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「エグモント」序曲

 

今日からついにベートーヴェンの「エグモント」序曲に入った。

悲劇と興奮と確信と、弾力性のある情感。「運命」を凝縮したような音楽で、この序曲にいくつもの物語が詰まっている。

コリオランもそうだったが、エグモントは心の中をエグモントにしないと絶対に振れない。

波風立たぬ凪いだ気持ちではだめだ。だから感情の振れ幅が大きくないと指揮者なんてやっていられない。

冷静にもなれるし、時には信じられないほどの激情に突き動かされる事もあり、両者を自在に切り替えられないといけない。

 

それはもう、指揮法の問題ではなく「人間」の問題といっても良いだろう。

数ヶ月前のレッスンが終わってから下さった、「ここから先は君がどういう人間になるかだよ」という師の言葉が今になって蘇る。

あの言葉は誇張でも何でもなくその通りだった。僕はまだ所詮24歳で社会のことも人生のことも何にも知らない宙ぶらりんの学生かもしれないが、

自らの信ずるところを全うして最後まで揺るがず、最終的には堂々たる死を選んだエグモント伯爵のように、強い芯のある人間でいたいなと思う。

そして間違いなく師匠はそういう人だ。いわばエグモントにエグモントを習っている。ああ、日々が楽しくて仕方がない。

 

 

 

 

 

 

もういちど、コリオラン&ハイドン・バリエーション。

 

コリオラン&ハイドン・バリエーションをもう一度レッスンで振った。

昨夜があんまりにも上手く演奏できたのでまぐれだったのではないかと思ったことと、

いつかこの曲を一緒にやるであろう、僕のオーケストラのメンバーに見ていてほしかったからだ。

 

コリオランもハイドン・バリエーションを一気に通して指揮したあと、

師匠は「いいよ。何も言うことはない。」とだけ、声を詰まらせてぽつりと呟く。僕の見間違いでなければ、その目は少し赤くなっていた。

昨夜はまぐれではなかったのだ。祈る気持ちは昨夜のみ湧き出たものではなく、音楽に向き合った瞬間溢れ出してくる。

そして、ヴィラ=ロボスをやってから格段に自由にスコアの中で動き回れるようになった。間違いなく、見える世界が変わった。

 

終わってからしばらく、興奮と充実感とが襲って来て、そのあとしばらく放心していた。

日常生活に戻ることが困難なほど、ハイドン・バリエーションのあのテーマが頭の中に響き続ける。フィナーレの壮大さに肌がぴりぴりと

痺れた記憶が蘇る。今の僕に出来る限り、あるいはそれ以上のコリオランとハイドン・バリエーションをやったのかもしれない。

師匠や門下の方々、そして素敵なピアニストのお二人と奏者のみんなに育ててもらってここまで来たのだと感謝の気持ちでいっぱいになる。

後ろで見ていてくれたドミナントのヴィオラ奏者がこんな感想を書いてくれていた。彼は一年半前、僕がはじめてオーケストラを振ったときから

ずっと一緒に音楽をしてくれているだけに、そう思ってもらえたのは心の底から嬉しかったし、少しは成長したのだと思えた。

 

ピアノ連弾でこんなに人を感動させることができるのか。

僕は終始コリオランの最初の和音からなぜかわからない、涙が溢れるのを堪えるのに必死だった。

ダイナミクスと共に何度も打ち震えた。今日の木許裕介の姿を僕は一生忘れない。

 

 

コリオランとハイドン・バリエーションは僕にとっても永遠に忘れられない曲になった。

あの日・あの瞬間の空気、あの場にいた人の姿とともに、いつまでも鮮やかに響き続ける。

ここから先、ベートーヴェンやブラームスの交響曲に向かい合うことになるだろうが

いつも今日の感覚を忘れずに、心の底から湧き出るように音楽をしていきたい。

 

 

 

 

 

 

モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス。

 

モーツァルトのKv.136とベートーヴェンの「コリオラン」、そしてブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」。

普通はレッスンでは一曲だけしか見てもらえるものではないし、そもそも三曲も準備していくのは至難の業なのだが、

夜を徹して勉強して、三曲どれを振れと言われても大丈夫なようにして持って行った。結果、三曲を一気にレッスンで振ることになった。

そしてどれも一発で合格を頂いた。未熟なところは山のようにあったと思うが、今までで一番、気持ちが乗ったように思う。

 

師はもうすぐ86歳の誕生日を迎える。少し体調を崩していらっしゃったが、無事にまたレッスンの場へお姿を見せて下さったことに

僕は心から感動し、一秒たりとも無駄にしまいと改めて心に刻んだ。

最初のKv.136。師の師であった斎藤秀雄が亡くなる直前に愛奏していた曲として知られる。その曲を、病み上がりの師の前で

振っているうちに、今まで味わった事のない感情が溢れ出してくるのを強く感じた。二楽章、あの優しくもしなやかな音楽。

振りながら師のことを考えた。「祈り」としか表現する事のできない気持ちが湧き出てくる。涙をこらえるのが必死だった。

 

続くコリオラン。壮絶な悲劇、嵐のような音楽。

この曲のフルスコアを買ったのは浪人中、つまりもう五年前になる。あの頃は指揮なんてしたこともなかったけれど

カルロス・クライバーがこのコリオランを指揮している動画にふと巡り会って、なんと劇的な音楽なのだろうと感動して

はじめてオーケストラのスコアを買ってみたのだった。まさかこの曲を振る日がやってくるとは想いもしなかった。

やりたいことが沢山有るのに何もすることが出来なかったあの浪人中の感情をぶつけるように、感情を剥き出しにして

振った。剥き出しになった、というのが正しいかもしれない。先程とはまた違う種類の涙が溢れそうになった。

 

最後、ブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」。

この曲は祈りだ。聖なる祝祭、あるいは官能的な高まり。印象的なテーマが次々と変奏されてゆき、

紆余曲折を得て最後に絡み合いながら戻ってくる。この曲は一度耳にして以来僕にとって憧れの曲のひとつで、

木細工のように精密に作られたオーケストレーションと変奏の性格の切り替えの鮮やかさの虜になった曲だった。

今の僕にどこまで表現できたかは分からないが、今日のレッスンの最初から気持ちの中に溢れていた「祈り」が

この変奏曲に少なからず宿ったような気がしている。最終変奏で、「先生、どうかいつまでもお元気で」という思いが心を駆け巡り、

深い深い打ち込むような落ち着きある音符が老齢の師に、駆け上がる細かな音符が若い自分のように思われて、師と二人で

会話をしているような錯覚すら感じた。

 

最後の到着点である長い長い和音が消えたあと、師は何とも言えない笑顔でこちらを見て下さっていた。

今もまだ焼き付いて離れない。充実感と高揚感が交互に押し寄せる。僕の祈りは通じただろうか。

 

 

指揮棒を持てるようになるまで。

 

指揮棒を持てるようになるまで数年かかる、と言われる。

持つだけなら簡単だけど、きちんとした持ち方があって、持ち方が出来ても今度は腕や肘の力の抜き/入れ具合が難しい。

今まで栄田さんに何百枚も撮ってもらったけど、このショットが残ったのは先日のプルチネルラ合わせ会がはじめてだった。

ようやく少しは棒が持てるようになってきたのかもしれない。

 

指揮棒と脱力

無題

 

祈ることしかできない。僕の寿命なら一年でも二年でも差し出す。だからお願いだ、待ってくれ。

僕はまだ、あなたからベートーヴェンもブラームスも教わっていないんだ。

 

 

 

コマバ・メモリアル・チェロオーケストラ

 

2011年度の駒場祭で、チェロ・オーケストラを編成してヴィラ=ロボスのブラジル風バッハ一番を演奏致します。

ドミナントのデザインチームの皆さんが特設ページを作ってくれました。

何だか本格的過ぎて気恥ずかしくなりますが、どうぞご覧下さい。

http://ut-dominant.org/orchestra/komaba_memorial_cello_viila_lobos.html

コマバ・メモリアル・チェロオーケストラ×木許裕介

 

 

 

吹奏楽指導へ。

 

明日(今日)吹奏楽指導に来て欲しいとある中学校から依頼を貰ったので、行ってくることにします。

曲はポップスメドレーのようで、そもそもポップスの曲をあまり知らない僕にはほとんど初見になってしまう気もしますが

とりあえずやってみたいと思います。僕が指揮をしているオーケストラのメンバーに「一緒に来ませんか。」と声をかけたところ、

急な話にも関わらず、みなさん二つ返事で来て下さるそうで嬉しい限り。トランペット、トロンボーン、チューバ、オーボエ、フルートと

頼れる奏者のみんなを連れて伺います。吹奏楽も楽しいですね!

 

 

 

 

時間のすきま。

 

時間は等速に流れるものかもしれないけれど、時間から脱出したような感覚を稀に味わえることがある。

サッカーのキーパーをしていて横に飛ぶとき、ボウリングのバックスウィングの頂点、サーフボードが滑り出す瞬間、

そして音と音との間に身を滑り込ませるあの一瞬。共通するのはどれも、物や身体の「重さ」が無くなることだ。

 

 

 

色気について。

 

「色気が無いねえ。」

指揮を始めてから、何度その言葉を師匠に言われたか分からない。

様々な曲を振ってきて形的にはある程度振れるようになってから、なおさらこの言葉を聞く機会が増えた。

色気。それは一体何なのだろうか。「色気が無い」状態は良く分かる。平坦で平板で抑揚が無く、訴えかけてくるものが無い状態。

街中を歩けば群衆の中に埋もれてしまうような存在。「色気がある」とは、群衆の中で擦れ違っても思わず振り返ってしまうような感覚だ。

アーウィン・ショウの『夏服を着た女たち』という小説を思い出す。理屈抜きに心に訴えかけてくる魅力。

 

「色気はどうやれば出ますか?」という無茶を承知の僕の質問に、師匠はいつも「それはもう説明できないよ。見とけ、としか言えないなあ。」

と笑いながら答えて、自ら振ることで示して下さる。ブラジル風バッハ五番の冒頭、たった一小節なのに全く違う「うねり」が見える。寄せては返す波。

その棒から出てくる音楽は確かに「色気」という言葉でしか説明できない魅力に満ちていて、息をするのも忘れて見入り、聞き入ってしまう。

 

色気を放つためには、どうしても余裕が必要だ。

音楽が止まるか止まらないかのところまでぐっとテンポを落として、何事も無かったのように再び澄まして歩き始める。

崖際に歩んでいったかと思うと先端で鮮やかにターンして戻ってくる。そのためには曲を手の内にすっぽり入れておかねばならない。

曲が手の中から溢れ出しているようでは色気なんて到底望むべくもない。表現や色気は余裕から生まれる。

焦らずじっくりと、年を重ねながら。くらくらするような色気を放てるような指揮者になりたい。

 

 

 

「シャネル&ストラヴィンスキー」

 

ストラヴィンスキーは土の匂いがする。気品のある野粗。冷静な狂い。

「春の祭典」を軸に、シャネルとストラヴィンスキーの出会いや交流を描いた本作は、そうした気品と野粗の相克に惹かれた

芸術家ふたりの物語だったと言い換えても良いだろう。ストラヴィンスキーは言う。「指先で音楽を感じないと作曲できない。」

シャネルもそこに重ねて答える。「同じね。私も指先で生地を感じないと。」

 

「頭の中に浮かんだ音楽を掴んで、鍵盤に投げつける」という言葉そのもののようなセックスシーン。

服を着たまま床で求め合い、重なり合う。そして次のシーンで流れてくる「春の祭典」冒頭の旋律に漂う官能!

惜しむらくはシャネルのNo.5についてのシーンが作品全体と遊離しており、単なるエピソード扱いになってしまっていること。

「香りの官能」という側面を入れようとしたのは分かるが、いっそ描かないか、それとももっとストラヴィンスキーと香りとを関わらせるか

すれば良かったのではないか。Numéro Cinq.という言葉を放つシーンが格好よいだけに勿体ないなと思った。

 

そういえば僕は大学一年の時にシャネルの服飾について集中的に研究していた時期があった。

四年になった今、年末に控えたコンサートのため、ストラヴィンスキーの「プルチネルラ」という曲を必死に勉強している。

二人ともが惹かれ合っていたのだから、シャネルとストラヴィンスキーの両方に惹かれるのはある意味で自然なことなのかもしれない。