このブログの記事の中でも、2009年6月19日に書いたものはアクセス数が常に結構ある。
「DIALOG IN THE DARKに行ってきた。」という記事がそれだ。DIALOG IN THE DARK、つまり見知らぬ人たちとグループを組んで、
視覚障害者の方にアテンドして頂いて完全な暗闇の中で一時間半過ごすイベントであり、それに行ってきた感想を書いたのが
この2009年6月19日の記事である。この記事にアクセスが多いのも当然といえば当然、なんとDialog in the darkとGoogleで検索する
と、驚いたことにオフィシャルホームページに続く順位でヒットする。僕の適当な文章がそんなに沢山の人に読まれているのかと考えると
「文章下手ですみません。」と平身低頭謝りたいぐらいだが、もしもあの記事がDialog in the darkに実際に足を運ぶきっかけに僅かでも
寄与できたならば、それはとても嬉しい事だ。それぐらい僕は、この暗闇のイベントが刺激と意義に満ちたものだと思っている。
立花ゼミの後輩たちにもこの衝撃を経験してほしかった。というわけで希望者を募り、集まった一年生・二年生を10人ほど連れて
再びこのイベントに行ってきた。昨年は確かカンカン照りの昼間、授業をいくつか休んで行った覚えがあるが、今年は五限の授業が
終わってから、日が沈みつつある中で外苑前に降り立った。そして熊野通り・キラー通りを抜けると、どこか神戸のような雰囲気のある
坂道に到着する。DIALOG IN THE DARKの会場はもうすぐそこだ。
坂道を下り、間接照明が上手く使われた地下への階段を降りながら、「ああ、もう一年経ったのか」とつい感慨に耽ってしまった。
一年なんて本当にあっという間に過ぎてしまうものなのだ。ヒトが一年間で出来る事はたかが知れているかもしれないけれど、
光のような速さで過ぎてゆく一年間の「密度」を高める事は出来るのであって、自身のことを振り返ってみても、人生を変えたと思えるような
出会いや出来事がこの一年で沢山あったし、考えてみればこのイベントもそうした衝撃的な経験の一つであったと言ってよいだろう。
入学したばかりの一年生や進学に悩む二年生にとっても、今から経験する暗闇の時間が忘れ難いものになればいいな。
そんなことをぼんやりと考えながら、先に部屋に入っていった彼らの背中を見届けて、僕も一年ぶりのドアをくぐる。
そこには昨年と同様、明るすぎず落ち着いた優しい空間が広がっていた。笑顔で迎えてくださる受付の方々に挨拶をして、
相変わらずふかふかのソファーに腰を下ろす。そして三グループに分かれて暗闇のツアーに向かうゼミ生たちを送り出す。
少し緊張した面持ちで、しかしどこかワクワクした表情で、彼・彼女たちは暗闇に吸い込まれていった。
中での出来事は、後輩たちが一人ひとり書いてくれる予定の記事に委ねよう。
僕がここに書くことは、終わってから全員でブレイン・ストーミングとディスカッションをしたことを付け加えておくぐらいだ。
(以下は我々オリジナルの楽しみ方なので、このイベントに組み込まれているプログラムではない。けれども、中々面白いものだと思う。)
実はツアーを体験する前の待ち時間で「《暗闇》にどのようなイメージを持っているか」というテーマで予め各自ブレイン・ストーミングを
してもらっておいた。《暗闇》から思いつく言葉やニュアンス・感情を自由に書き留めておいてもらったのである。
そしてツアーが終了してから再び、《暗闇》のイメージや暗闇で体験した中で印象的だったことをそれぞれ書き出しておいてもらった。
それをもとにして、近くのイタリアンでご飯を食べながら、各自が感じたことや他者との相違、気付きなどを巡ってディスカッションを
行った。一人ひとりの感じ方は当然異なっており、しかし共通するところも沢山あって、刺激的な議論が展開されていたように思う。
最後に、「暗闇の地図」を全員で描いた。90分過ごした暗闇がどのような構造になっていたのか、思いだせる範囲でそれぞれマップを
描いてもらったのだ。これがめちゃくちゃ面白くて、大きさ・方向・場所ともに他人の地図と情報があまり重ならない!
五感のうちのたった一つを遮断しただけでこれほどまでに人間の「共通」理解は崩れ去る。
なにが普通でなにが共通なのかなんてそこに絶対的な区切りは存在しないし、「世界」も決してたった一つではない。
人間は絶対的な存在ではなくて、偶然的なものや脆い基盤に立脚して《共通》や《ノーマル》といった概念を成立させているに過ぎない。
視覚以外の四感が研ぎ澄まされ、他者との精神的距離と時間が驚くほどに縮小される90分。
暗闇での時間は、人間という存在に様々な問いかけを投げる。そしてその問いが導き出す答えはつまるところ、「人間は面白い」という
シンプルでありながらも、無限の奥行きを持つ事実なのである。