休学の期間が終わりつつある。
大学に復帰することを考えながら、ふと自分の年齢に思いを馳せる。
24。いつの間にかこんな年齢になってしまった。
さあ、僕は僕の人生をどうしよう。お金はなく、年齢的な猶予もあまり残されていない。
24、とっくに就職していても良い年齢で、結婚していても良いぐらいの年齢だ。
みなが仕事や研究に取り組む中で僕のやっていることといったら?それで良いのか?
ヴァレリーの言葉の通りに、全能感と無力感が交互にやってきて自分を揺さぶる。
その頃私は二十歳で、思想が強大な力を持っていることを信じていた。
そして自分が存在していると同時に存在していないのを感じることで奇妙な工合に苦しん でいた。
ときに私には何でもできるように思われ、その自信は何らかの問題に当面するや否や失われて、
実際の場合における私のかかる無能さは私を絶望に陥らせるのだった。
私は陰鬱で、浮薄であり、外見は与しやすく、それでいて頑固で軽蔑するときには極端に軽蔑し、
また感動するときは無条件で感動し、何事によらず容易に印象を受け、
しかも誰にも私の意見をかえさせることはできないのだった。
いつだって最後には「将来なんてなんとでもなる」「それで良い」という肯定の言葉が沸き上がってくる。
根拠の全くない自信。言い換えれば「適当な」自信。両親には心配と迷惑をかけっぱなしで申し訳ないけれども、
考えてみれば、いつだって自分のこの適当な自信に支えられて歩いてきた。
適当かもしれないけれど「ふつう」の道から外れることを僕は自分で選択したし、打ち込みたいもの、
自分が価値を見出したものに対して真直ぐ歩いて来たつもりだ。
最後の最後まで、先の見えそうな方向には進まない。
きっとなんとかなる。だから、いまだ名前の無い方角へ。