フィリピンでの全てのコンサートを終えた。
もう一日だけフィリピン滞在を延長して、波の無い静かな海、しかしどこまでも広がる海を目の前にこの文章を書いている。
終わったという満足感と、終わってしまったという喪失感が同時に押し寄せる。全部で何千人の人たちに演奏を聞いて頂いたのだろう。
荒い部分や未熟な部分は沢山沢山あったと思うけれど、どのコンサートでも盛大な拍手で迎えて頂いた。
「オーケストラに入りたい!」「指揮者になりたい!」
終演後、子供たちは駆け寄って来てくれて、さきほどまで演奏した曲のメロディを口ずさみながら、真っ直ぐな目でそんな言葉をくれる。
最終日のベートーヴェン五番を振り終えたとき、満席の人々が立ち上がり、拍手を下さる光景には
心の底から湧き上がってくる感情と涙を抑えることが出来なかった。
苦悩から勝利へ。なぜならば、ベートーヴェンの「運命」は、僕にとってこの十日間そのものだったのだ。
トラブルやアクシデント、言語の壁や文化の壁、想像も出来ない数々にこの期間中は本当に苦しめられた。
時に楽器は壊れ、様々な都合に左右され、効果的なリハーサルが出来る環境や状況にはほど遠く、音響も非常に難しい場所ばかりだった。
奏者のみんなが動揺し、不穏な気配が侵入するのも肌で痛いほど感じていた。
それでもやはり、たとえどんなに苦しくても、僕は最後の乾杯の瞬間までは決して心を揺らさず、笑っていようと誓っていた。
僕が疑いの目で見られても、僕は奏者を信じ続ける。信じ続け、尊敬を忘れなければ、必ず最後には心が通う瞬間が訪れる。
根拠もなくそのことを確信していた。
精神の強度。指揮者にとって絶対的に必要なもので、前に立つ資格としておそらく唯一のものだ。鋼のように固く、しかし大きく包み込める懐でいなければならない。
同時に身体の強靭さ。代えは効かない。言い訳は効かない。体調を崩した状況で前に立つことはできない。奏者すべてに迷惑をかけることになる。
不慣れな異国の地で日々を過ごすうちに疲労が重なっても、ひとたび棒を持てば全力を尽くす。
最後のコンサートに至るまで、十日間の日々を楽しく過ごしながらも、厳しく自律して精神と体調を維持しよう。
そのたびごとに今の僕に出来る限りの棒を振ろう。
不思議なことだけれど、コンサートを重ねるにつれ、僕の身体は軽くなっていった。
指揮が徐々に伝わるようになった感覚。次第にコミュニケーションが始まった。
自分が送り出した言葉に返事が帰ってこないと疲れは溜まるばかりだけれども、会話できるようになるとこれほど楽しいものはない。
送り出せば送り出しただけ帰ってくる。棒でやろうとしていたニュアンスが音に反映されていく。
巨大な岩を動かしているような以前と違って、その場で一緒に、絵を即興的に描いて行くような楽しみ。
大切なところで奏者と目があってにやりとし、必要なところで奏者たち同士が音楽の中で目を合わせて遊ぶのを見守る。
いつのまにか、気持ちの通じ合った「オーケストラ」が生まれていた。
心から出で、心へ至らん。
師がいつも贈って下さるベートーヴェンの言葉を少しは受け継ぐことが出来ただろうか。
一緒に音楽してくれてありがとう。そして、一生の思い出をありがとう。