東京で桜が満開になった日、桜を辿ってふらふらと歩いたあと、本屋をゆっくりと巡っていた。
しばらく探していたヴォルフガング・シュヴェルヴュシュ『闇をひらく光 -19世紀における照明の歴史-』を発見して購入。
おそらく卒論で使うことになるだろう。
数えてみれば、三時間ぐらい一つの本屋にいたことになる。
Amazonなどで自宅にいながらにして簡単に本が買えるようになったけれども、立花さんが言うように、
定期的に大きな本屋を散歩することは大切で、買うとも無しに本棚と本棚の間を歩いて背表紙の数々を眺めていると
自分が無知であることに改めて気付かされる。
インターネットで本を買うときは「自分が本を選んでいる」感覚だが、本屋に足を運び、質量や手触り、かさを伴う「本」に囲まれると
まるで自分が「本に選ばれている」気分になる。このフロアに並べられた本のうち、僕が読んだことがあるのは本の0.000…%で、
自分の興味がある分野の棚に限っても、実際に読んだ事があるのは僅かにすぎない。棚から棚へ、フロアからフロアへ。
足の疲れとともに、ゲーテの『ファウスト』を持ち出すまでもなく、「何にも知らない」ことに愕然とするのだ。
Read, read, read. Read everything–trash, classics, good and bad, and see how they do it.
Just like a carpenter who works as an apprentice and studies master. Read! You’ll absorb it.
Then write. If it is good, you will find out. If it’s not, throw it out the window.(William Faulkner)
休学を終えて大学に戻るにあたって、頭が学問の方向に再び傾きはじめたのを感じる。
もちろん音楽のことも忘れてはいない。音楽への興味を抑えるつもりは無いし、今までと変わらず学んでいく。
ただ、気持ちをうまく切り替えていかないと卒論と両立は出来ないだろうなと思う。
音楽、そして指揮を学ぶことは、僕にとってそれぐらい劇的で、魅力的なことだから。
東京駅を降りて丸善へ歩くと、リクルートスーツの人たちと擦れ違う。
入学した時の同級生たちが社会に出て働き始めたのを見るたびに、
さらには後輩たちが就職への準備を進めていくのを聞くたびに、
僕はこのまま就職活動をしなくて良いのだろうか、果たして生きて行けるのだろうかという不安が浮かんでくる。
けれどもやはり、焦るまい。少しばかり年齢は嵩むが、僕は大学院へ進もうと思う。
まだ何にも知らないのに、今からようやく面白くなってくるところなのに、まだ大学での時間や
指揮を学ぶことを終えるには早すぎる。あと半分残っている20代、お金や地位を求めるのではなく、
自分にヤスリをかけるように、弓をギリギリいっぱいまで引き絞るように過ごす。
そのうちにいつか自然に将来が開けてくると信じて。
ぼんやりとそんなことを考えながら、夕陽が綺麗にさしこむ喫茶店に入って珈琲を頼み、
角砂糖をひとつ放り込んでから、角砂糖についた紙の包装ごと珈琲に入れてしまったことに気付く。
春である。