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最近の頭の中

 

卒論を書いています。

技術と芸術の触発関係に興味があったことから、卒論では「光」という技術に着目して、とりわけ「人工光」の発展が

社会にどのような影響を与えたのかを研究しています。時代は1855年から1937年のフランス、パリ。問題意識は以下の二つです。

 

1.光の発展が社会に、そこに生きる人々の感性にどのような影響を及ぼしたか。

2.「光の都 Lumiere Ville」と呼ばれるパリが、人工照明の先進的な都市としてどのように成熟していったか。

そもそもパリが欧米の他国にまして光の中心地として位置づけられて行くのはなぜか。

 

これらの答えを探るべく、ヴォルフガング・シヴェルヴシュの著作をベースとしながら、

技術と芸術の粋を示すものとしてこの時代に度々開催されたパリ万国博覧会にその理由を求めています。

1937年のパリ万博では音と水と光の芸術イベントである「光の祭典」が開かれますが、

それを光を巡るフランスの思考の画期と見て、自然光ではない光が音楽に繋がってくる様子まで描き出せればと思っています。

 

僕の所属している学科は東京大学でも唯一、卒業論文をすべてフランス語で書かなければならないところのため、

不得意な語学に汲々とする日々が続いています。外国語で書く、というのは本当に難しい。

外国語で書くと、書きたいことがぽろぽろ零れ落ちて行きます。

書けない、書けない、書けない。この連鎖に提出までずっと苦しめられ続けるのでしょう。

 

 

そういうわけで、最近の頭の中や考えていること、調べたことなどを日記風の箇条書きにして下に載せておきます。

卒論に関係ない事も沢山あって、そもそも正しいかどうかも不明な雑多な思いつきばかりですが…。

 

 

☆『ゴンクールの日記』読了。

1851年12月21日の記述の最終行が好きだ。

「夢はただ大空に子供達の目が追うために生まれ、輝き、そしてはじける。」

1867年4月15日の記述。

「あらゆる物事が一回きりのものなのだ。人生においては何事も一回しか起こらない。

かくかくの瞬間、かくかくの女性、かくかくの日に食べたうまい料理があたえてくれる肉体的な快楽はもはや二度と出会うことはない。

二度あるものは何もなく、すべて一回こっきりのことだ」

 

☆本が好きな友人と本屋でもやるか。

 

☆「コンサートをしよう、さあ場所はどうする」という発想はもちろん、

「この空間で何かしたい、さて何をやろうか」という発想からコンサートに至るのも好きだ。

 

☆結局、万国博覧会がメルクマールなのだろう。それがフランスを光の都市として印象付けた。

他にも人工照明の発達した国、都市はあったにも関わらず。では光への感性はどこから?

それを芸術に、劇場の文化に求めたい。技術としての光と芸術としての光の二面が交差してゆく。

 

☆花は何と強さを与えてくれるのだろう。トルコキキョウの花言葉は「良い語らい」。

 

☆フランス語で書くと書きたい事の2割ぐらいしか書けない。物凄いフラストレーション。

 

☆いつも謎の名言を残す友人がコーヒーに目を落としながら、

「美人は三日ぐらいじゃ飽きないけど、かまってちゃんは三日以内に飽きる…」と呟いた。何があったのかは問うまい。

 

☆集中力が切れたので駒場へ移動。単行本五冊と楽譜とMBP17を持って歩くのはちょっと辛い。

MBA11を買えば随分楽になるのだろうが、一度17インチ画面の便利さに慣れてしまうと、小さい画面には中々戻れない。

 

☆中間報告提出直前にして、卒論の章立てをガラッと変えることにした。パリ万国博覧会を前に出して光を区分する。

メルクマールを見つけて区分せよ。これは駿台でお世話になった日本史の塚原先生の言葉だったか。今もこの言葉は生きている。

 

☆暗闇のポエジー。街の一部が明るくなったからこそ、闇が際立つ。明暗のコントラストが強烈になった世界で、人は闇に想像力を膨らませる。

 

☆1867年のパリ万博の時にロッシーニが作曲したという、Hymne à Napoléon III et à son vaillant peuple を聞きながら卒論を書く。

 

☆ここでRobert Delaunayについて調べて行く必要が出てくるとは。

ロベール・ドローネーは1912年にLa lumièreという論文を書いていて、それをパウル・クレーがドイツ語に翻訳している。(Über das Lich)

 

☆さっきから左目の視力が悪いなあ、ずっと書いていて疲れたのかなあ、左右の目の視力がかなり違ってきているなら

そろそろ眼鏡作り直さないとなあ…と思って眼鏡を外して気付く。眼鏡のレンズが左目だけ落ちていた。

 

☆1925年のパリ国際博覧会(通称アール・デコ博覧会)の時に、ドビュッシーの夜想曲第二番「祭」が演奏されているのは面白い。

夜想曲第一番「雲」のフルートの旋律は、ドビュッシーが1889年のパリ万国博覧会で聞いたガムラン音楽にインスピレーションを受けている。

そしてドビュッシーはこの夜想曲-Nocturnes-というタイトルについて、「印象と特別な光をめぐってこの言葉(”夜想曲”)が呼び起こす全てが含まれる。」

というような内容を述べている。Il ne s’agit donc pas de la forme habituelle de Nocturne, mais de tout ce que ce mot contient d’impressions et de lumières speciales.

特別な光とは何か。こう考えることは出来ないだろうか。夜想曲は「雲」「祭」「シレーヌ」の三曲から成るが、

「雲」においては雲の切れ目から差し込む光を、「祭」においては賑やかな人工の光や花火を、「シレーヌ」においては静謐で神秘的な月の光を…

ドビュッシーはこの三種類の「特別な光」を描いたのではないか。スコアを買ってこよう。指揮をやっているのだから、音楽をうまく絡めていかないと。

 

☆CHANELの新作のAllure Homme Sport Eau Extrêmeが好きだ。

Edition Blanche 、Bleu共に気に入って愛用していたけど、これも最高。

「ビッグウェイブサーフィンにインスピレーションを得て、スポーツで快挙を成し遂げる時に訪れる、

研ぎ澄まされた状況下での無の境地に着目。集中力がピークに達した瞬間を落とし込み、日常を超越した世界を表現した。」

惹き付けられないわけがない。ジャック・ポルジュは凄い。

 

☆メンデルゾーンのピアノ協奏曲、ハイドンのピアノ協奏曲、尾高のフルート協奏曲、グラズノフ(暫定)のヴァイオリン協奏曲…

近いうちに勉強せねばならない協奏曲が沢山で幸せだ。

 

☆ネオン灯の普及経緯について調べていたが、ネオン灯の開発者ジョルジュ・クロードは名前が格好良すぎてずるい。

ネオン灯がアメリカに広まった時にその鮮明な明るさによってliquid fireと呼ばれたというのも何だか格好よすぎてずるい。

 

☆カラムジン、プーシキン、ドストエフスキー。

 

☆遠藤酒造の渓流ひやおろしを口開け。渓流の季節物を楽しむのが毎年恒例行事。

これに合わせて、イワシの刺身をかぼすと塩で頂く。言葉にならぬほど美味。

 

☆良い波が来ているようだ。乗りたい。将来はすぐに海へ行ける距離に住みたいな。

 

☆1919年からのパリ管のプログラムを見ているけれど、とんでもなく重量級のプログラムが結構あって、聴衆も凄いなあと思わされる。

 

☆Je n’écris pas sans lumière artificielle という言葉をデリダが残していることを知った。(Le fou parle)

 

☆ガルシア・ロルカの作品が好きだ。

ロルカの「すべての国において死は結末を意味し、死が到来すると幕が下ろされる。

しかし、スペインではその時、幕が開く」という言葉の原文を読みたい。

 

☆尾高のフルート協奏曲のスコアを読み直していたら、最初のページに「percussion」という一段が用意されていることに気付く。

パーカスなんて入っていたかな、と慌てて読み直したが、最初から最後までTacetだった。

パーカッション君は降り番にしてあげませんずっとそこに立ってなさい、ということか。