Da gibt es kein Messen mit der Zeit, da gilt kein Jahr, und zehn Jahre sind nichts, Künstler sein heißt: nicht rechnen und zählen; reifen wie der Baum, der seine Säfte nicht drängt und getrost in den Stürmen des Frühlings steht ohne die Angst, daß dahinter kein Sommer kommen könnte. Er kommt doch. Aber er kommt nur zu den Geduldigen, die da sind, als ob die Ewigkeit vor ihnen läge, so sorglos still und weit. Ich lerne es täglich, lerne es unter Schmerzen, denen ich dankbar bin: Geduld ist alles!
そこでは時間で量るということは成り立ちません。年月 は何の意味をも持ちません。そして十年も無に等しいのです。およそ芸術家であることは、計量したり数えたりしないということです。その樹液の流れを無理に 追い立てることなく、春の嵐の中に悠々と立って、そのあとに夏がくるかどうかなどという危惧をいだくことのない樹木のように成熟すること。結局夏はくるの です。だが夏は、永遠が何の憂えもなく、静かにひろびろと眼前に横たわっているかのように待つ辛抱強い者にのみくるのです。私はこれを日ごとに学んでいま す、苦痛のもとに学んでいます、そしてそれに感謝しています。忍耐こそすべてです。
リルケの『若き詩人への手紙』より。これほどまでに美しいイマージュに溢れ、同時に意志の強度に貫かれた文章も無い。
今の自分にはこの文章が強烈に響く。だから世阿弥の『風姿花伝』と共に最近は毎日鞄の中にこの二冊を入れて過ごすのだ。
まるで、お守りのように。おそらく夏が過ぎ去るまで、僕はそうするだろう。