楽譜は読めば読むほど発見がある。そして時間が経てば見え方も変わる。
門下の後輩がレッスンでアイネ・クライネの一楽章を振るのを聞いて、
アイネ・クライネの中に「フィガロの結婚」序曲が突然聞こえた。
フィガロは五月にやったプロオケとのコンサートのために隅から隅まで勉強した曲。
そしてアイネ・クライネは一年前の駒場のコンサート(そこで初めて僕はオーケストラを指揮した)で振った曲。
電撃に打たれたように、二つの曲がこの一瞬で繋がった。
一 年のうちに色々な曲を指揮してきて、ようやくアイネ・クライネのことが少し分かってきた。
モーツァルトならではの遊び、モーツァルトならではの憂愁、そう したものがフィガロだけでなく、
アイネ・クライネにも息づいている。あの良く知られた「小夜曲」(=Eine Kleine Nachtmusik)の中に
モーツァルトのエッセンスが詰まっていた。心から思う。アイネ・クライネはなんて良い曲なんだろう、と。
フィガロを猛烈に勉強し、最高の奏者の方々と一緒に演奏させて頂いた今なら
この曲をどう「表現」すればいいのか、少しは分かる気が する。
一年前の自分は何にも分かっていなかった。若くて未熟で青かった。
そして一年後の自分も十年後の自分も、過去に向けて再び同じことを言うのだろう。
でも、音楽を勉強するとは、きっとそういうものだ。