ベートーヴェンの交響曲のレッスンに入り、はやくも一番を終えて二番に取り組んでいる。
この曲の二楽章が僕は心から大好きで、ベートーヴェンのあらゆる交響曲の二楽章の中でも特別な思いを抱いている。
Larghettoという「モーツァルトが最高に美しい緩徐楽章のためにとっておいたテンポ」で描かれるこの音楽は、
あのベルリオーズが「若干の憂鬱な響きがあるにしても、ほとんど曇ることのないような純粋無垢な幸福な描写だ」と
書き残したように、まるで夏の夕暮れに広い景色を前にして歌い上げるような幸せに満ちている。
いつしか陽は沈み、雲がやってきて温かい雨を大地に降らす。
けれども朝には雨は上がり、穏やかに昇る太陽が草木の上に零れた滴を照らすだろう。
夏の朝、生命力に満ちて世界が輝く。
ランボーの『イリュミナシオン』に所収されたL’aubeという詩を思い出す。
J’ai embrassé l’aube d’été.
Rien ne bougeait encore au front des palais.
L’eau était morte. Les camps d’ombres ne quittaient pas la route du bois.
J’ai marché, réveillant les haleines vives et tièdes, et les pierreries regardèrent, et les ailes se levèrent sans bruit.
僕は夏の黎明を抱きしめた。
宮閣の奥ではまだ何物も動かなかった。
水は死んでいた。陰の畑は森の道を離れなかった。
僕は歩いた、鮮やかな暖かい呼吸を呼びさましながら。
すると宝石たちが目をみはった。そして翼が音なく起きいでた。……..
(「黎明」 訳は岩波文庫、堀口大學によるもの)
あるいは、同じくランボーのSensationを。
Par les soirs bleus d’été, j’irai dans les sentiers,
Picoté par les blés, fouler l’herbe menue :
Rêveur, j’en sentirai la fraîcheur à mes pieds.
Je laisserai le vent baigner ma tête nue.
Je ne parlerai pas, je ne penserai rien,
Mais l’amour infini me montera dans l’âme ;
Et j’irai loin, bien loin, comme un bohémien,
Par la Nature, heureux- comme avec une femme.
蒼き夏の夜や
麦の香に酔ひ野草をふみて
こみちを行かば
心はゆめみ、 我足さわやかに
わがあらはある額、
吹く風に浴みすべし。
われ語らず、 われ思はず、
われたゞ限りなき愛 魂の底に湧出るを覚ゆべし。
宿なき人の如く
いや遠くわれ歩まん。
恋人と行く如く心うれしく
「自然」と共にわれは歩まん。
(永井荷風の訳による。「感覚」や「感触」と訳される事の多いこの詩を、永井荷風は「そゞろあるき」と訳した。)