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ロベール・ブレッソン『白夜』@ユーロスペース渋谷

 

ブレッソンの幻の映画、『白夜』を見た。

多くを語るべきではないだろう。この作品にいま出会えた事を、そして誘ってくれた友人に感謝する。

激しい雨に歩道が輝く帰り道に幸せを思う。今日は雨でなければならなかった。

 

四日間の幻想。あるいは迫真の現実。「あなたは私のことを愛していないから好き」と語る女の目のゆくえ。

そして女の裸はどうしてこうも美しいのか。イザベル・ヴェンガルテンが鏡にその肢体を映すシーンに僕は何の官能も感じない。

美に対する感動が先に訪れる。そうした欲を掻き立てるものがあるとすれば、それは彼女のまなざしでしかないだろう。

観るものの視線をまっすぐ受け止めながら、その奥にわずかな揺らぎが見えて、ただその一瞬にのみゾクリとした。

 

光。水。色。音。

色と音がセーヌ川に煌めく。水は、光にとって零度のキャンバスなのだ。光を光として描き出すことのできる唯一の素材なのだ。

終わり近くで水面に揺らぐ光が一瞬だけ静止するシーンがあった。そういえばこの映画において光はいつも揺らいでいた。

この映画を貫く一つのテーマがここにある。静止していることと揺らいでいること。日常と非日常、現実と夢想。

だが、声は?いまここで発した声とレコーダーから再生されるその声とでは、果たしてどちらが静止したものだと言えるのだろうか。

長くなった。パラフレーズした問いを置いて終わりにしよう。

白夜は果たして夜なのか、と。

 

Spread (邦題:「愛とセックスとセレブリティ)

 

Spreadという映画を観た。邦題は「愛とセックスとセレブリティ」というもの。

端的に言って、感想を書く時間が勿体ないぐらいつまらない作品だった。

セックスシーンの描写も俗だし、台詞回しも平凡、ラストの作り方も露悪的!

主役の男性(アシュトン・カッチャー)のファッションが好きなことと、途中で出て来た女優のスタイルが素晴らしかったこと以外何ら記憶に残らない。

同じセックスを描くにしても、「ベティ・ブルー」のような作品での描き方とは大違いだ。なんという単調さ!!

 

 

 

 

エリック=エマニュエル・シュミット “Odette Toulemonde” (邦題:「地上五センチの恋」)

 

Odette Toulemondeという映画を観た。

人気作家が新作を評論家にけちょんけちょんにやられ、凹んでいたところ妻に浮気され(しかもその評論家と)、絶望したところに、その作家のファン(未亡人)からの手紙が届き、

心を動かされていく、というラブストーリー。冒頭のdebtのところから爆笑させてくれるし、最後まで肩の力を抜いたまま観させてくれる一本だ。

随所に配された台詞が洒落ている。「傷つきやすいから書けるんだ。」という一言には頷かされるし、いくら売れっ子になっても大切な人に

「結局、尊敬されていないのさ!」と叫ぶところ、色々な記憶に訴えかけてくるものがある。

 

「何を手に入れても僕は幸せじゃない。自分じゃなくて他人の幸福を生きて来たからだ。」

「運命の人以外とは寝ないの。あなたは通りすがりの人よ。また出ていくわ。」

詳しくシナリオを書くことはしまい。オデット・トゥールモンドを演じるカトリーヌ・フローのどこまでも強くどこまでも柔らかく明るい物腰に心打たれる。

そして最後にふと気付いた。カトリーヌ・フローは母に少し似ているな、と。

そのせいか、病院に運ばれるシーンでは(こんなに単純なシナリオなのに)ちょっと涙ぐんでしまった。

 

 

 

 

 

「シャネル&ストラヴィンスキー」

 

ストラヴィンスキーは土の匂いがする。気品のある野粗。冷静な狂い。

「春の祭典」を軸に、シャネルとストラヴィンスキーの出会いや交流を描いた本作は、そうした気品と野粗の相克に惹かれた

芸術家ふたりの物語だったと言い換えても良いだろう。ストラヴィンスキーは言う。「指先で音楽を感じないと作曲できない。」

シャネルもそこに重ねて答える。「同じね。私も指先で生地を感じないと。」

 

「頭の中に浮かんだ音楽を掴んで、鍵盤に投げつける」という言葉そのもののようなセックスシーン。

服を着たまま床で求め合い、重なり合う。そして次のシーンで流れてくる「春の祭典」冒頭の旋律に漂う官能!

惜しむらくはシャネルのNo.5についてのシーンが作品全体と遊離しており、単なるエピソード扱いになってしまっていること。

「香りの官能」という側面を入れようとしたのは分かるが、いっそ描かないか、それとももっとストラヴィンスキーと香りとを関わらせるか

すれば良かったのではないか。Numéro Cinq.という言葉を放つシーンが格好よいだけに勿体ないなと思った。

 

そういえば僕は大学一年の時にシャネルの服飾について集中的に研究していた時期があった。

四年になった今、年末に控えたコンサートのため、ストラヴィンスキーの「プルチネルラ」という曲を必死に勉強している。

二人ともが惹かれ合っていたのだから、シャネルとストラヴィンスキーの両方に惹かれるのはある意味で自然なことなのかもしれない。

 

 

 

フランソワ・オゾン「しあわせの雨傘」(原題:POTICHE )

 

「しあわせの雨傘」という映画を見た。

主演は「シェルブールの雨傘」で知られるカトリーヌ・ドヌーヴ。

シナリオ自体は単純な女性賛美なのだが、その描かれ方が非常に面白い。浮気を繰り返す夫は自分の妻(カトリーヌ・ドヌーヴ)だけは

貞淑な社長夫人、いわば「入れ物」だと疑わずに傍若無人な振る舞いを繰り返すが、その実、妻のほうが一枚も二枚も浮気に対して上手であるくだりなど、

思わずニヤリとしてしまう。その事実を聞いて呆気にとられる夫に向けて「長年の夫婦でも話題は尽きないものね。」と言い放って去るシーンの痛快さ!

 

そして妻の息子役を務めるジェレミー・レニエがとてもいい。髪型、髭、服装。すべてが似合っていて

こんな格好を出来たらいいなあと憧れてしまう。シェイプされたツイードのジャケットが素敵過ぎる。

「金にも名誉にも地位にも興味がない。興味があるもの?絵、美術史、カンディンスキー。」とクールに呟くところなど最高だった。

 

印象的だったのは作中に挿入される歌。この歌詞がまた素敵なのだ。

「最後のグラスを下げにくる給仕、私たちは死ぬほどぐったりして迎える。

朝の光が怖い、今日はどんな天気だろう。

雨の中を歩こう、人生を一巡りしよう。二人きりで、雨の中を。」

ああ、この朝の光が怖い感覚、そして同時に今日の天気が気になる感覚。凄く良く分かるし、何度も経験しているな、と思った。

 

ドタバタ続きのこの映画はこんな一言で締めくくられる。

C’est beau, la vie.「人生は美しい。」

モーツァルトのコシ・ファン・トゥッテを思い出さずにはいられない。

人生は何があるか分からないもので、そして何とでもなる。意志を持ち、一度きりの生を目一杯楽しもうとする限り。

 

 

 

 

劇団「ミームの心臓」第二回公演「ケージ」を観た。

 

時々、言葉の力に圧倒される瞬間がある。

本の中の一文、街中の広告、何気なく放たれた会話のひとこと。

昨日観た「ケージ」という演劇はまさにそうした言葉の力に溢れた演劇だった。

言葉が「場」を作る。狭いステージに1968年と2011年の時代が並行して展開され、ぐいぐいと観客をその「場」に引き込んでゆく。

1968年という時代が示すように、テーマは学生運動・全共闘を扱ったもの。全共闘自体に関するスタンスや見方は色々あると思うけれど、

この大きな問題を避ける事無く真っ向から勝負した勇気にまず惜しみない賞賛を送りたい。

 

劇団「ミームの心臓」を知ったのは主宰で脚本の酒井一途くんとの出会いから。

彼とはある本への寄稿を通じて知り合い、今回の公演のお知らせを頂いた。

僕は音楽、彼は演劇。ジャンルは違えど「表現」に魂を注ぐ仲として日々刺激を受けていて、

いったい彼がどんな舞台を生み出したのか楽しみにして足を運んだ。

長々と感想を書くことは門外漢の僕の筆では叶わないが、一言でいえば「参った」という感じ。見事な運び。

彼の脚本には加速度があり、抜きがある。嵐のようにシリアスな言葉を畳み掛けては突如として笑いを挟んで「抜く」。

緊張させ、一瞬弛緩させたかと思うと再び緊張に引き込む。その流れがあざとくなくて自然なのだ。

(もちろん、それは役者の方々が見事な「間」で実現しているからこそ!)

音楽は必要最低限に留め、美術も大がかりなことはしない。照明だけを上手く使い、時間軸を操作する。

全体にわたって非常に見通しの良い舞台だった。

 

観ている間は没頭していたから考える余裕は無かったけれども、終演後に思い返してみて、

投げられた言葉の端々に酒井くんの顔が見えるような気がした。

彼が懸命に言葉を削り出し、観客の心に伝えようと苦心する様子が見えた。

人はこれだけ人に伝えることが出来るのだ。言葉は、演劇はすごい。

 

池袋を後にしながら、これが学生の演劇か、と改めて驚嘆する。

少なくとも僕が今まで観て来た学生の演劇の質ではない。

「学生の」演劇、ということをわざわざ言う必要も無いほどに。

けれども。これは学生の彼・彼女たちが取り上げることに大きな意味があるのもまた事実なのだ。

1968年は、学生の問題だったのだから。

 

 

 

 

 

 

…………

酒井くん、役者のみなさま、スタッフのみなさま。

忘れ難い時間をありがとうございました。

僕も音楽でこれぐらい人の心に届けられるようにならねば、と思った次第です。

これからも舞台を楽しみにしています。

 

 

 

『モンテーニュ通りのカフェ』(原題:Fauteuils d'orchestre)

 

 週末恒例の映画鑑賞祭その2は『モンテーニュ通りのカフェ』、原題を訳せば「オーケストラ・シート」。

公開は2006年、ダニエル・トンプソン監督による作品です。あらすじを引用しておきましょう。

・・・・・・・・

パリ8区、モンテーニュ通り。この通りからは美しく聳え立つエッフェル塔が見える、パリきっての豪奢な地区。

モンテーニュ通りにはすべてのパリがあった。劇場、オークションハウス、有名メゾン、由緒あるカフェ、

そして出会いと別れ。そのカフェに集うのは、演奏を控える著名ピアニスト、自分の生涯のコレクションを

競売にかけようとしている美術収集家、舞台の初日を迎えようとする女優など。

様々な思いを持った人々の人生が、実在する“カフェ・ド・テアトル” で交差していくのだった。

そんな中をパリに憧れ上京し、カフェの“ギャルソン”となったジェシカが、蝶のように軽やかに彼らの人生の

間を飛び回る。オーダーされるカフェ・クレームやデザートは、彼女にとって夢へのチケット。

憧れの人々の素顔とその人生に心躍らす時間が、輝く宝石のように横たわっていた…。

・・・・・・・

 

 いやー、これはいい作品でした。見終わった後に凄く幸せな気持ちになれる。思わず笑顔がこぼれます。

決して単純なラブストーリではなくて、登場人物たちの抱える悩みや挫折が効いていて、どこかほろ苦い。

音楽と美術と演劇、そしてそれらの芸術に仕える人々が一つのカフェでそれぞれの人生を交錯させます。

その中心にいるのは、田舎からやってきて、たまたまそのカフェで雇われたジェシカ。

ジェシカ役のセシール・ド・フランスのチャーミングな笑顔と明るい振る舞いが何とも見事です。

心の奥に辛さを秘めながら、屈託のない笑顔でPourquoi? (なぜ?)と誰にでも聞くジェシカに

登場人物たちがバラバラに出会うことで、それぞれの人生が動いてゆく。それは恋愛であったり、ピアニスト

としての将来であったり、親子の絆であったりして、見るものにどこか共感を引き起こさせます。

 

 随所にエスプリが効いていて、というフレーズはフランス映画評論の決まり文句みたいなのであんまり

使いたくないのですが、「エスプリ」としか表現できないような節回しが確かに効いていて、見ていても

セリフを聴いていても飽きません。長く連れ添った彼女と別れるかどうか苦悩するピアニストに向かって、

「君は一緒にエレベーターに乗り、最上階まで来たわけだ。でも。君は降りたくなった。彼女は降りるかな?」

と問うシーンや、「君の隣の席は空いてる?」とグランベールの息子を演じるクリストファー・トンプソンが

告白するシーン(クリストファー・トンプソンのイケメンっぷりが半端ないです。ジャケットのシルエットが

めちゃくちゃ美しくて、思わずポーズボタンを押して鑑賞してしまいました。まさにクール&ダンディの権化。)

「戦争の相手は君じゃない。」と復縁を伝えるシーンなどは「うまいなあー!」と手を叩きたくなる思いがします。

でも、この映画を見た人なら、一番のセリフはおばあちゃんのTu es mon soleil (あなたは私の太陽だわ。)

だと思われるかもしれませんね。この映画を象徴するように最初と最後で同じように語られる

この温かいセリフ、ラスト・シーンで聞いたときにはホロッと涙が出そうになりました。とにかく素敵な映画です。

 

 あと、本編とはあまり関係がありませんが、劇場の裏方役のおばちゃんがつけていた最後のイヤフォンが

Bang & Olufsen のA8というモデルでしたね。以前に一目惚れして愛用していたイヤフォンだったので

とても懐かしい気分になりました。もうあれから6年・・・時間が経つのは早いものです。

 

『ダニエラという女』(Combien tu m'aimes?)

 

 『ダニエラという女』を観た。監督はベルトラン・ブリエ。2005年の映画である。

原題は Combien tu m’aimes? つまり「私をいくらで愛する?」という感じになるだろうか。

原題から分かるように、ここで出てくる主役のダニエラは娼婦である。宝くじで大金を当てたといって

冴えない中年男(この冴えなさを演じられるベルナール・カンパンはある意味で凄い)が彼女、ダニエラを

「金が無くなるまで一緒に住んでくれ。」と言って買う。そしてそれを受けたダニエラは男の家に行き、

ソファーに座って彼女は自信たっぷりに言う。「特技は愛されること。私を見た男はみんな私を愛すわ。」

 

 確かにダニエラ(を演じるモニカ・ベルッチ)は凄いプロポーションで、自身に満ちたそのセリフにも

説得力があると言うものだ。とりわけ背中が美しいので、「女性の肩甲骨あたりにエロスを感じる。」という

方には是非見て頂きたい。ただし、シナリオは最終的に「なんじゃこりゃ」的な展開を見せるため、感動を

期待して見ると痛い目に合うと思われる。(個人的にはモニカ・ベルッチよりも中盤に出てくる

サラ・フォレスティエの方が好みだが、まあそんなことはどうでもいい。)

女優ばかりに目が行きがちな映画だが、異常なまでにコケティッシュな音楽の使い方も一聴に値すると思う。

ちなみに、本映画はR18指定。映像自体は「ベティ・ブルー」の方がよっぽどR18だったが、セリフの激しさは

こちらの方に軍配が上がるかもしれない。日本語字幕ではかなり控えめに訳されているようだが、

原語のセリフは間違いなくR18である。ちょっとここには書けないぐらいだ。

 

 しかし結局、この映画は何をやりたかったのだろうか。

金で居場所を転々とし、金で男に買われ、しかしそんな生活に誇りと満足を覚えていたダニエラは

最後に中年男のところへ戻る。ラストシーンの衝撃的な事実を知らされても、である。

中盤で彼女は言う。「私の自由は私のもの。金で私を買っても、私の自由は私のものよ。」

しかし、一方で彼女は、「自由になるのが怖い。」とも言うのだ。その二面性は一体何なのだろう。

このあたりにこの映画の意図が含まれているような気がする。

 

 色々と考えながら、ダニエラを演じるモニカ・ベルッチのその先に何も捉えていないような空虚な目を

見ていると、「今」も「未来」も何もかもが夢みたいに思えてくる。どこからが現実でどこからが虚構なのか。

確かなものなんて何もないし、一瞬先がどうなるかなんてもちろん分からない。

けれども、美しいものは確かに美しい。そんなふうに、我々が縛られている常識や規範の枠組みを超えた「

「美」礼賛の映画と見ることもできるかもしれないな、とふと思う。コケティッシュな美しさや性・愛を

このように堂々と、しかし狙い澄まして陳腐に描くベルトラン・ブリエは、やはり只者ではない。

 

 

Casanier

 

 虫垂炎が悪化し、しばらく自分の力で起き上がる事が出来ない状態が続いていた。もちろん大学もすべて休んだ。

小学校以来、滅多に学校を休むことが無かった(中学・高校と六年間皆勤した。果たしてそれが良いことかは分からないが。)ので、

なんとなく罪悪感が残る。しかし薬が効いてきたのか、ゆっくりと歩く限りでは何とか歩けるようになった。とはいっても、歩くたびに

震動が腹部に響いて痛いし、背筋を伸ばそうものなら激痛が走る。無理は禁物ということで、極力動かないようにしている。

溜まっていたメールの返信をこなしたり積んでいた本を消化したり『シェルブールの雨傘』を観たりする間に時間が過ぎ去ってゆく。

一度も外に出ない間に朝日が夕日に変わり、闇が辺りを包む。

ちょっと空しい。出たいときに外へ出ることが出来る、というのがどれほど幸せなことか実感した。

 

 暇が出来た時にパソコンを開くと、ついやってしまうことがある。

amazonや楽天にアクセスし、買う金もないのに買い物カートに欲しいものを手当たり次第に突っ込む。一万円、二万円・・・十万円。

あとは「完了」ボタンを押せば注文が確定する、その状況まで手順を進めて、ウィンドウの右上の×印を溜息とともにクリックして閉じる。

傍から見るとかなり可哀そうな光景かもしれない。でも、やっている本人はちょっと楽しかったりする(笑)

 

 買い物カートを閉じたあと、いつものように立花ゼミのページにアクセスする。

こうやって布団に臥している間にも、駒場キャンパスの壁 http://kenbunden.net/kabe/ はどんどん落書きで埋まっていくようだ。

URLをクリックして見てもらえれば分かるが、数日前までは落書きがほとんど無い状態だった。

そこでいくつかの落書きを実験的に書いておいた。すると、後は加速度的に落書きが増えていく。

落書きの方向性は様々だ。下ネタ、サークルの宣伝、アート・・・だが、落書きの醍醐味は「コラボレーション」にあると僕は思う。

誰かが書いたメッセージに見ず知らずの誰かがレスをつける。誰かが書いた不気味な顔に、同じく見ず知らずの誰かが体を書き加える。

一方で、アーティスティックな模様の落書きが発生すると「その上には落書きしない」なんて暗黙のルールがいつしか発生するように、

全体としてはカオスなのだが部分的に秩序が自然発生する。あの匿名掲示板の雰囲気に良く似ていて面白い。

 

 「壁」と並行して進められている『二十歳の君への宿題』 http://kenbunden.net/20/todo.html も熱が入ってきた。

このブログで書いたのを見て下さったようで、「つかはらの日本史工房」でも宣伝して下さっていた。塚原先生ありがとうございます。

だが、まだまだ数が足りない。もっともっと「宿題」が欲しい。多様な年代から、多様なメッセージを集めなければならない。

というわけで、マスコミや出版社に乗り込んで宣伝させて貰うことを本気で考えている。上手くいったらまた報告します。

 

『二十歳の君への宿題』メールフォーム

 

先日ここに書いた、立花ゼミ駒場祭企画『二十歳の君への宿題』のメールフォームができました!

URLはhttp://kenbunden.net/20/です。作ってくれた技術班の方々ありがとう。

このブログをお読み頂いている方で21歳以上の方は上のURLをクリックして、立花ゼミの企画に是非ご協力ください。

20歳以下の方はご両親や御親戚などにこのページを紹介して頂けると大変嬉しく思います。

また、ホームページやブログをお持ちの方はこの企画を宣伝して頂けると幸いです。どうぞよろしくお願いします。

 

 

 

さて、しばらく更新できていなかったのでまた纏めて色々書いておきます。

 

・ボウリング

プロとの試合で、4ゲームトータル973というスコアが出ました。たかが4ゲームに過ぎませんが、アベレージ243。これは珍しい。

スコアシートの画像を添付しようと思ったのですが上手くいかないので、内訳を書いておきます。Xがストライク、/がスペアです。

1G 9/XX9/XXXXXXX9⇒268

2G XXXXXX9-XX8/X⇒245

3G 7/XX9/7/XXXX9/9⇒234

4G X818/XXX9/XXX9/⇒226

ノーヘッド(1番ピンに当たらないこと)は0でした。イージーミスは7ピンの一回、スプリットは7-10の一回。

ポケット入って7-10スネークアイが出た時は「あちゃーこれで終わった。」と思ったのですが、なんとか立て直せたようです。

面白かったのは1G目。僕が先攻で投げていたのですが、あとから投げるプロも10フレーム二投目まで僕と全く同じ展開、全く同じ

スコアでした。5フレから7つストライクを続けて来て、「これで勝ったかな?」と思っていたら、プロも5フレから7つ続けて来ます。

ここまで来ると我慢比べですね。スタッフの方や一般のお客さんの方も僕らが投げているボックスの後ろに集まって成り行きを

見守っていらっしゃったようで、大変熱い展開になりました。結局、10フレ最後で僕が9本だったのに対してプロはストライクを

出したので268-269で負けてしまいました。恐るべしプロ。

 

・指揮

師の「平均運動」が美し過ぎて感動しました。何気なくやっているように見えるのに、あれは絶対真似できない。凄い。

最近ベルリオーズの幻想交響曲の同曲異演を集めてスコアを読んでいるのですが、師の書き込みだらけのスコアを発見したので

その場で大体を書き写して帰りました。師が研究に研究を重ねて書き込んだスコアというのは、それだけで一つの宝物です。

 

・ブログ

立花ゼミに新しく入った有賀くんのブログとリンクしました。彼とは前期教養課程で同じクラスで良く呑む仲です。家もすぐ近く。

哲学科に進学するだけあって彼の思考はとても面白い。刺激を受けます。

 

・映画

「アメリ」を見ました。奇怪なオープニングにびっくり。「元通りしまうこと」というくだりでL’étranger,enfantと言っているように聞こえた

のですが、字幕で確認するのを忘れてしまいました。全体的にコミカルな(ある意味で「俗」な)展開なのですが、雨が降る所を

上から映したショットなどはフランスらしい色彩感に満ちていて美しかったです。また、主演のオドレイ・トトゥは右斜め上45度からの

写りが抜群に綺麗だなと感じます。「人間に人生に失敗する権利がある」とテレビの登場人物が語るワンシーンが印象的でした。

 

・珈琲と紅茶

珈琲の方はいつもお世話になっている樽珈屋という珈琲屋さんから届いたコロンビアの中煎りを飲んでいます。

ミルはカリタのナイスカットミルを使用し、一杯ずつペーパードリップ。香ばしさの中に甘さを感じられる、とても美味しい豆です。

紅茶の方は近くのカルディでJanatの葉が缶で安売りされていたのでブレンド・セイロン・アールグレイの三種を買い込みました。

Janatの紅茶は香りがとても良く、(たまに「?!」となるようなものもありますが)ミルクティーにしても香りが消えないものが多いので

愛用しています。夜中に飲むと癒されますよ。缶のデザインもお洒落ですし、後期課程でフランス科に進学する身としては書かれた文章

(Pour l’amor de mon chat,qui m’a inspiré des bonnes idées et que j’aime toujours.)に妙に親近感を覚えます。

猫の絵がかわいい。

 

・デザイン

KIRIN-東京大学パートナーシッププログラムのフライヤーのデザインが最終稿まで終了しました。内容に配慮しながら、文字情報を

すっきりと見せることを心がけました。背景に敷いた写真と、アクセントに入れた薄紫の文字が気に入っています。

 

・虫垂炎

虫垂炎にかかってしまったようです。夜中に苦しんだあと、一日学校を休んで病院へ。久し振りに点滴を打ちました。

血液検査の結果次第ですが、もしかしたら一週間弱ほど入院するかもしれません。

一日休むだけで予定が6つおじゃんになり、4か所に電話をかけて事情を説明する羽目になりました。色々痛すぎます。