12月の夜。家にいるのが窮屈で、夜中にあてもなく外を歩く。
空気は澄み、風は鋭い。雲に隠れても月の光が街に届く。
コートのポケットに手を突っ込んで、マフラーに顔を埋めつつ、坂道を下る。
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近々振る、モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」のことが頭に浮かぶ。
あの二楽章には死の影が宿っている。船に揺られて歌うような淡い美しさが、突然、胸を打つ慟哭に彩られる。
何を考えてモーツァルトはこの部分を書いたのか。スコアを開けば目に飛び込んでくる休符の多さ。無音の空間。
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沈黙と音楽について考える。
音は放たれた瞬間から減衰に向かう。それが音の宿命であり、悲しみであると同時に美しさでもある。
音楽は沈黙を埋める、一方で、沈黙へと還って行く過程を作り出す試みでもある。
だから音楽は大きく二つに分けることが出来る。ディヴェルティメントか、メディテーションか。
そして、「音楽とは結局のところ<消失>のヴァリエーションなのだ」という言葉の意味するものの深さ。
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ぐるりと歩いて戻ってくると、先程まで明かりと共にあった街は闇に沈み、家々の灯も落ちていた。
空は冷たく12月。月の影だけが空に残る。朝を静かに待ちながら。