こんなにも、飲むことを「恐ろしい」と思ったのは初めてだった。
マルセル・ダイスのマンブール2006。黄金という表現が似つかわしい色合いに、信じられないほど長く続く余韻!
舌に含み、口の中から姿を消した時からこのワインは本当の姿を見せ始める。フルーティーな味わいが消えたあと、物凄い密度のほろ苦い旨味が迫ってくる。
遠くからやってくる、というよりはズームで迫ってくるようなその密度に圧倒されるが、引き方は儚く、くどくない。
九月の終わり、夏の余韻が秋風にさらわれて消えて行くように、静かにすうっと過ぎ去って行く。
思い出すのはシューベルトの『未完成』交響曲の最後だ。
何か神聖で巨大なものが膨らんで迫ってくるクレッシェンドに、霞の中にフェイドアウトするようなディクレッシェンド。
あの一小節と同じように、このワインは、一瞬だけで忘れられない記憶を与えてくれる。
後味が完全になくなったあと、きっとこう問いかけたくなるはずだ。
「今のはいったい何だったのか?」
それは美味しいとか味がどうだとか、そういう次元ではもはや語れない世界で、
貴腐ワインのような美しい色合いの中に、味わいだけでなく「時間」という要素を濃厚に含んでいる。
フィニッシュの余韻が上等なウィスキーのように鼻から抜けて行き、頭を痺れさせる。
徹底的にテロワールに拘るマルセル・ダイスが生み出した、アルザスの大地と時間の芸術だ。
飲みすすめて味が開き始めると、グレープフルーツに似たほろ苦いアタックが鮮烈になり、肌まで震わせる。
舌に乗せた瞬間の柔らかいフルーティーさの上にこの苦みが押しかぶさってくる。
苦味のクレッシェンドはより急激になり、そのぶん、余韻は長くなる。
そしてじっくりと細胞の一つ一つに染み渡るように引いていく感覚に、思わず目を閉じてしまう。
次の一杯、あるいは食事を、このワインは容易に口に含ませてくれない。
もっともっと、と求めてしまう美味しさなのだが、あまりの印象深さゆえ、音が完全に消え去るまでは次の音を重ねることが出来ないように、
真に心打つ演奏の終わりには拍手すら出来ないように、この美しい余韻が響き渡る中に身を任せてじっとしていたくなる。
この世界から醒めたくない、と思う。
ゆっくりゆっくりと杯を重ね、最後の一口を傾けながら、飲む事が出来た幸せと終わりが来てしまう寂しさで、涙が出そうになった。
こんなふうな気持ちにさせてくれるお酒を、僕は他に知らない。