毎週恒例のプロとの試合に行ってきた。
四ゲーム終わって10ピン差以内という、何とも緊迫する展開。久しぶりに少し緊張しながらラストゲームをやり、結局プロに6ピン差で
勝つことが出来た。ギリギリの試合ではスペアショットのたびに緊張するし、ストライクが続いたら続いたで段々力が入ってしまいがち。
しかし今回はそんなこともなく、投げたい球が最後まで投げられて満足している。中国から帰ってきて以来、自分の投げる球に
「何か足りない」という状態が続いていたのだが、今回でスランプを完全に脱することが出来たようだ。
何が足りなかったのか、と考えてみて気付いた。結局のところ、四歩目が決定的に軽かったのだ。
僕は左利きで五歩助走だから、四歩目は軸足(=左足)にあたる。一歩目(右足)と四歩目は、助走の中でその一瞬の中に
とりわけ多くのものを含んでいる。一歩目の出し方で後が規定されるし、四歩目の踏み込み方でラストステップ(五歩目)の
力強さが決定される。ハイレブ型の投法においては、ボールを手で振るのでなく足で振るイメージを持たなければいけない。
したがって、足の運びが上手くいかない限り、ボールの下に手が入って振りほどくような感覚は味わうことができない。
足の運び、といっても、歩き方自体はそう崩れるものではない。前に向かって歩く、というのはもちろんそのままだ。
しかし、一歩一歩のタイミング(これが一歩一歩の重さのかけ方に繋がってくる)が繊細なだけに、ふとした拍子に狂ってしまいがち。
それでも、本来存在しないはずの一瞬の空白(手遅れ)を作りだすためには、この絶妙なタイミングがどうしても必要なのだ。
上手く「間」を作り出せると、足は前に行くのに手は後ろにあるという不思議な状態を味わえる。そして一瞬のはずのリリースが
長く長く体感されるとともに、その時に指を一気に広げることで、ボールが手のひらの下からぐいっと落ちてゆくのを感じる事が出来る。
これが出来た時のボールは明らかに勢いが違う。ツーっと高速で走って行って、加速してポケットに切れ込むように見える。
投げた瞬間、少々コースを外していても「これはいったな。」という感覚が指先に残る。エネルギーが完璧にボールに乗るからか、
投げた後には不思議と静けさすら感じる。全部の力をボールに伝えきって軽く脱力したような感覚だ。そんな時のボールは、ボールに
意思が宿ったかのように動いてくれる。
この調子を出来るだけゲームの早いうちから長く維持せねばならない。一度崩れると立て直すのに時間がかかる。そこが問題だ。
さらに上の世界へにいくためには、安定感と勝負どころで持ってこれる迫力が両方とも高いレベルで必要となるのだろう。そのためには
何が問題なのかを、毎回毎回考えてゆくしかない。でも、たぶん音楽もスポーツも同じで、頭で考えながらプレーするのには限度がある。
頭で考えたことを身体に写し取り、考えなくても身体がそれを実行してくれるぐらいに投げ込まないといけない。
ふと、二年前のちょうど今頃、ハイドシェックがそのことについて語っていたのを思い出す。
「技術を忘れるぐらいになりなさい。技術を忘れたとき、音楽と一体になれる。奇跡のような演奏はそんな時に生まれる。」と。