January 2010
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師匠を超えて。

 

 冬休みもあと数日。地元にいられる時間は僅かしか残されていません。

というわけで、帰省中に必ずやっておきたかったことの一つを終えてきました。ボウリングの師との再戦です。

電話をしてボウリング場で待ち合わせ、夏と変わらずお元気なお姿でフロアの向こう側から飄々と歩いてくる師匠はもう75歳。

師匠にボウリングの面白さと奥深さを教わってからもう6年が経ちます。月日の経つ早さに驚かされながら、がっちりと握手をして

レーンへ向かいました。

 

 夏休みに勝負したときは僅差で僕が勝ちましたが、師匠はその年齢もさることながら、使っているボールがラウンドワンの

キャンペーンボール一球のみ(他のボールは近くのレーンに入った若者にあげたらしい。そんな気前の良さには本当に憧れます。)

という状況だったので、僅差では勝ったことになりません。そこで、今回は自分に二つの制限を課して勝負に臨みました。

まず、投げてよい球は二球のみに制限。練習投球の様子から、Second Dimension と Black Widow Nasty の二球に絞りました。

そしてアベレージにして30ピン以上差をつけること。師匠はどんなに転んでも180アベは叩いてくるので、僕は最低でも210アベを

超えねばなりません。この二つの条件を満たしてはじめて「勝った」と思おうと決めました。

 

 そして試合開始。正月で沢山のお客さんが投げているからか、レーンがかなり難しい状態に荒れていることに気づきます。

外早中遅の上、左右差が微妙についています。極端な左右差ならボールを変えたりして対応できるのですが微妙な差となると

細かく調整していくしかありません。しかも外早なので外に向けて出し過ぎると即ガター。これはかなり集中して投げないと、とても

210アベどころではありません。Black Widow Nastyを15枚ぐらいからちょっとだけ外に向けて投げ、ピン前の切れこみを利用して

倒すラインを選択しながら、目一杯集中して投げました。

 

 師匠はと見ると、スピードを落として僕と同じ15枚目ちょい出しラインを選択しています。それを見て、このラインはかつて師匠から直々

に教わった、師の最も得意とするラインだったことを思い出しました。投げ方はあの頃から随分変わりましたが、今でも僕のライン取りは

ほとんど師匠譲りのもののようです。アプローチに立って構えながら、心の中で師匠に感謝しました。

微妙なアジャストも成功して、六ゲーム終わってみればアベレージ228となかなかのスコア。対して師匠は194。

精一杯のことはやりました。最終ゲームで師匠が、「もうこれからは勝てないな。」と笑顔でそっと呟かれたのが耳に残って離れません。

心から嬉しかったし、同時に少し寂しかった。師匠を超えるときがついに来たのかもしれません。

 

 でも、師匠からはまだまだ学ぶべきところがありました。

とりわけ、僕がいま集中的に取り組んでいる「静」の部分。「静」と「動」に注目して師匠のフォームをじっくりと後ろから見てみました。

びっくりしました。師匠の構えは「ビタッ!」と音が出るように静止しています。止まっているのは時間にして僅か数秒。

ですがその静止の中に、「これから起こるであろう動き」が完全に含まれているのが感じられます。

「構えただけでストライクが出そうな気配を放っているなあ。」とボウリングを始めたての頃に何となく思ったのも今は良くわかります。

一瞬の呼吸。スラックスの裾の揺れすら完全に動きを止めた一瞬の静けさ。この背中に憧れて僕はボウリングをはじめたのでした。

 

 「静」だけでなく、レーンを読む早さと緻密極まりないコントロールはまだまだ師匠の足元にも及びません。

師匠は6ゲーム通じて2-10のスプリットを3 回残したのですが、なんとその3回とも取ってしまいました!

一度だけならまだしも、三回とも全て取るなんて芸当はトッププロにも難しいことでしょう。レーンを読み切っていて、さらにそこから導いた

わずか数枚の幅に確実に投げられるコントロールがあってはじめて可能になる技ですね。肘を入れたハイレブの投げ方で投げていると

多少ポケットからずれても倒れてくれるので、ついつい精密なコントロールやレーンの読みが甘くなりがちですが、本当は僕らのような

ハイレブ型の投法で投げる人こそ、コントロールとレーンの読みを学ばねばなりません。ストローカーのコントロールと経験からくる

レーンリーディングの早さを基本として、そこにプラスアルファで高速・高回転の球を多様なアングルで投げれるようにすることが

最強ではないでしょうか。師から教わったレーンリーディングのコツを、東京に帰ってまた投げ込みながら、自分のものにしていきたいと

思います。

 

 夏休みには今よりも腕を磨いて帰省します。師匠もお元気で。そう伝えて固い握手を交わし、帰路へと向かいます。

夏ならまだ明るかった午後四時。冬の午後四時は、夕焼けと日没がグラデーションになって空を彩っており、心地よく疲れた体に

冷たい風が沁みました。

 

 

New Year Concert 2010 と弾き初め

 

 先日のNew Year Concert2010はここ数年で最高の演奏会だったと思います。

プレートルは大きくテンポを動かし、溜めるところではかなり溜める(とりわけドナウの「間」は絶品でした。)指揮をしていました。

かといって昨年のバレンボイムのようにずっしりした重さを感じさせるものではなく、軽妙洒脱という言葉がぴったりの華やかな演奏。

最初の「こうもり」序曲から最後まで通じて感じたことですが、管が弦に埋もれないようにやや強めに吹かせている印象を受けました。

「酒、女、歌」などでその傾向が特に顕著だったように思います。「クラップフェンの森で」では鳥の鳴き声を模した楽器(名称不明)

を吹かせまくって目立たせてみたり、「シャンパン・ギャロップ」では実際にシャンパンを注がせてみたり、遊びも満載。

そうかと思うと「ラインの妖精」序曲では会場が静まり返るような繊細なトレモロを出させてウィーン・フィルの弦の

素晴らしく精緻な響きを楽しませてくれたりと、見どころ・聴きどころともに十分なコンサートでした。

 

 音楽だけでなく映像にも様々な工夫が感じられました。いくつかに分けて見てみましょう。

 

・フラワーアレンジメント

これについては全くの門外漢なので単なる感想でしかありませんが、エレガントさよりは元気の良さを感じさせる配色だったと思います。

いわゆるビタミン・カラーが中心のアレンジメントでした。黄色・オレンジ・赤といったホット・カラーを手前に持ってきて奥に緑や白を

入れることで、メリハリのついた見映えになってたように感じます。花はチューリップ、バラ、デイジーなどでしょうか。

 

・照明

照明にも一手間加えられていて、曲想に応じて光量が調節されていました。「ラインの妖精」の際には客席後方の上部ライトが

かなり落とされていましたね。

 

・バレエ

普段はウィーンだけなのに、今回はパリとウィーンの二つのバレエ団の踊りが収録されていました。「朝刊」で見せたバレエは

撮影場所の建築をうまく使ったショットが沢山あって感動させられました。衣装(色とりどりの「花のドレス」)もとても好みです。

 

・メイキング

第一部と第二部の休憩時間の間には、大抵アナウンサーとゲストのトークが挟まれているのですが今回はその時間帯に

「プレートルのリハーサル風景」と「バレエの衣装デザイン」という二つのメイキング映像が挟まれており、トーク無しになっていました。

個人的には今回の構成のほうがいいなと感じます。リハーサル風景やデザインのメイキングムービーなんかは僕のような人間に

とって垂涎のものでした。来年からもこの構成で放送してくれることを切に願います。

 

・カメラアングル

映像では今回ここに一番注目される点がありました。カメラアングルがいままでにない豊富さだったのです。

客席最後部の上から天井の彫刻を映し出した後、フリップしながら客席→ステージへと移していくカメラワークもさることながら、

指揮者のはるか上からのアングルは今までになかったのではないでしょうか。二つ目のバレエの終わりと最後のラデツキー行進曲の

終わりで見せた、「上から舞台を捉えるショット」はフランス映画の十八番の構図だと思います。たとえば「シェルブールの雨傘」や、

新しいところでは「ココ・アヴァン・シャネル」の宣伝ムービー(シャネルのページから無料で見れます。セリフはほとんどありませんが

風景・人物の撮り方が本当に綺麗で感動します。一度見てみてください)で目にすることができるでしょう。このあたり、もしかすると

フランスの指揮者ジョルジュ・プレートル仕様なのかもしれませんね。上からのショットは頻繁に活用されており、

ステージ頭上のハープを持った女性の彫刻の上から写して、彫刻のハープをカメラに収め、そのあと次第にステージへズームしていって

(オーケストラで実際に弾いている)本物のハープを彫刻の向こう側に遠近つけて写す手法には感動しました。これは巧い。

 

 というわけで非常に満足な演奏会だったので、三日の再放送もスコア片手にじっくりと見入ってしまいました。

ついでに家にいる間に色々弾いておこうと思い、今年度の弾き初めも兼ねて六年ぐらい前に演奏会で弾いたガーシュウィンの

プレリュードNo.3を弾きました。あの頃は指が回っていたのに今はもう全然です。中盤で止まりまくりです。悲しい。

 

 そのあとピアノの横にある楽譜用の引き出しを整理していたところ、高校生の時に書いた小品の楽譜が発掘されました。

ちょっと弾いてみましたが、自分で作っただけあってこちらはスラスラ弾けてしまいます。でも弾けば弾くほど恥ずかしくなる曲。

メロディーだけで作ったのがバレバレで全く厚みがない。当時はこれを傑作だと本気で信じて友達に弾いて聴かせていたのですから

怖いもの知らずですね。穴掘って土下座したいぐらいです。

そして曲の内容にもまして恥ずかしいのが曲名。あの頃ハマっていた三島由紀夫のある作品から採ったのが透けて見えます。

楽譜ごと燃えるゴミの日に出してしまおうと思いましたが、なんとなくそうすることも出来ず、改めて引き出しの一番奥にしまって

記憶から抹消しておくことにしました。きっとまた何年後かに発見して破りたくなることだと思います(笑)

 

 フルートは東京へ置いて帰ってきてしまったので吹くことができず。東京へ戻ったらしっかり練習します。

指揮の方は叩き・跳ね上げ・平均運動・しゃくい・先入を毎日筋トレのようにやっているので弾き初めという感じは特にありません。

今度の課題曲No.3(Haydn No.20 Andante grazioso)の譜読みは昨年中に終えましたが、次は暗譜するためにさらに読み直す

ことにします。曲自体はとても単純なのですが、先入・半先入・分割先入という技法をフル活用することが要求されているので、

指揮するのは結構大変かもしれません。頑張って練習します。

 

 なお、新年一発目はレヴィ・ストロースの『パロール・ドネ』(中沢新一 訳、2009,講談社選書メチエ)を読了。

これはコレージュ・ド・フランスでの講義の報告書を訳したもので、とても読みやすい本です。レヴィ・ストロースの著作を読んだことがある

人にはとてもおすすめ。これを読みつつレヴィ・ストロース本人の著作を読めば本人の著作がぐっと分かりやすくなるはずです。

訳者の中沢新一が後書きでこんなことを書いています。

 

「いったん書き始めると、レヴィ・ストロースはただの人類学者でなくなって、一人の作家ないし文人と呼ぶにふさわしい、おそるべき

文体の人に変容するのであった。シャトーブリアンやフローベールに学んだという彼の文章は、まさに螺鈿細工のように複雑にして

精緻を極めたフランス語の名文であった。そのために、フランス語に堪能でない私たちは大いに泣かされてきた。

ところが、講義中のレヴィ・ストロースは、(中略)まったく飾り気のない平明極まりない言葉で自分の思想を明確に伝えることだけに

専念している、一人の人類学者に立ち戻っているのだ!」(同書P.366より)

 

 原文で読んでいないのでこの講義録がどれほど平明なのか僕は日本語訳を通して推し測るしかありませんが、

確かに『構造人類学』に比べるととても読みやすい。これぐらい読み易ければ『構造人類学』ももっと早いペースで訳せるのになあ、

と思いつつも、「螺鈿細工のように複雑で精緻なフランス語の名文」に接することが出来る幸せを同時に覚えます。

そんなわけで、あと二日で提出せねばならない『構造人類学』訳文のレジュメ作成にまたもや苦しまされるのでした。