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「展覧会の絵」を振る。

 

ついにここまで来ることが出来たか、という思いがしています。

ムソルグスキー作曲/ラヴェル編曲の「展覧会の絵」。指揮のレッスンを受け始めてからもうすぐ二年になりますが、

この「展覧会の絵」に辿り着くことが一つの目標でした。

 

分かってはいたことですが、「展覧会の絵」は一筋縄ではいきません。

指揮のテクニックを総動員させなければいけないのはもちろん、展覧会の絵がいったいどういう曲か、

知り、感じ、引き出さなければなりません。ムソルグスキーにインスピレーションを与えたガルトマンの絵について調べ、

ムソルグスキーの書簡も読んで自分なりに音楽に形とイメージを与えてレッスンに臨みましたが、まず最初のプロムナード、

あの誰もが聞いた事のある「プロムナード」を振り始めた瞬間、師匠から

「全然だめだっ!!!そんな曲じゃないんだ!!」と一喝されました。

 

いま見返せば分かります。僕の棒はプロムナードの変拍子を上手く整理して振っていましたが、

決定的に欠けているものがあった。それは棒に出ていないだけでなく、楽譜から見落としていたものだったのです。

音符の下に引っ張ってある一本の細いバー。「テヌート」と呼ばれる指示記号がそうです。

tenuto=「音符の長さいっぱいに音を保って」、というその一本の細い記号で表されたニュアンス。

驚きました。これを意識して指揮するだけで、「展覧会の絵」から立ち上がる光景ががらりとその姿を変貌させます。

「展覧会の絵」のラヴェル編曲はフランス的でやや明る過ぎる、とアシュケナージが書いているそうですが、

テヌートを意識すれば明るさは消え、ずっしりとした重さ(これをロシア的と言ってしまって良いのか分かりませんが)が

生まれてきます。テンポの問題ではなく、テヌートの効かせ方なのです。テヌート一つで音楽は変わります。

もう何十回と聞いているはずのプロムナードが、あれほど聞きごたえのあるものだとは始めて知りました。

 

 

未熟さを痛感すると同時に、自分の成長を少し感じた場面もありました。

というのは、テヌートなのだと叱咤されたら、すぐさまテヌートのように棒を振る事が出来ます。

言葉ではなく、棒の軌跡や加速度や減速、そうしたものからテヌートを伝えることが出来るようになっていました。

日々の厳しいレッスンのおかげで、右も左も分からなかった二年前から少しは成長できたように思います。

 

ちなみに、少し後にある「古城」という曲ではスラースタッカート&テヌートがファゴットにつけられているのですが、

それも「スラースタッカート&テヌートらしく」棒を振るためにはどうするか、ということが自然と身体に染み込んでいました。

それにしても、古城は凄い曲です。一般にサックスに注目されがちな曲ですが、この曲の神髄はファゴットにある。

ファゴットにつけられたテヌートの絶妙さ!このファゴットがあるからこそ、霧に包まれた湖の側に佇む、

かつては栄えたであろう石造りの堂々とした城が見えるのです。そしてその城はいまや、その風格を保ちながらも、時間に晒され苔むし

人々から忘れ去られてそこに佇んでいるのです。

 

 

展覧会は読み始めると止まらず、スコアを閉じても頭から離れることがありません。

歩いていてもプロムナードが、グノームが、ビドロがティユルリーが聞こえてきます。

目に入ったものが音楽に直結してくるようで、自分の中にある感性のアンテナが、

この曲に触れることで一段階研ぎ澄まされた感覚を覚えています。

 

展覧会の絵、恐るべし。

八月から九月は、ずっとこの曲のことを考えながら毎日を送ることになりそうです。

 

 

吹奏楽指導を終えて。

 

この夏から、吹奏楽指導に関わり始めました。

今回は指揮の師匠と一緒に足立区のある中学校の吹奏楽部へ。師は吹奏楽連盟の初代理事を務めていたこともある、

いわば吹奏楽界を作ってきたような方ですから、その横でこうして勉強させてもらえるのはこの上なく貴重な機会です。

 

指導は全部で三回。

吹奏楽の楽器では、僕はフルートとトランペットぐらいしか触れませんからそれぞれの楽器の細かい指導は出来ないのですが、

とりあえずフルートを片手に、色々なパートの子と一緒に吹いて歌い方や足りないところを指導し、バランスを調整してみました。

フルートは歌の楽器で音域も広いですから、こうした指導をするにはちょうど良くて、フルートを始めていて良かったなあと思います。

 

同時に、指揮の技術の重要さを何度も痛感しました。音楽の先生に変わって師が棒を振ると、さきほどまで吹きづらそうにしていた

トランペットのソロが見違えるほど歌心とフレーズに溢れ、何倍も上手くなってしまいます。まるで魔法みたい!

口で細かい指示を出す事はありません。喋らずとも棒がしっかりしていれば縦は揃うし、アクセントだってしっかり表現出来るし、

フレーズもニュアンスも自然と生まれてくるのです。奏者を、音を、一本の細い棒で結びつけて「釣る」ようでした。

そしてまた、師匠が「エネルギーが足りないよ。遠慮せずに吹いてごらん。」と言って振り上げた瞬間、老齢の師の

身体の内からエネルギーが湧き上がり、棒にぎゅうっと凝縮するのが確かに見えたように思います。

「ただ大きく振るのではない、心から感じて沸き上がってこないと伝わらないよ」とレッスンのたびに僕におっしゃることを

目の前で見せて下さったようで、「ああ、このことなんだ。」と感動しました。

 

三回の指導を終えた時には、中学生たちは信じられないぐらい上手くなっていました。

きっとこの三回の間で相当に練習したのでしょう。トランペットのソロはどんどん上手くなるし

ティンパニの子はただ叩くだけでなくニュアンスを考えて叩くようになったし、クラリネットの子は

周りの音をずいぶん聞けるようになっていました。帰り際に「今の調子なら大丈夫!自信を持って吹いておいで!」と

伝えたら、ぱあっと顔を明るくして「ありがとうございました!!!」と元気な返事が返ってきます。

吹奏楽の指導に携わるのも楽しいものですね。

 

師匠に「君はオーケストラはもちろん、吹奏楽指導もやっていくと良いよ。」と薦めて頂いたので、

これからは一人で色々なところに教えに行く機会も増えそうです。拙いながらも指揮をやっていて本当に良かった。

先程まで一緒に時間を過ごした中学生たちのエネルギー溢れる音を思い出しながら、幸せな気持ちに包まれています。

 

 

手品のように、魔法のように。

 

小学生の頃から手品が好きでした。

塾のテストをさぼって手品ショップに通い詰め、売り場のお兄さんから色々な手品の技法や仕掛けを教わり、

それを友達に見せては驚かせるのが好きでした。

 

 

小学生の頃から魔法に憧れていました。

怪しげな呪文を唱えて棒を一振りした瞬間に見えない力が働いて、

傷を癒しあるいは世界に亀裂を走らせるような魔法が好きでした。

 

 

小学生の頃からみんなと遊ぶ時間が好きでした。

鬼ごっこ、ドッジボール、野球、サッカー。みんなとその遊びに没頭して、同じ楽しみを

共有して笑う時間を何より大切に思っていました。

 

 

指揮は、その全てが合わさった楽しみです。

手品のように、魔法のように。素敵な奏者の方たちに恵まれて、みんなと笑いながら音楽をしています。

 

 

 

朝の断章

 

寝るのが怖い。一日を終えるのが怖い。

目を閉じて布団に横になると、頭の中に自然と一つの問いが浮かんでくる。これぐらいで僕は僕の一日を終えていいのか?

寝る、一日を終えるということは、死へと一日近づくという事だ。いま目を閉じるともう二度と目を覚ます事が出来ないかもしれない。

やりたいことも知りたいことも限りなくあるのに、僕はまだ何ひとつ学べていない。

もっともっと沢山の本を、音楽を勉強したいのに、それにはいくら時間があっても足りないのに。

 

自分に残された時間が限られていることを考える。

眠たくないのに寝ることがバカバカしくなる。眠たくなったら寝ればいい。それまでは起きていよう。

デザインの仕事をしてクライアントさんにメールを返信して語学の勉強をし終えて朝六時。

狭い一人暮らしの部屋に朝日が差し込み、きらきらと金色の光に包まれるなか、

ビゼーの『アルルの女』第二組曲の譜読みを始める。フルートの独奏曲としても良く知られたメヌエットがやはり美しい。

ファランドールの溢れてくるような勢いが頭を覚醒させてくれる。ビゼーの仕掛けた遊びに気付いて、その天才に心震える。

 

ひとしきり楽譜に向かい合ったあと、豆を挽いて珈琲を淹れる。

ブラームスのハイドン・バリエーションを静かに流しながら。

部屋いっぱいに珈琲の香りが広がって、一日が動き出す。

 

 

 

 

 

変奏曲

 

自分の人生を簡単に纏められるのには耐えられない。

説明できない屈折や脱線だらけの人生を送る人の方が、僕にとっては魅力的に映る。

迷う事を怖がらず、いままで一緒に歩いてきた友達に笑顔で手を振って、森の暗い横道に足取り軽く分け入って行け。

 

「私たちは自分をつねに創造しているものだと言わねばなるまい …(中略)…意識を持った存在者にとり、

存在することは変化すること、変化するとは成熟すること、成熟するとは無限に自分自身を創造することなのである。」

— ベルクソン『創造的進化』

 

 

一貫したものを底に持ちながら、次々と姿を変え、軽やかに変奏していく人生。

バッハのシャコンヌやブラームスのハイドン・バリエーションが自分の心に響いてくるのは、

そうしたところに憧れてのことかもしれない。

 

 

第三回「のみなんと」

 

第三回「のみなんと」を無事終えました。

「のみなんと」はドミナントのオーケストラチーム&デザインチーム&僕の知り合いの

合同飲み会みたいなもので、毎回30人〜40人ぐらいで楽しくやっています。

今回は突然モーツァルトのカルテットがはじまり、つづいてアイリッシュヴァイオリン+口笛+ギターのライブが

予告無く開始されたかと思うと、端では乾杯の歌が朗々と歌われるようなフリーダムさ。

最後には木下牧子「鴎」という曲を合唱しました。「ついに自由は我らのものだ」と高らかに謳うこの曲、

今回の「のみなんと」にはぴったりな曲だったと思います。

学年も所属も身分も関係ないこの飲み会。音楽が本来持つ「楽しさ」に力を得て、

ここからまた色々な繋がりや出会いが生まれたならば、これ以上の喜びはありません。

ドミナントを立ち上げてからもうすぐ一年になりますが、わずか一年でこれほどまでに沢山の

素敵な方々と経験に恵まれた幸せを噛み締めながら、朝まで飲み続けました。

 

プロオケを指揮してから  -グリーグに惹かれて-

 

プロのオーケストラを指揮してから、すでに二ヶ月近く経った。

モーツァルトの「フィガロの結婚」序曲とプロコフィエフの「古典交響曲」に頭をいっぱいにした時期はひとまず終わり、

二ヶ月の中で色々な曲に取り組んで来た。ベートヴェン「プロメテウスの創造物」序曲、オッフェンバック「天国と地獄」序曲、

スッペ「詩人と農夫」序曲、シューベルト「未完成」交響曲、ウェーバー「舞踏への勧誘」序曲…。

 

そして今はグリーグの「ペール・ギュント」組曲を振っている。

グリーグの曲を勉強していると、曲に入り込めた時には周りの温度がすうっと下がるような感覚を覚える。

とはいってもただ冷たいのとは違う。透明感のある温かさで、優しい手触りだ。

「グリーグは心に雑念があると振れないよ。濁った気持ちでグリーグは振れない。」と師匠がかつて呟いた言葉の意味を改めて悟る。

そして、なぜ師匠がアンコールにしばしば取り上げたのかも。

 

パフォーマンスのような指揮ではこの曲は演奏できない。

音楽に誠実でなければ決してグリーグは人の心に届かない。

師がアンコールで取り上げるグリーグの言葉にならない美しさに心を揺さぶられ、

指揮を学びはじめたばかりの未熟な身にも関わらず、師の背中を追って背伸びして

僕も演奏会ではことあるごとにグリーグの曲をプログラムに入れて何度も振ってきた。

南京大学の学生たちを東京で迎えたときに演奏させて頂いたグリーグの「はじめての出会い」という小品。

中国からはるばるやってきた学生たちが涙を浮かべながら聞いてくれ、そしてオーケストラのヴィオラ奏者が

涙を流しながら弾いてくれていたのを後から知り、これ以上無いぐらい幸せな気持ちになったことを覚えている。

 

グリーグの曲にどこまで入り込めるか。グリーグの美しさと儚さをどこまで人の心に届けることが出来るか。

これからもずっと、「濁った気持ちでグリーグは振れない。」という師の言葉を思い起こしながら、

何十年もかけて勉強し、少しでも心に届くように指揮していきたいと思う。

「アイネ・クライネ」の中に「フィガロ」を聴く。

 

楽譜は読めば読むほど発見がある。そして時間が経てば見え方も変わる。

門下の後輩がレッスンでアイネ・クライネの一楽章を振るのを聞いて、

アイネ・クライネの中に「フィガロの結婚」序曲が突然聞こえた。

 

フィガロは五月にやったプロオケとのコンサートのために隅から隅まで勉強した曲。

そしてアイネ・クライネは一年前の駒場のコンサート(そこで初めて僕はオーケストラを指揮した)で振った曲。

電撃に打たれたように、二つの曲がこの一瞬で繋がった。

 

一 年のうちに色々な曲を指揮してきて、ようやくアイネ・クライネのことが少し分かってきた。

モーツァルトならではの遊び、モーツァルトならではの憂愁、そう したものがフィガロだけでなく、

アイネ・クライネにも息づいている。あの良く知られた「小夜曲」(=Eine Kleine Nachtmusik)の中に

モーツァルトのエッセンスが詰まっていた。心から思う。アイネ・クライネはなんて良い曲なんだろう、と。

フィガロを猛烈に勉強し、最高の奏者の方々と一緒に演奏させて頂いた今なら

この曲をどう「表現」すればいいのか、少しは分かる気が する。

 

 

一年前の自分は何にも分かっていなかった。若くて未熟で青かった。

そして一年後の自分も十年後の自分も、過去に向けて再び同じことを言うのだろう。

でも、音楽を勉強するとは、きっとそういうものだ。

 

プッチーニ「蝶々夫人」@新国立劇場

 

立花ゼミのOBとなってもうゼミにもあまり顔を出していなかったのですが、

いつの間にか「木許オペラ」なる企画を後輩が立ててくれていました。

彼は、彼が一年生のときに僕がリヒャルト・シュトラウスのオペラ「影のない女」に誘った後輩で

それ以来オペラの魅力にハマってしまったそう。そこで上級生になったいま、オペラの楽しさを

後輩たちに伝えるべく、新しくゼミに入った一年生を誘って、僕と一緒にオペラを見に行く会を企画してくれました。

 

当日、新国立劇場に向かうとなんと12人もの後輩たちが参加して下さっていて、本当にびっくり!

みんなどこか緊張した面持ちで、スーツの着こなしも一年生らしいものでしたが、かえってそれが微笑ましく

「彼・彼女たちは今から楽しんでくれるかな。終わったときどんな顔をしてこの劇場を出るのかな。」なんて

考えてしまいます。そして、簡単な解説と聞き方だけを手短に説明したあとは、みなS席(学生の特権で5000円!)へ。

おそらくはじめて来たであろう劇場の壮麗な雰囲気に圧倒される一年生たちを見ていると何だか幸せになってしまい、

開演前にそっと一人で一杯だけ飲んでしまいました。

 

あっという間に一幕、二幕。そして三幕。

舞台セットはほとんど動かず、固定したままのもの。そのかわり照明と影に工夫が見られました。

あの照明の使い方は凄く好きです。白い壁に映し出されるシルエットが何とも雄弁に物語ります。

音楽としては、一幕ではやや前に前にと突っ込む感じとフレーズの終わりの処理があっさりしているのが

少し気になった(もう少し間が欲しい!)のですが、二幕以降は迫力でぐいぐいとシナリオを進めていたように思います。

そして改めて、プッチーニはやはり旋律に溢れた作曲家だなあと感動しました。

 

一幕最後、有名な「愛の二重唱」で「小さな幸せでいいから。」と蝶々夫人が

歌い上げる場面では思わずウルッと来てしまいましたし、幸せに満ちたその音楽の中に

数年後に迫る悲劇を案じさせる、呪いの動機(ボンゾが登場したときと同じフレーズ)が一瞬顔をのぞかせる

ところにはゾッとします。そして三幕の「私から全てを奪うのね!」と内から黒い感情を溢れさせる

場面の音楽なんて、憎しみと絶望と諦めの折り混ざった、暗い情念の渦巻く旋律で、

もうプッチーニの天才と言うほか無いようなものでしょう。

 

結末は非常に残酷なもので、蝶々夫人の自害した瞬間に子供が相対してバンッと電気が落ちる

瞬間には思わず涙を零しました。結末を知っているのに泣いてしまう。結末はずっと前から暗示されているのだけど、

なかなかその結末はやってこず(音楽と演出がそれを先延ばしに先延ばしにし、時間を自由に伸縮させるのです)

それだけに最後のカタルシスは壮絶なものがあります。「ああ、いい時間を過ごしたなあ」としみじみと思いました。

 

劇場から出てみると、後輩の女の子は目を赤くしていましたし、

感想を話したくて仕方ないという様子の子もたくさん。みんな次の公演の演目を

楽しみにしているようで、パンフレットを見て「これはどんな話なんですか。」と次々に

聞いてきてくれます。「なんだ、オペラって楽しいじゃないか!」と思ってくれたなら

僕としてはこれ以上嬉しいことは無く、これからもゼミのみんなで、あるいは友達や大切な人と

誘い合わせて、歌と音楽に満ちたこの時間を楽しんでもらえたらいいなあと願うばかりです。

企画してくれた植田君、そして一緒に来てくださった皆さん、どうもありがとうございました。

 

駆け出しながら音楽に関わるものとして僕はこれからもこのオペラという総合芸術を

応援していきたいと思います。そして、いつかは自分も指揮できるようになれたらいいな。

 

助川敏弥先生から教わったこと。

 

先日のコンサートの打ち上げに「子守唄」の作曲者である助川敏弥先生がいらっしゃっていて、

ワインを傾けながら色々とお話を聞かせて頂いた。

助川先生は僕の指揮の師である村方千之先生と藝大時代の同級生でいらっしゃったそう。

先生の懐かしいお話からはじまり、コンサートの感想、そして音楽論へと話は弾む。

 

僕が指揮したプロコフィエフ「古典交響曲」は、一楽章と四楽章(特に四楽章)で相当に早いテンポをとったのだが、助川先生は

「あれでもまだまだ。もっと早く。冗談みたいに。プロコフィエフのあの音楽はある種の冗談なんだよ。冗談音楽。」とおっしゃった。

「えっ、あれ以上早くですか?!」と驚く僕に、横から村方先生が

「でも、ただ早くというだけではない。フレーズ感を引き出すように指揮すれば早さを窮屈に感じないし、

音楽的になるんだ。木許はそれがまだ出来ていない。一本調子で、若い。」と付け加える。助川先生は笑いながら、

「でも、立ち姿が非常に良かった。オーケストラに放つものがあった。楽しみにしていますよ。」と言って下さった。

 

その後も助川先生とお話させて頂いたが、とりわけ印象に残ったのは、

「作曲者の目から見れば、テンポがあるのではない。リズムがある。リズムからテンポが生まれるんだ。」という言葉だった。

そういえば自分はテンポのことばかり考えていた。テンポは作るものではない。リズムから必然的に生まれるものなのだ。

そうしたところまで考えの及ばなかった自分の未熟さを痛感する。

 

音を鳴らすだけなら簡単だ。だけど音楽的に音楽をすること。

それがどれほど難しく底の知れない面白さを持った営為であるか。

コンサートを終えて、より一層、頭が音楽のことでいっぱいになった。

助川先生、沢山のアドバイスを下さりありがとうございました。これからも精進致します。