー概念を知ると

ほんの少しだけ読めるようになってき た感触があり、とりあえずそれぞれのフォークソングの歌詞と国歌を解読できるようになりました。

フィリピン国歌が結構激しい歌詞で驚いたと共に、最後にDahil Sa yoが出てきて、なるほどという感じ。

勉強にはこのサイト(https://learningtagalog.com/grammar/)を用いました。インターネットですぐに勉強できるのは本当にありがたいことです。

中学生や高校生のときにこれぐらいネットを使えてい たら少しは英語も出来るようになっていたのかなあ、と自分の不勉強を棚に上げて妄想するばかり。

ちなみに行き先のセブ島で一般的なのは、タガログ語ではな くビサヤ語だそうで、スペイン語とポルトガル語ぐらいの違いかなと思っていたら

かなり異なるものがあって困惑しました(笑)とりあえずは国内でのリハーサルもすべて終了したので、あとは現地に行ってから頑張りたいと思います。

 

写真は先日の大雪の日に駒場にて。演奏会用のプロフィール写真を友人のカメラマンに撮影して頂いた際の一枚です。

こんな大雪は10年ぶりとのことで、この先10年後に僕が駒場キャンパスにいるかどうかは分からない事を考えると、

二度と訪れない雪景色になったのかもしれません。栄田さん、本当にありがとう。

 

大雪の駒場にて。Photo by Yasutaka Eida

フォースの技法

 

自分の中に入り込んで朝七時までかかって文章を綴るうちに、一つのブレイクスルーを経験した。

それが実際の棒に反映されるようになるのにどれぐらいかかるか分からないが、立ちはだかる壁を越えるものを見つけたような気がしている。

19世紀の写真技術が(いわば逆説的に)古くからあった版画の技術を参照して発展したように、ヒントは自らの過去の動きにあった。

指揮-音楽の言葉で決して言いあらわすことのできない領域とは、実のところ、弱拍の中にこそ宿っているのではないだろうか。

冬がほどける

 

シベリウスのヴァイオリン協奏曲のリハーサルを終えた翌日の早朝、

いまだ鳴り響く三楽章をリフレインしながら、日が昇る前に出発して友人たちと三人で千葉までドライブ&プール&温泉に行ってきた。

早朝の「海ほたる」で珈琲を飲みながら作品とタイトルをめぐる議論。

水の中で散々笑ったのちに真面目な話を少し。駆け出しながらも表現に携わる人間として、どうやって生きて行くのか。

それぞれジャンルは違えども、表現することに限りなく魅かれて止まない。

美学と志を分かち合える良い友に恵まれた、としみじみ思う。

 

日が沈むころ、千葉の温泉から新木場まで送って頂いてリハーサルに直行。

僕がいない間の分奏では気心知れた奏者のお二人が素晴らしいリードを取って下さっていて本当に助かった。

指揮したのは芥川也寸志のトリプティークと真島俊夫の三つのジャポニスム。

温泉宿で芥川也寸志を指揮する、という体験を昨年にしたのだが、温泉に行ったその足で芥川也寸志を振るという体験を今年早々にするとは思わなかった。

ジャポニスムのリハーサルでは、鳥肌が立つ瞬間を味わう。

一つのイマージュを共有することで音の質が(身体の使い方も含めて)がらりと変わるのだ。

音符が詩情を得て活き活きと響き始める。 その瞬間の感動に震えるばかり…。

 

翌日、月曜日。

もう長い付き合いになるヴィオラの友人と二人で、ピアニストのグルダの命日にしてモーツァルトの誕生日を祝って飲む。

リハーサルでもっとコミュニケーションできるはずだ、という彼の言葉に深く頷く。

いちばん良い棒を振ることは当然ながら、棒以外の手法を加えて、たとえば三時間のリハーサルをもっと充実した三時間にすることができる。

飛び交うコミュニケーションを逃さないようにしよう。指摘する事を躊躇していては前に進めない。

良い意味で遠慮を捨てることも時に必要なのだ。

 

 

一緒に過ごしてくれる人、力になってくれる人、指摘してくれる人…たくさんの人に支えられて今があることを思う。

一人でいる時間無くして僕は生きて行けないが、一人で生きて行けるわけではない。

孤独の中で強靭に練り上げつつ、場を共にしてくれる人たちとその場で即興的に柔軟に作り上げる。

音楽(に限らず多くの表現行為)の難しさと楽しさはたぶん、火と水を同居させるような、こうした試みの中に宿っているのだろう。

 

 

空気から鋭さが消えた。

一月がもうすぐ終わる。春だ。

 

 

再帰動詞

 

具体例や経験を重ねて行き、それらを思考で掘り下げて行くと、ある概念に達することが稀にある。

あるいは、時間の中で一滴ずつ蓄積されたものが言葉として結晶する。それは世界の誰もが使った事のない言葉である必要は無い。

形なきものに自分の語彙である種の輪郭を与えること。透明で不可視なものを、言葉という魔法によって半透明な存在へと肉づけること。

それこそが哲学-思想と呼ばれて然るべきものではないだろうか、と不遜にも思う。

 

昨夜は2014年度初回のレッスンだった。

シュトラウスのレッスンを終え、また初級の方々にレッスンをさせて頂き、師と対話するうちに、唐突に一つの言葉が結晶した。

それはεὕρηκαと叫んで走り回りたくなるほどの感動を伴う経験であり、身体の中に流れる血の温度が上がるのが分かるほどに興奮を覚える一瞬でもあった。

これまでにも幾つかの言葉に至った事がある。けれどもそれは名詞でしかなく、名詞では説明しきれないはずだという根拠なき不足感を抱えていた。

2014年になってはじめて僕は動詞に至った。それが正しいものであるかどうか、意味を持つものであるかどうか、そんなことには興味がない。

僕は未熟者に過ぎないし、この言葉であらゆる現象を説明しうるとも到底思えない。しかし今の僕にとっては決定的な概念-言葉に掘り当たったのだ。

 

 

嵐のような年末から、家族の温かさに包まれて平穏な年始を過ごした。

今年は「最後」の年になるだろう。もう僕の残り時間に猶予はない。書いて、読んで、振って、動く。

昨夜たどり着いた動詞に様々な目的語や主語を戯れさせながら、弓が切れる限界まで引き絞ったものを放つ一年にしたい。

 

 

 

 

2013年度回想

 

大晦日ということで、2013年を振り返ってみようと思います。

 

<音楽>

・レッスンにて

1月:ワーグナー「マイスタージンガー 前奏曲」

2月:チャイコフスキー「弦楽セレナーデ」、モーツァルト「交響曲第三十五番 ハフナー」

3月:ドヴォルザーク「交響曲第九番 新世界より」(2月&3月&4月)

4月:ムソルグスキー/ラヴェル「展覧会の絵」組曲(二回目)、ヴィラ=ロボス「ブラジル風バッハ九番」

5月:ヴィラ=ロボス「ブラジル風バッハ九番」、モーツァルト「交響曲第三十九番」、ドビュッシー:「小組曲」

6月:モーツァルト「交響曲第四十番」(6月&7月)

7月:モーツァルト「交響曲第四十番」(6月&7月)、シベリウス「交響詩 フィンランディア」(二回目)

8月:チャイコフスキー「交響曲第五番」、ニコライ「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲

9月:ベートーヴェン「交響曲第五番」(二回目)

10月:ベートーヴェン「交響曲第九番」、指揮法教程練習題No.1-No.8(三回目)

11月:ベートーヴェン「交響曲第九番」、ムソルグスキー&ラヴェル「展覧会の絵」組曲(三回目)

12月:ベートーヴェン「交響曲第九番」、ヴェルディ「運命の力」序曲、シュトラウス「こうもり」序曲(二回目)

指揮を学びはじめてから、最も苦しんだ一年間でした。考える事や見えるものが増えていくのに棒の解像度が追いつかない。

頭の中で鳴っている響き(音ではなく)と、現実に鳴る響きとが音色やニュアンスの面で全く一致しない。

モーツァルトの40番をやっているときは精神的に本当に苦しい日々で、あれほど音楽が色褪せて見えた時期はありません。

と同時に、ベートーヴェンの「交響曲第九番」を通しで見て頂いたときに感じた、一楽章や三楽章での集中と感情はこれまでに経験したことのないものでした。

ポジティブなものもネガティブなものも含めて、新しい感情と技術とを知った一年間であり、教えさせて頂くという行為を通じて基礎を改めて確認する一年間でもありました。

おそらくこの一年で僕の指揮は大きく変わっただろう、という実感があります。そして一つ進化した手応えと共に、自らの未熟さを強く強く実感しています。

遡及性と訴求性 — この先にある膨大な広がりに目眩がする思いですが、掴んだものをしっかり活かせるように来年も更に勉強して行きたい。

 

・本番など

1月10日、学生指揮者の方への指揮のアドバイスのため、お茶の水管弦楽団の室内楽コンサート「茶弦」リハーサルにお招き頂きました。(グリーグ「ホルベアの時代」)

3月22日、アンサンブル・コモドさまの東京公演を指揮させて頂きました。100人を超える大オーケストラと、ホルスト「惑星」抜粋やサウンド・オブ・ミュージックメドレーなどを

演奏致しました。アンコールははプッチーニの「菊の花」とYou raise me upです。

3月23日 Strudel Hornistenさまの第六回演奏会にて、スパーク「オリエント急行」ムソルグスキー「展覧会の絵」などを指揮させて頂きました。

4月〜 師の助手として、指揮法教室の初級クラスの指導に携わらせて頂く事になりました。(2013年中に4人の方を指導させて頂きました。)

4月〜 丸ノ内KITTE内の博物館IMTにおける連続室内楽企画のプロデューサーを務めさせて頂くことになりました。(バロック&アルゼンチン・タンゴ→ベネズエラ音楽→ケルト音楽→ブラジル音楽)

7月24日・26日・29日 足立区の中学校の吹奏楽部さまよりご依頼を頂き、三回にわたってコンクールのための吹奏楽指導を行いました。

8月21-23日 アンサンブル・コモドさまの東北遠征公演を二公演指揮させて頂きました。ビゼー「カルメン」組曲やシュトラウスの「春の声」などが中心です。

11月30日 コマバ・メモリアル・チェロオーケストラ第三回演奏会を、丸ノ内の博物館にて指揮致しました。

総勢15名のチェリストとクレンゲル「讃歌」やロジャース「全ての山に登れ」、ヴィラ=ロボス「ブラジル風バッハ一番&五番」など。

12月23日 お茶の水管弦楽団弦セクション演奏会「茶弦」リハーサルにお招き頂き、学生指揮者の方の指揮指導をさせて頂きました。(レスピーギ「第三組曲」)

12月25日 クロワゼ・サロン・オーケストラと足立区の中学校の音楽鑑賞教室で演奏致しました。(芥川也寸志「トリプティーク」、アンダーソン「クリスマス・フェスティヴァル」など)

12月27日 武蔵野音大の方々からお声がけ頂き、千葉県の老人ホームにてレスピーギ「第三組曲」やタルティーニのトランペット協奏曲、そして書き下ろしの現代曲などを指揮致しました。

アンコールで演奏した「ふるさと」の大合唱を指揮しながら、聴きに来て下さった方々のお言葉を頂きながら、人の心を揺さぶり、つたないながらも多少なりとも感動を与えられる

音楽-指揮というこの行為に関わる事ができて本当に良かった、と思いました。一年の最後の本番で根源的な喜びを味わうことが出来て背筋が正される思いでした。

 

 

様々なオーケストラさまから沢山の本番を頂いた一年間でした。指揮する機会を下さった方々に、また、一緒に演奏して下さった方々に心から感謝致します。

本番は来年となりますが、フィリピンでのUUUオーケストラ&セブ・フィルハーモニックオーケストラとの合同コンサート・ツアーのリハーサルも2013年度から始まっています。

プロコフィエフのピアノ協奏曲第三番やベートーヴェンの交響曲第五番、それから真島俊夫さんの「三つのジャポニスム」など。

それから、同じく来年の本番であるオーケストラ・アフェットゥオーソさんとのリハーサルも。こちらはオール・シベリウス・プログラムになります。

来年にはドミナント室内管の第二回コンサートも開催予定。一時期はどうしようか悩んでいましたが、やろうよという声をメンバーから沢山頂いて、動き出す事にしました。

腕前だけではなく人間的にも美学的にも気の会う仲間たちと楽しく音楽を作って行くという創設時の原点を見直しながら、今後にも繋がるように運営体制を整えたいと思っています。

今のところ来年の本番は、1月(東京)、2月(フィリピン)、3月(福島、兵庫)、5月(東京)、8月(東京、宮城)、11月(東京)、12月(東京)で頂いております。

一つ一つを丁寧に、そして常にフットワーク軽く過ごそうと思いますので、指揮が必要な際にはこれからもどうぞお声がけ下さい。

 

曲について。この一年間で勉強して最も衝撃を受けたのは、やはりベートーヴェンの九番とシベリウスの七番です。

ベートーヴェンの九番については何度もブログでも記事にしたのでここでは書かない事にして、これで師匠にベートーヴェンの全交響曲をレッスンして頂いた事になります。

シベリウスの七番は、僕が理解できていることはほんの僅かに過ぎないとはいえ、張り巡らされた論理と情感の凄まじさに絶句しました。

スコアを読むときには美しく織られた織物を解きほぐしていくような感覚。指揮するときには美しい模様の入った糸を織りあげて一つの構造物を作って行くような感覚。

特に夏頃だったと思いますが、寝ても覚めてもシベリウスの七番のことしか考えられない日が幾度もありました。

 

 

<学問とその周辺>

3月 フランス語で執筆した卒業論文La naissance d’une nouvelle sensibilité à la lumière artificielle : Le rôle des Expositions universelles de Paris 1855-1900にて学士(教養)取得。

大学院試験合格。地域文化研究学科フランス分科より、総合文化研究科の比較文学・比較文化コースに進学。

4月 東京大学大学院に所属する人文科学系の修士一名のみ(日本全国の修士で採用は合計七人だったと伺いました)を対象とした返還不要の奨学金である

松尾金蔵記念奨学基金に採用される。この奨学基金を頂く事がなければこの一年間を過ごす事は出来ませんでした。

4月〜寺田寅彦先生に師事。寺田先生にご指導頂くためにこのコースに進学したので、希望通りご指導頂けることになって本当に嬉しかった!

4月〜2013年度夏学期「情報」TAを担当致しました。

5月 立花隆「東京大学新図書館」 トークイベントにて、助手を務めました。(東大TVにて一般公開中)

5月 ミシェル・ドゥギーのLa Pietà Baudelaireを原典購読する小林康夫先生の講義にて、マラルメの「人工光」の扱いをボードレールと比較しながら発表させて頂きました。

ドゥギーはもちろん、ボードレールの「悪の華」や「パリの憂鬱」に原書でたくさん触れることが出来たのは僥倖でした。

2013年上半期の自分の頭の中にはいつもボードレールの存在があって、どこに行くにも鞄に『悪の華』を持ち歩いていました。

6月 小林康夫ゼミ(「絵画の哲学」)にて19世紀から20世紀初頭にかけての光の展開を絵画の問題と絡めながら発表させて頂きました。

7月 カイユボットの「床削り」と「パリの通り、雨」をめぐる論考を執筆致しました。

さきほどのボードレールと平行して、上半期の僕の頭の中を締めていた画家はカイユボットとドガだったと思います。

8月 京都の出版社の友人より、「19世紀フランスにおける光の文化史」というテーマでWeb連載のお話を頂きました。現在鋭意執筆中です。

10月「週刊読書人」11月8日号紙上にて、小宮正安さまの御新刊『音楽史 影の仕掛人』(春秋社)の書評を書かせて頂きました。

10月〜 東大比較文学会2013年度「展覧会・カタログ評院生委員会」副委員長を務めさせて頂くことになりました。

11月 立花隆先生のご著書投げ込みデザインを担当させて頂きました。これ以上沢山の部数印刷されるものを制作させて頂くことはこの先滅多に無いでしょう…(笑)

12月 小林康夫ゼミにて、ロベール・ドローネーの「カーディフ・チーム」をめぐる分析を発表させて頂きました。

12月まで 寺田寅彦ゼミ(フランス語で進行)にて、ファンタスマゴリー(魔術幻灯)の問題を集中的に勉強しました。下半期はここから「幻想」という問題を考えていて、

その繋がりで象徴主義に関する文献を読むことが多かったように思います。

 

研究を進めて行く中で、19世紀末の光のありかたを考える上でファンタスマゴリー以来綿々と続く「幻想」の思想、それから

19世紀末に高まる「装飾」という概念の交差が決定的に重要であることに気付かされました。

修士論文はこの装飾と幻想という思想を切り口に、光(と音)を考えるものになる予感がしています。

そしておそらく、ジョルジュ・ベルジュがキーパーソンになるはず…。

読んだ本を全て書き上げることはしませんが、とくに衝撃を受けたのは河本真理さんの『切断の時代 20世紀におけるコラージュの美学と歴史』や、

デボラ・シルヴァーマン『アール・ヌーヴォー フランス世紀末と装飾芸術の思想』、Simone Delattre, Les douze heures noiresなど。

でもやっぱり一番響いたのはボードレールの諸々に出会えたことだったかもしれません。

ダンテを読めるようになりたくて、少しだけイタリア語を勉強し始めたことも書き添えておきます。

 

あとは不定期になってしまっていたボウリングをまた定期的に再開するようにしました。

音楽をやる上でも日々を過ごす上でも、僕にとってボウリングは座禅のようなもの。ぶれない呼吸や強靭な精神で脱力して立つこと。

それは指揮とも共通するもので、(今年は行けなかったけれども、サーフィンとも関係してきます)それぞれをうまく呼応させて高めて行きたいと思います。

今年は最高でも276までしか出せなかったのは悔しい限りで、ひとえに練習不足によることが明らかですから

来年こそは人生七回目のパーフェクトを達成すべく、動作の精度とレーン・リーディングの速度を向上させたいと企んでいます。

 

そういうわけで、この一年間は周りの方々に温かく支えて頂いて、好きなことに好きなだけ打ち込むことが出来た時間でした。

非常に充実していた一方で反省も限りなく、もっと餓えていなければならなかったと思う時間が沢山あるのも事実です。

来年は指揮活動でフィリピンと関西と東京と東北を行き来することになりますし、同時に夏ごろからは修士論文を形にしていかねばなりません。

頂いた機会を一つ一つ大切にして、来年も果敢に生きて行きたいと思います。そうすれば思いもよらなかった未来が開けることを信じて…。

 

長くなってしまいました。今年何度も引いた『悪の華』最後の一節を改めて引用して、ひとまず一年の終止(そして出発!)と致します。

 

 

Plonger au fond du gouffre, Enfer ou Ciel, qu’importe ? 裂け目の奥へ飛び込んで、地獄も天国も知ったことか

Au fond de l’Inconnu pour trouver du nouveau !  新しきものを探し出すため、いざ未知の底へ!

 

 

2013年、忘れ難い日々をありがとうございました。2014年もどうぞよろしくお願い致します。

 

 

 

 

 

 

 

 

Le challenge au ciel

 

師から託された生徒。僕にとっては初めて教える弟子。

一緒に一つの曲を作って来て、もうすぐ本番を迎える彼女を仕上げとして師匠に見て頂いた。

「こんなに振れるようになったのか。よくやったな」と師は驚きながら笑って下さった。

本当に嬉しくて、ここに至るまでの日々が報われた気がした。

 

表現者でなければならぬ。

師が折に触れて語る、そして友人のヴィオリストが酔っぱらったときに必ず漏らすその言葉が、

今日の彼女の指揮を見ている間ずっと木霊していた。そして、今日の彼女は間違いなく表現者だった。

それはもちろん今日までの彼女の努力があったから。

とても良く勉強してくれているのを毎回感じたし、表現する上で殻を破った瞬間を目の当たりにした。

僕にとっても沢山勉強になることばかりだった。必ずや素敵な本番になることだろう。

あとは客席から見守っています。

 

輝く協奏曲と黒い詩情

 

年末に本番のレスピーギの第三組曲、それからタルティーニのトランペット協奏曲の初合わせを終えました。

第三組曲は大好きなあまり、もう六回ぐらい演奏しているけれど、何度やっても新しいし何度やっても楽しい曲で、

また今年も演奏できることが嬉しくてなりません。

タルティーニのトランペット協奏曲のリハーサルは、やっぱり僕はコンチェルトが大好きなのだなあとしみじみ思う時間になりました。

ソリストの彼にとっては初めてとなるコンチェルト・デビューに僕の指揮を選んで下さったことを幸せに思います。

彼の魅力が目一杯放たれるように、出来る限り良いサポートをしたい。

 

レッスンではヴェルディの「運命の力」序曲を見て頂いています。

考えてみれば師にヴェルディを見て頂くのはこれがはじめて。

師の考えるヴェルディは、僕の想像も及ばないもので、レッスンを受けて仰天してしまいました。

「最近の人は確かにそういうふうにやるけれど、ヴェルディの(そしてこの曲の)ロマンはそういう風なものじゃないと思うんだ」と笑う師匠。

それはとても不吉で、不穏で、悲劇的な詩情でした。それはまるでパレットに新しく暗い色彩が追加されたような感覚。

テンポではなく、ポエジーがアジタートで迫り来る!

 

 

立体を織り上げ、風を操る。

 

第九レッスンのちシベリウスの七番リハーサル、そしてプロコフィエフのピアノ協奏曲三番リハーサル、という重量級の週末を過ごしていました。

シベリウスの七番は随分形が纏まって来たと同時に、スコアがもう既にぼろぼろになりつつあります(笑)

燃え尽きるような充実とはまた異なる感動、完璧な模様の描かれた折り紙を立体的に織り上げていくような楽しみ。

やり終わるとまず第一に「ええ曲や…」としみじみ思わせてくれる音楽、この曲に出会えて本当に良かった。

 

 

UUUオーケストラとのプロコフィエフのピアノ協奏曲は、昨日ついにソリストの朝岡さんをお迎えしてリハーサルとなりました。

難曲ながらもあえて打ち合わ せは一切無しで通してみましょう、と初めた演奏はとてもスリリングで楽しく、

けれどもばっちり最後まで合って感動しました!朝岡さんの輝くピアノが素晴ら しくて、ピアノに刺激されて

奏者の皆さんの集中力が高まってゆく様子を何度も実感しました。

流れを生みながら、生まれた流れを掬っていく…それはまるで風を操るような楽しみです。

共演させて頂いて心から幸せに思います。

 

音楽は勿論楽しいばかりではなく、その過程に沢山の苦しみを含むものですが、

こういう瞬間の「楽しさ」は、その苦しみを遥かに何倍も上回る。

僕はまだほんの駆け出し中の駆け出しに過ぎませんが、いつまでもこの原始的で根源的な楽しさ、幸せの感情を忘れることなく、

苦しさと向上とに向き合って行きたいなと気持ちを新たにする週末となりました。

 

 

回想と未来

 

昨夜、もう一度ベートーヴェンの「第九」をレッスンで通して見て頂きました。

先日の飯森先生&武蔵野音大の第九を聞かせて頂いて、和声の鮮やかな移行や中低音を中心とする沢山のことに気付いたから…。

「第九」には三楽章に、第六番「田園」を思わせるような部分が出てきます。

その八分の十二拍子の部分で師匠と目が合って、「田園」を教わった夏の一日のことを互いにハッと思い出したような気がしました。

あのとき僕は白い七分袖のシャツを着ていて、海から帰ったばかり。

「君が感じてきたような、伸びやかな喜びをもっと棒に!」という師の言葉と笑顔が不意に記憶の中に蘇って来て、込み上げてくるものがありました。

終わってから頂いた言葉と共に、昨夜の時間を僕は一生忘れることはないでしょう。

 

第九の終わりと共に嬉しいお話も一つ。

ご縁を頂いて、来年3月終わりに地元である関西で指揮させて頂くことになりました。

宝塚のベガ・ホールにてベガ・ジュニアアンサンブルさまの第七回コンサートに客演指揮させて頂きます。

関西で指揮することは、指揮を習い始めてからずっと僕の夢の一つでした。

貴重な機会を頂いたことに感謝して、精一杯、そして楽しく棒を振らせて頂きたいと思います。