December 2011
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祭りと孤独

 

12月の暮れ、久しぶりに戻ってきた街を歩きながらぼんやりと考える。

大晦日とあって街は人で溢れ、いつもとは違う景色を見せている。けれども思い出は確かにその街の至る所に刻まれていて

ひとりでに足が進み、次々と過去の記憶が蘇る。ひとしきり思い出に身を浸し、電車に乗り込んで現実へと戻ってくると、

この一年がもうすぐ終わることに改めて気付く。

 

振り返れば失ったものも得たものも大きい一年間で、同時に、今までで最も変化に富んだ一年間だった。

一年の中で中心にあったのはやはり音楽、指揮を学ぶことだっただろう。

あの頼りない一本の棒を握って、いくつもの曲とともに僕は2011年を過ごしてきた。

今年実際にステージで振った作曲家だけを挙げてもかなりの数になる。

モーツアルト、プロコフィエフ、チャイコフスキー、シベリウス、ストラヴィンスキー、ブリテン、ヴィラ=ロボス…etc.

そして師からレッスンで教わった曲を数えればこの二倍どころではないだろう。

プロオケを振り、チェロ・オーケストラを立ち上げて指揮し、一年前に原型を作ったドミナント室内管弦楽団はコンサートを開けるまでの

形になった。至らない所は数限りなくあるけれども、とにかく沢山の人と、言葉や音で話した日々だった。

 

 

でも、一番話した相手は他でもない「自分」だったはずだ。

オーケストラの前にいる時間以外は、孤独に自分と向かい合う時間を作ろうとしていた。

浪人時代のようにひとり静かに読み、書き、思考し、出口の無い空間で立ち止まり、

一日を勝手気ままに自分の思うように使った。経済的にではなく、精神的に豊かであろうとした。

何かに運ばれて生きるのではなく、混沌の中で揺れ続け、自分で自分を運びながら生きようとした。

浪人中に書き付けて今もなお飾ったままにしてあるこの言葉のように。

 

Man muss noch Chaos in sich haben, um einen tanzenden Stern gebären zu können.“

(You need chaos in your soul to give birth to a dancing star.) — F.Nietzsche: Also sprach Zarathustra

 

 

2011年が終わる。

いくつもの出会いと別れを経験し、祭りと孤独の中にあった一年だった。

この一年間に出会って下さった方々、支えて下さった方々、そして一緒に演奏して下さった方々に心からの感謝を。

どうぞ良いお年をお迎え下さい。

 

 

祈り(Yusuke Kimoto / Photo by Y.Eida)

 

 

 

実家にて。

 

半年ぶりの帰省。

家族はいつもあたたかく、犬は平和そうに炬燵に潜り込む。

母の何気ない一品に、そこに込められた時間と経験を思う。

 

みんなが寝静まった中、黙々と譜読みに取りかかる。

ついにベートーヴェンの交響曲に取り組む時が来た。2012年はこの偉大な九つのシンフォニーとじっくり向き合う。

この楽譜を贈って下さった方の気持ちに恥じないように。

 

Beethoven&Brahms

 

中学校の音楽教室で指揮してきました。

 

中学校の音楽教室として、プロの奏者の方々から成る弦楽アンサンブルを指揮してきました。

お仕事としてプロを指揮させて頂くのはこれがはじめて。奏者の方々は僕が日頃楽器を教わる「先生」のような方ばかりで、

駆け出しの僕にとっては恐れ多いぐらいでしたが、幸せな機会を頂いたことに感謝しています。

 

場所は足立区の某中学校の体育館。

普通に壇上で演奏して生徒達がずらっと並んで聞く、といった形式はあまり面白いと思えなかったので、

オーケストラを床に降ろして、その周りを中学生達に囲んでもらう形式を取りました。プルトの一部になってもらうイメージです。

これは師匠が明日館でのコンサートで実践していたスタイルで、それが素敵だなあとずっと思い続けていたので真似してみました。

やっぱり近くで聞いて/見て/入り込んでこその楽しさがありますよね。

 

プログラムはシベリウスのAndante Festivo、ブリテンのSimple Symphony、モーツァルトのアイネ・クライネ一楽章で

「指揮者体験コーナー」(大盛り上がりでした!)、チャイコフスキーの弦楽セレナーデ一楽章、そしてクリスマス・ソングという普通の音楽教室とは

一風異なったものにしてみました。アイネ・クライネの一楽章は、僕がはじめてオーケストラの前に立って振った曲でもあります。

その一年半後にこんな場でこの曲を指揮するようになるとは想像もしませんでした。緊張した面持ちの生徒五人に「こうだよ」と振り方を教え、振ってもらって、

最後に「お手本」として僕が一楽章を最後まで指揮しましたが、自分がオーケストラの前に立って初めてコンサートを開いた一年半前のことが蘇ってきて、

色々と込み上げてくるものがありました。

 

そして終演後、指揮者体験コーナーにも登場した生徒会の会長さんからの挨拶で、

「木許先生みたいに分かりやすく・かっこよい指揮が出来るようになりたいです」という言葉とともに大きな花束を頂きました。

師匠には「あんなのじゃ全然ダメだよ」と一喝されてしまうでしょうが、それでも嬉しかったです。

と同時に、もっともっと精進しなければと気持ちを新たにしました。

 

これにて2011年度のステージはすべて終わり!

プロのオーケストラを二度、チェロ・オーケストラとドミナント室内管の大きなコンサートとサロンコンサートと…沢山の指揮の機会に恵まれた一年でした。

拙い棒に付き合って弾いてくれる方々がいるからこそ、ということに心から感謝して、また師匠の元で勉強に励みたいと思います。

この一年間で一緒に演奏してくださったみなさん、本当にありがとうございました。来年もどうぞよろしく!

 

 

 

 

ドミナント・クリスマスコンサート前日

 

いよいよ明日、ドミナント室内管弦楽団のクリスマス・コンサート本番を迎える。

ドミナント室内管弦楽団を立ち上げてから一年半。こんなに大きくなるとは思ってもいなかったし、

まさかストラヴィンスキーをやることになるなんて考えもしなかった。

 

指揮しているだけでなく、このオーケストラを一から作ってきた身として凄く感慨深いものがある。

緊張はしない。このメンバーと音楽が出来ることを心から楽しみながら、今の僕に出来る限りの演奏をしようと思う。

 

Dominant Christmas Concert2011(Designed by S.Sekine)

gapyear.jpさまから取材を受けました。

 

gapyear.jpさまから取材を受けました。

休学するまで、休学してから、などのことが中心になっています。

何か身のあることが言えたかは分かりませんが、この一年の日々を振り返るつもりでお話させて頂きましたので、

ぜひご一読ください。(http://gapyear.jp/archives/1082)

 

 

 

第六十二回駒場祭特別演奏会にて。

 

コマバ・メモリアル・チェロオーケストラ、第一回公演の写真です。

写真は栄田康孝氏によるもの。ヴィラ=ロボスの「ブラジル風バッハ一番」を八人のチェリストと共に。

 

僕にとっても忘れられない時間になりました。

後ろまで人で一杯になるほど沢山の方々が聴きに来て下さっていたようで、本当にありがとうございます。

次回の演奏にもどうぞご期待ください。

 

演奏:コマバ・メモリアル・チェロオーケストラ 指揮:木許裕介 写真:栄田康孝 後援:ドミナント室内管弦楽団

「ジュピター」と『死の瞬間』、そして「サレルノ湾の月夜」

 

モーツァルトの41番、「ジュピター」を勉強している。

四楽章のあの有名な「ドレファミ」というジュピター音型(モーツァルトはこの音型を自身の最初の交響曲でも用いている!)

の神々しい美しさもさることながら、僕はこの二楽章を聞くたび、読むたびに心の中が掻き乱されるような思いを抱く。

楽譜を見るだけで涙が止まらなくなること、一度や二度ではない。

 

それはまるで舟上にいるような穏やかな陽射しに包まれた歌だ。

陽射しは燦々と注がない。雲の切れ間から柔らかく水面に反射しながら辺りを仄明るく照らす。

淡い平和、しかしその中に時折、「死」が顔を覗かせ、その冷たさに慟哭する。

モーツァルトに死が訪れるまで残り三年。この時すでに死を予感していたのか。

楽譜から、「まだ死にたくないよ、生きたいよ。」という心の奥底から溢れ出るような言葉が立ち上がってくる。

だが、その訴えはいつしかエネルギーを失い、最後には諦念が訪れる。

そして静かに死を受け入れ、空に吸い込まれ、消えゆく…。

 

だからジュピターを勉強しているといつも、キューブラー・ロスの『死の瞬間』という本を思い出す。

一楽章は生と大地の音楽、二楽章は緩やかな死に至る歌。

三楽章のメヌエットは地上と天上の狭間、空へと連れてゆく天使たちの遊び。

四楽章はもう人間のものではない。天空、神々の音楽。

そういうふうに、「生と死」あるいは「大地と天空」を描いた曲のように思えるのだ。

 

そしてまた、陽射しではないのだけれど、二楽章を考えるたびに頭の中に浮かぶ光景に近い絵がある。

個人的に思い出深く、大切な絵の一つ。フェルディナント・エーメという画家の「サレルノ湾の月夜」(1827年)と題された絵がそれだ。

ドレスデン国立美術館に所蔵されたこの絵には、「生と死」「光と闇」「空と海」のように、矛盾あるいは背中合わせの何かが同居している。

ジュピターの二楽章、Andante Cantabileが描いているのはこういう世界だと僕は思う。

 

サレルノ湾の月夜

 

消失のヴァリエテ

 

12月の夜。家にいるのが窮屈で、夜中にあてもなく外を歩く。

空気は澄み、風は鋭い。雲に隠れても月の光が街に届く。

コートのポケットに手を突っ込んで、マフラーに顔を埋めつつ、坂道を下る。

近々振る、モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」のことが頭に浮かぶ。

あの二楽章には死の影が宿っている。船に揺られて歌うような淡い美しさが、突然、胸を打つ慟哭に彩られる。

何を考えてモーツァルトはこの部分を書いたのか。スコアを開けば目に飛び込んでくる休符の多さ。無音の空間。

沈黙と音楽について考える。

音は放たれた瞬間から減衰に向かう。それが音の宿命であり、悲しみであると同時に美しさでもある。

音楽は沈黙を埋める、一方で、沈黙へと還って行く過程を作り出す試みでもある。

だから音楽は大きく二つに分けることが出来る。ディヴェルティメントか、メディテーションか。

そして、「音楽とは結局のところ<消失>のヴァリエーションなのだ」という言葉の意味するものの深さ。

 

ぐるりと歩いて戻ってくると、先程まで明かりと共にあった街は闇に沈み、家々の灯も落ちていた。

空は冷たく12月。月の影だけが空に残る。朝を静かに待ちながら。

 

 

コマバ・メモリアル・チェロオーケストラを終えて

 

2011年駒場祭特別演奏会として指揮した、チェロオーケストラのヴィラ=ロボスコンサートを無事に終えました。

別の公演のリハーサルに忙殺されていて、今回のコンサートの宣伝は当日の朝に学内にビラを三枚貼っただけなのですが、

開場前には長蛇の列が出来ており、また終わってみると200人近くの方々が聞きに来て下さっていました。

 

後から知った話ですが、駒場祭コンサートランキングの一位に公演の二日前(つまり駒場祭初日から。駒場祭は三日間行われていて、公演自体は最終日だったのです。)

からずっとランクインしていたそうで、実は結構注目度が高かったのかもしれません。普段授業が開かれている教室でしたから響きはホールほどでは無かったかもしれませんが、

演奏としては今の僕に出来る限りの演奏になりました。

 

一楽章の終わり。地鳴りのするような深い深い音と共に、弓を離しても指揮棒を振り抜いても、ビブラートの目一杯かけられた音がその場の空気を揺らし続けていました。

そして二楽章では、沈み込むようなpppのあと、世界から人が消えてしまったのではないかと思えるような静寂を作り出し、その身を浸すことが出来たように思います。

三楽章の次々に積み重なって行くフーガを指揮しながら、「ああ、この瞬間はもう二度と来ないのだな。」と思えて、心に迫ってくるものがありました。

 

公演のあと、沢山の方々が感想を直接あるいはメールで下さいました。

その中の一つを、ご本人さまの許可のもと、ここに紹介させて頂きます。

 

身体の底まで震えるような共鳴、豊かな節回し。

荒々しく、推進力に溢れていて、叙情的で、壮大だ。ブラジル風バッハ一番はCDで何度か聞いていた事があったが

生で聞いたのは初めてで強い衝撃を受けた。そして今まで聞いたどの演奏とも違った。

まさか東京大学の学園祭でこのような曲を、このような演奏を聴く事ができるとは!

八人のチェリストの皆さんに心から拍手を送りたい。この曲は実際に聞かなければ凄さが分からない。

一度限りと言わずに、これからも、いや、これから何度でも演奏を続けて頂ければと心から願う。

 

そして指揮の木許裕介さんのその鮮やかな指揮ぶり!彼が現役の大学生だと知って驚愕した。

これほどまでに見事な指揮をする学生が東京大学にいるのか!

一振り一振りに溢れんばかりのエネルギーと万感の思いが込められていて、

彼がどれほどこの曲を把握し、大切に思っているかがその背中から苦しいほどに伝わって来た。

動きを見ているだけで曲に引き込まれてしまうような指揮。

楽器を弾くものとして、彼の棒で演奏してみたいと心から思う。そしてまた、演奏するならば、あの指揮に

しっかりと反応できるような技術を身に付けて臨みたいと思った。

11月の駒場に響いたブラジル風バッハ一番を生涯忘れる事は無いだろう。

 

 

その他にも、「ヴィラ=ロボスなんて知らなかったしチェロ八本のアンサンブルを聴くのは初めてだったけれど、

こんなに良い曲があるんだと感動しました」と言う感想も頂けて嬉しかったです。

僕の師はヴィラ=ロボスの音楽を日本に広げることに力を注いでいましたから、もうヴィラ=ロボスを振ることが無くなった師の

弟子として、少しでもこのブラジルの豊かな音楽を広げることが出来たとあれば、幸せここに尽きます。

 

一度きり、のはずでしたが、毎年やってほしいという声を沢山の方々から頂きましたので、また五月祭や来年の駒場祭でも何か

チェロオーケストラでやってみるつもりです。ヴィラ=ロボスの「ブラジル風バッハ」には、チェロ八本とソプラノで演奏する

「ブラジル風バッハ五番」という曲もありますから、次はそれもいいかな、なんて考えています。

聞きに来て下さった方々、本当にありがとうございました。